第二十八話 真相の片鱗
「元々、ノイアンファングはニクラス様が作った組織でした。ニクラス様は優秀な医者で、流行病の薬を開発し、誰よりも先に旧王家を批判していた人物でもあります」
馬の背に揺られながら、先生はぽつぽつと話し始めた。
先ほどまで作業をしていたヴィダアウフの領主の屋敷は、とうに見えなくなっている。
話せば長くなる、とにかく時間がないからと、先生はほぼ強制的に私を馬に乗せた。
どこに行くんだと叫ぶカイに、「先に行くわ!」とだけ伝え、先生に抱き抱えられるようにして森を馬で駆けだしたのは、つい五分前のこと。
先生が向かっているヴィダアウフは、このナッハリヒトから北東に進んだ場所だ。
途中で目的地を王都に変えても、そう遠回りではないだろう。
これからどこへ向かうべきかも、今はまだ判断できない。
私は先生の話に、黙って耳を傾けた。
「ニクラス様はノイアンファングの絶対的リーダーでした。しかしもっと象徴的なリーダーが必要だと、ニクラス様は考えられた。だからオスカー陛下をノイアンファングに引き入れたのです」
そうか。
オスカーは最初からノイアンファングとして活動していた訳でないのか。
それなら、王宮での彼の様子に不信な点がなかったことも納得できる。
オスカーは王宮の中枢に居たと言っても過言ではない。
なにせ父親は騎士団長だったフリッツで、オスカー自身もいずれは父の座を継ぐのだろうと言われるほどだった。
けれど薬を王家に独占されたせいで、自身の体が不自由になってしまった。
それだけではない。フリッツも流行病に倒れ、帰らぬ人になったのだと、この視察で初めてオスカーから聞いた。
オスカーは想像以上に、王家に対し深い恨みを募らせているはずだ。
名門伯爵家の出身で、身分申し分ない。
これ以上、クーデターにうってつけの人物像はなかったのだろう。
「ニクラス様の判断は分かります。ですが、私は納得がいかなかった」
そう言って、先生は言葉を切った。
その声には、何か苦いものを噛んだような色が滲んでいる。
「リーダーはニクラス様であるべきだ。しかしどうしても象徴が必要なのなら、もっと傀儡になる者の方がいいと考えました」
「それで選んだのが……第三王子……?」
「私が選んだというと語弊があります。第三王子は元々自身が玉座に座ろうという野心がありましたから。彼の計画を、我々が利用したというのが正しい」
エルンストお兄様が、玉座を狙っていた?
王太子だったクラウスお兄様のことを、出し抜こうとしていたということ……?
エルンストお兄様とは、確かに一時期険悪だったけれど、最終的にはとてもいい関係だった。
方法は悪くても、私のために薬を確保してくれたのは間違いない。
家族のことをとても愛していたはずだ。
エルンストお兄様はクラウスお兄様に憧れているようだったし、素直ではないけれど優しかった。
そんな素振りは、一切なかったはずなのに……。
「本当に、エルンストおに……第三王子が、そんなことを? 先生は実際に第三王子に会ったことがあるんですか?」
「ええ、もちろんありますよ。レベッカさんは、どうして第三王子がそんなことをするはずがないと思うのです?」
「それは……夢で、第三王子のことを見たことがあって……。王女に対して、とても優しい人だったから……」
混乱した頭でどうにか言い訳を捻り出す。
背中に、先生が小さく何度か頷いたのを感じる。
顔が見えないから余計に、そんな小さな反応にびくりとしてしまう。
「なるほど。確かに第三王子は王女のことを特別に思っていたようですからね。彼女に薬を投与するよう言い付けたのも、第三王子でしたから」
「えっ待ってください。第三王子が言い付けた?」
「ええ。実は私は王女に会ったことがあるんです。第三王子の求めに応じて、彼女に薬を投与したのは私ですから」
「まさか‼︎」
私は思わず振り向いて、大きな声で叫んだ。
熱に浮かされて苦しんだあの時に見た、ノイアンファングの象徴だというあのマスクを被った人影。
あれが、エルンストお兄様でなく、先生だったということ⁉︎
「いくら王女のことが心配でも、流行病に罹っている者に王子が直接接するのには危険がありましたから。私はそれが王宮に入り込む好機だと捉え、快諾したのです。もしかすると、薬の製造方法を持ち出せるかもしれないと考えたのもあります」
結局薬の製造方法は持ち出せなかったものの、薬をいくつか持ち出すことには成功し、ニクラスがそれを解析して新たな薬を製造したのだと、先生は語った。
しかしそんな話は、左から右に流れて頭に入ってこない。
衝撃的な情報の連続に、どうしても頭がついていかない。
お兄様は確かに、自分が薬を飲ませたと言っていたのに……。何故そんな嘘をついたの?
先生を王宮に引き入れたのが露見するのを恐れたから?
エルンストお兄様が野心を抱いていたという事実も、先生が二重スパイのように活動していたという事も、あの時薬を飲ませてくれたマスクの人物が先生だったのだということも、何一つ理解できない。
そうだ。
それに、先ほど引っかかった言葉があったんだった。
「先生。先ほど『我々』という言葉を使いましたよね。『我々』というのは、一体誰の事なんですか?」
「私の兄と、兄の妻……つまり義姉のことです。途中で、私と兄は第三王子は傀儡だとしても玉座に就くべき人物ではないと判断し、距離を置くことにしました。しかし義姉は……どうやら、第三王子に取り込まれてしまったようで……」
そうだ。
先生のお義姉様は、王宮の侍女だったと聞いた。
あの頃は今と違って、たくさんの侍女が王宮に居た。
一体、誰のことなのか。
「そのお義姉様は、第三王子付きの侍女だったのですか?」
「いえ。義姉は王女付きの侍女でした。王女は王宮から出ることがありませんでしたから、王女の代わりに王宮の内外が行き来できたために、活動がしやすかったようです」
私の、侍女……?
私の侍女はそう多くない。
他の家族は複数侍女が居たけれど、王宮から出ない私には、いつも一人だけだったから。
私が生贄に決まった頃の侍女といえば……。
「もしかして、ヨゼフィーネという侍女ですか……?」
「おや、やはり義姉のことも夢に出てきましたか。そうです。義姉の名はヨゼフィーネ・レベル……レベル伯爵夫人です」
まさか、なんで、という言葉が喉につかえて、息ができないような錯覚を覚える。
蹄の音が妙に遠くに聞こえた。
流行病で亡くなったヘレナの代わりに私の侍女となり、祀の島に行く当日まで、私を支えてくれたヨゼフィーネ。
無口で得体の知れないところはあったけれど、いつも私の言うことをよく聞いてくれた。
そういえばオスカーの代わりに護衛になったイザークが、ヨゼフィーネのことを『レベル伯爵夫人』と呼んでいたことがある気がする。
ヨゼフィーネが、ヴァールハイト先生のお義姉様。
ノイアンファングの一員でありながら、エルンストお兄様に与していた人物……。
「私も兄も、もう第三王子から離れるよう再三言い続けていたのですが……あの革命の日を最後に、義姉の行方は分からなくなっていました。当然、戦乱の最中に命を落としたものと思っていたのです。ですがちょうど、レベッカさんがフリーデンを出て王都へ向かう直前、義姉から連絡があったのです」
「ヨゼフィーネから⁉︎ ヨゼフィーネが生きていたの⁉︎」
私は反射的に振り向いて、バランスを崩して馬の背から落ちそうになる。
慌てて先生は馬の手綱を引き、私を支えた。
「大丈夫ですか⁉︎」
「も、申し訳ありません。あまりに驚いて……」
何事もないと振り向いて見せると、先生はほっと息を吐き出す。
指先が震えるのは、落馬しそうになった恐怖だけが理由だろうか。
この先の話を聞くのが怖い。
でも聞かなければいけない。
目をぎゅっと瞑って、浅く呼吸を繰り返す。
「無理もありません。少し、ゆっくりと進みましょう」
そう言って先生は、先ほどよりもずっとゆっくりとしたペースで馬を走らせ始める。
しばし、蹄の音だけが聞こえていた。
「義姉からの連絡は、私たちにとっても衝撃でした。エルンスト第三王子はまだ諦めておらず、玉座を奪い返すつもりだ。だから力を貸してほしい、と。もちろん、私も兄も断りましたが」
「えっ……待ってください。じゃあ今王宮を襲っているのは……」
「そうです。本物の第三王子ですよ」
エルンストお兄様が、本当に生きていた。
そういうことだ。
最初騎士から話を聞いた時には、半信半疑だった。
けれど、きっと先生は嘘をついていない。
じゃああの時アルノー様に見せられたお兄様の首と胴体は何だったのだろう?
……そういえば、エルンストお兄様の顔をはっきり見ただろうか?
頭の数は間違いなく合っていた。けれど……エルンストお兄様の頭は向こうを向いていて、はっきり見えなかったのではないだろうか。
エルンストお兄様が、生きている。
喜ぶべきか怒るべきか。
先生から話を聞いた今、どういう表情をすればいいのか、分からなかった。
「エルンストお兄様が、王宮を襲撃……」
想像してみる。
あのエルンストお兄様が、群勢を率いて王宮に乗り込む所を。
王宮の皆を捕えるだろうか。それとも斬ってしまうだろうか。
もしもお兄様がニクラス様やマヌエラ、それにラウラを殺してしまったら、私はどうすればいい?
もしも王都にも被害があって、パパやママ、ウルリヒに何かあったら?
もうこれ以上、愛する人が愛する人を傷付ける所など、見たくはない。
「行かなくちゃ」
私が行くことで、何ができるかは分からない。
でも私なら、エルンストお兄様を止めることができるかもしれない。
「先生、やっぱり私王都に戻ります」
「いけません! 言ったじゃないですか! 第三王子の玉座に対する執念は凄まじいものです! あなたが危険なんです!」
「いいえ。ここで私が逃げてはいけないんです」
手綱を握る先生の手に掌を重ねて振り返る。
そして眼鏡の奥の、ラベンダー色の瞳を見つめた。
「それが、王女パトリツィアの意思です」
私の決意が伝わるように、はっきりと口にした。




