第三十話 闇夜の告解
もし先生のせいで、多くの人が亡くなったのだとしたら。
その問いかけに、私は答えることができず、ただ口を噤んだ。
「愚問ですね。当たり前です。誰もこんな人間だと分かって親しくしようなどという人はいない」
「ま、待ってください。一体先生は何のことをおっしゃっているのですか?」
私は慌てて先生の言葉に割り込む。
先生があまりに痛々しすぎて、放っておいたら、このまま消えてなくなってしまいそうだ。
「私には、一生をかけても償いきれない罪があるんです」
先生は私から少し離れた場所に立ったまま、そう口にした。
その表情は窺い知れない。
けれど、きっと苦しい顔をしているのだろう。
「かつてノイアンファングで活動していた頃、私と義姉は、第三王子との連携を取りながら、組織の中で実働部隊として動いていました――」
過去の出来事を一つ一つ思い出すように、先生は語った。
当時、ヨゼフィーネは王宮に侍女として入り込み、先生はそのノイアンファングの勢力として活動していた。
元々エルンストお兄様をお飾りとして据えようと考えたのは、先生のお兄様であるレベル伯爵の発案だったそうだ。
レベル伯爵は二人からの情報を集約して、今後の動きを決める参謀の役割をしていたと先生は語った。
『義姉さん。あまり第三王子に近付かない方がいいですよ。兄さんも心配していました。あくまで奴はニクラス様が空けた玉座に飾るだけ。忘れないでください』
『分かってるわよ。第三王子も現政権を倒すことには同意してる。こちらが上手く手綱を握っていれば問題ないわ』
王都の小さなカフェで、先生とヨゼフィーネは定例の情報交換をしていた。
義姉弟という関係を利用して、二人は時折そうして人目を気にすることなく、情報交換のため落ち合っていたそうだ。
その頃はまだヨゼフィーネもエルンストお兄様に心酔していた訳でなく、先生やレベル伯爵と同じ考えを持っていた。少なくとも、この時の先生はそう思っていたという。
『それよりも、今ノイアンファングの活動はどうなっているの? 薬の普及状態は?』
『かなり安定的に薬の生産ができるようになったおかげで、地方にも薬が運べるよになりました。徐々に患者も徐々に減ってきています』
『そう……。本当に良かったわ。一安心ね。シュトルツ伯爵令息はどう?』
『思いがけず、求心力が高いです。王家によって退けられた元騎士団長の息子というのは、かなり話題性が高いらしい』
シュトルツ伯爵令息、つまりオスカーが、王宮を去った後どうしていたのか。
先生の話を聞いて、初めて知った。
昔は療養の為に国を離れたと聞いていたけれど、実際には、病を理由地方に追いやられていたのだと。
王宮に、王都に病を撒き散らさぬように。
そして地方で病への対応をしていたニクラスと出会い、やっと薬を手に入れて、病に打ち勝ったのだという。
お父様への失望と、オスカーへの罪悪感で眩暈がする。
『彼には騎士としての経験があるからか、組織的な戦闘力が向上したことは間違いありませんね』
先生は冷静にオスカーへの評価を語ったそうだ。
ニクラスは平民出身の医師。民を救いたいという崇高な意思と行動力で人気はあったけれど、革命を起こすとなれば門外漢であることは否めない。そこに、革命組織としての確かな実力を補ったのが、オスカーだったという訳だ。
『伯爵令息が加わったことで、地方の貴族の中にはノイアンファングに賛同し始めた者も増えてきました』
『そう。彼も案外とやるのね。王宮でぬくぬく育ってきた伯爵令息如きと思ったら』
そう、ヨゼフィーネは苦々しく吐き捨てたのだそうだ。
ヨゼフィーネや先生も、オスカーと同じ伯爵位の人間だ。けれどいくら爵位が同等でも、地位が同等とは限らない。
レベル伯爵家は王宮と距離を置いて久しく、その扱いには雲泥の差があったという。
レベル伯爵家の人々は、お父様の前の世代から旧王家の治世に疑問を持っていたのだそうだ。
確かに、王女時代にレベル伯爵家の名前を聞いたことはないなと思い至る。
そんな彼らにとって、王家の膝下で甘い蜜を吸っていたシュトルツ伯爵家のことなど、唾棄すべき存在だと思っていた節がある。
『ありがとう。状況はよく分かったわ。次回は二週間後、またここで』
『義姉さん、くれぐれも気を付けてださいね』
『あなたも気を付けてね。ライナー』
お互いにそう言って、先生とヨゼフィーネは別れた。
まさか、この時に交わした言葉が原因で、まさかあんな事態を引き起こすことになろうとは、先生は思いもしなかったのだという。
『なんで奴らがここに‼︎』
『ニクラス様! ニクラス様ご無事ですか‼︎』
ノイアンファングがアイテルにある武器庫を襲った時。
どういう訳か、ノイアンファングが押し入った先には王宮の騎士たちが武装して待ち伏せていたのだそうだ。
まるで彼らがそこに来るのを分かっていたかのような周到さだったという。
これまでにないほど激しい戦いが繰り広げられ、最終的に、騎士たちは爆薬に火をつけた。
今から考えると、ノイアンファングを効率よく爆破するために、上手く誘導されていたのではないかと、先生は語った。
数多の死体が転がる中、ニクラスも、顔に大きな火傷を負った。
あの前髪の下の火傷の痕は、その時にできたものだったのだ。
『撤退だ! 早く‼︎ 行くぞニクラス!』
その場を取り仕切ったのは、ニクラスでも、先生でもなく、オスカーだった。
オスカーは表情を変えることなく、さっとニクラスの肩を支えて動き出したという。
誰よりも迅速に、かつ確実に、オスカーはノイアンファングを動かした。
その時、先生は思い知ったのだという。
自分が如何に傲慢で、間違ったことをしていたのか。オスカーへの偏見が、目を曇らせていたのだと。
あの混乱した戦場で、先生は初めて、オスカーが主導者になるべきだと、そう実感したのだという。
「あのアイテルでの戦闘は、第三王子が手引きしたものだということが分かりました。彼には作戦の一部を伝えていましたから。それを逆手にとって、情報を王に密告したのです」
「何故ですか? どうして第三王子はそんなことを⁉︎」
「オスカー陛下が、自分の玉座を奪う存在だと認識したからです」
悲痛な声で、先生は言葉を切った。
月が雲で隠れ、深い闇が訪れる。
私は先生を探すように、じっと暗闇を見つめた。
「オスカー陛下が加わったことで、地方貴族たちの賛同が集まっていると私が話したことが原因です。地方貴族の賛同とオスカー陛下の存在を結びつけて話すべきではなかった。しかもあの時、既に義姉は第三王子に心酔していたんです。それに私は気づかなかった。全て私の失態です。私の発言が、第三王子を刺激してしまったのです」
エルンストお兄様としては、自分が座る席がなくなるのではないかと不安に思ったのかもしれない。
だからと言って、お兄様に力を貸していた先生もその場に居たのに……。
お兄様にとって、先生は使い捨ての駒としか思っていなかったのだろうか。
記憶の中にあるエルンストお兄様の笑顔が、ひび割れていく。
私が見ていたものは、偽りばかりだ。
「あの事件以来、私は第三王子から離れることを決めました。兄も同じです。あの場に兄は居ませんでしたが、自分の発案が間違っていたと心から悔やんでいました。これまで私たちがしていたことを、ニクラス様やオスカー陛下にも伝え、自らノイアンファングを去ったのです」
それ以来、ノイアンファングとしての活動からは遠ざかったものの、掴んでいた王宮の情報を全てオスカーたちに渡し、資金的な援助も惜しまなかったという。
ニクラスやオスカーからすれば、先生たちのしたことは裏切りでしかないだろう。けれど今尚伯爵位を持ったままということは、その後の援助に対する功績故なのかもしれない。
「今回の襲撃の件も、先生は情報を掴んでいたんですよね。その情報は、オスカー陛下に伝えなかったのですか?」
「もちろん伝えていました。ただ、第三王子の遺体は多くの人間が確認していますし、彼が生きていることなどとても信じられませんでした。義姉から連絡を受け取った私も、義姉の妄言かと思っていたくらいです」
「でも今は、確信しているんですね」
「ええ。実際に、生きている第三王子をこの目で見ましたから」
実際に、見た。
本当に、エルンストお兄様は生きていたのだ。
「第三王子は多くの軍団を連れて、王宮を襲っています。軍団は、旧王家時代に栄えていた貴族たちの残党でしょう。私は第三王子が如何に残忍か知っている。だからせめて、あなたのことは助けたいんです」
雲が流れ、月が再び空に姿を表した。
ゆっくりと、先生の顔が浮かび上がる。
その顔には、懇願と不安が綯い交ぜになっていた。
「……ごめんなさい。やはり私は、王宮に行きます」
「レベッカさん! どうして!」
「先生、私は自分の責任を全うしなければいけないんです」
「責任……?」
ユーバーヴィンデン家の家族の顔が浮かぶ。
ごめんなさい。
けれどここで、決意しなければいけないの。
「私は何も知らなかった。自分が命を繋いだ時に、そんなにたくさんの命がなくなっていたことも、多くの人が苦しんでいたことも、何も知らなかった。王家が薬を独占したのは、きっと私のせい。私が流行病に罹ったからだわ。私の責任なんです。エルンストお兄様がそんな野望を抱いていたとしても、もしかしたら私の話なら聞いてくれるかもしれない。だって、エルンストお兄様と私は、家族だから」
「どういうことですか……?」
「私はパトリツィア。パトリツィア・レーベン。旧王家の、最後の王女なんです」
はっきりと、先生に届くように、真っ直ぐ言い切った。
「一体何を……?」
「聞いてください。私の秘密。私の過去を」
私はこれまでのことを、先生に語った。
包み隠さず、全て。
先生を説得するには、それしかないと思ったから。
「では……あなたは本当に最後の王女……?」
「ええ。体はレベッカのものですが、魂はまさしく、パトリツィアなのです。……信じていただけますか?」
先生は目を見開き、信じられないとばかりに言葉を失っている。
果たして信じてくれるだろうか。
もしも自分が先生の立場だったら、信じられるか分からない。
こんな状況で変な嘘をつくなと怒りさえ覚えるかもしれない。
ぎゅっとカップを握りしめ、先生の言葉を待つ。
長い沈黙が、二人の間に横たわった。
「信じます。あなたは、そんな嘘をつく人じゃない」
沈黙の後、先生ははっきりとそう言った。
私は思わず、涙が出そうになる。
「ありがとうございます、先生」
胸の支えがすっと消えたような、そんな感覚を覚える。
少し心が軽くなる。秘密を抱えるのは、決して楽なことではないんだ。
「でしたら、分かってください。私はエルンストお兄様と話さなきゃいけない。王女として、お兄様を止めなければ」
私の言葉をじっと聞いていた先生は、眉間に皺を寄せ、ぎゅっと何かを堪えるような表情をした。
月にちらちらと雲がかかり、先生の顔に影がちらつく。
不思議と風が凪いで、森の中だというのに、しんとした沈黙が落ちた。
やがて、先生はゆっくりと立ち上がると、私に手を差し伸べる。
「行きましょう。王宮に」
先生は苦しい表情のまま、笑顔を見せる。
「……はい!」
私はついに瞳から涙をこぼし、大きな声で答えたのだった。




