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しるすにあたわず ー家帰ったら紫式部おったんやがー  作者: 木枯翔陽


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8/12

第8話「夢と人間臭さの合間で その2」

 紫式部こと式部さん。

 彼女は『源氏物語』の作者であり、最古の恋愛ラノベを執筆したお方。いわば、現代では当たり前となった創作活動のパイオニア。バリキャリで創作もしてるとかめっちゃ今どき。

 今では一億総発信時代。でもそこには、光と影もあります。そして刑部葵はどちらか言えば、影の人物です。夢破れた時代の敗北者じゃけぇ。

 どんな輝ける人にも、陰りは必ずある。私にもあるし、式部さんにもあったり。


 時刻はてっぺんを超えようとしていた。気が付けば、もう日付が変わる。

 夕子との楽しい宴は終わり、今は我が城・ワンルームマンションのキッチンでお湯を沸かしている。一人用の小さな鍋に、水を半分入れて、コンロに掛ける。

 この水が沸騰するまで、茫然と鍋を眺める。人間の不思議な習性だよね。


 さらなるアルコールを求めてコンビニに駆け込んだ式部さんをおいかけて、私はカップラーメンの誘惑に勝てず、買ってしまった。ミイラ取りがミイラになる典型的な例。

 その後は時間も時間だったので、終電でそのまま帰宅した。


 ———たぶんここからは二次会。私と式部さんの。


「葵―。この服どこから取り寄せているの?」


 式部さんがリビングの入り口から姿を賢覧(けんらん)せしめる。

 『夫婦生活は二律背反』と書かれた式部さんの体より一回り大きいサイズの黒いTシャツをお召しになられている。

 思わず吹き出す。今、それ、着るの?


「……こっから電車でちょっと行ったとこに、趣味でそういうシャツばっか売ってるお婆さんがいるんだよ。今度一緒に行くか」


「なるほど……寺の説法を書いた服を売っている人がいるなんて……平安にはこの発想はないわ。時代は移りゆくものね……」


「説法ってほど、ありがたい言葉でもないけどね……」


『不労所得万歳』と『アルコールフルチャージ』を寺の説法として、説いている坊さんがいれば、そいつは飛んだ生臭坊主だ。一休さんもドン引きだろうよ。

 式部さんは冷蔵庫を開けて冷やしたコップを取り出した。いつの間にか酒を嗜む(たしな)プレイを覚えている。そしてすたすたとリビングへ戻っていく。タブレットを与えてからというもの、式部さんの現代適性が天元突破してるのは気のせいだよな?


 私の方も水が沸騰したのでコンロの火を止める。今日の締めのラーメンは有名店の魚介系インスタントラーメン。飲んだ後のラーメンは、マジで危険。旨過ぎて、飛ぶ。

 口で割りばしを咥えながら、カップラーメンを持って、リビングへ。


 式部さんはベットの上で片足を抱えながら、缶チューハイを飲んでいた。外見は高校生っぽいけど、『源氏物語』を書いているということは年齢としては私よりもちょっと上のはず。

 様になるな。

 私は小さなローテーブルの前に座り込む。すると式部さんが切り出した。


「さて、葵。聞かせて。……漫画を描いていた、でいいのよね?」


「おっしゃる通りです」


 なんか奉行様に取り調べ受けてるみたいだな。


「とはいえ、もう7、8年前の話。専門学校っていう漫画とか、小説とかのお勉強が出来る学校がこの時代にはあってね。そこで漫画で食っていくためのお勉強をしていたよ」


「えっ! 何、その、仕組み!?」


 式部さん、思わず目を輝かせる。すごい食いつきだ。


「そうか。式部さんの時代は勉学も高級品だったね」


「えぇ、本を読んだり、文字書いたり以外はあんまりないから。そう、いい時代ね。いやー、私だったら、そこに入ってもう出ないけどなー」


「気持ちはわかる。でもまぁ、4年しかいない上に、すごいお金がかかるんだ、そこ。だから絶対この4年で結果を出さなきゃって必死に描いたわけ。嫌になるくらいマンガ読んで、嫌になるくらい書いてさ。書いて、書いて、書きまくった」


 夢への道は人それぞれ。簡単に飛び越えられる人もいれば、私みたいに不器用な人もいる。

 私はどちらかと言えば、不器用な人だ。いわゆる『夢はいつか叶う』なんて、子供をあやすための軽い言葉に惑わされて、アホみたいな努力をしていた人間だ。

 でも、専門学校で見たのは、『人をだますための技術』と『生まれ持った能力に恵まれた人間』。そこに夢なんてなかった。それと同時にこれから先の社会に対して恐怖が芽生えた。

 気が付けば『漫画家』という夢は、輝かしい未来への切望から、これから来る恐怖へ逃避するためのせん妄に代わっていた。

 漫画が嫌いになって、専門学校から7年近くは、いわゆる覇権アニメは見られなかった。自分と夢の距離を見せつけられる感じがしてね。社会人になってある程度の理不尽に耐性が付いてから、見れるようになった。流行遅くない?とよく夕子に言われた。


 私が頭を抱えていると、式部さんはどこか切なそうな顔をして言った。


「そう、それは辛いわね。気持ちがないと続かないものね。葵の親指、筆のたこあるし」


「えっ」


 私は親指のたこを見て、驚いた。


「そこまで見てるの? すごい」


「まぁ、私もあるし」


 式部さんは右手の甲を私に見せた。親指の付け根辺りにお山が張ってる。

 当時はパソコンとかスマートフォンなんて便利な物はない。墨と筆であれだけの量を書いたとなると、やはりこの人は普通じゃない。

 この人も、すごい努力をしていたんだ。才能だけじゃない。

 私はカップラーメンのふたを開けた。


「そのくらい頑張って、これならいけるって思った漫画を一回出版社に持ってたの。そこはまだ、持ち込みとか電話したら受け付けてくれてね。それで……」


 割りばしを割って、麺を持ち上げた。すると。

 ———君、センスないよ———。

 あー、まだやっぱきついのかな。ちょっと動悸も激しい。思わず式部さんから目を逸らした。すると。


「ゆっくりでいいから。嫌な事、思い出すのってすごく勇気いるよね。あの時の黒い感情も一緒に蘇っちゃうから。だからゆっくり、ね」


「あっ、うん。ごめん」


 私は深呼吸をして、一回とりあえずラーメン啜っといた。黒い感情は、美味しい物食べた多幸感で誤魔化そう。魚介系の濃い味が、意識をふっと元に戻してくれる。

 よし。


「……まぁ、そこでこっぴどく言われたわけです。当時の編集者っていう、まあいわば人様に見せやすくしたりする仕事をする人にね。子供のころからの夢だっただけあって、かなりきつかったんだよね。それがきっかけで夢を追うのをやめた。今でもあの時言われた言葉は一語一句全部覚えてる」


「はっきり覚えてるって葵にとっては相当心が痛むことだったのでしょうね。……障りなければ、なんて言われたか。教えてくれる?」


 式部さんが頬杖をついて尋ねてくる。私は前髪をかき分けて、当時の担当の男の喋り方を再現して答える。


「君……イラストうまいけどねー。お話がさぁ、微妙じゃない? 中身がないというか。お利口さん過ぎるんだよねぇ。そこのセンスなさすぎだよね」


「めっちゃむかつくな。母音伸ばすのところ、腹立つ。お前に何が分かるんだよって言ったれ」


「たくましいっすわ……その気概、分けてほしい」


 式部さん強い。メンタルが鋼鉄のガールフレンドだ。


「でもまぁ、私の全力も、高いお金払って出版社来て、プロの人こう言われたらもう、無理だなって思って。その後の職探しも大変だった。結局専門出だと下請けか営業職くらいしか残ってなくて……創作に関わる職種もあったけど、給料安い上に自信も無くなったから、敬遠しちゃってね。今に至るってわけです」


「そっかあ。確かにそれは辞めたくなるわ。正直、私は嫌なことからは逃げるべきって卑屈な考え方を持っている故、葵にがんばれとは言わないわ。でも」


 式部さんはポニーテールの根元に手をかけると、するりとヘアゴムを解いていく。ふわりと舞った漆黒の長い髪が、まるで羽休めをする鳥のようにベッドに降り立つ。


「世にふれば 衣の紋も うつろいて 雪を耐えぬる 心輝く」


「和歌?」


 式部さんはよく自分の気持ちを歌にしている。平安人の矜持なのかは分からない。

 すると、式部さんは優しい表情で私に語り掛ける。


「昔の話はいつか遠くなるもの。そして、その時の葵も遠くに行くの。今の葵はどうなの? 書くことを辞めたとは言ってないよね」


「ま、まぁ、友達に頼まれて書いてるよ。書くのは……好きだし。結婚式のウェンディングボードは書いてる」


「見せてよ」


 式部さんはベッドから飛び降りて、私の近くに寄ってくる。私はスマホで夕子の時に書いたウエディングボードの写真を見せた。

 すると式部さんは、嬉しそうにそれを見つめていた。


「いと麗しい……これは人がつよい思いで成したものね。どうしても漫画家になりたかったのね。これほどの気持ちを持った人の漫画、読んでみたいわ」


「えっ! だ、駄目だよ! あんなものを紫式部に読ませられない! そ、それに私、落ち込んでどっかやっちゃったし!」


「なら、探し出してあげる。葵が(うしな)ったもの意地でも探し出してあげるよ」


「恥ずかしいよ……あんなの」


「そう? 恥ずかしい? なら私も一個お話する。葵にしかしてない話。それでどう?」


 式部さんはウインクしながら、人差し指を向ける。

 話をしてくれるなら。私は式部さんに聞いてみた。


「じゃあ、式部さんの口から源氏物語がどうして生まれたのか聞きたい。どうしても、聞いてみたくて。千年もの間、読み手たちに読み継がれて、現代でもあれだけ評価される作品が生まれるきっかけは何なのか」


 思い切った質問。多分、多くの人が聞きたいだろうこの質問。

 すると式部さんは豆鉄砲を食らった顔をしていた。


「そんなこと? まぁ、それほど大した理由じゃないけどね」


「大した理由じゃないって、それであんなもの生まれないでしょ?」


「人の評価なんて人が勝手にするもの。元々は自己満足で書いて、仲間内だけで共有するものだったんだから。人のためって言うよりは、自分のために書いてたしね」


「自分のため?」


「えぇ、こんなこと言っても信じられないと思うけど、旦那が亡くなったのがきっかけだったの」


「ぶっはっ!」


 私は麺を噴き出した。式部さんは慌ててお茶を出した。


「はっ? 葵……? えっ? はい」


「いや……ありがと。なんでもない。ごめん。続けて」


 急に乙女な感じが出て来た。夕子、案外小学生向けの漫画も侮れないよ。

 式部さんは再びベッドに座ると続けた。


「私は結婚が他の人より遅かったの。貴族生まれ……と言っても、父上は仕事が無くてね。10年間くらい無職だったのよ。その間、私も縁談なんて微塵も無くて。家で本を読み漁るくらいしかやることがない状態だったの。気が付けば、今の葵と変わらない年齢になってた」


「……まぁ、焦る年齢ではありますけど、遅くはないよ?」


 私は顔を歪ませて答える。ここはなんとしてもアラサー一歩手前の尊厳を守らせていただく。

 式部さんはなにそれと言わんばかりの笑みを浮かべた。


「現代じゃそうかもだけど、平安の貴族は10代で結婚とか普通だよ。そう見れば、私の結婚はかなり遅い方。おまけに嫁の家で旦那さんを養うのが基本でね。お父様も無職だったし、私も半ばあきらめてた」


「鬼畜システムだね。しんどいね」


「そうなの。この10年は私の心を蝕むには十分すぎた。『なぜ私は』とか『なんで私だけ』って思ってた。それで勝手に絶望してね。不思議な物よね。人間ってなぜか周りと比べてしまうのよね。そんなことしても、自分の気持ちが沈むだけなのに」


「あー理解」


 すっげぇ分かる。

 専門学校に行ってた時は、私も周りの人と自分を比べた。自分を信じられないと、周りの自分の指針を求めてしまうのが人間だからだ。それが苦しいことと気づかずに。

 どこまで人間臭いんだ。この人。


「葵もそうだったわね。そんな中、お父様が仕事をいただいて、その時からか。お父様の同僚だった宣孝(のぶたか)様から求愛されるようになってね。あの時は、ついに来たか!ってなった」


「来たのね! 式部さんの世の春が」


 人のコイバナ聞くの、なんか楽しいな。私は食い入るように聞き入っていた。


「まぁ、私としても前々からよく見てくださっていた宣孝(のぶたか)様の事は、好いていてね。長い冬が終わり、雪解けて、やっとやっとやっと! 私にも幸せが巡ってきたのだと思った。10年もの時の間、愛する人を心の淵で求めてた私は天上にも召される気持ちだった」


「ぶはっ!」


「待って? なんで? 今、笑うとこじゃないでしょ?」


「いや違うの、ごめん」


 私は思わず顔を赤くしてしまっている。

 その、あれなんですよ。式部さんの話って、まだ年端の行かぬ乙女が、包容力のある年上の落ち着いた男性に惹かれてしまうって感じなんですよ。

 そりゃあ、BLマンガ読むよ。恋が雨上がりと同時に始まっちゃってる。女子高生のアルバイト店員が、ファミレスの店長にガチ恋する話とすごく似てる。

 紫式部、とっても乙女だったのね。

 気が付けば、私は呟いてしまっていた。


「式部さん、可愛すぎ……カリスマかよ」


 私が手を組んで、テーブルでうなだれる。式部さんはさも不思議そうに見つめていた。


「? まぁ、いいわ。続けるよ?」


「お願いします」


「……始まった結婚生活。昔は夜な夜な旦那さんが通ってくださるもの。会えない日が、よりお会いする日を特別にしてくれた。会えない日があると、なぜか愛おしくなるよね」


「やめて。その言い方は私に効く。恋したくなっちゃう……」


「なぜ葵が悶々してるの? 子宝にも恵まれて、きっとこの生活が、100年続くと思ってた。そんな矢先、宣孝様は疫病で亡くなった。その前まで笑顔で会ってたから余計にね。長い孤独を過ごして、やっと巡った幸せが3年で終わりを告げたの。この世に神がいるならば、なんと残酷なことか。あれだけ苦悩した果てが、泡沫(うたかた)の夢で終わるって……」


「うっ、うう……」


 気が付けば、私は涙を流していた。式部さんの可愛いと可哀想が大渋滞してる。感情のフリーフォールだ。

 よく結婚を幸せだと考えていた私はなんて安直な。その先の事なんて何も考えてない。

 私は気が付けば歩き出し、式部さんの真横に座ってた。


「葵……葵はやっぱり優しいのね」


「……これ、泣かないやついる?」


「はは、心に空いた大きな穴。それを埋めるにはどうするか。その時に仲間が持ってきてくれた物語を読んだのよ。竹取物語、伊勢物語……気が付けば、筆を走らせてた。現世は無常。形あるものは終わりがあるけど、『空想』に終わりはないから。なら、この感情全部物語にぶつけてしまえーってね。これが『源氏物語』の始まりですね」


「そっかあ。すごいな。式部さん」


 きっと式部さんはこうやってあらゆる感情を全て『源氏物語』につぎ込んできた。

 1個の作品のあらゆるものをぶち込む人と、いくつもの感情を別々に分けて描く人。式部さんは前者だ。自分が感じたこと、見て来たことを小説につぎ込んできたんだろう。

 それはいい感情も悪い感情も向き合ってきたからだ。目を逸らすなんてことは出来なかった。それは式部さんが不器用だったから。

 だから、『源氏物語』は生まれた。

 ―――すごいな。この人。


「偉いね。式部さん」


 私は自然と式部さんの頭をなでていた。式部さんは嬉しそうにしていた。


「あはは、葵―。何してんのよ。これじゃあ子供を褒めるお母さんじゃん」


「養ってるし、お母さんみたいなものでしょ」


「言ったなー。お返しだ」


 式部さんは私の頭を撫で返した。


「葵も偉い。頑張ってるよ」


「……はぁ、でも式部さんに言われるのは、なんだか悪い気がしないね」


「……ふふ、ちょっと蓋、空いたのかな。そういえば、和歌のお返しは?」


「あっ。えーっと、濡れた衣 いつか乾いて ゆくように 辛い過去も 淡い記憶へ」


 式部さんが着物の流行が変わるように、気持ちも変化していくという和歌を詠んだ。

 なので、お返しで、服に絡んで、自分の気持ちを伝えました。

 私が恥ずかしそうにすると、式部さんは嬉しそうに返した。


「和歌のセンスもあるんじゃない? さすがは葵ね」


「それはどうだろうね。あなたほどじゃないかも」


 私と式部さんは、お互いに笑い合った。いつまで続くか分からないけど、この生活守るのも悪くないのかな。

 そして、私も式部さんのように創作に対しての強い衝動が芽生えるだろうか。もしその芽生えが来れば、私もいつか———この心の空白が晴れるだろうか。


第9話に続く

式部さん豆知識


紫式部の夫・藤原宣孝ふじわらののぶたか。この男、実はかなりの派手好きで相当なモテ男。紫式部の父とは仕事仲間で、幼い頃の式部さんも良く知る人物。紫式部の父が官職を得て、越前へと赴任したころから猛アタックしていた。式部さん自身、もうすでに宣孝には複数の嫁さんがいたことや、派手好きであることで困惑していたが、京に単身一人で戻る際に急接近。結婚に至る。実は式部さんは独身を貫こうとしていたこともあり、心を突き動かしたことはとてもすごい。光源氏のプレイボーイぶりはこの人から来ているんじゃないか説もある。この宣孝との間に生まれた娘もめちゃくちゃすごいけど、それはまだ少し先の物語。

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