第三十二話 真実の痛覚
時間は少し遡る。
夜通し先生は馬を走らせ、明け方には王都に辿り着いた。
王都の家々は扉と窓を締め切っており、誰一人外に出ておらず、一見した限り、王都には何も被害がなさそうで安心する。
パパやママ、ウルリヒはきっと無事だ。今はそう信じるしかない。
正門前は武装した軍勢が占拠していたが、エルンストお兄様は見当たらない。
王宮の中に居るのだろうか? オスカーも王宮の中なの?
焦る心を押して、どうすべきか必死に頭を働かせる。
しかし王宮の中であれば熟知している私でも、外のことになると大したことは知らない。
ただ気持ちばかりが焦っていると、先生が一言「こちらへ」と言って何故か王宮から離れて行った。
「先生、どこに行くのですか! 今はどうにか王宮の中に入らないと!」
「大丈夫です。入り口を知っています」
先生は真っ直ぐに聖なる森に向かって歩いて行った。
民家がなくなり、周囲が木々に包まれ始めると、とある木の前に数人、武装した男たちが立っていた。
「やはり、第三王子もここから王宮へ向かったようですね」
小さな声で囁くように言うと、先生は荷物の中から小ぶりな弓矢を取り出した。
「えっ、先生何を」
言い終わる前に、先生は男たちに向かって矢を放つ。
矢は見事、一人の男の足に突き刺さった。
「何者だ!」
「どこに居る!」
残りの男たちが騒ぎ立てるも、先生は続け様に矢を放ち、次々に男たちが倒れていく。
「これでもノイアンファングで活動していましたからね。剣の腕は、からきしなのですが」
私が驚きに目を見開いていると、先生は苦笑いをしながら慣れた手つきで男たちを縄で縛り、近くの木にくくりつけていく。
男たちが流す赤い血に手が震えるが、今は彼らのことを気にしている場合ではない。
ぐっと拳を力強く握りしめてから、大きく息を吐き出した。
「先生、ここには何が?」
「王宮への抜け穴があるのです。王女に……あなたに薬を飲ませるために王宮に入り込んだ時、第三王子に導かれて私もここを使いました」
「そんな……こんなものがあったなんて……」
「やはり、ご存知なかったんですね。私が知っているのはここだけですが、他にもこうした抜け穴は存在しているようですよ」
先生は木の根の間に木の葉に埋もれるようにして存在していた、木の扉を開けた。
「さあ、行きましょう!」
躊躇せず穴に飛び込む先生の後を追って、私も思い切って穴に足を踏み入れた。
先生が灯したランタンの明かりだけを頼りに、永遠に続くかと思える暗闇の中を先生の背中だけを見つめて進んでいく。
やがて、通路の端にハシゴが見えた。先生に続き長いハシゴを登っていくと、そこは物置のような部屋の中だった。
「ここは……もう王宮の中なのですか?」
「ええ。ちょうど、東宮の端ですね」
こんな部屋は、これまで入ったことがない。
……考えてみれば、私は王宮の中を熟知しているとは言えないのかもしれない。
何せ、私が入ってはいけないと言われた部屋はいくつもあるから。こういった物置は特に、危ないから近付いてはいけないと言われていた。
想像以上に、私の世界は狭かったのかもしれない。
何故か、その事実に追い詰められるような感覚を覚えた。
「さあ、ここからどこに行きましょう。陛下たちは、やはり広間でしょうか」
「私の部屋に……いえ、陛下の私室に行きませんか」
そう思ったのは、ただの勘でしかない。
けれど何故か、オスカーはそこに居る気がした。
(アルノー様の御業? それとも、何かが私を呼んでいるの……?)
自分でも理由は分からない。
しかし確信めいた予感がした。
「分かりました」
先生は何故と聞くこともなく、私に賛同してくれる。
矢筒を背中に背負い、短剣を腰に装着して、どうやら私の護衛をしてくれるようだ。
先ほどの矢の腕前を見た後だからか、とても心強い。
「ありがとうございます。行きましょう」
私たちは真っ直ぐにオスカーと私の部屋に向かったのだった。
そして――見た。
エルンストお兄様とオスカーが、死闘を繰り広げているところを。
「やめてエルンストお兄様‼︎」
思わずそう叫ぶ。
私の声に振り返ったお兄様は、顔を血で汚しながら怪訝な顔をした。
「……誰だお前?」
お兄様に対峙しながらも、周りの状況が気になって仕方ない。
負傷して倒れている何人もの人。
オスカーはまだ生きているの? 目を閉じて動かない。もしかして死んでしまった? 来るのが遅すぎたの?
「もしかしてお前……」
エルンストお兄様が私をじっと見つめる。
私がパトリツィアだと気付いた……?
「お前ライナーか! 結局オスカーに付いたのか? 見る目がないなあ!」
私が正体を明かそうと口を開く前に、お兄様は私の後ろに居た先生に向かってそう叫んだ。
その嘲るような口調も内容も、全てに腹が立つ。
先生がこれまでどれだけ苦しんできたのか、お兄様は少しでも想像したことはないのだろうか。
「殿下……いえ、あなたは何も変わりませんね」
「あの時、否が応でも俺についていれば良かったものを。悪いが俺は、このぼんくらよりも厳しいからな。裏切り者は許さない」
先生のことを煽るようなことを言いながら、エルンストお兄様はまだ余裕の表情を崩さない。
何か、まだ隠していることでもあるのだろうか。
「ところで、そこに倒れてる女の顔を見た方がいいんじゃないのか?」
「なんだって……?」
「ほら、感動の再会だろう? 義姉弟のさ」
お兄様の言葉にハッとする。
先生が動くより先に、私は慌ててうつ伏せで床に倒れている女性に駆け寄った。
ぐったりと四肢を投げ出して動かない女性の体を、必死に裏返す。
「ヨ、ヨゼフィーネ……‼︎」
「義姉さん!」
フードから覗くヨゼフィーネの顔は真っ白だった。
記憶よりもずっと老け込んだ。まるで老婆のように白くなった前髪が、これまでの苦労を如実に語っている。
ヨゼフィーネの胸に走る、鋭い剣先で引き裂いただろう傷が生々しい。けれど血は流れておらず、粘度の高い赤が服を染めているだけだった。
「大丈夫です。まだ息がある!」
「先生、どうすればいいんですか!」
「落ち着いてください。まずは傷が開かないように仰向けにしましょう」
「おい! 俺を無視するな!!!」
エルンストお兄様はそう叫ぶと、意識のないオスカーをがんと蹴り飛ばした。
瞬間、オスカーからうっと小さい呻き声が漏れる。
生きてる! オスカーは生きてる‼︎
「そもそもお前誰なんだよ! なんでお前ヨゼフィーネを知ってるんだ!」
今にもこちらを射殺しそうな鋭い瞳で、お兄様は私を睨みつけた。
一瞬怯みそうになるけれど、幼い頃エルンストお兄様と対立していた頃のことを思い出し、心を落ち着かせる。
大丈夫。お兄様なら、話せば分かってくれる。
「信じられないかもしれないけれど、私はパトリツィア。お兄様の、たった一人の妹よ」
「はあ?」
お兄様は露骨に顔を顰め、怪訝な表情でこちらを凝視する。
そんな兄様を真っ直ぐ見つめて、私はまた口を開いた。
「お兄様。よくこのテラスで一緒にお茶をしたでしょう? 私の好きなオレンジケーキを持ってきてくれたじゃない」
お兄様と私しか知らない話を、一つ一つ話してみせる。
「祀の島に行く前日、『お前の勇気は決して忘れない』って言ってくれたでしょう? 全部、覚えてるわ」
あの時あの場所でこんな話をした、あの時こんなことがあったと話を続ける。
やがて、お兄様の表情が、怪訝なものから驚愕に変わっていくのが見て取れた。
「本当に、パトリツィアなのか……? どうして……」
「私が祀の島に行ったと同時にレーベン王国がなくなってしまったから、アルノー様のご加護で、こうして新たな命を得られたのよ」
エルンストお兄様は、まだ信じられないような顔をしている。
それはそうだ。いきなりそんな風に言われて、誰も信じられる訳がない。
私だって、お兄様が生きていたことがいまだに信じられないのに。
「まさか、本当に……」
「そうよ。お願い信じて。私はパトリツィアなの」
思わず瞳が潤む。お兄様の顔がぼやけて歪んで見える。
エルンストお兄様に会えたという喜びと、オスカーの安否の心配と、色々な感情が入り乱れて、自分でもどんな顔をしているのか、どんな顔をしていいのか分からない。
「パトリツィア……パトリツィアなんだな……」
驚愕と切なさの混じったようなその呟きに、私がパトリツィアだと信じてくれたのだろうことが伝わった。
「そうよ! 私がパトリツィアなの! お兄様、もうこんなことやめて。私たちの時代はもう終わったのよ。この国を思うなら、このままオスカーに任せるべきだわ!」
言いながら、自分でも驚いた。
思わず言葉が口を突いて出ていたのだ。
いや、でもそうだ。オスカーと巡ったあの視察の間に、私は痛感した。
私たち王家が傷付けたこの国を、癒して再興しているのは、他でもないオスカーなのだ。
「私のために、たくさんの薬を確保してくれたのは嬉しかった。けれど失われた命のことを考えれば、そうすべきではなかったのよ! それだけじゃないわ。私たち王家は、色々なことを間違った。そのことをきちんと認めるべきなのよ」
「パトリツィア……」
お兄様が眉を下げながら、瞳を揺らす。
そんなお兄様を前に、気付けば、涙が頬を伝っていた。
お兄様は間違ったかもしれない。たくさんの人を傷付けたかもしれない。
けれど、私の知っているお兄様なら、きっと、分かってくれる。
私は涙で詰まる胸をどうにか押さえて、再び口を開いた。
「お兄様。だから」
「パトリツィア……お前は生まれ変わっても、無知で愚かなんだな」
お兄様の言葉に、思わず涙が止まる。
今、なんて言った……?
「生まれ変わってもなお愚かだなんて……哀れだな。本当に」
「お兄様、何を……」
「お前のため? そんな訳ない。誰もお前のことなんて気にしちゃいないさ」
「えっでも、だって」
「知らないなら教えてやるよ」
お兄様は真っ直ぐに私を見つめる。
その先の言葉を、聞いてはいけないと本能が叫んでいた。
「お前は、生贄になるためだけに生まれてきたんだ。パトリツィア」
まるで憐れむような、蔑むような、そんな複雑な表情で、エルンストお兄様は言った。
続きは1週間以内に上げられらよう頑張ります。




