エピローグ
長い、長い、草原の道。
長草にはさまれた砂地の道を、スゥはひとりで歩いていた。
「あーあ、おまえはいいよなあ、まったくよお」
ブーツがなにやら文句を言っている。
「おまえひとりが楽しくてさ。おればっかりが割を食ってる。おまえは雨ん中わーきゃーはしゃいでりゃいいけど、そのあいだ、おれはずーっとぐじゅぐじゅ気分でいるわけだ。わかんねえよなあ。靴底に水がたまって、人の足が踏むたびに、ぐじゅぐじゅ音が鳴る気持ち悪さってのがなあ」
「だから、ごめんってば」
スゥは面倒くさそうにブーツを見る。
「あのあとちゃんと乾かしてあげたでしょ。まだなにかあるの?」
「足りないねえ、感謝が足りない。オイルのひとつでも塗ってピッカピカにしてやろうって気はねえのか?」
「なら将来は車輪にでも生まれ変わったら?」
「んだとお?」
ブーツはなおも文句を言おうとする。
このままじゃらちが明かない。それにまあ、嫌がるブーツを無視したのもまた事実……。
スゥは道の脇にあった岩に腰かけて、ブーツを脱いた。バッグから新品のタオルを取り出して、ブーツの側面を、ていねいに拭いていく。
「感謝してるよ。きょうまでたくさん、歩かせてくれたんだから」
「これからも、だろう」とブーツがふてくされる。
「そうだね」
皮肉を言ったつもりがまともに返されて、ブーツは渋々と言った調子で、黙りこんだ。
穏やかな風が吹き抜ける。さざなみのように草原がたなびき、スゥの吐息といっしょに、ふたりのあいだにあった重い空気もさらわれていく。
そこに——
「おーい!」
——遠くから呼ぶ声が聞こえた。
スゥが顔を上げると、一台の荷馬車が近づいていた。運転席を見れば、いつぞやお世話になった運転手の男が、スゥに手を振っていた。
「嬢ちゃん、久しぶりだなあ、元気にしてたか?」
「はい、おじさんも」
男は馬車を降りて、スゥに歩みよる。
しばらく、ふたりは会わなかったあいだの出来事を話した。スゥは街々での出来事を。男は近隣の街の情勢や、自分の娘の進学話を。
そのうち、男の視線が、スゥの手元に向いた。
「大事にしてんだな。だれかからのプレゼントか?」
「はい。わたしに、旅を教えてくれた人から」
スゥはおだやかな目で、ブーツを見つめる。やさしい手つきでなでると、さっきまでぶつくさ言っていたのに、いまはうれしそうな吐息をもらしている。
男は、その沈黙さえ心地よいというように、スゥの手元を見ていたが、
「……さて」
と立ち上がる。
「そろそろ行くかね。長話したいところだけど、仕事を遅らせるわけにもいかない」
「わたしも」
「行き先は?」
「あっち」と、スゥは、男が来た方を指さす。
「逆か、じゃあ、送ってやれねえな」
「大丈夫です」スゥはタオルをしまって、ブーツに足を通した。「歩いていけるので」
男はさみしそうな、けれどどこか、満足そうな笑みを浮かべた。
男が馬車に乗る。そのとき、男の穿いているズボンの裾が、わずかにめくれた。
そこで、スゥは気がついた。
「おじさん——足、どうしたんですか?」
男は「ああ」と、なんてことないように、裾をめくりあげる。男は、膝から下が、金属でできていた。
「昔、大工仕事をしてたときに、うっかり折っちまってよ。治しようがないってんで、切ったんだ。杖でもよかったんだが、どうしても歩きたくてな。東の国に名医がいるっていうから、手術がてら、そこで作ってもらったんだ」
「歩きにくくないんですか?」
「さいしょだけだ。慣れたらなんの問題もない」
男は膝下の金属をたたいて、
「これもまた、足だろう?」
男がにかっと笑いかける。
元気でな、と、男が馬車を走らせる。
その背中を見送りながら、スゥは言った。
「金属の足なんて、初めてみた」
「そうだな」
「この世界には、ほんと、いろんな足があるね」
「そうだな」
「その足があるから、人間は、どこへでも行けるんだね」
「そうだ」
ブーツが言った。
「その足を守ってんのは、おれたちだ」
「うん——」
スゥはブーツを、そして、自分の足を見つめて、
「——いつもありがとう」
「それでよし」
道の向こうに、馬車の影が消えていく。
スゥは、自分が進む道に向きなおった。
長い、長い、草原の道。
次の街まで、あとどれくらい?
頭の中で地図を開こうとして——やめた。
距離なんて関係ない。
この足があるかぎり、わたしはきっと、どこまでだって行ける。
「行くよ」
「おう」
スゥはまた、歩き出す。
どこまでも、どこまでも。
草原の道の真ん中で。
少女の軽やかな足音が、楽しそうに響いていた。
——スゥと、ブーツと、偽りの神様 了
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