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第十七話 見えない感傷

「ふぁ〜」

「ちょっとレベッカ。さっきから欠伸ばっかり。どうしたの?」


 いつも通り王宮に出仕し、昨日に引き続きオスカーの自室の掃除を頼まれた私は、ラウラと一緒に掃除道具を持って廊下を歩いていた。

 結局一睡もできないまま仕事を始め、幾度となく欠伸をしてしまうという淑女にあるまじき失態を犯してしまっている。


「実は昨日全然眠れなくって……」

「もう大丈夫? 今日は忙しいのよ。しっかりしてね」


 話しながらラウラはオスカーの部屋の扉をノックして押し開ける。

 昨日と同様、緋色のカーテンで隠されたあの一角が、部屋の中で異様な存在感を放っている。


「部屋の掃除が終わったら、明日の夜明けから儀式に入るから。儀式用の衣装と装飾品を準備して、そこに置いておいて。夜また説明するけれど、枕元には必ず司祭が祈祷を捧げた後の水を置くこと」


 一つ一つ指を指しながら説明してから、ラウラは雑巾を手にとって「あと今日は特に念入りに掃除しないといけないの」とうんざりするように肩を持ち上げて見せて言った。

 私はラウラに苦笑を返して、まずは窓拭きに取り掛かる。


「ラウラ、ちょっと」


 軽いノックの音と共に、侍従の一人が顔を覗かせた。

 確かラウラと仲のいい、カイという若い侍従だ。


「明日の儀式の流れで確認したいことがあるんだ」

「あら、何か変更でも? 分かったわ。ごめんレベッカ、一人で先に進めておいてくれる?」

「ええ、大丈夫よ」


 ラウラはカイの後を追って、さっと部屋から出て行く。

 その頬が、少しばかり赤くなっているのを私は見逃さなかった。


(ラウラとカイがいい雰囲気だって皆が言っていたのは、本当のようね)


 くすくすと笑いながら友人の恋を応援しつつ、私は雑巾を握りしめる。

 昨日の先生の話が頭にちらつくも、今私がやらなければならないのは、目下この部屋の掃除だ。

 

「さて、じゃあ始めましょうか」


 私はそう意気込んで、早速掃除を始めた。

 まずは窓を拭き始めるが、ちらちらと視界の端に映るもあの緋色のカーテンがどうしても気になってしょうがない。

 どちらにせよ、カーテンの掃除はしなければならないのだ。言い訳をするように心の中で呟くと、私は思わずごくりと喉を鳴らしながら、再びあのカーテンを手に掛けた。

 カーテンの隙間から、昨日見た通りの物が目に入る。

 何度目を擦ってみても、やはりあの絵と翡翠のネックレスがそこに鎮座していて、どうにも居心地が悪い。

 オスカーは、このカーテンを開いてこれらを眺めることがあるのだろうか?

 一体何のために? どうして?

 そんなことをぼんやりと考えていたら、すぐ後ろに人が立っていることに気付かなかった。


「一人か?」

「きゃあ‼︎」


 驚き思わず悲鳴を上げて飛び上がる。

 振り返ってみると、この時間に居るはずのないオスカーが居た。


「すまない、驚かせるつもりはなかった」

「陛下……! 申し訳ございません。お部屋の掃除に……陛下は今会議だと聞いておりましたが……」

「案外と早くに終わった。少し仮眠に来たんだが、まだ早かったようだな」


 そう言うオスカーの顔をよく見てみれば、目の下に濃い隈が棲んでいる。

 どうやら、あまり寝ていないらしい。

 明日は早いのだから、これでは確かに仮眠でもしなければ倒れてしまいそうだ。


「左様でございましたか。それでは後程また伺います。どうぞお休みください」


 私は深く頭を下げ、オスカーからの返事を待つ。

 しかし彼は何も言わない。

 もしやカーテンの中身をじろじろと眺めていたことを怒っているのだろうか。

 恐る恐る頭を上げ様子を伺うと、オスカーは私から視線を外して、じっと一点を見つめていた。

 不思議に思い視線を追うと、そこには、あの絵画があった。


「彼女を知っているか?」

「ええと……」


 思いも掛けない問いかけに困惑する。

 彼女、とは、絵の中の私のことを言っているのだろうか。


「その……確か、前王家の最後の王女、ですよね。彼女が描いたものなのだとか」

「ああ、そうらしい」


 確かにオスカーは私が絵を描くことを知らない。その前に、この国を離れてしまったのだから。

 まさか私がこんなに絵が下手だとは思わなかっただろうと、羞恥で顔が赤く染まるのを感じる。


「彼女は十歳で亡くなったらしい。どうやら、彼女と私は仲が良かったようだ」

「え?」

 

 オスカーの話振りに違和感を覚える。

 むしろ違和感しかない。何故そんなに他人事のように、しかも嘘を言うのだろう。


「……何も覚えてないんだ。彼女のことは、何も」


 ひゅっと息を呑む。

 私のことを覚えていない?

 そんなことはある訳がない。だってあんなにずっと一緒に居たのに。簡単に忘れるような、そんな浅い関係ではなかったはずだ。

 記憶障害でもなければ、そんなことはあり得ない。


「何故だか分からないが、何も覚えていないんだ。彼女のことを話してくれる人も、もはやいないしな」

「それはっ……!」

 

 貴方が殺してしまったから。

 その言葉をすんでの所で飲み込んで、私はぐっと手に力を込めて拳を作る。

 そんな私を、オスカーは不思議な表情で眺めた。


「どうした?」

「っいえ、ただ……陛下が、覚えてもいない王女の描いた絵を、どうして飾っているのかと思いまして」


 私の咄嗟の言い訳を信じたのかどうか、オスカーは「ああ」と呟くように言って、再び絵画に視線を向けた。


「何故だろうな。私にも分からない。ただ何故か……何故か、これを見ると、胸が締め付けられる」


 オスカーはそう言うと、視線の先に歩み寄り、翡翠のペンダントを手に取った。


「これは非業の死を遂げた王女が死の間際まで身に付けていたものだそうだ。その曰くが付いて、ペンダントその物よりも値打ちがあるらしい」


 オスカーはペンダントを頭の上に掲げ、それを下から覗き込むようにして眺め見る。


「不思議だろう。彼女の死が、ただの翡翠に付加価値を付けたんだ」


 オスカーの声は淡々としている。

 それが余計に、私の神経を逆撫でさせた。

 腹の底からふつふつと、何かが沸き上がるのを感じる。

 彼は何が言いたいのだ。

 私の死には、それくらいの価値しかなかったと、そう言いたいのだろうか。

 けれど、オスカーの様子から何も覚えていないというのは本当らしい。

 徐々に怒りが収まり、代わりに頭と感情が混乱する。

 あらゆる事柄に対する「何故」という疑問が湧いて、どういう感情を抱ていいのか分からない。


「その……陛下は何故、私にその話を?」


 あらゆる『何故』の中でも、一番、今の状況に適した『何故』をぶつける。

 昨日のラウラの話では、オスカーはこの品々に触れられたり、話題にされたりすることを酷く嫌うと聞いたはずだ。

 だからまさか、オスカーの方から話を振って来るとは、思いもしなかったのだ。

 

「確かに、何故だろう。なんだか……お前を見ていると、変な気分になる」


 じっと翡翠のペンダントに注いでいた視線を、真っすぐに私の瞳に向ける。

 美しい、海のように青い瞳。

 その瞳は、まるでレベッカの奥のパトリツィアを見ているような錯覚を覚えた。


「変な……ですか?」

「ああ。何だろう、懐かしさとでも言おうか……」

 

 思わずどきりと胸が跳ねる。


「おかしな話だな。私はフリーデンに行ったことがない。これまでの私の人生とお前には、何の接点もないはずなんだが」


 背中に冷たい汗が流れる。

 もしや私の正体がバレたのだろうか。

 オスカーは(パトリツィア)の記憶がないというのに?

 もしもオスカーに私がパトリツィアだとバレたらどうなるのだろう。

 なんと返していいか分からない。私は頭を必死に働かせて、何か言わなければと考える。


 「その、私の家庭教師の先生が言っていたんですが、そういうのを、デジャヴュと言うそうですよ。実際には経験したことがないことを、まるで過去に経験したことがあるように錯覚することだそうです」


 聞き齧った言葉をそのまま口にするが、思いの外良い返しだったかもしれない。

 そう思った私とは裏腹に、オスカーはふっと笑う。


「そうかもな」


 オスカーのその言葉には、何故か切なさなような気配が漂っていた。

 それが何故か私の胸をキュッと締め付ける。

 しんと、一瞬の沈黙が降りる。

 その沈黙を破るように、コンコンと控えめなノックの音が響く。

 扉から顔を覗かせたのは、ラウラだった。


「申し訳ありません陛下。陛下のご予定が変更になったことを存じ上げず……。すぐに退散いたします」


 ラウラは深く頭を下げてから、私に視線で「こっちに来い」と言う。

 私は足早にラウラに駆け寄って、彼女の横に並ぶ。


「いや、良い。午後にまた来てくれ」

「かしこまりました」


 ラウラはいつもの賑やかな様子とは異なり、完璧な侍女の仕草で再び頭を下げると、部屋を出て行った。

 私は逡巡して、一度ぺこりと頭を下げてから、その後を追った。

 ドアを閉めるその瞬間まで、オスカーの視線が矢のように突き刺さるのを、背中で感じていたのだった。



「レベッカ! 陛下と二人で大丈夫だった⁉︎」


 オスカーの部屋を出て、見張りの騎士の間をするりと抜けてから廊下の突き当たりを曲がった瞬間、ラウラは私の肩を掴んでそう言った。

 彼女の瞳には、間違いなく心配が浮かんで見えている。


「大丈夫よ。何故か、和やかに話してくださったし」

「そう……良かった。また前の子みたいに陛下の機嫌を損ねてクビになったりしたらと思って心配しちゃった。あなた、やっぱり陛下に好かれてるわよね」


 ラウラは腕を組みながら、ニヤリと笑ってからかい混じりに言う。


「やめてよ。そんなことある訳ないじゃない」

「だって私の方が王宮に務めてずっと長いのに、そんな風に陛下と話したことなんてない一度もないもの。ただ命令を受けるだけよ。私の同僚が王妃になったらどうしよう!」

「もう! 不敬よ!」


 おどけるラウラの二の腕をぱしりと叩いて、私は笑う。

 決してそんな甘い雰囲気ではなかったが、どうにも形容し難い複雑な気分だ。

 オスカーは私のことを覚えていないというけれど、一体それは何故なのだろう。病気の後遺症?

 それなのにああして私に関わりのあるものを自室に置くのには、どういう意味があるのだろうか。

 例えば。

 オスカーは病気の後遺症で記憶を失っていて、私の家族のことも忘れていたとして。

 そんなオスカーに、誰かが良からぬことを吹き込んで、騙していたのだとしたら?

 王宮に残された私の遺品で、忘れた記憶を思い出しかけているのが、今の状態なのだとしたら。

 だとしたら――私はどうすればいいの?

 

(分からない……。何も分からないわ……)


 オスカーがこの国を離れている間。

 そして私が祀の島に旅立ってから転生するまでの間。

 一体、何があったというのか。


(……復讐よりも、真実を知るのが先ね……)


 けれど、一体それにはどうしたら。そう考えて、思いつく。

 一つだけ、その鍵を、私は知っている。


「ヴァールハイト先生に、聞いてみよう」


 私や知らない何かを知っていそうな先生。

 先生に聞いてみたら、何か分かるかもしれない。


「何か言ったレベッカ?」

「あっううんなんでもないの!」

「なら早く行こう! 明日の為に今日は忙しいんだから!」


 先に行くラウラに付いて、パタパタと駆けていく。

 まずは目の前の仕事をこなすのが先だ。


(今度の授業の時に、先生に聞いてみよう。何か、分かるといいのだけど)


 内心そう決意して、ラウラの後を追ったのだった。

大変長らくお待たせしました。

現在肺炎が悪化して入院したりしております。

ゆっくりにはなりますが、きちんと書いていきますね。

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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。でも無理せずに治療に専念してください。私も肺炎で入院したことがありますが、完全に治ったなと思うまで一カ月近くかかりました。本当に無理せず…お大事に。
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