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【第1部完結】しるすにあたわず ー家帰ったら紫式部おったんやがー  作者: 木枯翔陽


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第13話「終わるスランプとバースデイ」

 思わず泣いてしまいました。

 世間は大人になったら泣いたらいけないなんて厳しいこと言うけれど、ごめんやっぱつれぇわ。あの大海賊も『泣いたっていい、乗り越えろ』って言ってくれてるし。

 社会ってのは、やはり理不尽なもの。どうしても苦い汁を飲まないといけない時がある。私が一方的に感じているだけかもしれないけど。でも、感じる心を止めるのはよろしくない。それが無くなると、人間ってなんも考えなくなる。

 だからこそ、感じる心を形にする『創作』は人間にだけ許されてるんだろうね。


 家に帰った私は、リクルートスーツも脱がず、小さなローテーブルの前で座り込んでいました。戦うことに迷いを持つパイロットのように、白目を剥きながら体操座りで。

 でも、黒い涙が通り過ぎた顔は、ホラーなので、クレンジングで落とした。さすがにその顔を、式部さんに見せるのはよろしくない。


 そういう式部さんは料理漫画でもやっているの?と言わんばかりの堂々とした出で立ちでリビングに現れた。器用にも両手に皿を乗せながら。片方はお味噌汁のお椀だけど。

 今、思うと私はこの人に何てことをやらせているんだろうか。傲慢が過ぎるな。


 小さなローテーブルに、食卓を整えていく式部さん。置いてあるのは麻婆茄子と、ほうれん草と豆腐の味噌汁。そして、日本人の魂である白米。

 仕事から帰ったら飯あるって最高に幸せな事だな。ぶっちゃけこれだけでも、社会にしばき回された私の心は回復する。まさにベホマズンだ。

 私は両手を合わせて合掌する。感謝するぜ、平安から来た天才の給仕に。


「いただきます」


 目の下を真っ赤にした私は味噌汁を啜る。さらりと川のせせらぎのように口に流れ込むだしと味噌。舌全体へとやんわりと水の波紋のように伝わる旨味とわずかな辛み。ゆっくりと飲み干すと喉と胃を通っていく熱が、脳に生きる喜びを感じさせてくれる。

 日本人の脳みそは出汁の旨味をより感じやすく作られている。出汁イズゴッド。


「はぁ、生き返るわ……」


「そりゃよかったわ。……で、今回は? 今まで葵、愚痴は言うけど泣かなかったじゃない」


 式部さんは一仕事終えたように、パソコンが置かれた作業デスクの椅子に軽やかに座る。片膝を立てて、結んでいたポニーテールをさらりと解いた。

 異様なまでに美しい髪が宙を舞う。たらりと垂れた一本の黒髪が、より雅さを誇張する。

 顔の前に一本たれた髪ってマジで綺麗。あれをイラストに取りこんだやつは変態だと思う。


「いや、まぁ、努力が正しく報われないのってきっついなって。文句言いながらやった仕事、結局最後、あいつに全部取られた。……愛嬌とか、人間関係の立ち回りとか、結構大事なんだなって痛感したよ」


 私はご飯を食べながら、話す。すると式部さんは。


「……そうかもしれないわね。私も宮中じゃいい子ぶってたし、顔色伺いしてたから。でもそれが全てってわけじゃないわ。葵の仕事があったから、たまたま彼女の話術がはまっただけ。人は宿世に従っているもの。葵の努力が間違っていたってことはないわ」


 宿世って、確か運命って意味か。結局、あの場で清水なこが認められるのは仕方がないのか。なら、諦めるしかないのかな。

 いわゆるこれが我慢というやつなのですかね。ならば、感情を表に出した私の負けか。

 思わず零れる弱音。


「そっかぁ。なら、あの場で台パンするのはやっぱよくないか。怒りをコントロールしないと……感情を抑制できないのは、大人じゃないよなぁ」


 私がぼやくと、式部さんは世にも不思議そうな顔をして答えた。


「何を言っているの? 感情を支配するなんて、人間にできるわけないわ」


「へっ?」


「でも……自分で感情を押さえないとだめって……ほら、自分の機嫌は自分で取らないとってよく言うじゃん? みんな、すごい。言うじゃん」


「あぁ? 無理無理。それが出来るのは、情緒が死んでる人間か、神様くらいなものよ。今、初めて現代より、まだ私の時代の方が幸せに生きられるのでは?と思っちゃった……。葵はその女に対してどう思っているわけ?」


「それは……」


 式部さんは真顔で問いかけてくる。その面持ちは何かを試しているようだ。

 どう思っているか。それはムカつく。出来るならば、この手でしばきたい。

 いっつも余裕ぶってへらへらして、絶対キモイはずのハゲ課長に媚びうって、おまけにインフルエンサーかまして、彼氏までいる。

 私はがっつくように食事を平らげていく。不思議だった。無性に元気は沸いてきた。

 全て綺麗に平らげると、私は素直にぶちまける。


「クソみたいな目に遭わしてやりたい」


 初めて出た私の負の感情。すると、式部さんは口の端を釣り上げて悪い顔を見せる。


「そう? でも実際に手を出せない。ならばどうするの?」


「……空想の世界で、処す……?」


「……いいわね。私好みの作家。あなたはあの女をどうしてやりたいの?」


 片膝をあげて頬杖を突く式部さん。正直、おぞましいことしてる自覚はある。だけど、式部さんが深淵から延ばす手を、私は触れようとしていた。


「……あの余裕のある面を歪ませたい。馬鹿にしていた主人公に、恋心抱いてた男を取られて、そのまま叶わぬ恋を、単行本20巻分くらいさせてやりてぇ……」


「よき……」


「その果てに、結局自分が不釣り合いだと周りから気づかされて、でもそれを受け入れたくないと、周囲の評価と自分の気持ちのギャップで情緒を壊してやりたい」


「よき……閻魔(えんま)の所業ね」


「最後は他の男と結ばれたけど、未練が残ったまま、主人公と男は結びついたところを、後悔抱えたまま笑顔で見送って欲しい……!」


「いとおかし! それよ! 葵!」


 私がぶちまけた総毛立つような悪意の羅列に、式部さんは指を差して大歓喜した。

 ―――そうか、感情の爆発って。


「私ってクソみたいな人間だな。へへへ」


 思わずにやけ顔が止まらない。そう思うと、自然と変な笑いが出ちゃう。

 人の悪意は、思わず目をそむけたくなるもの。自らの卑しさであればなおさらだ。

 でも―――作家は、そうはいかない。

 式部さんは拍手をして、涙を流す。そこまで?


「おめでとう。これで今、あなたには技術と食材が揃ったわ」


「えっ?」


「陽の感情に共感するのであれば、逆もまた然り。陰の感情に共感する人もいる。感情は制御が出来ない。だからこそ、読者の陰の感情を肯定する作品もこの世には必要なの」


 私は思わず口を押えた。いや、今、なんか結構悪い顔してる。

 ざまぁをしてくれるのは、嬉しい。だけど、主人公がただ『悪い奴は許さない』じゃなんかいやなんですよ。ちゃんとこいつはクソだから、クソな目に遭わせてやるって思って欲しい。

 子供はいいかもだけど、大人はそうはいかない。正義が全てではないと理解しているからだ。悪意もあるのが人間らしさだ。

 自らの中にある悪意を認めること―――拒むのではなく、自分の一部と認めること。

 ハイパー無敵やん。でもそれは。


「ある意味、強烈なエゴじゃん」


 私は不敵な笑みで尋ねる。「もう分かっているくせに」と妖艶な笑みで答える式部さん。


「それに読者の感情や気持ちも変わるもの。所詮は宿世(すくせ)。評価は人によって変わるわ。操れぬものなの。ならばどうするか。……自分が気持ちよくなることを書いてしまいなさいな! 空想の中でこそ人は現人神になれる。空想であれば、何をしても許されるのよ! 忘れがちだけど、作家は自分の空想を他者に押し付けている。それはエゴでしょ」


 式部さんは両手を上げて高らかに言い切った。こいつ……マジか……。

 でも、心がとても軽くなる感じがした。自分の中の悪さ。そして、それを創作にして解き放っていいという許しが、自分の中の感情を肯定してくれたような気持ちだ。

 こんなに清々しいのはいつぶりかな。不思議と笑いがこみ上げていた。


「あはははは……もう、何? 式部さん、めちゃくちゃすぎでしょ。自分が気持ちよくなるように書けばいいとか……今の人たちブチギレよ?」


 ただでさえ、ニーズの奴隷になって書いている作家は多い。自らの創作で世界が変えられないと悟った作家は多いというのに……でも平安の天才は違った。

 式部さんは、小悪魔のような笑顔で答えた。


「自分のために書いたものが、千年経った今でも評価されるなんて知らなかったし、思いもしなかった。そこは宿世でしょ、もう」


「運か。それもそうだな……馬鹿馬鹿しくなってきた。なんというか」


 やっと、やっと、今まで言いたかったことを言える気がした。

 やっと言えたじゃねぇか、私の馬鹿野郎。


「無性に書きたくなってきた……」


「げに……げにぃわ。葵」


「式部さん、タブレット借りていい? パソコンは貸すから」


「えぇ、いいわ! 思いっきりやってしまいなさいな!」


 式部さんが意気揚々と渡してきたタブレットを、私は手に取った。

 久しぶりにタブレットのお絵描きアプリを起動する。ホームメニューには過去に書いた作品たちが表示されている。ファイルの最終更新日とか見ると全部数年前。

 随分と時間が空いてしまっているな。

 テーブルに乗せられた食器類にお構いなく、私はタッチペンを走らせていく。細かなキャラ設定や世界観は後回し。ただ、そこに感情が乗っていればそれでいい。

 必要なものは―――あとから自然とついてくる。これが呪術の極致、領域展開か。


 しかし、頭がさえた今、一つの疑問が生まれた。


 式部さんって旦那の悲しみを忘れるために『源氏物語』を書いていたはず。なのに、負の感情を創作にぶつけるという考え方は大きく矛盾してないか?

 私が年上の旦那に乙女な気持ちを持ってるならば、普通幸せの話を作る気がする。

 私はペンを走らせながら、その問いを式部さんに投げかけた。


「式部さん。あなた、旦那が死んだ寂しさ忘れるために『源氏物語』を書いていたはず。その理論は可笑しくない? 私があなたならハッピーな話を作るけど」


 私が問うと、式部さんのキーボードの手が止まる。だけど、伝わってくる式部さんの「勘のいいガキは嫌いだよ」オーラ。でも、そうじゃね?

 手を止める式部さん。


「……まさか、そこまで。これを人に話すのは初めてかもしれないわね」


「えっ」


 初めて話す? とんでもないネタが出て来たな。


「葵。この時代には『枕草子』という作品は残っているの?」


「あぁ、有名。クソ有名。なんならあなたの『源氏物語』と同列に扱われる平安の名作みたいな立ち位置持ってる。あれっしょ。清少納言が書いたって……」


 清少納言。この言葉が出た途端、式部さんは机に拳を叩きつけた。その顔はまるで般若が宿ったかのような形相だ。

 やっべ、地雷踏んだか。でも先に誘ったのは式部さんだ。罠だろ、これ。

 私が思わず驚愕の様子で見ていると、式部さんは一つため息をついて続けた。


「随分と忌々しい時代。あの蝉の羽の如きものを、私の業の塊と並ぶなど、勘違いも甚だしい」


「……ブチギレだね」


「えぇ、あの女は木石のような女よ。私は『源氏物語』を当初は綺麗に終わらせるつもりだった。身分違いの恋が困難や成長を得て結ばれて終わる。それが本来の結末」


「えっ? マジで!? はっ!?」


 あれが綺麗に終わるとか無理あるだろ……。『常にここから入れる保険ってあるんですか』案件が続いているような作品ですよ。

 思わず驚く私。式部さんは呆れるように笑う。


「……その心、分かるわ。普通に書いていたんだけど、周りがあまりにも『枕草子』おもろいとか、やはりあなたほどの文化人であれば『枕草子』も目を通していらっしゃるのでは?と言われるもんだから、しぶしぶ読んでやったの。そしたらまぁ、薄い内容で……いかにも浅ましい感性の本なんだけど、その中のとある文が私の悪性を駆り立てた」


「それは?」


「……あいつ! 人に読まれる『枕草子』の中で、宣孝様のことを恥かかせてんのよ!ド派手な格好で参拝に来るとか感性疑うとか! 確かに変な人ではあったけれど、みんなが見る場所でわざわざ書くことなくて!?」


「あー……なる」


 『枕草子』は源氏物語とは対極に位置する作品。あれは清少納言が季節や物事に対して面白いと思ったことを書き連ねた現代でいう『SNS』に近い作品だ。

 こういう作品は確かに炎上することもある。創作者がよくSNSで創作論をいったら、それは違いますよってリプが飛んでくるように。ただ、当時は清少納言が仕えていた定子サロンの全盛期。たとえそれが配慮の無い内容でも、誰も異を唱えるやつはいない。だって、消されるから。

 式部さんは両手をわしゃわしゃしながら続ける。


「それで決めたわ。あぁ、私こんなに恥かかされているのに、狸寝入りしてやらないといけないのって。だから『枕草子』を叩き潰してやるために」


「……まさか、それで『源氏物語』をあの内容にしたの!? 馬鹿……」


 なんて悲しいすれ違い。たぶん清少納言も悪気はなかったんだけど、紫式部もそれを笑って許してあげられる余裕も無かった。

 ただ、タイミングが悪すぎただけ。『源氏物語』を本物にする神の悪戯と言ったらそれまでだけど。

 式部さんは半分死んだ目で続けていた。


「えぇ、まぁ、それでとにかく人間の嫌なところを書きまくって、読んでる人の情緒をぶち壊してやろう……そうして生まれたのが『源氏物語』ってわけ」


 こうして『私がうまれたわけ』みたいに言うな。何も喜ばしくねぇだろ。

 なんなら、これまでの美学全部壊すレベルの特大ブーメランじゃねぇか。


「好き勝手書いていいという割に、ごりごりに清少納言の影響受けてんじゃん」


「うぐっ! 非情ね……そんなわけないじゃない」


 下唇を噛んで拳を震わす式部さん


「……けど、まぁ、それで話を広げまくったのはいいんだけど、どうやっても収拾つかなくなったね……同僚の小少将にも、『これでは誰も報われません』と本気で心配されてしまって……どうしようと行き詰ってー逃げてきてしまいました。てへ」


「それが『時渡り』の真実。この人……馬鹿ってレベルじゃない」


 よく行き当たりばったりで始めた小説が、着地点を見極められずに、そのまま消える―――界隈では『エタる』と称される現象だが、この平安の天才もかましているとは。

 おまけにそれで親友に心配される。こんなありがちなミスを紫式部もやっているとは、天才と馬鹿は紙一重とは上手くいったものだ。いや、もう、運の誤差やん。


 私はなぜか急に冷静になって、また自らの原稿に取り組んでいく。


「まぁ、誰も報われないってのは分かりみがある。けど、取り返しつかないことしてるやつ多いのも事実だしね……」


 『源氏物語』に出てくる奴って主人公含めて、みんなそれなりに悪いことしてるからな。


「悪いことした人も可哀想なんて美学があるけど、よくわからないんだよね。悪いことをした人にどんな可哀想な過去があったとしても、悪いことをしたのはそいつらの意思なんだ」


「葵……」


「悪いことをしたやつを許すのは、償ってからだよ。お咎めなしに許すことは、都合のいい免罪符。許す奴にメリットがあるだけ。悪い奴には、ちゃんと報いがいる。それこそ、人間の因果応報に基づく正しい自然の摂理だよ」


 そう、鬼狩りの優しい少年も悪役に同情したり涙を流すことはあったけど、彼は鬼の首を斬ることに対して迷いはなかった。それが彼らへの報いであると同時に、救いだと知っていたから。


「……そうか。私は小少将のことを思う限り、作家として『逃げて』いたのね。見事ね、葵」


「えっ? いや、まぁ、悪役が順当にひどい目に遭うのも、読者からしてみれば、ちゃんとすっきりするハッピーエンドなんじゃないかな、と思っただけで……」


「いいえ。小少には申し訳ないけど、ここは作家の哲学に従うわ。『源氏物語』、書きたくなってきたわ」


「えっ? あぁ、それはよかった。もしなんか言われたら一緒に謝ってあげるよ。あとなんか言われたら、『この物語はフィクションです。実在する人物や団体とは一切関係ありません』って巻末に書けば、たいてい誤魔化せるよ」


「うふふふふ、誰が考えたの? その都合のいい言い訳。……本当にありがとう。葵」


「えっ? うん」


「さぁ、書きましょう! 葵! 今夜は寝れないわよっ!」


「も、もえてるなぁ」


 式部さんは再びパソコンへと向き合った。どうやら相当、筆が乗っているらしく、キーボードを叩き、圧倒的な手数の打鍵音を、室内に鳴らしている。

 私も筆を加速させていく。

 ―――その日の夜はあーでもない、こーでもないと私と式部さんは創作に全てを捧げた。


 ●


 朝が来た。鳥たちのさえずりが聞こえている。


「う~ん。あれ、寝落ちしてたか……やっべ。着替えてねぇ……これは恥ぞ」


 私はスマホを見て、時間を確認する。まだ朝5時。よかった。まだ。余裕があるな。

 式部さんを起こすか……。


「式部さーん」


 私はふと、式部さんの座っていた机を見る。すると―――。


「あ……れ……式部さん……?」


 そこに小説を書いて寝落ちしているであろう式部さんは―――いなくなっていた。


式部さん豆知識


小少将の君は式部さんの大親友。あの拗らせ陰険女流作家である紫式部がルームシェアをするほどの仲。式部さんにとっては悩み事とかを話せる数少ない理解者。有名な話としては、お互い男が言い寄ってこないなぁという和歌を水鳥をモチーフに交換し合っているなど。ちなみに超が付くほどのお嬢様で、奥ゆかしく自分の意志が物事が決められないというアニメに出てくるようなタイプ。紫式部も日記の中では下手ぼれしている。悲しいことに若くして亡くなっており、その悲しみを紫式部が和歌に込めている。『源氏物語』の『女三宮』を表す描写と式部さんが彼女を記した特徴から、モデルになったのではないかという推察がある。神様、これ以上式部さんをいじめないでくれ。


ーーー

お読みいただいてありがとうございました!

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