第二十話 指先でなぞる輪郭
「まさか……本当に?」
王家が薬を独占したという先生の言葉に、ただそう返すことしかできなかった。
あの時、私は数日にわたって薬を口にした。
そのおかげで徐々に回復したのだが……まさか、あの薬が……?
「王宮以外の人々が薬を手に入れられるようになったのは、既に病が蔓延した後のことでした。元々薬の製造をしていた医師たちが、記憶を頼りにまた一から作った薬が普及し始めて、ようやく事態は収束したのです。陛下もその被害者だと言えるでしょうね。もしあの時、もっと早く薬が手に入っていたら、陛下は左目の光を失わずに済んだのですから」
頭をガンと殴られたような衝撃を受ける。
私はすぐに薬を手に入れて、だからそんなにあの薬が、貴重なものだとは思っていなかったのだ。
どれだけの量の薬が王宮にあったのか、私は知らない。
ただ――「大丈夫、薬は十分にあるからね。気にしないで、きちんと治り切るまで飲んで」とエルンストお兄様に言われ、既に症状が軽快した後も、何度も薬を口にした。
もしかすると、あの時口にした薬のいくらかは余分なもので、本当は、真に薬を必要としている人が、そしてそのまま命を落とした人が、居たとしたら……。
知らなかった。
私の周りでは、薬が十分にあることが当然のことだと思っていたから。
まさかそれが、他の人々の分まで奪い取っていたものだったとは、露とも思っていなかった――。
「そんな……。何故旧王家は、そのようなことを?」
「……きっと、どうしても救いたい者が王宮内に居たのでしょう」
つまりそれは。
私のために、王家は、お兄様は、そうしたということ……?
急に胸が苦しくなって、息をすることができなくなる。
もしかして私のせいで、多くの人が亡くなったの? 私一人を生かすために。
私のせいで、オスカーは苦しみ、視力を失った……?
「レベッカさんどうしました⁉︎ 大丈夫ですか⁉︎」
先生は慌てて私の背中をさすり、きつく握りすぎて白くなっている手を解すように手を添える。
こめかみに汗が流れ、視界が歪む。
私という存在が、唐突に罪深いものに思えてきた。
「気分が悪いのですか⁉︎ もうすぐに私の家に着きます。それともあなたの家に引き返しましょうか⁉︎」
「違う……違うのです。大丈夫……私は大丈夫ですから……」
何度も目をぎゅっと瞑っては開き、口を開けて喉奥に張り付いた不快感をどうにか外に出そうと苦心する。
そんな私の背中をさすりながら、先生は慌てふためいて何度も窓の外を見ている。
やがて馬車が停止すると、御者が扉を開けるのも待たず、先生は私の膝裏に腕を差し入れて、力強く抱きかかえた。
「えっ! 先生⁉︎」
「すぐに医師を呼びます。少しだけ我慢してくださいね!」
馬車の扉を蹴破る勢いで力いっぱいに開けると、ぎょっとした御者が飛び退くのも気にせず、早足で家の中に駆け込んでいく。
先生は緊迫した様子で指示を出し、使用人たちが蜘蛛の子を散らすように駆けていった。
先ほどまでの不快感よりも、今この状況の方に混乱してそれどころではなくなってしまう。
「先生! 大丈夫です! 本当に私は大丈夫ですから!」
先生の腕に抱かれたまま、私は必死に先生に訴えた。
しかし細身だと思っていた先生の腕は意外にも筋肉質で、一向に力が緩まる気配はない。
羞恥に赤く染まった顔を両手で隠している間に、先生は客間のベッドにそっと私を横たえた。
「気分はどうですか? もうすぐ医師が到着しますから。ゆっくり休んでください。診察を受けて落ち着いたら、すぐに家に送りますからね」
「申し訳ありません先生……。本当に体調は大丈夫です。……過去の王家の行いに、ショックを受けただけで……」
シーツに視線を伏せ、私はその言葉で喉が切りつけられているような感覚を覚える。
先ほどまでのドタバタで忘れていた罪の意識と衝撃が、また胸の奥をずんと重くさせる。
「レベッカさん。あなたの繊細さを理解していませんでした。申し訳ありません……」
「そんな! 先生は私の質問に答えただけです! 私が少し、神経質に考えてしまっただけなんです」
先生もまさか、私が事の元凶である旧王家の王女だったとは思うまい。
先生からしたら意味の分からない理由で興奮してしまった私を、ここまで気遣ってくれるなんて。
本当に、先生はとても良い人だと思う。
「レベッカさんは優しいのですね。それでも、どうか少し休んでください。あなたは大病から復活して、まだ一年も経っていないのですから」
「ありがとうございます、先生……」
先生の私を見つめる瞳が優しくて、なんだかくすぐったいような気分になる。
ただでさえ先生の顔は美しいというのに、これまで以上に、妙に男性として意識してしまう。
シーツを鼻の上まで引き上げて赤くなる頬を隠す。そんな私に、ふっと先生は微笑んだ。
「私が居ては落ち着かないでしょう。ゆっくり休んでください。私はあの本を探しておきますね」
そういえば、本を借りるという口実でここに来たのだということを思い出す。
こくりと小さく頷くと、先生は部屋をゆっくりと出ていった。
客間に一人残され、心を落ち着けるようにふうと息を吐いて、改めて部屋の中を見まわした。
先生の人柄を表すような、さっぱりとしながらも落ち着く部屋だ。
必要以上の装飾品は置かれておらず、壁にいくつかの風景画が掛けられ、そこここに生花が飾られているだけ。
庭に面した大きな窓が取りつけられていて、芝生の緑が部屋の白い壁に映えて美しい。
その景色に、荒波に揺れる心が少しずつ凪いでいくのを感じた。
一度冷静になって、もう一度考える。
きっとお兄様たちは、私のために薬を確保してくれたのだろう。もしかすると、一度王宮内で感染が起こった事で、その後に備えるつもりで薬を大量に独占したのかもしれない。
分かっている。それは私のためで、家族のためだったはずだ。
けれど、だからと言って許されることではない。ましてや、国民を守る立場の王族なら、奪うのではなく、国中に薬が行き渡るように差配するべきだったはずだ。
胸の奥がずんと重くなる。
これまで見えていなかっただけで、自分の体が酷く汚れているような気分になる。
本当はエルンストお兄様に真相を問いただしたい。
けれど、もうお兄様は死んでしまった。今更聞くこともできない。
しばらくそうして物思いに耽っていると、ハッと気づけば、徐々に夕方の気配が漂い始めたことに気がつく。
先生はまだ戻らない。本が見つからないのだろうか?
私はそっとベッドから起き上がり、そっと扉を開けて外の様子を窺う。
そこには何故か誰もおらず、しんと静まり返った廊下があるだけだった。
(どうして使用人の一人も居ないのかしら……)
ぞくりと、得体の知れない不安と心許なさが胸を支配する。
このまま客間で待つかどうか、一瞬迷う。しかし妙な胸騒ぎを覚え、私は廊下へと足を踏み出した。
人の家で勝手にドアを開けて回る訳にもいかず、ただ廊下をうろうろする。
きっと誰かが居れば、物音くらい聞こえるだろう。
しかしどういう訳だか、家の中はしんと静まり返っている。
(先生は一体どこにいってしまったの……?)
先生はやはりシンプルなものが好きなようで、廊下にもあまり装飾品が置かれていない。
白い漆喰と石造りの廊下をぐるぐるしていると、何だか迷宮に迷い込んだような気分になった。
がたりと、何か音が聞こえた。
音の方を振り向いてみれば、そこには、地下に続く階段があった。
(もしかして、地下室に居らっしゃるのかしら)
躊躇しながらも、不安に掻き立てられて、恐る恐る足を踏み出した。
階段の壁には窓が取り付けられており、思ったより暗くはない。しかし一歩一歩降りる度に、徐々に暗さを増していく。
ついに最後の一段を降り切ると、そこには左右に伸びる廊下があり、その先にはいくつかの扉が見えた。
かなり暗いものの、壁に取り付けられた燭台がぼんやりと廊下全体を照らし出している。
廊下に沿って三つのドアがあって、左の突き当りにも、一つドアが見える。
ただ地下室があるというだけでなく、地下にもそれなりの部屋があるようだ。
また、がたりと音が聞こえた。どうやら突き当たりの部屋からだ。
「先生……?」
思わず、恐る恐る声をかける。しかし誰も呼びかけに答えない。
ともすればすぐに音が響く石造りの廊下を、音を立てないよう、慎重に歩いていく。
ふと、突き当たりのドアに一番近いドアが、ほんの少し開いていることに気が付いた。
いけないとは思いつつ、ちらりと中を覗き込む。
そこは、ただの小さな物置のようであった。
「あれ?」
雑然と物が置かれたその部屋の中に、何か見覚えのあるものがあるような気がした。
チェストに椅子、何らかの彫像。どれも見知らぬもののはずであるが、一体何が引っかかったのか。
ほんの少しドアを押し開き、もう一度部屋の中に視線を走らせる。
一つ一つに視線を送り、違和感の正体を探っていく。
やがて、ある一つのものが目に留まった。
「な、なぜあれがここに……⁉︎」
雑然とした物置の、最奥のチェスト。
その上に、ハットスタンドに掛けられた、一つのマスク。
「あれは、エルンストお兄様のものでは……⁉︎」
かつて流行病の熱にうなされた時に見た、漆黒の鳥の嘴。
エルンストお兄様が被っていたそのマスクが、そこにはあった。
連日更新できてホッとしています……。




