第十二話 招かれる
秋の始め。
ユーバーヴィンデン家に一通の書状が届いた。
差出人は、他でもない、王宮からだった。
「王宮に……レベッカを出仕させよ⁉︎」
「ありえないわ! レベッカはやっと体調が回復したところなのよ!」
その書状を見たパパとママは、怒りと絶望に打ち震え、今にもその書状を破り捨ててしまいそうだった。
ちょうど家族揃って晩餐の最中。急にやってきた王宮からの使者が、一方的に書状を渡して去っていったのだ。
曰く、旧王家の使用人たちを皆一斉に粛清してしまった関係で、王宮は二年以上経った今でも人手不足に喘いでいるらしい。
混乱した国を立て直すべく、この二年は王宮内部のことは後回しにして、最低限の役職と使用人を揃えただけに留まっているというのだ。
しかしそれで、何故私に、このユーバーヴィンデン家に白羽の矢が当たったのか。
それはクーデターの際、貴族たちの勢力図が大きく変わったことが原因だろう。
ヴァールハイト先生に教わった所によれば、かつての王宮に仕えていた使用人たちは、王家と親密な関係の家に繋がりのある者たちばかりだったようだ。
きっとオスカー側の人間はもう何らかのポストに登用しているのだろうし、それでも空いた穴を埋めるなら、旧王家と関係のない、かつこの不安定な情勢に影響のない者が望ましいということだろう。
パパとママの話を総合すると、きっとそういうことなのだろうと思った。
このユーバーヴィンデン男爵家は、中央の政界と距離を置いており、ほとんど無関係であるらしい。暮らしぶりも貴族の中では中流よりやや下といったころで、野心や権力欲とは無縁の生活である。
だからこそ。
下手に力のある貴族ではなく政界に無関係である家なら、王宮に招いても支障ない、というのが王宮の考えに違いない。
使用人を募集するのではなくわざわざ招集の命令が出されたのは、誰も王宮に出仕しようという貴族が居ないからだろう。
残忍に旧王家を滅ぼし、気に入らない者はすぐにその手にかける『殺戮王』の異名がオスカーには付いているらしい。
そんな男の元に、わざわざ娘を差し出す者はいない。
――けれど私にとっては、願ってもないことだ。
「大丈夫。私、命令通りに王宮へ行くわ」
絶望し頭を抱える二人に、私はゆっくりと諭すように言葉をかけた。
まだ半分以上は残っている晩餐の羊肉のパイ包みが、虚しく皿の上で冷えていく。そんなことはお構いなしに、私は続ける。
「もし陛下の命令に背いて、愛する家族や領地の民に何かあったら……。私は恐ろしい。そんなこと、絶対に耐えられない。パパ、ママ。これまで私にしてくださった全てのことに、感謝します。けれど、私はこれまで家族に苦労をかけてばかりだったわ」
私は思わず下を向く。
私ではなくレベッカも、きっと同じ気持ちだっただろう。愛する家族が自分の為に辛い思いをするのは、想像するだけで苦しい。
「治療にも、相当な額がかかったでしょう……? 私は親不孝な娘のままでいたくないの。少しでも、この家のために力になりたいのよ。王宮で働けば、多少なりとも金銭的に余裕ができるはずでしょ?」
すぐ様パパとママは「そんなこと気にする必要はない」と言い募る。
きっと二人ならそう言うと思った。
けれど、生きて行くにはお金がかかるのが現実だ。自分で金銭を管理したことは一度もないし、その価値もよく分からないけれど、治療費が家計の負担になるだろうことぐらい、想像が付く。
「でもね、私はすっかり健康を取り戻したの。きっとこれは、アルノー様が私に与えてくれた親孝行の機会なのよ」
私は涙ながらに、二人に訴えかけた。演技ではない。心からそう思っている。
本当に、パパとママには大きな恩があるのだ。
少しでも、二人の役に立てたらという気持ちに嘘はなかった。
ただ、状況が私の意向と合致していた。それだけだ。
どうにか王宮の侍女として働けないかと考えながらも、正直良い案は思い付かなかった。
ヴァールハイト先生の授業もようやく少しずつ理解できるようになってきたけれど、未だ知らないことが多すぎる。このフリーデンから一歩も出たことのない私がどうやって王宮に行くことができるのか、そのヒントさえ見つけられずにいたのだ。
ただでさえ心配性なパパとママを説得して自ら王宮に行くなど、かなり無理筋だと思っていたし、説得するにしても、あと数年はかかるのではないかと覚悟していたところだ。
まさか向こうから呼んでくれるとは僥倖だった。
この機会を逃すわけにはいかない。
「そんなこと考えてくれていたのか……レベッカ……」
「ああアルノー様! 何故このような試練をお与えになるのですか……!」
両親は嘆き悲しみ、天を仰ぐ。
状況がよく分かっていなさそうなウルリヒだけが、その様子をキョロキョロと眺めてから、泣きそうな顔で私を見上げる。
「お姉ちゃん、家を出て行っちゃうの?」
大きなヘーゼルの瞳を潤ませて見上げる弟に、愛しさが込み上げて頭の上に手を置いた。
本気で私の身を案じてくれる家族に、感謝の気持ちが溢れて止まらない。
胸を突き刺す罪悪感が、むくむくと大きくなっていくのを感じた。
それから約一月後。私は王都行きの馬車を前に、緊張に手を握りしめていた。
これから家族四人で、王都行きの馬車に乗るのだ。
あの後、パパとママは悩み嘆きながらも、結局、私を侍女として出仕させることを承知した。
いや、諦めたという方が正しいかもしれない。
体調を理由にしようにも、ユーバーヴィンデン家の娘の奇跡の復活は、今や王都でも噂になっているらしい。
それだけでなく、不治の病すらも消え失せたのだと、そこまで知れ渡っているようなのだ。
私が回復したことに大喜びをしたパパとママは様々なところでこの奇跡を話して聞かせたようだし、それも無理はないだろう。
そこまで噂になっているのであれば、体調を理由にするのは難しい。
『殺戮王』とまで呼ばれるオスカーに逆らうなど、しがない男爵家にとっては土台無理な話だ。
書状には「礼儀作法は出仕しながら身に付ければ良い」と付されていた辺り、こちらの逃げ道を完全に塞いでいる。
それでも、もし私が嫌だと本気で訴えたら、パパとママはきっと亡命してでもどうにかしてくれたかもしれない。
けれど当の本人である私が乗り気とあれば、命令に従う他ないという訳だ。
こうして、私が王宮へ出仕することを受けて、家族全員でフリーデンを出て王都に移り住むことを決めた。
元々フリーデンから出ずにいたのは、私の体調を思ってのこと。
当の本人である私が王都に行くのなら、領地に籠っている必要はない。
私は王都にあるユーバーヴィンデン家のタウンハウスから、王宮に通うことが決まった。
急激にいろんなことが決まり、手際よくあらゆるものを差配するママとベラの傍で、私自身はただうろうろと慌てているしか出来なかった。
けれど、ついに今日。王都へ旅立つ時を迎えた。
「レベッカさん! もう準備は整ったのですか?」
「先生!」
あれこれと準備で慌ただしくしているパパとママを一人エントランス前で待っていた私は、馬に乗って現れたヴァールハイト先生に笑顔で駆け寄った。
「お一人でどうされたんです? ウルリヒくんは?」
「ウルリヒはあれもこれも持っていきたいと駄々をこねて、ベラを困らせているところなんです。後からきちんと届くといっても、馬車で一緒に持っていくと聞かなくて。私は説得に根を上げて早々に一人で出てきてしまいました」
降参とばかりに両手を上げて見せると、ヴァールハイト先生はふっと息を漏らして笑った。
「流石のレベッカさんも幼い弟にはお手上げということですね。……それにしても、まさかレベッカさん一人で王宮に出仕するだなんて」
そう言って先生は眉を下げ、心配げに私を見つめた。
もう何回目か分からない先生のこの表情に、私は努めて笑顔を見せる。
「大丈夫ですよ! いくらなんでも取って食われる訳ではありませんし、何とかなると思います」
「そうだといいのですが……」
実を言えば、ヴァールハイト先生はパパとママ以上に私の王宮行きを心配してくれている。
どうにか出仕命令を覆せないかと策を練ってくれたけれど、当の本人が行く気なのだから、これまた先生も諦めざるを得なかったようだ。
「いいですか、王宮に居る時間は出来るだけ少なくしましょう。残業なんてもってのほかですよ」
「もう、今からそんな心配していたって仕様がないじゃないですか! それより先生、先生も王都に付いてきてくださるだなんて、とても嬉しいです!」
そう、私たちが王都に移り住むのと同時に、ヴァールハイト先生も王都に移り住むことに決まった。
なんでも、元々先生は王都に住んでいたそうだけれど、ウルリヒの家庭教師の話を受けるために、このフリーデンの街に移り住んだらしい。
だから私たちが王都に行くのなら、先生もここにいる必要がない。
「ええ、私も家庭教師が続けられて良かったです。王都の家はまだ引き払ってはいないですし、ユーバーヴィンデン家のタウンハウスとも近いですから、これから通うのが楽になりそうです」
笑顔でそう話す先生に、私は納得する。
先生は近くの村で暮らしていて、いつも馬でこの屋敷まで通ってきてくれている。
それならこの家に住み込みで働いて貰えばいいように思うけれど、年頃の娘の居る家に若い男が住むのはよろしくない! とパパがこだわったようだ。
そんな条件も飲んでわざわざ通ってきてくれているヴァールハイト先生に、感謝しかない。
「私が向かうのは数週間先になりますけれどね。移動のついでに、レベル伯爵家によって来ようかと」
「レベル伯爵家というと……先生の生家ですか?」
レベル伯爵家は先生のお兄様が当主をなさっている家だ。
ここから東に数日行った辺りに領地があると聞いた。
「義姉が亡くなってから兄は一人で引き篭もっていまして。子どもも居ないものですから、たまに私が顔を出してあげないと心配なんです」
「兄弟思いなんですね」
「いえ、それほどでもありませんよ。兄は私と違ってどうにも堅物というか、融通が効かないところがあるんです。なので時折、気を緩めてやらないといけないというか」
先生は苦笑しながら、視線を外して頬を掻く。
先生によく似た顔の堅物を想像してみるものの、いつも先生は柔らかな印象を纏っているから、上手くはいかなかった。
先生と話している内に、家の中から家族がぞろぞろと連れ立って出てくる。
ウルリヒは頬を膨らませたまま、パパの小脇に抱えられていた。
結局、実力行使をされたようだ。
「レベッカ、そろそろ行こう。ああ、先生も来て下さたんですね」
パパがのしのしとあっという間に私の隣に辿り着き、元気のない声で言う。
相変わらず私を王宮に通わせることが心配な様子で、大きな体を小さく折って心配だ心配だとめそめそしている。
一方、パパの小脇に抱えられているウルリヒは「先生だー!」と笑顔を見せた。
「ええ、私も後から向かいますが、見送りにと思いまして」
「ありがたいですわ。レベッカもウルリヒも先生に懐いていますからね」
先生とパパとママが談笑している間にも、馬車には荷物が積み込まれていく。
王都には馬車二台で行くことになっている。
一台には私たちが乗り、もう一台は荷馬車だ。
王都で使う品々は既に送っていて、道中使う服や様々なものを運ぶそうだ。
馬車で王都までは、順調に行けば六日ほどだという。
王都は断崖絶壁を超えた先にあるため、遠回りもしなければいけないらしい。
馬車にはこの間初めて近くの村まで行った時に乗ったきり。だからこんなに長時間馬車に乗るだなんて想像ができない。
けれど、家族も一緒なら、むしろ楽しみだ。
楽しみだなんて、もっと気を引き締めないといけないのだけれど。
「行くぞレベッカ!」
気が付けばママとウルリヒは既に馬車に乗っていて、振り返ったパパが私に手招きをする。
「はいパパ!」
初めての旅に、浮き足立つ心を必死に押さえつける。
パパのエスコートで馬車のソファーに腰を下ろすと、窓の外に顔を出した。
「行ってきます!」
見送る使用人たちと先生に、目一杯笑顔で手を振った。
彼らの表情は正直複雑なものだけれど、せめて私は、心配をかけないように笑顔でいるべきだ。
だから、私は精一杯の笑顔を見せたのだった。
「レベッカさん。必ず助け出します。……手遅れになる前に」
レベッカたちが去ってった方をじっと見つめたまま、険しい表情でライナー・ヴァールハイトは小さく呟く。
その言葉を、拾うものは誰もいなかった。




