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<23・初恋。>

「ひぎ、ぎう、ぐぎいっ……!お、お腹が、い、いた、い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいいいい!」


 どこからだろう。校舎中に響くような声で叫ぶ声がする。少女の悲鳴――美冬の声だとわかった。絶叫というのは判別がしにくいが、彼女はやや特徴的なガラガラ声なのでわかりやすいのだ。


「ど、どっちやの!?」


 慌てて後ろからついてくる沙穂。その向こうには、瞬と京の姿もある。ここは全員で行った方がいいだろう。


「え、えっと、えっと……」


 もう一度耳をすませた。


「ひゃめて、や、やめてええええええええ!おねがい、お願いニコさん、ニコさん!なんで、なんでわたし!?わたし、貴女の味方だったでしょ?貴女の友達だったでしょ?わ、わたしだけは、貴女のことわかってたのに、どうして、どうしてええええええええええええええええ!?」


 痛みと苦しみ、それから疑問を叫ぶ声。


「え、え?……そんな、そんなはずないわ、わたし、わたしはちゃんと……でも、でも……え?なんで?わた、わたしの話を聴いてくれてたから、封印が解かれなかったんでしょう?わたしがみんなを助けてやってたんでしょう?に、ニコさんだってそう言って……なんで、なんで今更違うだなんて!わたし、わたしはいっつも貴女の声に耳を傾けて、ねえ、この学校の奴らがゴミばっかりだって、貴女だって納得してくれてたでしょう?わた、わたし達は同志だったはずでっ!!」


 その内容から、おおよそ想像がつく。

 美冬は、明らかに誰かと話をしている。しかも、彼女を説得するに足る存在――恐らくニコさん本人と、だ。

 彼女はひょっとしたら本当の本当に、霊能力者であったのだろうか。ニコさんとやらの声が聞こえていて、会話していたというのも事実だったのだろうか。それで、自分は彼女を説得して、学校の封印を解かずにいた功労者だと信じ込んでいたのだろうか。

 しかしそれが、ここにきて裏切られた?それとも、ニコさんとやらが美冬をずっと煽てて弄んできたのだろうか?


「い、いぎいいいいいいいいいいいいいいい!ぐ、ぐぐうううう、げぼ、げぼっ!で、出ちゃう、お腹、お腹の中身、お尻から、ぜんぶ……やべで、やべて!お願い、ゆ、ゆるじて、ニコさん!わ、わたし、何かしちゃったなら謝るから、ねえ!い、いだいの、これ、本当にお腹、いだいの!喉も、お尻も、全部いだいの、ぐるじいの!ほ、ほんとに、だめなの、ねえ、見てるんでしょ?この顔見てたら、分かるでしょおおお……!?」


 だとしたら、あまりにも哀れすぎる。美冬のこれまでの言動は同情できるものではないが、それでも――ある意味では、彼女も被害者だったのではなかろうか。


「!う、上の階だ、これ!」


 ゆいなは東階段の方へ走り出す。音が反響しすぎていて、場所がどこがどこだかわかりづらかったのである。多分、美冬を助けることはできない。それでも、死にそうな人がいるとわかっていてほっとくことはできない。

 何より、ひょっとしたその場に一緒にいるであろう亞音と貞も危ないかもしれないのだ。


――亞音……亞音、亞音、亞音!


 他の者達にとっては冷酷に思われるかもしれないが――一番心配していたのはやはり亞音だった。

 子供の頃からの、幼馴染。幼稚園で出会ったのは年中の時だったが――正直、第一印象は最悪から始まったように思う。ちなみに同じ幼稚園で会った沙穂とは、年少からの友達だった。亞音は年中から幼稚園に入ってきた組だったのである。


『おい、おまえ何してるんだよ!なっちゃんをいじめるな!』


 初めて出会った時――そう、なんと亞音は女の子を泣かせていた。構図としては、なっちゃん、という子を慰めている友達がいて、そのなっちゃんと亞音、それからもう一人の男の子タキくんが対峙しているという構図だったのである。

 偏見かもしれないが、当時のゆいなは“女の子をいじめるのはいつだって男の子の方”だと思っていた。実際、気になる女の子の悪口を言ったり、スカートをめくったりして怒らせるのはいっつも男の子の方だったのである。だから、今回もそうだとばかり思ったのだ。しかし。


『いじめてない。おれ、わるぐちもいってない』


 亞音は毅然として、ゆいなを睨んできたのだった。


『なつこが、タキのキティちゃんのキーホルダー取ろうとしたからおこっただけだ。そしたらなつこがおおなきして、おれがいじめたとかいいだしはじめた。おれはわるくない』

『はあ!?なっちゃんがそんなことするわけないじゃん!!』

『おまえ、ゆいなだろ。いっつも女の子のみかたばっかりする。おまえ、男のはなしはちゃんときいてるのか。いっつも男の方がわるいときめつけて、ヒーローきどりか。うざいんだよ』

『はあああああああああああ!?』


 何言うんだこいつ、と。ゆいなは思わず手を挙げようとしてしまった。そう、昔っから喧嘩っぱやい少女だったのである、自分は。

 最初はなっちゃんの為に怒っていたつもりが、いつの間にか自分のために怒っていた。自分は本当にヒーローになれると信じていたし、正義の味方ができていると思っていたのだ。それを否定されたのが、あまりにも悔しくてならなかったのである。

 しかし、ゆいなが亞音を平手打ちしても、突き飛ばしても、亞音は泣きごと一つ言わなかった。その上、泣いて亞音に縋り空いていたタキくんが亞音を庇ってきたのである。


『ゆいなちゃんやめて!本当なんだよ、ぼく、キティちゃんのキーホルダー、たんじょうびにもらってうれしくて……。それ、バッグにつけてきたら、なっちゃんがかわいいからほしいって言ってきて。あげたくないっていったら、“男なのにキティちゃんつけてるなんておかしい、はずかしい、みんなにいいふらしてやる”って。そしたら、亞音くんがかばってくれて……!』


 そのあと。

 他の目撃者からも話を聴いて、亞音とタキの言い分の方が正しかったことがはっきりした。ゆいなは亞音を殴ったことで先生からお叱りを受けたし、なっちゃんも先生に叱られていた。なっちゃんを慰めていた女の子も事情はわかっていたものの、なっちゃんがあまりに「あたしは悪くないもん!」と泣くものだからどうすればいいかわからず困っていたのだという。

 悪いのは、双方の話も聞かずに、男子というだけで亞音たちが悪いと決めつけたゆいなの方だった。段々とそれを理解したものの、当時のゆいなは自分の非を認めるだけの勇気がなかったのである。

 ちゃんと謝ることができたのは、それから一年もあとのことだった。


――そんなんだから……幼稚園の頃は、私達もぎくしゃくしてたっけ。つか、私の方が亞音にムカついちゃって、避けてたんだっけな。


 本当はわかっていたのだ。悪かったのは自分の方だと。同時に、本当に腹が立ったのは――そんな彼にどこかで嫉妬した自分自身だったということも。

 いじめっこが現れた時、恵まれた身体能力を使って“暴力で解決”することしかできなかったゆいな。でも亞音は違っていた。彼は、言葉でちゃんと説得しようと言うことができる人間だった。それこそ、当時はまだ幼稚園の年中、まだ五歳にも満たない少年だったというのにだ。


――そんなあいつを、かっこいいって、思うようになったのはいつだっけ。


 自分にはないものを持っている少年。気づけば、目で追いかけるようになっていた。

 ひょっとしてこれが初恋かもしれない。薄々気づいていてもスルーしていたのは、今の関係が壊れるのが嫌だったからこそ。だってそうだろう。

 沙穂と、自分と、亞音。ひょっとしたら沙穂も亞音の事が好きかもしれない。自分が亞音のことを好きになったら、振られても振られなくても三人の関係が終わってしまうような気がする。今のまま、居心地の良い幼馴染の親友という関係のまま、いられなくなってしまうのではないか。


――それだけは嫌だった。だから、好きだとか、感謝してるとか、いつもそういうのちっとも伝えられなくて……だけど。


 言っておけばよかったのかもしれないと、こんなことになってから思う。

 だってそうだろう。

 亞音が死ぬかもしれない――それを想像しただけで、こんなにも怖い。震えが止まらない。

 大切な、大切な宝物のような日常で、世界で。ゆいなにとって亞音は、絶対になくてはならないピースで。


――お願い、無事でいて!


 美冬の声が、段々まともな言葉の様相を呈さなくなってきた。


「いや、いやいやいやいや、いぐ、ぐううううううう、ぐるう、ぐるじい、おねが、あ、あ、うぐううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう!」


 何が起きているのか、想像もできない。

 びちゃびちゃびちゃびちゃ、ねちゃねちゃねちゃねちゃ。ねばっこい水音が、階段の上の方から聞こえてくる。同時に、肉をちぎるようなぶちぶちぶちぶち、という音も。


「ぐぼ、ぼご、ごお、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 ねちゃねちゃねちゃねちゃ、ぶちぶち、ぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶち!




「ごお、お、げ、げえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」




 それが断末魔、だったのか。ばたん、という大きな音とともに、突然校舎の中が静かになった。それと同時に、ゆいなは四階へと駆け上がる。多分、階段からさほど離れてない場所のはず、と振り返り、そこが女子トイレのすぐ近くであると気づいた。

 人の気配がする。慌ててドアを引っ張ったゆいなは見た。茫然と佇む山吹先生、亞音、貞。それから。


「は、灰田さ……!」


 その死体は、今まで見た二人――真梨衣と英のそれと比べても、ずっと凄惨なものだった。

 彼女の顔の、鼻より上の部分が真っ赤に染まっているのは京に切り付けられたせいだろう。両目を切り裂くような形で真一文字の傷が走り、その閉じられた瞼からだらだらと血を流している。だが、それだけではない。

 びくびくと、トイレの壁にもたれる形で倒れている彼女の体は、ねじれたマリオネットのように歪なものだった。手足が、あらぬ方向に曲がっている。あまりの苦痛に床を掻きむしったのか、両手の爪はばりばりと剥がれて地面に血の爪痕を残していた。

 そして、彼女の口からもお尻からも赤茶色の液体がどろどろと広がっていて、凄まじい臭いを放っている。

 そして、例のごとくべっこりとへこんでいる腹部――。


「め、目の前で」


 貞が真っ青な顔で振り返って言った。


「目の前で、灰田さんが。く、口とお尻から、内臓を引っ張り出されて、それで」

「そ、そんな」

「灰田さんが、ニコさんの依り代だったんじゃないの?だって、灰田さんは無事だって、そう言ってて」

「そ、それは」


 本当の犯人は別にいる。そうゆいなが言おうとした、その時だ。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 悲鳴がもう一つ。

 今度は下の階から、聞こえてきたのである。

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