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第十八話 聖なる森にて

「レベッカ、レベッカ起きて。もう準備しないと」

「んぅ……えっもう時間⁉︎」


 真っ暗な部屋の中、蝋燭の灯りにぼんやり照らし出されて見えるのは、見知らぬ天井。

 ここは王宮のラウラの部屋だ。

 ラウラは二人部屋を一人で使っていて、昨晩は私もこの部屋に泊まらせてもらった。

 部屋は質素ながら、決して狭く汚いということはない。

 枕元の窓からは、煌々と月の光が差し込んでいる。まだ朝の気配は彼方にあるようだ。

 私は眠い目を擦りながら、半ば無理やり体を起こす。


「レベッカ、これを」

 

 ラウラは真っ白なローブを私に手渡した。

 祀の島に渡った時のものにそっくりで、思わず息を呑む。


「前にも言ったけれど、『託宣の儀』はかなり厳粛で全部司祭たちが取り仕切るから。私たちはただ黙って付いて行けばいいわ。単に荷物持ちと思えばいいのよ」

 

 ラウラは黙々と着替えながらそう言った。

 まさか前世でも一度も参加したことのなかった『託宣の儀』に、転生してから参加することになるとは。

 意を決してローブに腕を通すと、何とも言えない不思議な気持ちになる。

 しかしそこからは慌ただしくて、何かを考えている暇などありはしなかった。

 

『託宣の儀』の流れは、確かに私が行った『献身の儀』によく似たものだった。

 儀式用の白い衣装に着替えたオスカーが白馬に跨ると、その後ろを司祭を含め二十人ほどの人間が後からゾロゾロと一列になって歩いていく。

 私は行列の後方、ラウラの後ろに配置され、流れに任せて歩みを進める。

 向かうのは、『聖なる森』と呼ばれる、祀の島を望む海沿いの断崖の一角だ。

 話には聞いていたけれど、いざ王宮の門を潜った瞬間、祀の島に向かったあの時のことを一瞬にして思い出した。

 あの時同様、王都は静まり返っている。いつもはあんなに賑やかなのに、誰一人外に出ていない。

 パパとママも、この日は扉も窓も固く閉め切って、部屋の中で祈りを捧げるのだと言っていた。

 すくみそうになる足にぐっと力を入れて、前を進むラウラの背中に必死に付いていく。

 今日ばかりは、ラウラの助けを借りることもできない。

 言葉を発することも、列を乱すことも、決して許されないのだから。

 王都の外れまで進み、森へと入る。

 毎年の儀式の為に整えられているのか、森の中の道は随分と広く踏み固められており、フリーデンの森よりもずっと歩きやすい。

 祀の島のように糸杉がある訳でもなく、そこまで神聖な雰囲気ではないのだな、と拍子抜けしていたところ、目の前に石垣が見えた。

 祀の島の入り口を彷彿とさせる造りだ。けれどそれよりも随分と背が高い。見上げなければ先端が見えないほどだ。

 道の両端で石垣は切れ、ここが入り口であると示すように、円柱が石垣の端に鎮座している。

 縦に何本も溝が刻まれたそれは、まるで神殿の柱のようだった。

 遠く、列の先頭で白馬に乗ったオスカーが円柱で象られた門を潜るのが見える。

 それに続いて次々と一行が門を潜り、ついに私も、石垣の内側へと歩を進めた。

 瞬間、音が消え、ピンと空気が張り詰めるのを感じた。明らかに禁域に入ったのだと分かる。

 ともすると息を吸うことさえ忘れてしまいそうになる緊張感に、思わず背筋が伸びる。

 石垣から数メートル先は崖になっているが、どういう訳だか、海が見えない。

 何故か崖に向かって土手のように大地が迫り上がっているような錯覚を覚え、見えているはずなのに、どうしても海を見ることができなかった。

 まるで船酔いのような気持ち悪さに襲われながら、ただひたすらに足を動かして行列に付いていく。

 行列は門から左に折れて、石垣と土手沿いに真っ直ぐ進んでいった。

 やがて、右手に何やら白く四角い石が見えてきた。あれがオスカーが火を灯すという聖台なのだろうか。


「っ!」


 考え事をしていたら、行列が歩みを止めていたことに気が付かなかった。思わず前のラウラの背中にぶつかりよろける。

 心の中でラウラに謝り、再び前に視線を向けると、聖台に向かって三つの白い影が、それぞれを頂点とした三角形を描いて歩いていく。

 顔は見えないが、先頭がオスカーであることは分かる。

 後ろの二人よりも、頭一つ分大きい。他の二人は司祭だろう。

 司祭たちはいつも顔を見せないから、私を祀の島に送った時の司祭と同じかどうかは判断が付かなかった。

 松明に火が付けられ、オスカーに渡される。

 そのままオスカーは、聖台の上に松明をかざした。よく聞こえないが、祝詞を唱えているようだ。

 ぼおっと勢いよく聖台の上に火が灯る。

 ――その瞬間。

 まるで目が回るような浮遊感に包まれ、私は思わずぎゅっと目を閉じた。


「あ、あれ……?」


 目を開けると、辺りは真っ暗になっていた。

 あんなに朝早く城を出たというのに、気絶でもしてもう夜になってしまったのだろうか。

 一瞬そう思ったけれど、そうではないとすぐに分かった。

 ただ暗いだけじゃない。周りには森も石垣も何もなくなり、一緒に居たはずの一行もどこにも見当たらない。

 深い深い、闇の中に漂っているのだ。


「これは……」


 この空間を知っている。

 今となってはもはや懐かしくすらある、この場所は。


「やあ、この間ぶりだねお嬢さん」


 聞き覚えのある不思議な声色に振り返れば、そこには、想像通りの人が居た。

 紫がかった黒髪に横に開いた瞳孔の金の瞳。

 まるでパーティー帰りに寛いだ貴族子息のような服装。


「アルノー様……!」

「やあ」


 聖台に腰掛けて、軽く右手を振って挨拶をしてくる。

 その聖台には、妙に白い炎が燃えている。

 アルノー様の背中が炎に触れそうになっているが、全く熱くはなさそうだ。

 以前と何も変わらない、随分と楽しげな微笑みを湛えたアルノー様。

 違うのは、今日はフード付きのベロアの上着を脱いで左手に持っているということだけだ。

 

「どうかな、ぼくがあげた新しい人生の方は。楽しんでる?」

「た、楽しんでるといいますか……」

「まあ、君のことは結構見ていたけどね。ちょっとした裏技を使ってさ! いやあ本当にいい相手を見つけたなぁ。君たちのおかげで毎日とっても楽しいよ」


 アルノー様は私の返答など元からどうでもいいかのように、腕を広げて笑い混じりに言った。

 私は思わず眉をしかめた。

 言葉の意味がさっぱり分からない。アルノー様は一体何を言っているのか……。

 けれど、一つだけ。


「『君たち』とは誰のことです?」

「ああ、流石だね。意識してかどうかは知らないが、真っ先にそれを聞くか」


 ニヤニヤとした笑いを止めないまま、アルノー様は独り言のように呟いた。

 やはり一番気になるのはそれだ。私と、一体誰のことを言っているのか。

 にやけ顔を隠そうともせずに、アルノー様は心底楽しそうに口を開いた。


「気に入ったから教えてあげよう。君と、あの愚かな青年王のことさ」

「それは……オスカーのこと、ですか」


 アルノー様はただ微笑むだけで答えない。

 しかし、間違いではないだろうことは、雰囲気から伝わった。


「オスカーと何か契約を交わされたのですか? それは、私に関係のあること」

「おっとっと。勘違いしちゃいけない。自分の領分を、よく理解しないと」


 顔の前で右手の人差し指を振りながら、やれやれというようにアルノー様は肩をすくめて見せる。

 決して怒りを露わにしている訳ではない。

 けれど、目の前の金の瞳に見つめられると、底知れない恐怖で体が動かなくなってしまった。

 背中に冷たい汗が流れる。

 明らかに、私は触れてはいけない領域にまで踏み込んでしまったのだと、直観で分かった。


「も、申し訳、ございません……」

「そうだね。身の程を弁えられない人間は、嫌いだな」


 飄々とした軽い調子で言うアルノー様を、初めて恐ろしいと思った。

 如何に私の味方のように見えても、彼は神なのだ。

 もし気に入らないことがあれば、きっと私などすぐに見放してしまうのだろう。

 いつの間にか、息を止めていたらしい。水中から顔を出した瞬間のように大きく息を吸い込む。

 はぁはぁと呼吸を整える私を、アルノー様は変わらずニヤニヤと眺めた。

 

「まあ、気分がいいから一つだけ教えてあげる。彼の記憶をもらったのはぼくさ。それが契約でね」


 さらりと、天気の話でもするかのようにアルノー様は言う。

 しかしその言葉は、私に大きな衝撃を与えた。

 

「じゃ、じゃあ、オスカーが私のことを覚えていないのは……」

「でもさ、彼は君以外のことはちゃんと覚えているし、知っているよ。君が知らないこともね」


 私以外のことは、覚えている……?

 じゃあ彼が記憶を失ったのは、(パトリツィア)のことだけということ……?

 それに……。


「私が、知らないこと?」

「そうさ。無知の揺籠の中にいる、哀れなおちびちゃん」

「無知の揺籠……?」

 

 私が無知? 確かに世間のことで知らないことは多い。

 けれどアルノー様が言っているのは、そういうことではない気がする。

 私は一体何を知らないというの?

 私の知らない何かを、オスカーは知っているということ?


「それってどういう」

「ああ、そろそろ時間みたい。ついでだったけど、君と話せて良かったよ。また面白いものを見せてね!」


 ぴょんと聖台から飛び降りたアルノー様は、さも毎日顔を合わせる友人に別れの挨拶をするかのように私に手を挙げると、すっと暗闇に消えていった。


「い、一体なんだったの……」


 取り残された私の呟きが暗闇に溶けきるその前に、また眼球がぐるんと回るような目眩を感じる。

 あっと思う間もなく、そのまま意識が闇に消えていった。


 トントンと、誰かが私の肩を叩く。

 ゆっくりと目を開けると、心配げな表情のラウラの瞳とかち合った。

 ハッと周囲を見渡すと、まだ聖なる森の中にいた。

 振り返れば、私の後ろを歩いていた使用人が少し先を歩いている。

 どうやら儀式が終わり、行列が来た時とは逆に動き出したようだ。行列の先を見れば、先頭にはオスカーが白馬に乗って進んでいる。


「おほん」


 ラウラの更に後ろの方から、低い咳払いが聞こえる。早く進めという意思表示だろう。

 私は慌てて前の背中を走りに追いかける。

 あれは夢? いや違う。儀式の最中、アルノー様は私のことも再びあの空間に呼んだのだろう。きっと、オスカーのついでに。

 新しいことが分かったようでいて、むしろ謎が深まったような気がする。

 アルノー様の言った、『無知の揺籠』という言葉が気になって仕方がない。

 

 私が知らないこと。

 ――私だけが、知らないこと?

 

 考えれば考えるほど混乱して、頭が痛むような感覚を覚える。

 それでも足だけはただひたすらに、行列に付いて行く為に必死に動かしていく。

 その間も、アルノー様が口に出したその言葉が、まるで指に刺さった棘のように、いつまで残り続けたのだった。

引き続き入院しておりますが、とりあえず公開します。

次話はもうちょっと時間がかかりそうです……。

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