第三十五話 そして一歩
「アルノー様……‼︎」
「不思議だなあ。島でも森でもない所から外の声が聞こえるなんて。前から思ってたけど、一度転生させたから結び付きが強くなっちゃってるのかなー?」
アルノー様は足を組んで腰掛けた態勢のまま、ふわふわと虚空に浮いている。
私に話しかけるでもなく、顎に手を当てて独り言のように呟く。
不思議で仕方がないとでもいうようだ。
「なんにせよ、君が呼んだのが聞こえたから来たよ! いつも孤独だからさ、嬉しくなっちゃって。……なんだか酷い格好だね?」
アルノー様の言葉に、改めて自分の服を見下ろす。
お仕着せの上に羽織ったローブが、所々泥で汚れている。
それだけでなく、至る所が血で汚れていた。
「君の兄はどうなった? 死んだかな。少し前からあの青年の意識が途切れちゃったから、続きが見られてないんだよね。良い所だったのに」
「見られてない……?」
つまり、アルノー様は、一部始終を見ていたということ?
アルノー様が言うところの青年——オスカーを通して。
「そうそう。あの青年はぼくの目だったんだよねー。そういう契約でさ」
そういえば以前、アルノー様は言っていた。
『ちょっとした裏技を使って、君のことを見ていた』と。
それが、オスカーの目を借りることだった訳か。
「その様子だと、君も王宮に戻ったのでしょう? 興味があるなあ。ちょっと見せてね」
私の返答を前に、アルノー様は私をじっと見つめたと思うと、頷いたり驚いたりと百面相をし始める。
まさに、アルノー様に全てを視られているのだと感じた。
「お〜これはこれは。ははは、なかなかに凄い展開になったね!」
最後には、上出来な舞台でも見たかのように手を叩いて呵々と笑った。
私の衝撃も、絶望も、アルノー様にとっては少し刺激的な娯楽でしかないようだ。
「ごめんごめん。そんな目で見ないでよ。でもやっぱり君を生かして正解だったな。この数百年で、一番楽しませてもらったよ!」
アルノー様は満足気に微笑む。
本来なら、そんな様子に腹を立てる所だ。
けれど今は、むしろ好都合だった。
「もし満足いただけたなら、お願いです。私の願いを聞いてください。オスカーを、どうか助けてください……!」
「おやおや。最初は彼に復讐するつもりだったろうに。家族の欺瞞を知って、もう恨みは晴れたのかな?」
アルノー様の問いに、私は思わず口を噤んだ。
私はオスカーを、どう考えればいいのだろう。
私は確かに家族を愛していた。だから家族を殺したオスカーを憎んだ。
けれど私にとって、本当の意味での家族は居たのだろうか。
今となってはもう、オスカーを憎んではいない。
彼の叛乱の理由も、家族の本性も、全て理解したから。
――してしまったから。
「……分かりません。正直どういう感情を持てば良いのか、さっぱり分からない。けれど、一つだけはっきり言えることがあります。この国には、オスカーが必要なんです」
誰よりもこの国のことを考え、自らの手を汚すことも厭わない、彼なら。
彼なら、きっとこの国を良い方向に導いてくれる。
「だから……お願いです。オスカーを助けてください……!」
「君、自分が言ってること分かってる? あの祝詞を唱えた意味をさ」
『今ここに、汝の糧となりし子羊を捧げん』
分かってる。
あの祝詞は、アルノー様の御恵を受ける為に、生贄を捧げるという意味だ。
「……はい。どうか、私の命と引き換えに、オスカーのことを救っていただけませんか」
「それは出来ないかな」
私の決心をに、あまりにもあっさりと、アルノー様は私の言葉を否定する。
そのあまりの軽い返事に、思わず息を吞んだ。
「えっ……なんで……」
「ああ、勘違いしないでね。きちんと対価を差し出して、その願いが過ぎたものじゃなければ、ぼくだってちゃんと契約してあげるさ。でもね」
そこで、アルノー様は言葉を切った。
爪先から頭の天辺まで、じっくりと眺められる。
不思議と不快感はないものの、代わりに、得体の知れない恐怖が沸き起こった。
「君の命には、もう価値がないんだよね」
価値が、ない。
つい先ほどまで、嫌というほど痛感したことだ。
アルノー様にまで、そんな風に断言されるだなんて。
「ははは。言い方が悪かったかな。君の命では捧げ物にならないということさ。既に君の命はぼくに捧げられただろう? そして願いを叶えた。だからもう一度その命を捧げられても、意味がないのさ」
「私の命は……二回は捧げられないということですか?」
「そういうこと」
そんな。
私という取るに足らない存在を、ようやく役に立てる時が来たと思ったのに。
私は二回の生を得て、自分の愚かさを思い知った。
ただ、それだけだ。
一体何の為に、私は二回の生を得たのだろう。
私には何一つ、出来ることはないのだろうか。
「ていうかさ」
アルノー様は虚空で胡座をかきながら、ぐっと私に顔を寄せる。
金色の瞳の奥、横に開いた瞳孔が間近に迫り、どくりと胸が跳ねた。
「普通に考えてよ。死んだ人間を生き返らせる訳でもなし、瀕死の人間を生かすのに、人一人の命なんていらないでしょ。これまで一人の贄で百年ほどの国の安泰を約束してたんだよ? あの坊やを助けるだけなら、これで十分」
そう言って、アルノー様はゆっくりと自身の右手を開く。
するとそこには、あの、ディーディリヒお兄様から貰った翡翠の首飾りと、ウルリヒが作ってくれた組紐があった。
「えっ⁉︎ あっ」
慌てて左手を見てみると、いつの間にか組紐がない。
ウルリヒがくれてからずっと、肌身離さず持っていたのに。
「君が過去と現在、大事にしていたもの。心の拠り所。その想いと共に、頂くよ」
ふざけた様子のない、神々しい声でそう言うと、右手からぼおっと炎が巻き上がる。
まるで、聖なる森で見た聖台の炎のようだった。
「さあお行き。これからの生を、どう生きるかぼくに見せて」
突如として目が眩むほどの光に包まれる。
私は思わず目を瞑り、腕で顔を隠す。
声を出そうにも、喉が張り付いてしまったかのように動かなかった。
「揺り籠から解放された君の、行く末を見守っているよ」
何も見えないはずなのに、不思議と、アルノー様が微笑んでいるのが分かった。
そこで、私の意識はぷつりと切れたのだった。
「——ッカ! レベッカ!」
誰かが私を呼ぶ声がして、徐々に意識が浮上する。
ゆっくりと瞼を押し上げると、視界一杯に、パパとママ、ウルリヒの顔があった。
「レベッカ! 目が覚めたか!」
「お姉ちゃん〜! 良かった〜〜‼︎」
「良かったわ本当……もしもまたあなたに何かあったらと思うと……」
ママは既に泣き腫らしたのか、目元が真っ赤だ。
パパも鼻の頭が赤くて、涙を堪えているのが分かる。
ウルリヒは涙と同時に鼻水を垂らしながら、私の右腕に抱きついていた。
「ここは……」
まだぼんやりとする頭を起き上がらせて周りを見渡すと、そこは、タウンハウスの私の部屋だった。
どうやらネグリジェに着替えている。
一体何がどうして……。
「ね、ねえ! 王宮はどうなったの⁉︎ オスカー……陛下は無事⁉︎」
「落ち着くんだ。興奮すると体に良くない。一つ一つ、説明するから」
上半身を勢いよく起こした私を、パパは優しくベッドに押し戻してから、語り始めた。
エルンストお兄様が王宮を襲撃した時、パパたちは戦闘に巻き込まれないよう家に籠っていたそうだ。
私は視察に行っていたからきっと巻き込まれてはいないだろうとは思っても、やはり心配で、パパ一人で王宮の様子を見に行ったのだという。
その時、膠着状態だった城門の周辺が、俄かに騒がしくなった。
中から騎士たちが現れたかと思うと、「エルンスト・レーベンは死んだ! 直ちに降伏せよ!」と叫ぶのを聞いたのだという。
パパはこれで戦闘が終わるとホッとしながらも、本当に私が王宮に居ないかどうかを確認するため、城門に近付いた。
その時、ぐったりと四肢を投げ出した私を抱えた先生と、出くわしたのだという。
一体何故先生がここに居るのか、どうして私がここに居るのかと疑問を口にする前に、先生は、こう言ったのだそうだ。
『レベッカさんのおかげで、陛下は無事です。ご安心ください。今は眠っているだけ。ゆっくり休ませてあげてください』
そう言って先生は、私をパパに預けて、どこへともなく消えてしまったのだと。
「先生が……」
「ジークがあなたを抱えて帰って来た時、心臓が止まるかと思ったわ。本当にどこも痛くはない?」
「お姉ちゃんがまた死んじゃったかと思ったよー!」
ウルリヒがまたわっと泣き出す。
思わずその頭を撫でれば、左手には確かに、組紐がなくなっていた。
「私、行かなきゃ」
先生の言葉を信じるなら、オスカーは無事だ。
けれどこの目で確かめないと、不安で仕方がない。
「だめよ! あなたさっきまで意識がなかったのよ⁉︎」
「テレーゼ、意識がなかった訳じゃなくて眠っていただけだぞ」
「あなたは黙ってて‼︎」
「パパとママ静かにして! お姉ちゃんが困ってるでしょ‼︎」
どういう訳か、私の前で家族が喧嘩をし始める。
そんな彼らを見ていたら、じわじわと涙が溢れてきた。
何て暖かいのだろう。
家族。これが家族だ。
私の家族は、ここに居る。
「な、なんで泣いてるんだレベッカ‼︎」
「どうしたのレベッカ⁉︎ どこか痛いの⁉︎」
「お姉ちゃん死なないで〜〜!」
私の一言でオロオロと慌て出す家族が可笑しくて、同時に、すごく嬉しい。
「ううん。何でもないの。みんなのことが、大好きだなぁと思って」
涙を流しながら、思わず微笑む。
きっと私は、これまでの人生で、一番綺麗に笑えているだろう。
大変お待たせいたしました。
最後まで書き上がりましたので、
これから完結まで毎日更新いたします。




