第二十七話 蘇る名前
ヴァールハイト先生に習った「青天の霹靂」という言葉を思い出す。
何が起きたのか分からず、誰も何も言わず、しんとした沈黙が食堂の床に落ちた。
刹那、皆一様にがたりと席を立ち上がり、口々に叫び声に似た言葉を発し始める。
「いったい何故⁉︎ 誰がそんなことを⁉︎」
「他国からの襲撃⁉︎ それとも旧王家の残党が残っていたの⁉︎」
食堂はたちまち大混乱に陥り、蜂の巣を突いたような騒ぎだ。
喧騒の中、私は一人、いつかの先生の言葉を思い出していた。
『王宮での仕事、早急に辞めてください』
『それがあなたの為なんです』
先生が言っていたのは、まさかこのことだったのだろうか。
しかしあの時、先生はまだすぐにではないとも言っていたはずなのに。
「王宮を襲ったのは、旧王家の第三王子、エルンスト・リーベンを名乗る男が率いる旧政権派の一派だと、報告が上がっている」
騎士の一言に、また食堂はしんと静まりかえる。
そして誰ともなく、信じられない、という言葉が溢れた。
「旧王家は皆既に死んだはずでしょう⁉︎」
「そうよ! 確かに城門に掲げられた奴らの首を見たんだから!」
「地獄から舞い戻って来たとでもいうの⁉︎」
囂々と声を上げる使用人たちの中で、私は一人、目を見開いて拳を振るわせていた。
(お兄様が……エルンストお兄様が生きていた……? でも、確かにあの時、お兄様の遺体を見たはずなのに……)
アルノー様に祀の島で見せられた、あの悍ましい光景。
確かに、エルンストお兄様の首が、胴体の横に転がっているのを見た、はずだ。
「本物の第三王子かどうかは今は重要ではない。現在はニクラス様と王宮に残された騎士たちで城門の前で応戦している状態だ。陛下と騎士たちの多くは、既に王宮に向かった。我々も急ぎ戻るぞ!」
騎士は一声大きく叫ぶと、さっと身を翻して、食堂を去っていった。
残された使用人たちも、一呼吸置いて大慌てで食堂を飛び出していく。
私は床に足を縫い付けられたように、その場から動けないでいた。
カイに無理やり床から引き剥がされるようにして、やっとの思いで他の使用人たち同様動き始めた私は、ただ腕と足を動かすだけの物体と化していた。
エルンストお兄様が生きていた。
本当にエルンストお兄様なのか。
王宮が襲われた。
王宮に残った者たちは……ラウラは無事なのだろうか。
王都の様子はどうなっている?
パパやママ、ウルリヒは無事なの?
様々な感情が胸を渦巻いて、どうしていいのか分からない。
ただ流れに身を任せて荷物を馬車に積み込んでいると、俄かに使用人たちが騒がしくなる。
どうしたのかと騒がしい方に目を向けると、そこには、見知った顔があった。
「先生⁉︎」
「レベッカさん! 良かったまだいらっしゃいましたか!」
馬を器用に操り駆け寄ってくるヴァールハイト先生は、いつものきちんとした清潔感のある様子ではなかった。
髪や服は乱れ、目の下には隈ができている。
その様子から、何日も休まずにここまでやって来たのだということが伺えた。
先生は目の前でさっと馬を降りると、私の腕を握り、他の使用人たちの目に留まらない場所まで引っ張っていく。
思いがけず強い力で掴まれ、自然とうっと声が漏れた。
先生はハッとしたように慌てて腕を離し、「すみません」と小さく謝罪の言葉を口にした。
「一体どうしたんですか先生。どうしてこんな所に?」
「あなたは王宮に戻ってはいけない。私と今すぐ、一緒にヴィダアウフに向かいましょう」
「ヴィダアルフ……北の港ですか? 一体なぜ?」
「逃げるんですよ! この国から!」
聞いた事のないほどの力強い声で、はっきりと先生は言った。
私は意表を突かれてしまって、ぽかんと口を開けた、ただ先生のラベンダー色の瞳を見返していた。
「な、なぜですか? 以前にも言ったはずです。他の皆も危険な中戻ろうとしているのに、私だけ逃げるなんてできない」
「状況が変わったんです! あなたの命が危ないんだ!」
私の肩を掴み必死に訴える先生は、まるで泣きそうな表情だった。
「私の命が? 一体どういうことですか! 訳がわからない……説明してください!」
私は先生に食い下がった。
もう先ほどから何が何だか分からなくて、混乱しすぎて意味もなく瞳が潤む。
「すみません。焦っていたものですから……」
先生はそう言って、眼鏡をずらして右手で瞼を揉む仕草をしてから、小さく息を吐き出した。
「王宮が武装した軍団に襲われたのは知っていますね。私は以前からこうなることを予想していました。あなたが王宮を離れているなら、むしろ安全だと思いましたが……良からぬ情報を掴み、真っ先にあなたの元に向かったのです」
「良からぬ情報……ですか? それは、私に関する……?」
私の言葉に、先生は神妙な顔でゆっくりと頷く。
「……敵対勢力が、あなたを捕らえようとしているのです。あなたが、陛下の弱点だから」
「私が? どうして?」
そう聞き返したところで、はたと気付く。
使用人たちが、私が王妃の座に座るのではないかと噂していたことを。
王宮にいた時から、そんな噂が出たことがあった。
この視察ほどではないけれど、どうにもオスカーは私を特別扱いしてきたから。
視察に出発する前か後か、どの段階でその噂が敵の耳に入ったのかは分からないけれど、確かにそんな風に思われてもおかしくはなかった。
「この場所は敵にバレている。だから今すぐここを離れる必要があります」
先生は確信的に断言する。
まるで……敵側の情報を全て知っているみたいに。
「……先生、今度こそ教えてください。先生は何者なんですか?」
先生はオスカーたち旧王家に対抗していたノイアンファングのマスクを持ち、しかしオスカーたちも掴んでいなかっただろう王宮襲撃の情報を掴んでいた。
しかも今回は、私の身に危険が迫っていることを知っている。
先生は一体、何者なのか。
「……そうですね。ここまで来て、黙っている訳にもいきません」
しばらくの沈黙の後、先生は意を決したように口を開いた。
今でも逡巡している様子が窺えるが、それでも、先生は私の目をまっすぐに見つめた。
「私は元々、オスカー陛下が活動に参加する前から、ニクラス様の元で一緒にノイアンファングとして活動していた一人です」
そこで先生は言葉を切る。
予想していた通りだ。あのマスクを先生の家で見つけた時から、当然予想していたことではある。
しかし、先生はその後、ふっと視線を外した。
何か、言いにくいことが喉につかえているような顔をして。
「同時に、私はもう一つの組織に属していました。第三王子である、エルンスト・リーベンの派閥です」
先生の言葉に、私は驚愕して固まった。
また肺炎疑いで発熱しているので、ぼちぼちですが、なるべく早く次の話をアップするつもりです。




