第5話「葵と式部とハイボール」
前回のあらすじ。
「私が書かずんば、『源氏物語』にあらず」と語る式部さん。
アルコールに塗れても、心はちゃんと紫式部だった。不思議と似た者同士である私と式部さん。とはいえ、私がいくらバリキャリだとしても、現代で養うのはかなりパワーがいる。
働かざる者食うべからず。ひとまず電子機器の恩恵を借りて、お金を稼げれば……。
待って。式部さん。創作で稼ぐってそりゃあ修羅の道ですぞ。大丈夫か?
式部さんがこの世に現わしまして、一週間ほどたちました。
そう、本日は舞い戻ってきた花金。今日も『平安商事』という名の社員たちと労働との苛烈な戦いを繰り広げられている戦場に私の姿はありました。
机の上に山積みになった資料を整理して、担当していた案件の報告書と資料作成。ついでに他の社員のコピーした奴の配達。ついでに観葉植物に水をやりました。
それはもう使い古されたぼろ雑巾のように働いています。それもこれも現代に舞い降りた平安の天才作家・紫式部を養うという大きなお役目を果たすためです。
一方、あの世捨て……いや、現代に舞い降りた天才作家・式部さんはというと。
「今、私を縛るものは何もない。ふふ、義務感と責任感から解放された私の脳は今……いとくまなし。心に移り行く物事をひたすらに書き流してやるわ」
こんなことを言いながら、複数の小説投稿サイトで3本同時に連載をかましております。
いやぁ、すごい。普通の人なら泡吹くようなことを、式部さんはすらすらやっている。
どうやら、式部さんの脳内CPUの処理速度は、コアアイ9くらいあるみたいです。
ただ、そこでふと気になることを頼まれた。
「ねぇ、葵、人と語らうのにこれを使いたいわ。これなら葵の求めるものに答えられるんじゃないかしら」
したり顔で聞いてきた紫式部さん。紹介したのはなんと相互通信ライブ配信アプリである『カサネツグ』だった。何に使うんだ、これ?
式部さんのことだから、考えがあるのだろう。とりあえず設定して使えるようにした。
人と話す時、声がかさかさになる式部さんはどうするのか。
一通りの準備が負えると、式部さんはさらにとんでもないことを口にした。
「とはいえ、これでは葵におんぶにだっこね。まさか千年に渡って、私がお父様と同じことになるなんて……。なんだかいたたまれない。よければ家事もやるわ。教えて」
なんと家事までやると言い出したのだ。どうやら式部さんの父親は無職のころがあり、その経験から、式部さんは無職でも何もしないのは嫌だという。
私としては大助かり、そこで教えることに。だがそこで式部さんは二度目の強烈なカルチャーショックを味わうことに。
「葵、教えて! ……まずは洗濯? 承るわ。じゃあ川に水汲みに……えぇ、いかない? 何を言ってるの。こんなところでどうやって洗濯をするの?」
平安人よ。現代は日本書紀の神々と同等の力を持った家電製品と言う文明がある。それによって労働と家事の両立を可能したのが今の人類だ。
数多の家電製品の存在に、式部さんは目を見開いて、まるで応仁の乱でも見たかのような表情を見せていた。これはちょっと気持ちいい。申し訳ないけど。
一通りの家事を教わった式部さん。ベットの上で虚ろな目でトンデモ発言をしました。
「はぁ、私らの時代って和歌だの、教養だの、枕草子だの、無駄なことばかりに知恵を使っていたのかしら。なんというかもっとこう生活をよくするために教養とか、脳みそ使うべきだったんじゃないのかな。クソあはれやん」
身も蓋も無いことを言うな。あれはあれでロマンあるだろ。
以上がこの一週間の式部さんの記録です。話は『平安商事』で労働している私に戻ります。
●
私がバリバリ社畜していると、大郷課長から緊急のお呼び出しがかかる。
今やってる社員全員のお茶くみを終えると、お茶を持って、課長の下へ。
「どうぞ。課長、お話とは何ですか?」
「あぁ、刑部君! 気が利くねぇ! あちち。えっと刑部君のご指名の案件が来てね」
「……なんでしょう」
私はぞっとしたよ。『平安商事』のご指名案件は、代表取締役からの直接命令だ。大体、会社としてバカでかい取引とかを確実にするため、エースに委託するときにやる。
一応、私は業績の上位にいます。それなりに年収も高いんで、紐……じゃなくて式部さんが居候しても、多少は堪えられる。
ただ、こういうヤバめな業務も回ってくるから、しんどい。
大郷課長はクリアファイルに入った書類を渡してくる。なんだ?
「……新たな資源の国内流通ルートの開拓……」
「そう! 平安商事が投資していた鉱山で資源が発掘されたんだ。そこで錬成して、加工する目途は立っているんだけど、国内の流通ルートがなかなか開拓できなくて。そこでだ! 刑部君の顔の広さを駆使して、なんとかしてもらえないかな!」
めっちゃアバウト。これ、普通に一大プロジェクトじゃん。成功すれば数十億の大金が動く。失敗したら死ぬやつだ。ちなみに断っても死ぬ。
やるしかない。家に世捨て人がいる限りは。
「分かりました……では早速取り掛かります」
「あぁ! 待った! もう一つ!」
大郷課長が引き留めると、私の後ろからあのいけ好かない女が姿を現した。
「先輩♡ お疲れ様でーす」
「へっ、なこちゃん?」
清水なこは私のすぐ後ろから顔を出して、蟲惑魔のような笑みを見せる。
本能的に、身震いを起こした私は、すぐさま距離を置く。いや、マジ、無理。
相変わらずの毛先をカールにしたゆるふわ系の雰囲気を醸し出している。ハイゲージVネックセーターに、長めのスカート。カーディガンを羽織ってもなお、胸の強調ぶりはすごかった。
やっぱり、生理的に受け入れないな。こいつだけは。まさか。
大郷課長は、げにもおぞましい事実を告げた。
「今回の案件、是非今後のことも考えてなこちゃんとのペアで取り組んでほしいんだ」
「えっ……」
さすがに青ざめる。よりにもよって、この会社で一番苦手なこいつとやるの? これを?
私は体の奥底から湧き上がる寒気に身震いをする。すると清水なこは烏滸がましくも私の両手を触って、涙目で訴える。
「私! 刑部先輩のー仕事ぶり、いつも感動しててー! いつか一緒に大きなことやってみたかったんです! 精一杯頑張るので、よろしくお願いしますね!」
「うぅ……」
笑っている清水なこ。でもこいつの笑っている顔はどうにも、信用できない。
大郷課長は大きな声で気持ち悪いことを告げた。
「いや! なこちゃんはいい子だな! 刑部君、彼女の事をしっかり面倒見てあげるんだよ! なこちゃんも頑張ったら、将来が安泰だからね! 刑部君もなこちゃんくらいの人懐っこさがあればいいんだけどなぁ!」
最後のそれは余計だ。
「はい、課長! 私、課長のためにも頑張りますね!」
うわ、こいつ、どうしてこんなこと言えるんだ。すげぇよ。
しばらくして、清水なこは何かの糸が切れたかのように、大人しくなると私にさらりと告げた。
「じゃあ先輩。よろしくお願いしますね。基本的なことは先輩にお任せします」
「えっ、うん」
なんだか、とっても嫌な予感。私はおそらく生涯で一番幸せが逃げるようなため息をした。
はぁ、しんどい。辞めたい。
●
清水なこと今後の方針と対策を話し合い、ひとまずその日は定時での帰宅となった。一つ幸いだったのは、私が他に案件を抱えていないことが救いだ。マジで他に業務持ってたら死ぬ。
清水なこは愛想も良く、人懐っこい。素直な性格で周りからも愛される人物だ。
ただ、その性格が良くない方向にも働くことが多く、ワンマンになりがちで、おまけになかなか自分の意見を曲げない。常に自分が勝者側にいたいと感じているリア充です。
一方、私は夢を諦め、プライドも無く、負け犬でもいいと考えている労働マシーン。忖度と妥協の中で生きている人間なので、本能的に清水なこのタイプが苦手だ。
こういう真逆な2人が一緒に何かをすれば、結果は目に見えている。
「どうなるんだ、これから」
不安でしかない。
黄金色の空を背景に、小鳥たちが群れを成して、電線で学年集会をしている。その小鳥たちを邪魔しないように、重い足取りで家路についていく私。
我が城・ワンルームマンションへと死に体でたどり着き、いつもの一階の最奥の扉へ。ダブルロックの鍵を開けて、孤独な部屋へと戻る。
すると。
「おっ、おかえり。葵」
「えっ、あぁ、た、ただいま」
私は素っ頓狂な声で返事をする。いや、一週間くらい同じ反応をしている。正直な話、数年間一人で暮らしていたためか、家に帰ると誰かがいるという現象に慣れない。孤独に慣れちまうと、良くないな。
式部さんはサイクロン掃除機を片手に持ち、朗らかな顔で声をかけてくる。今日は「アルコールフルチャージ」というまた謎語録がダイナミックに描かれているTシャツを身に着けていた。なんだ。カイザーノヴァでも撃つのかな。この人。
「今日もお疲れ様。ご飯できてるよ。早いところ着替えて、今日も飲み明かすわよ」
社畜に対して、あまりにも誘惑的な言葉をぶつけてくる。これが、あまいかおりってやつなのか? でも、それ以上に今日は、さりげないその優しさが心のきゅうしょにあたった。
今日ばかりは誰かが家にいて良かったと感じた。
「……うん。ありがと、式部さん」
慣れないお礼。しばらく式部さんの時が止まる。私も気恥ずかしくなったのか、顔が熱い。
「えっ、どうした? 外で十二単みたいに猫被ってたから、情緒が分からなくなったの?」
「なんか恥ずかしい言い方だな。うん、まあ。そうなんかも」
さすがの解釈。すげぇよ。式部さん。
私は重い足取りで、パンプスを脱ぎ捨て家の中へ。するとテーブルの上には、夕食が並べられていた。ただ驚きなのが。ほとんど中華。
紫式部が中華って。よほど初めて食べた麻婆茄子が忘れられないのか。そしてその横には山積みにされた『ハイボール』の山。どんどん酒増えているな。
サイクロン掃除機を鼻歌交じりでドッグ・ザ・ウォークする式部さんを横目に、私もリクルートスーツという戦闘服から、もこもこのルームウェアに着替えていく。本当なら、この後にご飯を作ると言う工程がある。でも、それが省かれるだけで随分気が楽だ。
さぁ、食事の時間です。天に召します我らが神よ、今日も飯が食えること感謝します。
「「いただきます」」
私と式部さんは、とりあえず『ハイボール』の山から缶を一つ取って、開ける。やっぱこれだね。これがないと始まらない。
「じゃあカンパーイ」
「ちあーず」
式部さんが片言の英語で返す。おい、どこで覚えた。その言葉。
ハイボールを豪快に口の中へ入れていく。口の中に広がる苦みと、ほんのりとした甘み。ストレスに塗れた私を優しく癒してくれる。
しばらくして、式部さんがとあることを口にした。
「そういえば葵、入金されてる?」
「うん? はい? ど、どういうこと?」
「いやぁ、実はあの教えてもらったアプリでバイトしてるの。愚痴を聞くってバイト」
「はっ、な、なんだってー!」
私はアニメみたいな驚き方をしたら、すぐさまスマホの銀行のアプリを見る。すると確かに結構なお値段が入金されていた。
愚痴聞くバイトって結構儲かるの? にしてもこの稼ぎ方はまあまあだ。
「……まぁまぁな金額。この間使った分の50%は回収してる。しかし、なんで? 初対面の人と話すの苦手じゃ……」
「金を稼ぐためなら、無きにしも非ず。これでもちゃんとバリキャリよ。苦汁もなめられる。それに創作には、ある程度の社会の把握は必須。人の愚痴には、その時代の社会背景や人間考察が見えてくるものよ」
「はぇ……」
すっげぇ。そこでも需要と供給が成り立ってんのか。人の愚痴を聞いて、それを作品に落とし込んでるんか。さすがは平安の天才。やることがしたたかすぎる。
「式部さんがあたしの会社にいてくれれば、なんかもうちょい楽なのかな……」
「やっぱ、しんどい? 葵の愚痴も聞かせてよ。人の愚痴聞いたり、言ったりするのは千代る前から得意よ」
愚痴言うのを得意って言うのは、厄介だろ。でも、今はその優しさに甘えるべきか。
「実は大きな仕事を前にしててね。で、人と一緒にやることになったんだけど、まずそれが結構苦痛」
「一人でやれるなら、一人でやりたいわよね。分かる」
わかっちゃうのか。式部さんはハイボールを口に入れて、答える。
「……ですよね。おまけの一緒にやる人がさ、かなりの自信家でね。いっつも自信満々なの。明るいし、社交的だから評価も高くてね」
「あぁ、駄目だ。私とは相いれない人間だよ。それ」
「マジ? なんというか、こいつマジでなんだよって感じなんです。こっちは必死こいて生きてるってのに、あんなになんも考えずに上手くやってるのがなんかもやもやして」
なんか自分でもかなり最悪な事を言っている気がするけども、もう止められないよ。この感情。ネガティブが加速する。だけど何故か安心感が生まれてくる。
「あー、葵、やっぱあたしとあなたは同類だよ。なんかあなたは私の生まれ変わりなんじゃないのかな。なんであんな、人の注目浴びないと生きていけないんだよって思うよね」
もしかしてあたし達、親友だったのか? 地元じゃ負け知らずの。
私はハイボールを飲み干すと、泉のように沸く感情をぶちまける。
「うぐっ、うぅ。そうなんすよぉ。 オマケに彼氏までいるんですよぉ、そいつ。うぐ。あんまりじゃないですかぁ。私はこんなに身も心も社畜になってんのに、なんであいつはワークライフバランス保てるんすか。あまりにも不公平じゃないですかぁ」
「かー、もう! 葵、仕事なんて辞めて、私と世捨て人になろうよ! すげぇ分かる! なんだろう。私も葵の言う人、生理的に無理かもしれな……えっ、葵? どした」
気が付けば、私の目頭はおかしなくらい熱くなっていた。なんだろう。たぶんやっと心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなくぶちまけれるようになったから。
でも、なぜよりにもよって、この感情を理解してくれる人が千年を突き破ってきた―――
「貴方なんだよぉ……」
「はっ? 私のどこが? いやいやいや、私はそんな人間じゃないでしょ? 見ればわかるよね? えーい、とりあえず飲んでしまえ! もう全部お酒のせいにしてしまえ!」
式部さんもハイボールを一気飲み。気が付けば山のように置かれたハイボールは、食事終える頃には指折り数えられる程度になっていました。酒は社畜たちの駆け込み寺ってことかな。
●
飲み過ぎて、茫然とした私。浴びるほどに味わったハイボールのアルコールを浄化しないとベランダから月を眺めていた。お月様は恥ずかしがり屋で雲から姿を現したり、隠れたりしている。朧月と言うやつだ。
「葵。酔いは醒めた? うぅ、げにわななく夜寒。今の世の冬は恐ろしや……」
食器を片付けた式部さんがベランダにやってきた。その手にはハイボール。この状況のハイボール。分かってますね。
「家事、ありがと。式部さん」
「心に留めなくても。養いは大変ということくらい、私にも分かるから。なによりも今日は、いとうれしき、ね」
「うれしき?」
私が不思議そうに、すると。式部さんは澄んだ声で夜の静寂に響く声で。
「月隠れー 闇を共にすー わが心― 動かぬ影をー ただ並べなむー」
言い終えると、式部さんはハイボールを静かに開けて飲む。
えっ、今、詠んだ? というか、声がすごく綺麗。まるで月を写す水面に波紋が広がるような、静かだけど、確かな実態があるそんな情緒。
紫式部が真横で和歌を詠むって、学者からしてみればめちゃくちゃ羨ましいのでは。
私はアホみたいな質問をする。
「えっと、いくら払えばいい?」
「あはは! 何言ってんの! 和歌のやり取りなんて、私の時代じゃ普通。それよりも、返歌は? 和歌は送られたら、返すのが礼儀ってやつだよ?」
「うぇぇぇ、なんて拷問だよ! 紫式部に和歌返すとか、プロ作家でもやりたくない」
「別に葵が思ってること言えばいいんだよ。私が葵の気持ちを聞きたいんだから。それに下手でもいい。伝えたいって気持ちが一番なんだよ」
私はハイボールを眺める。確かに今、感じた気持ち素直に伝えるか。
冬空で 友と見上げた 朧月 泣ける寂しさも 酒で分かてば。
「結局、酒じゃん」という式部さんの爆笑しながらのツッコミも、お酒で笑い合って受け流した。久しぶりにこんなに楽しい花金を過ごしたかもしれないな。
冬の一日の終わり。将来の夢。大きな不安。重ねた。
大切な友達、見―つけた。
でも―――この楽しい酒宴の代償を、私達はまだ知らない。
第6話に続く。
式部さん豆知識
平安時代における和歌。これは実は社会で生きていくための、最強のツールだった。今ではゴルフだとか釣りだとかの接待がある。しかし平安時代は和歌。天皇とか要職に就く人々との和歌コミュニティでスペシャルな和歌を決めるとその場で見立てがあり、公務員になれたりする。ちなみに結婚するときも和歌でのやりとりが第一歩。おまけに結婚するまではお互いの顔は見れないというバフがかけられるので、和歌が決まれば、即結婚ということもあった。つまりビジュ弱くても、和歌が強ければ強者になれる時代です。




