<24・発狂。>
まるで、ニコさんが焦り始めたかのよう。
一気に二人も殺しにかかるだなんて。あるいは、自分たちの冷静さを奪うことが目的だろうか。
『わたしは許さない。
誰のこともけして許さない。
わたしを、わたし達を、忘れるものすべてを許さない。
忘れようとすることをけして許さない。
許さないために、何度でも、何度もでも思い出させてあげる。
さあ、三人目が死ぬよ。
四人目も死ぬよ。
ニコさんを崇めても、誰も彼も例外じゃない』
ニコさんを崇めても、意味などなかった。
彼女は現代の人間の言葉など一切聞き入れる気がない。ひょっとしたら、美冬にその声が聞こえていたのも彼女の気まぐれのようなものだったのだろうか。
美冬は、己を特別な能力者だと思っていた。信じていたかった。その彼女にだけ特別に、自分の声を聴かせる。気まぐれなお喋りに興じる。それにより、美冬はますます「己はニコさんに認められた選ばれし存在だ」と思い込み、暴走を重ねていったのではないか。
本当は彼女の説得に応じる気もなかったし、美冬を友達だとも思っていなかった。それでもほんのちょっと、美冬に対して「そう思っていますよ」のアピールさえすれば、それで充分だったのかもしれない。
自己顕示欲が強くて、劣等感が強くて、いつも刺激的な日常に飢えていたであろう少女を――狂信者に仕立て上げるには。
――そこまで。
階段を駆け下りながら、ゆいなは思う。
――そこまで、貴女は憎かったの?自分を忘れられたくなかったの?忘れそうになったなら……今の、いじめの加害者ではない子供達を殺してでも、自分達の存在を残し続けたかったの?
そう思ってしまうほどの地獄があったのだとしたら――あまりにも悲しすぎる。そして報われない。
都市伝説の通りなら、主犯の少女はとっくに制裁を下されて死んでいるはず。学校関係者だってたくさん死んでいる、それなのに満たされなかっただなんて。
もちろん、己が酷い目に遭ったからといって、無関係の人間まで酷い目に遭わせていい理由にはならないけれど。
「落ち着け、ゆいな!一人で突っ走るな!」
後ろから亞音が追いかけてくる。
「俺は、さっき灰田さんが殺されるのをはっきりこの目で見ている!現場に駆けつけても、生きた人間にできることは何もない!」
「でも、だからって何もしないでいるなんてできないよ!ニコさんを説得できれば……」
「そんなものは無理だってとっくにわかっているだろう!?」
こんな会話をしている間にも、悲鳴は聞こえ続けている。恐ろしい恐怖で、おかしくなってしまったような人間の声。
それが湯子のものなのか、エリカのものなのか、残念ながらゆいなには判別がつかなかった。
「ああああああああああああああああああああ、ああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
保健室の二人のうち、どちらかが犠牲者として選ばれてしまったのは明らかだった。
彼女達を教室に留めておけば、こんなことにはならなかったのだろうか。否――それでもきっと、惨劇は止められなかったのだろうけれど。
「ニコさんはもう、倫理的な思考や、理性的な判断ができるような存在じゃなくなってる!ようやくわかったんだ!!」
走りながら、亞音が続ける。
「ニコさんがどうしてゲームじみたやり方をするのか?それは、必ず複数人が生き残るようにするためだ。ニコさんの恐ろしいゲームで人が死んでいく様を、はっきりと目撃するための。そして、自分達の手で終わりにさせるための!……ニコさんの復讐は、この学校に延々と恐怖を刻み続けること。自分という怪異と、その元凶となった事件をいつまでも忘れさせないようにするためのものだ。ならば、どう転んでも説得なんて不可能だ!」
確かに、そうかもしれない。だって、自分達はニコさんと、その怪異の元となった事件についてあまりにも知識がなさすぎる。ろくに知りもしないのに、彼女たちの気持ちがわかったなんてそんなこと言えるはずもない。
だけど、それでも思うのだ。
元凶を殺しても憎しみが耐えず、延々とこの世に留まり続けて恨みを晴らし続けるだけなんて。無関係の人間を、いくら苦しめても平気な存在になってしまったなんて。
果たして――本当に、一番最初に死んだ“橙山仁子”という少女はそんなことを望んでいたのだろうか。彼女が女王様たちにいじめられても味方がいたのは――顔にやけどがあっても、敵が恐ろしくても、守りたいと思えるほど魅力的な少女だったからなのではないのか。
きっと、とても優しくて、思いやり深い少女だったからなのではないか。
「だってこんなの、悲しすぎるじゃん!」
時々転びそうになりながらも階段を降りる、降りる、降りる。
「復讐が正しいことかなんて、私にはわかんないよ。でも、復讐するなら……自分が幸せになれる復讐をしなきゃ意味ないじゃん!報われないじゃん、自分も死んだ人も!復讐して、結局不幸になるんじゃ何にもならないよ。加害者が笑うだけなんだよ。そんなんで本当にいいわけ!?」
綺麗ごとかもしれない。
でも自分はちゃんと、ニコさんと話したい。犠牲者が出る現場にもし、本人がいるというのなら。
――自己満足でも、訊きたいんだ。……それで本当に、貴女は幸せになれるの?って。
あるいは“貴女たち”なのかもしれない。
どこかで意思が混ざり、ねじ曲がり、別の存在になったとしても。それでも本来の彼女たちの意思が残っていれば、あるいは。
――何かできることもあるかもしれないって、私はまだ、そう信じていたいんだ。自分が救われるためだけじゃなくて、ただ。
ゆいなを先頭に、すぐ後ろから亞音が、離れたところから他のメンバーが追いかけてくるのがわかる。保健室はあと少しだ。一階に降り立ち、ドアの方へ駆けだそうとしたその時だった。
「!」
がちゃり、と。保健室のドアが開いた。ゆいなは息をのむ。
立っていたのは――湯子。彼女の制服には、赤い血飛沫のようなものが散っている。
「ああ、う、あ……」
ふら、ふら、ふら。まるで夢遊病者のような足取りで、廊下に這い出してくる湯子。幽鬼のような顔でゆいなを見ると、彼女はぼそぼそとしゃべりはじめた。
「ほけんしつ、目が覚め、て。そしたら、すぐ、そばで、エリカちゃんが寝てて。か、看病してくれたんだなって思って、お礼、言おうと、したら。え、エリカちゃん、つめたくて、それで、お」
ぐにゃり、と。
湯子の顔が歪んだ。それは歪な“笑い”の形に。
「あ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!ええええ、エリカちゃんすっごく苦しそうな顔で、お腹ぺったんこで、血吐いてて、それで、そそそそそそれで!うひひひひひいひ、ごめんなさい、ニコさん、ごめんなしゃい!私、死にたくないから、死にたくないから、死にたくないから!え、え、エリカちゃんみたいな、つ、つ、強い子も死んじゃう、嫌、それ嫌、だから、あはははははははははは、ひひひひひひっ」
「さ、茶川さ……」
「ニコ様、ニコ様ぁ!許してください、私、私代わりに、代わりに殺しますからああ!ニコ様が殺したいひとたち、みんなみんな殺しますからあ、お願いしますお願いしますお願いしますお願いしますお願いします、殺さないで、私、殺さないで、殺さないでえええええええええええええええええ!」
「な、何言って、茶川さん!」
「駄目だゆいな、離れろ!」
次の瞬間、ゆいなは思い切り腕を引っ張られていた。勢いあまってつんのめり、尻餅をついてしまう。
引っ張ったのは亞音だろう。何をするんだ、と言いかけたその時。
ぶつ。
肌を、肉を貫通するような、嫌な音が。
「え」
一瞬、時間が止まったような気がした。ゆいなは見てしまう。――自分の目の前に立った亞音の足がふらつき、ゆっくりと膝をついて倒れて行く様を。
「あ、あお、ん……?」
どさり、という音をどこか遠くで聴いた。うひひひひひ、とまだ狂った声で湯子は笑っている。その手が真っ赤に染まっている。そして。
「い、いや」
横倒しに倒れた亞音の胸元に刺さっている、カッターナイフの刃が。
「いや、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!亞音、亞音、亞音んんんんんんんんんんんんんんんんんっ!!」
出血は多くないし、得物はカッターナイフだから傷も大きくはないだろう。でも位置が悪い。まだ荒く息をしているあたり即死とはいかなかったようだが、それでも命に関わる怪我であるのは明らかだった。
今、自分は亞音に守られた。
まさか湯子がそのような強行に及ぶとは思いもせず、それで。
「やだやだやだやだ、亞音、しっかりして、亞音!」
「落ち着きや、ゆいな!」
鋭い声が飛んだ。沙穂だ。追いついてきた彼女に頬をひっぱたかれて我に返る。
彼女も真っ青な顔だったが、それでも幾分ゆいなより冷静だった。
「まだ息もあるし意識もある、今すぐ手当すれば助かるはずや!現実の学校は、病院からそう遠くもあらへん。吹雪でも、車出せるかもしれん……!」
「さ、沙穂ちゃん、でも」
「自分が何をするべきか迷ったらあかん、間違えたらあかん!!」
彼女が何を言いたいのかわかった。わかってしまった。
「あははははははは、ひひひひひひひひひ、まだ、まだ、一人しか殺してない!まだ、でも、私ちゃんとやりますからあ、だからニコさんんんんんん!!」
恐怖で狂ったであろう湯子を、追いかけてきた貞と京、それから瞬の三人がかりで押さえつけている。いくら火事場の馬鹿力があろうと、男子三人がかりで拘束されたら湯子もそれ以上動けないだろう。カッターナイフも手元から離れて亞音の体に刺さっているのだから尚更に。
沙穂は言いたいのだ。
亞音を助けるためには、今すぐにでも――ゲームを終わりにするしかないと。そのためには。
「山吹先生……っ」
一番最後に追いかけてきて、まだ息が上がっている先生に。ゆいなは、涙で滲んだ目を向けた。
大切な、大好きな先生だった。それでも、自分はもう選ぶしかないのだと悟ってしまった。いずれにせよこのゲームを終わりにするための方法が、他にはないのなら。
「私、先生の、隠してた写真見ました。……桃瀬優一郎さん、って人が……先生の元恋人なんですよ、ね?昨日、亡くなったって、ニュースがあった人」
「!!」
先生の目が見開かれる。ゆいなは拳を握りしめて、絞り出すように告げた。
「『ニコさん、みいつけた。』……ニコさんは、先生、ですよね?」




