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第十一話 記録にない名前

 それから数日後。私はウルリヒと並んで、先生を待っていた。

 希望通り、ウルリヒの授業を私も一緒に受けていいということになったのだ。

 正直六歳のウルリヒと同じ授業かと思うと居た堪れないけれど、私の知識レベルはウルリヒと同等と言えるだろう。だからちょうどいい。

 分厚い教科書を事前にもらったものの、簡単な単語しか拾うことが出来ず、さっぱり内容が分からなかった。文字は読めるけれど、きちんと習った訳ではないから、分からない言葉が多いのだ。

 だから一体どんなことを学ぶのか見当も付かず、何故だか妙に緊張する。


「お姉ちゃん、大丈夫だよ。先生は厳しい時もあるけど、優しいから」

「本当? 女のくせに生意気だって思われないかしら」

「平気だよ! だって先生は『もっと女性にも活躍の場を広げるべきだ』って前から言ってたもん」


 ウルリヒの言葉に被さるように、コンコンとノックの音が響いた。

 ガチャリと音を立てて開いたドアの影から、一人の男性が現れる。

 

「こんにちは。あなたがレベッカさんだね。よろしく。私がウルリヒくんの家庭教師をしているライナー・ヴァールハイトです」


 紳士的な態度で頭を下げるヴァールハイト先生は、随分と線が細い美形だった。

 栗色のウェーブがかった髪を綺麗に横に撫で付けて、デミアンバーの眼鏡の奥に見える、ラベンダー色の瞳は優しげだ。明るいグレーのスリーピースが柔らかな彼の印象を引き締めて見せている。

 二十代の半ばと聞いていたけれど、もっと若いように思える。


「初めまして。これからお世話になるレベッカ・ユーバーヴィンデンです。よろしくお願いします」


 ぺこりと私が頭を下げると、ふっと先生の空気が和らぐのを感じた。


「きちんと挨拶ができましたね。素晴らしいです。一緒に勉強頑張りましょうね」


 にこりと笑顔を見せる先生は、ともすると女性に見紛うほど華やかで、とても美しかった。


「では、今日はレベッカさんが初めて参加されたので、レーベン王国の建国の歴史から始めましょう。シュトルツェリア王国の始まりを知るには、必要なことだからね。ウルリヒくんは覚えているかな? 復習のつもりでね」


 先生の言葉に、ウルリヒと私は教科書を開いた。

 

「かつてこの地には混沌がありました。人々が争い、決して広くはないこの島で領土を奪い合っていたのです。そんな現状を嘆き、争いの時代に終止符を打ったのが、初代レーベン王国国王のイーヴォ、後のイーヴォ・マグヌス・レーベン王です」


 既に知っている内容だ。

 けれど教科書のどの部分がそれに当たるのか分からず困惑していると、ヴァールハイト先生は優しく教科書を指さしながら単語を教えてくれる。

 それをノートに書き綴りながら、一つ一つ確認していく。


「こうしてかつての王家はアルノー様の加護を受け、その後十二代に渡ってこの地を治めていきます」


 単語を書き取ることに集中していた私は、ふと違和感を覚えて手を止めた。


「先生、先ほどからツェツィーリアの話が出てきていないように思うのですが、何故なのですか?」


 顔を上げてそう問うと、ヴァールハイト先生はみるみる目を見開いて、驚いた顔をする。


「お姉ちゃん、ツェツィーリアってなに?」


 隣のウルリヒが、首を傾げる。

 その言葉に、今度は私が首を傾げた。


「え? 知らないの?」

「レベッカさんは何かと勘違いしているかもしれないですね。すみませんウルリヒくん。レベッカさんと一緒にお勉強をするには、もう少し個別に授業をしてからの方が良さそうです。申し訳ありませんが、本日ウルリヒくんは自習にして、レベッカさんの個別授業にしてもいいですか?」 


 私の言葉を遮るように、ヴァールハイト先生は一気にそう言った。

 思わず、私もウルリヒも勢いに押されて頷く。


「ありがとうございます。ウルリヒくん、申し訳ないのですが、一旦席を外してもらっても良いですか? レベッカさんと少しお話があるので」

「は、はい……」

「先ほどベラさんがお二人のおやつにとクッキーを焼いていらっしゃいましたよ。先に食べてきてはどうでしょう?」

「ほんと⁉︎ 行ってくる!」


 最初は不思議そうにしていたウルリヒも、大好物のクッキーの言葉に、満面の笑みで部屋を出て行った。

 残された私と先生の間には、妙な緊張感が漂う。


「さて……」


 しばしの間を開けて、先生が口を開く。

 何か余計なことでも言ってしまったのだろうかと、胸がざわざわして仕方がない。


「レベッカさん、あなた何者なんですか?」


 続けたヴァールハイト先生の言葉に、私は思わず息をのんだ。

 

「何者って……。どういう意味ですか?」

「何故あなたはツェツィーリアのことを知っているのです? 彼女のことは、旧王家とその近しい家にしか伝わっていないのに」


 これまでの柔らかな表情とは違い、鋭い視線でヴァールハイト先生が私を見据える。

 まるで射貫くようなその視線に、私は何故か焦りを感じ始めた。

 と同時に、頭が混乱して仕方ない。

 まさかツェツィーリアの存在が、そんな風に秘匿されたものだったとは知らなかった。

 いや、私は自分が何を知っていて、何を知らないか、それすら分からない。レベッカもほとんど何も知らないから、確認しようがないのだ。

 だから王女だった私が知っていることが、世間一般に知られていないということは、確かにあるのだろう。

 しかし、何故ツェツィーリアの存在が隠されているのか。だってレーベン王国の興りに最も重要な存在なはずなのに。

 ……いや、まずは先生の問いに、どう答えるのかが先決だ。


「……夢に見たんです。一度死を迎えた、その時に」


 しばし悩んで、私は誤魔化すことにした。

 今先生に話すことは、そのままパパとママに伝わる可能性がある。

 レベッカが生き返ったと喜んでいるパパとママを、傷付けたくない。

 私は先生の様子を静かに窺う。ヴァールハイト先生は、顎に手をやって何か考え込んでいるようだ。


「……もしや一度死を迎えたことで、アルノー様に近付いたのか? そもそも彼女が生き返ったということ自体、アルノー様が何かしらの意図を示したということでは……」


 ぶつぶつと独り言を呟く先生の言葉が微かに耳に届き、その鋭さに衝撃を受ける。

 先生の考えは、ほぼそのまま事実だったから。


「夢では、他にどのような?」

「ええと……、その、私と同じぐらいの金髪の女性が、船に乗って行くところを見ました。アルノー様の御座す、祀の島まで」

「祀の島を見たのですか⁉︎」


 先生は更に驚いたようで、大きな声で目を剥く。


「祀の島は、誰も辿り着けない、目にすることすら出来ない聖域です。確かにそこに在ることは確かなのに、何故か認識できないのだとか。生贄を捧げるその時にだけ、姿を現すそうです」

「そ、そうなんですか……」


 知らないことばかりだ。

 てっきり、ただ入ってはいけないと言われているだけで、普通に目にすることが出来るものだと思っていた。あまりに当然のように存在していたから。


「あなたが見たのはもしや、前王権最後の王女でしょうか。……彼女の存在も、また秘匿されていますが」

「えっ⁉︎ そうなんですか⁉︎」


 私の存在が秘匿されている?

 何故? あんなに大々的に儀式をやって、肖像画だって何枚も描いてもらったのに……。

 もしかして生贄の存在自体が秘匿されている?

 誰が? 何のために?

 ……そして何より。


「先生、先生はどうして知っていらっしゃるのですか?」


 ツェツィーリアや私のことが一般に秘匿されているのだとして。それを何故、ヴァールハイト先生が知っているのか。その疑問は当然に浮かぶ。

 先生は静かに目を閉じて、まるで触れてほしくない部分に触れられたかのように眉を顰めてみせた。


「そうですよね。その疑問は当然のことと思います。ですが……」

 

 ヴァールハイト先生は逡巡した様子を見せる。何か言いにくい事情があるのだろうか。

 王家とその近しい家にしか伝わらない秘密なのだとしたら、先生はレーベン王家と繋がりがあったということだ。

 王女時代にヴァールハイトという姓は聞いたことはない。少なくとも、私と関わりのあった――まあそれもほとんどいないけれど――貴族にはいなかったはずだ。

 確か先生は元は伯爵家の次男で、兄が爵位を継いでから自身は家を出て平民として暮らしていると聞いた。

 ヴァールハイトという姓は家を出た時に付けたものなのかもしれない。

 先生を見つめながら色々と考えていると、先生はようやく口を開いた。


「私の義姉が……つまり兄の妻ですが、かつて王宮で侍女をしていたんです。その関係で、ツェツィーリアや前王女の話も耳にしていました」


 どこか暗い表情で先生は言う。

 なるほど、それならば知っていてもおかしくない。王宮の中では、特にツェツィーリアのことを秘密にしなければならないという雰囲気はなかったはずだし、当然私のことも知っているだろう。

 そう考えて、ふと思う。

 何故先生はそれだけのことをあんなに言いにくそうにしていたのか。

 侍女が王宮内の話を漏らすことはとても誉められたことではないだろうが、今それを咎められる者はいないはずなのに。


「義姉は今回のクーデターで亡くなりました。というより、そう考えるしかないのです。遺体が……見つけられる状況になかったので」


 先生は私の疑問を感じとってか、鉛のように重たい言葉を一つずつ吐き出すように言った。

 私は先生の言葉の意味を咀嚼する。

 オスカーは今回のクーデターで、王宮に仕えていた使用人や騎士たちの命も奪ったと聞いた。

 それこそ、王宮に居た全ての者を殺してしまったのだ。

 最後まで仕えてくれたヨゼフィーネやイザークのことを思い出す。彼らの存在には、私も救われていたのに。

 遺体が見つけられない状態だったということは、それほど凄惨な事件だったのだろう。

 かつて一緒に過ごした彼らが、残酷なオスカーの手によって無残な死を迎えたと思うと、腹の奥でふつふつと怒りが沸き上がるのを感じると同時に、目眩のような、天地がひっくり返るような感覚を覚えた。


「レベッカさん! 大丈夫ですか!」


 いつの間にか、ヴァールハイト先生の腕の中に居ることに気が付いた。

 どうやら実際に目眩を起こしていたようだ。


「申し訳ありません。あなたにあんな残酷な話を……」

「……いえ、そうじゃないんです先生。大丈夫ですから」


 先生の手を借りて、どうにか体を起こし、椅子に座り直す。

 一瞬、祀の島で見た家族の死体の横に、ヨゼフィーネとイザークの死体も転がる幻覚が頭を過ぎるも、すぐに頭を振ってそれらを追い出した。


「今日はもう勉強はお終いにしましょう。申し訳ありません」

「先生! 大丈夫ですから!」


 私が先生の腕に縋り付くようにして叫んだ時、ガチャリと扉が開いて、血相を変えたママが部屋に飛び込んできた。


「どうしたの⁉︎ 先生が叫ぶ声が聞こえたわ!」

「奥様、申し訳ありません。少々レベッカさんに無茶をさせ過ぎてしまったようです。本日はお疲れのようですので、しばらく休んでから再開しましょう」

「先生! 私は大丈夫ですから!」


 また学ぶ機会が遠ざかってしまう。

 焦った私は再び先生に縋るように腕を引くが、ママにそれを遮られてしまった。


「駄目よレベッカ! 必ず体調優先でと言ったでしょう!」

「もう私は健康なの! 大丈夫だわ!」


 駄々をこねる子供のように、イヤイヤと首を振って見せる。

 しかしママは絶対に許さないという確固たる意思でそれを許してくれなかった。

 そっと肩にぬくもりを感じ、見上げれば、先生が私の肩に手を置いて、申し訳なさそうな表情で静かに首を振っていた。


「レベッカさん。急いては事をし損じるというでしょう。一旦、ゆっくり休まれてください」


 そう優しい声で諭した後、ぐっと体を屈めて、私の耳元に顔を近付けた。


「先ほどの夢の話、しばらくは誰にも言わない方がいいでしょう」


 私にだけ届く小さな声でそう言うと、先生はにこりと笑い、ママに挨拶をして去っていった。


「レベッカ、先生はなんて?」

「……ゆっくり休んでください、だって」


 私はただ混乱したまま、ようやくそれだけ言ったのだった。


 こんな調子で、本当にオスカーに復讐なんてできるのだろうか。

 一体いつになったら、それほどの知識と体力をつけることができるのだろう。

 混乱する頭でそう嘆く。

 しかし、それから三か月後。

 まさか王宮の方からお呼びがかかるとは、この時の私は夢にも思っていなかった。

昨日は投稿できず申し訳ありませんでした。

徐々にゆっくりになります。

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