第二十五話 崩れゆく
馬車を降り、私の目に飛び込んできたのは、見窄らしい服を着て、深く頭を垂れる群衆だった。
十人二十人ではない。この町の全ての人が集ったのではないかと思えるほど、遠くまで人で埋めつくされている。
思わず周囲を見回す。
ここは町の中央広場か何かのようだった。
木造二階建ての古い建物が、馬車が何十台か停まれそうな広い空間の周りを囲んでいる。
四方に道が伸びていて、ちょうど私の正面。人々の頭越しに、海が見えた。
ここは港町シェリム。
視察の行程表を頭の中で広げ、その名を思い出した。
「出迎えに感謝する」
後ろから低い声が聞こえ、振り返ると、オスカーは馬車から降りてきた所だった。
私は慌てて横にずれ、道を譲る。
堂々と、威厳すら感じさせるほどの風格で広場に降り立ったオスカーは、先ほどまで頭を抱えていた人物と同じだとは欠片も思えない。
まさしく、彼は国王だ。そう感じた。
「敬愛なる国王陛下。我がシェリムに、ようこそお越しいただきました。恐悦至極に存じます」
群衆の先頭に立つ、身なりのいい男がそう言った。
アッシュグレイの髪には白いものが混じり、ヘーゼル色のスリーピースにサーモンピンクのクラバットを身につけている。
妙に気障な装いで、明らかに後ろの群衆とは身分が違うように見える。
「ご苦労だったなザニールング男爵」
出発前、頭に叩き込んだ主要人物リストを思い出す。
確か、ここシェリムの領主だ。
オスカーが玉座に座ってから懇意にしている新政権派の筆頭、だったはず。
オスカーとの会話に気を取られ、視察のことがすっかり頭から抜けていた。
国王直々の視察だ。国民たちがこうして待っていることくらい、ゆうに想像できたはずなのに。
自身の狭量さを自嘲して、今は目の前の仕事に徹するべきだと、気持ちを切り替える。
オスカーとザニールング男爵は対峙して挨拶を交わしていた。
できるだけ端に避け、私は周りの町民たちを見やった。
誰もが何も口にしない。
ただじっと、オスカーと男爵の姿を見つめている。
しかしその顔には不思議な熱量があって、瞳が輝くかのようだった。
国民たちが、これほどまでにオスカーを受け入れているとは思わなかった。
無謀なクーデターを引き起こし、国中を混乱させた張本人なのに、どうしてここまで歓迎されているのだろう。
いや、歓迎されているとも違う。
まさしく自分たちを救った、英雄を崇めるような空気だ。
「では陛下、ご案内いたします。」
ザニールング男爵の言葉にハッと我に返った。
男爵と共に歩き出すオスカーを、慌てて追いかける。
行き先を示すように差し出す男爵の右手には、親指と人差し指しか存在していなかった。
「陛下のご支援のおかげで、何とか復興が進んでいます。ですが、まだ翳りは多いですね」
「浮浪者の数はかなり減ったと報告を受けたが、実際のところ就業率は上がったか」
「徐々にではありますが回復しております。ただ、流行病の後遺症で仕事に就くことが難しい者もおり、簡単にはいきません」
オスカーと男爵が淡々と話す言葉を左から右に流しながら、私は再び目の前の光景に衝撃を受けていた。
町の様子が、あまりにも荒れていたから。
ただ「荒れている」と言うと、それが正しいのか分からない。
人々の服装が見窄らしいのは以前見たウンターヴェークスの時と変わりはない。
しかしあまりにも、痛々しい姿の者が多すぎる。
病的に頬が痩けている者、両目を失明しているらしき者、片足を失った者……。
戦争でもしている最中なのかと思えるほどの悲惨な様相だ。
それでも悲痛さを感じさせない町民たちの様子が、既にこの生活を受け入れているように思えた。
「寄港率はどれくらいまで上がっている?」
「最低を記録した五年前の約二倍までは戻ってきております。ただ、全盛期から比べればまだ四割にも満たない状況ですが……」
「海賊討伐は上手く行ったと聞いているが。思ったよりも増えていないな」
「シェリムのようなハブ港は、この五年でほとんどアイテルに船を取られてしまっております。あそこは、設備は素晴らしいですし」
滔々と続く二人の会話が、ようやく頭に入ってくる。
そしてアイテルという名前に、奥底に沈んでいた昔の記憶が呼び起こされた。
確か……ディーディリヒお兄様が力を入れて建設を進めた新港のはずだ。
具体的にはよく理解できなかったけれど、あの頃はよくその名前を聞いていた。
お父様も、ディーディリヒお兄様のことを誇らしいと誉めていたと記憶している。
「アイテルか……。あれこそ王都一極集中の最たるものだったな」
苦々しく顔を顰めるオスカーを見れば、それがいい意味ではないことは分かる。
けれど、実際に意図しているところは分からなかった。
「ですがアイテルが栄えたのは、旧王家の過剰な支援のおかげです。他の港と不均衡な税の優遇や騎士の配置がなくなった今、アイテルにはそれほど魅力がないでしょう。やがて船は完全に戻ってくると思われます」
過剰な支援……?
ディーディリヒお兄様が開発した港だから、他の港より優先したということなの?
そんなことをしたら、他の港がどうなるかくらい、予想できそうなものなのに。
「必要な支援があれば全て上げてくれ。シェリムだけを優遇するわけにはいかないが、善処する」
「有難き光栄にございます」
ザニールング男爵は深々と頭を下げ、オスカーは鷹揚に首を縦に振った。
その後も町を見て回った。
どこもかしこも貧しさと痛みに耐えた後の痛々しさが拭えず、私は徐々に気分が暗くなってきてしまった。
今日はザニールング男爵の屋敷で一晩を過ごすことになっている。
そろそろ屋敷へ向かおうといったその時に、静かにオスカーを眺めていた群衆の中から、突如女性の声が上がった。
「こらっ! 待ちなさい行っては駄目よ!」
声の主は母親のようで、彼女の視線の先には、小さな少年が居た。
五歳くらいだろうか。まるで小ぶりのベルが茎に沿って連なったような、真っ白な花を両手で抱えている。
彼はパタパタとオスカーに近寄ったかと思うと、その花をオスカーに差し出した。
「へいか、この町をたすけてくれてありがとう」
警戒した騎士がその花を横から取ろうとしたのを制し、オスカーは少年と視線を合わせるようにしゃがみ込んで、その花をしっかりと受け取った。
「ありがとう。カンパニュラだな。綺麗だ」
少年は顔を輝かせてこくんと頷くと、またパタパタと母親の元に戻っていった。
何度も頭を下げ恐縮している母親に、誇らしげな顔で「へいかが受け取ってくれたよ!」と言っている。
オスカーは花を見つめふっと微笑むと、花を抱えたまま馬車へと向かう。
ぼおっとしていた私は、慌ててオスカーを追いかけた。
「陛下。先ほどのアイテルの話……あれは、どういうことなのでしょう」
馬車が出発してすぐ、私はオスカーに尋ねた。
無知であることに羞恥を覚え、顔に熱が集まるのを感じる。
「アイテルは、旧王家の第二王子が開発した港だ。大陸と東海を繋ぐ重要な中継港だが、本来であれば、ここシェリムや北のヴィダアウフの港がその役割を担っていた。だがここ十年ほどは沖合での海賊被害に悩まされていてな。それを、旧王家は海賊対策を行うのではなく、既存の港を切り捨てて王都に程近い港で完結させようとしたんだ」
「えっそれはつまり……王家がシェリムを見捨てたということですか……?」
自分で口にしながら、とてもではないが信じられない。
あのお父様が、ディーディリヒお兄様が、どうしてそんなことを……?
「理解できません。何故海賊対策の方をしなかったのですか? わざわざ見捨てることはないのに……」
「それを機に、王家に有利な港を作ろうとしたのだろう。この国にとって港は要だ。王家の意向を容易に施策に反映できる港が存在するということは、かなり大きな意味があっただろう。既存港はどこも港湾労働者組合が確立している。組合のことは、王家であっても無下にできない」
私はヴァールハイト先生の授業を思い出す。
確かにこの国では港がとても重要なのだと習った。故に港の組合が、大きな力を持っているとも。
「で、でも、それならアイテルを作る前に他の組合から反対の声が上がったのではないですか? その声を無視して港の建設なんてできるのでしょうか」
分からないなりに、必死に頭を働かせて考える。
組合を無視できないのなら、港の建設に対する反発も相当あったと考えるのが妥当だ。
けれどどうしてそれが可能になったのだろう。
「アイテルは普通の商港と違う。半分は騎士団の海軍部の拠点としての意味合いがあるからな。そうした軍港としての側面が、王家の積極的な介入に理屈を与えていた訳だ。とはいえ、一切何の反発もなかった訳ではない。至る所で反対運動が起きかけたんだが、結果として、どれも不完全燃焼で終わることになった」
「……もしかして、流行病のせいですか?」
あのアイテルの名前を王宮で聞いていた時期に、私は病に倒れた。
きっと流行病が流行った時期も、その頃に違いない。
町の人々が痛々しい姿である理由も、きっと流行病のせいなのだろう。
あの流行病は、オスカーのように視力を失ったり、四肢が壊死してしまうという恐ろしい後遺症があるのだと聞いた。
もしかするとザニールング男爵の指の欠損も、そのせいなのかもしれない。
そう考えれば、王家への反対運動どころではなくなってしまったと考えても、おかしくはなかった。
「そのとおりだ。よく勉強しているな」
オスカーはふっと笑い、まるで親が子を褒めるような穏やかな表情をした。
先ほどまでの居心地の悪さは、どこかに消えてしまっている。
オスカーも何も聞いてこない。
私は内心、ほっと息を吐き出した。
「特にこのシェリムは、ザニールング男爵の前領主がかなり厄介な人物でな。民たちを自身の利益を生み出す家畜としか考えていないような男だった。領主が代わっただけでも、シェリムは大きく変われるだろう」
「そんな者を、どうして前王は放置していたのでしょう……。王家には上手く隠していたのでしょうか」
「いや、前王も把握していたはずだ」
即座に否定するオスカーの言葉に、反射的に腰を浮かす。
しかし馬車の動きに合わせて、またすとんと腰を下ろした。
「それは……どうしてですか?」
「前領主は旧王家の熱心な支持者であったし、王子たちも何度も視察に来ていたはずだ。王が知らなかったと考えるのは、些か善解がすぎる」
うすうす感じてはいた。
王宮で聞いていた時のように、お父様は素晴らしい賢王なんかではないということ。
けれど、そんな人道に反するようなことを許容していただなんて。
本当に……本当にお父様は、そんなことをする人間だったのだろうか。
記憶をいくら呼び返しても、優しい笑顔のお父様しか思い浮かばなくて。
後から知らされた様々な事実が、どうしてもお父様と結びつかない。
私の様子がおかしいことに気がついてか、オスカーはそれから口を閉ざした。
ガラガラと車輪の音が響く。
その音は、まるで私の心がひび割れていく音のようだった。
いつも遅くてすみません




