(42)盲点
「終わった……」
集中してその日の業務を終わらせたライルは、深い溜息を吐いて机に突っ伏した。そんな彼に向かって、年上の同僚たちから哀れむような視線が向けられる。
「ライル、お疲れ」
「今日はいつも以上に、凄いペースで仕事が片付いたな」
その声に、ライルが顔を上げないまま応じる。
「おばば様にどう連絡しようか考えないといけないけど、あまり考えたくなくて、現実逃避のため仕事に集中していました」
「そうか……」
「俺達は何も言えないけど、まあ、頑張れ」
「若いのに苦労が多いよなぁ」
周囲から同情する声がかけられると、隣室に通じるドアが開き、顔を覗かせたエリアスが声をかけてきた。
「ライル。手が空いていたら、ちょっとこちらに来てくれるか? 話がある」
「……分かりました」
手持ちの仕事が終わったタイミングで何の用だろうかと、ライルは内心でやさぐれながら立ち上がった。彼の心情は察するに余りあるだけに、同僚たちは心底同情しながら彼を見送った。
ライルがエリアスの執務室に消えてから、他の者たちは気を取り直して仕事を続けたが、数分後、異常が生じた。
「そういうことは、事前に言っておいて欲しいのですが⁉︎」
いきなり隣室から響いてきたライルの怒声に、補佐官室にいる者たちは全員が驚いて顔を上げた。
「うわ、びっくりした」
「何事だ?」
「今のは、ライルの声だよな?」
全員が隣室に繋がるドアに視線を向けると、少ししてからライルが戻ってきた。しかし先ほど以上に疲労感を漂わせている彼を見て、他の者たちは思わず声をかけるのを躊躇う。
「それでは、お先に失礼します……」
「お疲れ」
「また、明日な」
なんとなくふらつきながら補佐官室を出て行くライルを、同僚たちは心配そうに見守ることしかできなかった。
※※※
「ねぇ、ライル。頼むから、ちゃんと姉様を宥めてよ?」
夜になり、自室で通信鏡を作動させようとしたライルだったが、続き部屋からやってきたリンダに集中力を削がれてしまった。それで苛つきながら、手を振って姉を追い払う。
「ああ、もう、五月蠅い。邪魔だから、そっちの部屋に引っ込んでいてくれないかな? 姉さんが下手に顔を見せたら、その瞬間に姉様がブチ切れる可能性だってあるんだから」
「分かったわよ……」
心配そうにリンダがドアの向こうに消えると、ライルは再び集中して通信鏡に魔力を流し込んだ。
「さて、と……」
あとはソニアが応じるだけの状態になると、ライルは通信鏡から手を放し、緊張の面持ちで応答を待った。するとそれほど待たされず、鏡に映り込んでいた自分の顔が揺らいでいく。
「姉様。こんばんは」
通信鏡にソニアの姿が完全に映し出されるより前に、ライルは神妙な面持ちで呼びかけた。すると鏡越しに、ソニアが皮肉っぽく声をかけてくる。
「あら、ライル。どうかしたの? なんとなく、顔色が悪いわよ?」
「昼の騒動を聞いたら、顔色も悪くなるよ。それについて話しておきたいことがあるんだけど」
「それはそうよね。なんといっても、ライルは殿下の下で働く立場になったわけだし。上司の命令を拒否できないわよね」
棘がありすぎる台詞に、ライルは早くも溜め息を吐いた。
「姉様。嫌味はそれくらいにしてもらえないかな?」
「嫌味の一つも言わせないつもりなら、即刻通信を終わらせるわよ」
「とりあえず僕に免じて、一通り話を聞いてもらえるかな?」
「いいでしょう。あなたに免じて、一応聞いてあげるわ。さっさと言いなさい」
「ありがとう」
まだ喧嘩腰の姉をこれ以上刺激しないよう、ライルは慎重に言葉を選びながら話の口火を切った。
「まずは殿下の姉様、というか、おばば様への求婚についてだけど、それなりの理由があるんだよ」
「こちらに来たときに、リンダの愛人契約については聞いたけど、他にも何かろくでもない話があるの?」
「姉様。代々の《深き森の魔女》は、その土地の住民登録をしていないんだ」
「はい?」
当初、面白くなさそうに話を聞いていたソニアだったが、ライルから予想外のことを言われて目が点になった。その反応を予想していたライルは、ソニアに対して落ち着き払って説明を続けた。
「殿下に指摘されたんだけど、考えてみればそうだよね。その地域の代官は、歴代の魔女と友好関係を築いていたから。長年その地に住み着いている人を、今さら、自分の代で住民登録しようとは思わなくて、そのままになっていたんだよ。だから住民なら代官に納めるはずの租税も、これまで徴収されていなかったよね?」
「言われてみれば、確かにそうね……。それが何か?」
「そうなると歴代の代官は、深き森の魔女から、二百年以上租税を取り忘れていることになるんだ」
「…………」
ようやく話の流れが見えたソニアは、思わず無言になった。ライルはそれには構わず話を続ける。
「殿下は、その事実に気がついたんだよ。それで『自分は、今更二百年分の税を徴収しようとは思わない。ただし、私は現在、国王である父上からここの管理を任されているが、今後、父上の判断が変わったり、王太子である兄が即位したら、他の者が大公として送り込まれる可能性がある。そのとき、理不尽な言いがかりをつけてソニア殿から租税を徴収しようとしたり、居住権がないとして追放しようとする可能性が全くないとは言い切れない』と言われたんだ」
そこまで弟の説明に耳を傾けたソニアは、疑い深そうな顔つきで尋ねた。




