第三十一話 亡者の陥穽(オスカー視点)
レベッカが王都に向けて出発してから、しばらくして。
オスカーは護衛の騎士たちと共に、一足早く、王宮に到着していた。
「無事かニクラス!」
「陛下‼︎」
オスカーが王宮の広間に足を踏み入れると、そこには大勢の人間が集まっていた。
中央で騎士たちに指示を出していたニクラスは、頭に包帯を巻いていた。包帯で長い前髪が上がり、顔の火傷の跡が顕になっている。
他にも、負傷しただろう騎士たちがそこここにおり、使用人たちはその治療に当たっているようだ。
「よくぞご無事で!」
「ああ。今の状況は」
「昨日の昼過ぎのことです。急に武装した軍勢が正門を襲ってきました。一時激しい戦闘になりましたが、どうにか正門を閉じ、現在は膠着状態が続いています」
「そうか。よく正門を閉じることができたな。よくやった」
「いいえ……。ライナーの情報がなければ、こうは上手くいかなかったでしょう」
そう言ってニクラスは、複雑な表情で視線を外した。
ライナー……レベッカの呼ぶところの先生がもたらした情報を、オスカーもニクラスも完全に信じていたわけではなかった。
けれど念のためと、今回の視察では王宮にもそれなりの数の騎士を残していたのだ。
その判断によって、王宮が制圧されるという事態を避けることができた。
「今はなんの動きも見られないのか?」
「ええ、こちらの出方を窺っているようです」
「籠城でこちらが限界を迎えるのを待つつもりか。まさか私が抜け穴を知っているとは知らないのだろう」
現在、王宮の正門はエルンストの軍勢に包囲されている。
普通、王宮の出入り口は正門しかない。
しかしオスカーは、視察の直前、偶然に抜け穴を見つけた。
王の私室は、現在手付かずで残したままになっている。前王の私室に残されていた資料を取りに向かったオスカーは、飾りとして壁に設えられたマントルピースの奥の壁に、目立たぬよう小さな取っ手を見つけた。
取っ手を引くと、扉の先は暗く細い通路になっていた。ニクラスと共に調べると、その通路は王宮を支える断崖絶壁の下に広がる森まで繋がっていることが分かったのだ。
王宮中を探索した結果、他にもいくつかの抜け穴を見つけた。籠城時に、王族が逃げるためのものだろう。
今回オスカーは、その抜け穴を使って、王宮まで辿り着いていた。
「見つかった抜け穴には見張りを立てています。ですが、これが全てかどうか……」
「おそらく他にもあるだろうな。問題は、奴がどの抜け穴を知っているのかだ」
王族であったならば、抜け穴のいくつかを知っている可能性は高い。
もしまだ見付けられていない抜け穴を知っていた場合、いつの間にか内部に入り込まれる危険性がある。
そう考えたオスカーは、騎士たちに声をかけた。
「動ける者は王宮内を巡回しろ。班に分かれてくまなくだ。不審者を見つけ次第、捕らえるように」
指示を受けた騎士たちは、一斉に散らばっていく。
それを見届けたオスカーは、自らも動き出した。
「陛下! どこへ行かれるのですか!」
「お前は休め。少し気になることがある」
オスカーはそう言って、ごく少数の護衛と共に、広間から伸びる廊下を歩き始めた。
オスカーが向かったのは、現在のオスカーの自室……かつて、パトリツィアが暮らしていた部屋だった。
部屋に入った途端、躊躇なく緋色のカーテンを開けると、下手くそな絵と翡翠の首飾りを乗せたチェストが現れる。
オスカーは翡翠の首飾りを大事に手にとって自らの首に掛けると、チェストを横にぐっとずらした。
「陛下……? 何をなさっているのですか?」
護衛たちは、オスカーが決して人の手に触れさせなかった場所を自ら暴いていくのを、戸惑いながら見つめるしかない。
オスカーはその問いかけに反応することなく、チェストをずらし切ると、露わになった壁を今度は剣の柄でガンガンと殴りつけ始めた。
更に戸惑う護衛たちを無視して、オスカーは無心で壁を殴り続ける。
すると、徐々に壁がボロボロと崩れ落ち、中から木製の扉が姿を現した。
「陛下、これは……」
「おそらく」
オスカーは扉に小さく空いた穴に指を入れ、力を込めて手前に引いて見せる。
すると、ギシギシと音を立てて軋みながら扉が開き、人が一人通れるほどの階段が現れた。
「抜け穴の一つだ」
微かに頬に風を感じる。
それは、この先にどこか抜ける先があることを示していた。
オスカーがこの部屋を居室にし、この緋色のカーテンを取り付けた時から、違和感を覚えていたのだ。
何となくこの部分だけ、他の壁と質感が違っているように思えていたが、ただの補修の後かと深くは考えていなかった。
しかし前王の自室にあった抜け穴に気付き、はたと思いついたのだ。
「つい最近塞がれた穴ではないですね」
「ああそう思う。少なくとも、数十年は前に塞がれたものだろう」
かつてこの部屋の主だった王女は、もし生きていれば二十歳かそれに満たないくらいの年齢だ。
だとすると、この穴は王女が生まれるより前に塞がれていたことになる。
単に使用されなくなって塞がれたのか、それとも……。
バンッ‼︎‼︎
唐突に扉が開かれたと思った途端、武装した軍勢が部屋に雪崩れ込んでくる。
護衛の騎士たちが一斉にオスカーの前に出て、互いに剣を交わす。
カキンカキンと激しい金属音が部屋に響き、オスカー自身も剣を抜くと、続けざまに数人斬り倒した。
「相変わらず化け物じみてるな、オスカー」
皮肉混じりの声に視線を向ける。
するとそこには、あの、エルンストが立っていた。
「エルンスト……! 本当に生きていたのか……!」
「ああ、生きてるよ。お前のおかげでな」
まるでオスカーを嘲笑するようにエルンストは笑いながら言う。
オスカーはその言葉に、眉をしかめた。
「私のおかげ……?」
「お前、左目が見えないんだってな? 右目も決して良くはないんだろう」
旧王家を襲撃した、あの時。
王族たちを縛り上げ、玉座の間に集めた。
一体何故そうしたのか……。何かを探していた気がするけれど、どういう訳かそれはよく覚えていない。
あの時、エルンストは一番最後に捕えられ、玉座の間にやってきた。
両肩を抱えられ引きずるようにやってきた彼は、俯いたまま、既に事切れる寸前のように見えた。
そうして放り出されたエルンストは、そう、オスカーの左側の床に臥していた。
『オスカー様、申し訳ございません。かなり抵抗したものですから……』
オスカーはその時クラウスと対峙していた。大切な話の、最中だった気がする。
クラウスに剣を向けたまま、首だけを軽く動かして、オスカーはエルンストを見た。
ノイアンファングの軍勢にやられたのか、顔面から血を流しているようだった。
『顔を上げろ』
顔をよく確認しようとしたその時、エルンストは「何か」を言った。
途端にオスカーは激しい怒りに支配され、自分でも信じられないほど一瞬のうちに、エルンストの首を刎ねていたのだ。
「ただ時間が稼げればと思っていたんだがな、まさか身代わりの顔もよく分からないままに殺すとは! 少し演技するだけで身代わりを俺だと思い込むゲーグナーどもも、お前も単純だよなあ! 仕組んだ俺も、まさかここまで上手くいくと思わなかったよ!」
「やはりあれは身代わりだったのか……!」
切り落とした首は回収して城門に晒したものの、エルンストのものは損傷が酷く、相貌が分からなかった。
思えば、あれは誰かが後から手を加えていたのかもしれない。
エルンストは耳障りな声で高笑いをする。心底、オスカーを侮っていることが分かった。
「『パトリツィアは無様に生贄になって死んだ』と一言言ったら、即座に首を刎ねたそうじゃないか! 絶対そうなると思った! 身代わりにしたあいつに言ったんだ。『オスカーはパトリツィアのことを憎んでいたから、あいつのことを侮蔑すればきっと喜んで命は助かるぞ』ってな! 傑作だ! 傑作だろう俺の書いた筋書きは!」
「私は……王女のことを聞いて我を忘れたのか……」
オスカーは、自分の行動の答え合わせをするように呟く。
思わず漏れた一言に、エルンストは盛大に眉を寄せた。
「はあ? お前何言ってるんだ?」
その問いに答える必要性を感じず、オスカーは周囲に視線を巡らせる。
エルンストの軍勢は決して多くはなかったが、不意打だったこともあり、護衛たちはかなり負傷している。
代わりに、向こうも動けるのは最早エルンストだけだった。
オスカーは顔を歪める。
それでもエルンストは余裕の表情で、じっと何かを考えるようにオスカーを見つめている。
一対一の状況で、エルンストを制圧するのは簡単だ。
しかしどうにも、そう上手くいかないだろうと本能的に感じていた。
それに、どうも先ほどから王女の話が気になって仕方がない。
(今はそんなことを考えている場合ではないのに……。何で王女のことが頭を占めるんだ……!)
「パトリツィアのことを聞いてもその涼しい顔……。一体どうして」
「うるさい! 王女のことは何も覚えていない! どうでもいい! 今すぐ降伏しろエルンスト!」
頭痛に耐えるように額に左手をやりながら、オスカーはエルンストに剣を向けた。
途端、エルンストの顔が不思議に歪んでいき、やがて哄笑し始める。
「お前! お前パトリツィアのことを忘れてるのか⁉︎ なんで⁉︎ なのにこの部屋に居るのは何でだよ! 魂が呼んでるとでもいうのか⁉︎」
エルンストが腹を抱えて笑い転げる。
その様子に、オスカーはふつふつと怒りを感じ始めた。
如何にオスカーがパトリツィアのことを覚えていなくとも、きっとかつては大事にしていたのだろうことは分かる。
それをこうして笑うのは、純粋な侮蔑以外の何物でもない。
「もう終わりだ」
オスカーは、エルンストの不快な言葉を断ち切るように、剣を構え、一気に距離を詰める。
瞬間、エルンストの背後から、唐突に小柄な人物が躍り出る。
(まだ一人隠れていたか……!)
オスカーは慌てて剣を振るう腕を止めようとした。その人物は、女だったからだ。
しかし一拍動きが間に合わず、そのまま剣は女の胸を斬り裂いた。血に塗れて、女は床に倒れこむ。
この時、オスカーは完全に女に気を取られていた。
腹部に鋭い痛みを感じて初めて、エルンストが握った短剣が、自身の腹部に深く突き刺さっていることに気がついたのだった。
「紳士的だなあオスカー陛下は。女を斬ったことに動揺したんだろう。そんな甘い考えじゃあ、王は務まらないぞ」
そう言ってエルンストは、思い切り短剣を引き抜く。
からんという音がして、オスカーは手から剣を取り落とした。
腹部から、一気に真っ赤な血が溢れ出す。
「大業のためなら多少の犠牲には目をくれるな。それが王ってもんだろう。所詮、お前は王の器じゃないんだよ」
「ッそうやって国民を見殺しにしてきたのか。やはり旧王家は消えて然るべきだな」
腹部を力一杯押さえるも、指の隙間からとめどなく血が溢れ出る。
妙に力が抜ける。もしかすると、短剣に何か塗られていたのかもしれない。
脂汗をかきながら、それでもオスカーはまっすぐにエルンストを睨みつけながら言った。
オスカーには分かっていた。エルンストの言葉は彼の思想とは違う。旧王家が自分たちに言い聞かせてきた、詭弁にすぎないのだと。
エルンストはみるみる顔を赤くしたかと思うと、オスカーの傷付いた腹部目掛けて、思い切り足を振り下ろした。
「うるさいうるさい! お前に何が分かる! 愚妹の護衛風情が! 我々崇高な王家に対して無礼な口を聞くんじゃない‼︎」
エルンストは怒りに任せて、そのまま二度三度と傷を踏みつけた。
その度にオスカーは低い呻き声を上げ、血が溢れ出していく。
(これは……駄目かもしれない……)
オスカーは、死を覚悟した。
まさか剣術の才など欠片もなかったエルンストにしてやられるとは、全く思っていなかった。
つまり自分が傲慢だったのだろうと、一人内心自嘲する。
死は怖くなかった。かつて病に倒れた時に、一度は失ったはずの命だ。
けれど国の為を思えば、ここで死んではならない。
すぐに気を失いそうな状況の中、オスカーは最後の力を振り絞って、エルンストの足を思い切り掴んだ。
「何をする! その汚い手を離せ‼︎」
エルンストの言葉など一切耳に入らないかのように、オスカーは満身の力を込めて足を引く。
その瞬間、エルンストは体の重心を崩し、背中から盛大に倒れこんだ。
「このクソがあ!」
エルンストは再び短剣を握りしめ、オスカーの腕に向かって振り下ろす。
オスカーは剣先が腕に触れるその前に、振り下ろされた腕を掴んだ。
あまりに血を流し続け、上手く力が入らない。
もしも自分が死んで、エルンストが玉座に収まったら、国は、この王宮はどうなる。
その時、オスカーの脳裏に、一人の人物が浮かんだ。
(レベッカ)
何故か、オスカーはレベッカと共に過ごした視察の日々を、鮮明に思い出していた。
(レベッカ……。どうか、王宮には戻らないでくれ……)
薄れゆく意識の中で、オスカーはただ一つ、それだけを願った。
「やめてエルンストお兄様‼︎」
部屋の入り口に立つ、二つの人影。
まさか、まだここにいるはずのない人物の声。
きっとこれは幻聴だ。
そう思った刹那、オスカーの意識は暗闇に落ちていった。




