理想の世界
男女十名ずつの教室は、朝のショートホームルームを前に騒がしかった。
五時から七時まで、ゲーム内で一緒に過ごしていた明人と陸はパンドラの箱庭について語り合っている。
「どうだったよ?」
「楽しかったから続けるつもりだけど、そうなるとアバターを変更しようか悩むんだよね」
明人はネタ種族とは知らずにオークを選択してしまっていた。
ゲームを続ける上では、色々と問題の多い種族である。
しかし、既に新人勧誘キャンペーンのアイテムを手に入れた陸にしてみれば、明人の問題などどうでもいい事だった。
「まぁ、好きにすれば」
同じゲームを楽しむ友人同士ではあるが、アバターの作り直しなどゲームでは有り触れていたので気にしていない様子だ。
「というか、なんで朝方のログイン? 家に戻ってからでも良かったのに。朝起きるのが辛かったんだけど」
明人が話を切り替えると、陸が溜息を吐く。
「夕方から夜中二時くらいまではプレイヤーが多いんだよ。運営もプレイヤーが多い時間帯が偏っているから、時間帯で優遇とかやっているの。あの時間帯ならレアドロップ率が少しだけ高い、とか経験値が少しだけ多く手に入る、とかさ」
納得した明人が頷いていると、陸が嫌そうな顔をした。
「ついでに素行の悪いというか、マナーのなっていないプレイヤーも多いからログインする時間帯は考えておくほうがいいぞ」
あらかじめログインする時間帯まで考えていた陸に、明人は感謝するのだった。
(やっぱり詳しい友人がいると助かるな)
そう思っていると、教室内に委員長である摩耶が入室する。
少しだけ教室内の騒がしさが収まった。
(相変わらず、一人だけ違う空気を出しているな)
明人がそう思いながら摩耶を見ていると、普段よりも幾分表情が柔らかいように見えた。
普段は近寄りがたい雰囲気を出しているだけに驚きだ。
「どうした、委員長に気があるなら止めておけよ。同じ学園に通っていても、相手はエリート様だからな」
明人と陸が通っている学園は、決してレベルが高いとは言えなかった。
だが、その中で摩耶だけは周囲の生徒とは違い、とても優秀だったのだ。
「そんなんじゃないよ。ただ、少し楽しそうに見えたからさ」
凡人とエリート……釣り合わないことは、明人も理解していた。
VR技術に始まり、多くの技術により人は才能というものを早い段階で知ることができる時代だ。
それは社会への適応力と言ってもいいだろう。
絵の才能がある者は早い内から絵を学べる。
スポーツや勉強が得意だと分かれば、早い内から苦手な物を諦めて得意分野へと進む事が出来る。
夢のような世界。
だが、同時に才能というものを数値化し、多くの若者が夢を諦める事も招いてしまった。
スポーツ少年だった陸が、髪を染めて軽い感じの男子になる事は今の時代では珍しくもなかった。
明確な線引きがそこには存在していたのだ。
明人も同じである。
何に対しても才能がない。かといって、最低でもない。ギリギリ平均値という才能値が多く、器用貧乏を体現したような才能値だった。
上達はしても、どの分野でも一流にはなる事がない。
(社会の歯車の一つみたいな僕が、エリートの委員長に近付くなんて有り得ない。向こうだって興味もないだろうし)
同じクラスにはなったが、卒業してしまえばきっと接点などないだろう。
明人はそう思っていた。
「親が理事っていうのも考え物だよな」
陸が他人事のように呟くと、教室に担任教師が入ってきた。陸は明人の肩を叩いて自分の席へと戻っていく。
その時だ。
(あれ?)
不意に向いた方向に摩耶の席があった。摩耶は明人の視線を感じると、そのまま教師へと視線を向けた。
(見ていた? ……まさかね)
◇
放課後。
アルバイト先である【マイルド】で働く明人は、休憩を取っていた。
情報端末を見ながら考え込んでおり、見ているのはパンドラの箱庭に関する情報である。
中でも課金に関してのページを見ていた。
「経験値や資金の獲得量を増やす装備は一回のログインで壊れるのか。武器に関しては普通に扱えば二回から三回……数百円の装備で全身を固めて二千円くらい? それを毎回と考えると……凄い四万とか五万とかになる」
序盤の課金でもそれだけの金額が発生し、最前線ではその倍は金額がかかると知ると明人は端末を切った。
「僕には無理だな」
ただでさえ、VRマシンやソフトの購入。一ヶ月分のプレイ料金を支払ったのだ。
自由に出来る金額など少ない。
それに、あまり無駄遣いをして誰かにお金を借りたのが知られれば、明人の評価にマイナスがつく。
今の時代、一人暮らしもアルバイトも社会に出るための教育の一環という評価だ。
VRマシンで圧縮した時間の中、数週間で知識を叩き込むのが一般的だ。塾などに通い、より専門的な知識を得るのも推奨はされるが、それとは別に一人暮らしやアルバイトも評価の対象になっていた。
親元を離れ一人暮らし。
アルバイトでお金を稼ぎ、生活のやりくりをする。
それらは立派な社会へ出る前の準備であって、学園がアルバイト先を斡旋するのも珍しいことではない。
そんなアルバイトをしている明人でも、月に五万前後の出費は流石に無理である。
精々が月に一万から二万。
「こうして考えると、アルフィーさんは結構なお金持ちか社会人なのかな? まぁ、社会人である可能性の方が高いか」
ブツブツと独り言を言っていると、休憩室に八雲が入ってきた。
明人を見て若干引きつった顔をしている。
「独り言とか止めてよね。少し怖いじゃない」
慌てて誤魔化そうとするも、八雲は興味もないのか椅子に座った。視線では早く表に出ろと明人を急かす。
「……いってきます」
「お客さんはいないから、棚の整理をお願いね」
休憩中もモニターがあるので店内の様子は分かっていた。
(さっき、子供たちが三人来てお菓子の棚を触っていたからなぁ……)
休憩室から出ようとすると、八雲が先程まで明人が座っていた椅子に座る。
(あれ? いつもはパイプ椅子を別で出して座るのに変だな?)
普段の八雲とは違うと思いながらも、明人は休憩を終えて仕事を再開するのだった。
◇
アルバイトを終えてアパートに帰る明人。
疲れたと思いながら壁にかけているモニターの電源を入れると、スポーツのニュースをやっていた。
今期の新人である選手が、過去最高の才能値を出しておりインタビューを受けている映像が流れていた。
「この人、このチームに入団したんだ」
少し前に多くのプロチームからスカウトされており、どこに入団するのかが注目されていた。
美人のアナウンサーが、選手にインタビューしている。
『過去最高の才能値での入団ですが、今季の目標を聞いてもいいですか?』
選手は照れることもなく、堂々としていた。
高校生時代から怪物と呼べる成績を残しており、こうしたインタビューになれているのだろう。
『やっぱり一軍への定着ですかね。でも、まずは初勝利に貢献を――』
そこまでで明人はチャンネルを切り替えた。
だが、違うチャンネルでもその選手の特集が放送されている。
『過去最高の才能値を出した事で、両親は幼い頃から英才教育を開始し――』
『やはり、才能があっても環境がなければ宝の持ち腐れで――』
『両親の理解と本人の才能が――』
明人はモニターの電源を切った。
荷物をベッドの上に投げ捨て、そして制服の上着を脱ぐとハンガーに掛ける。
椅子に座って不満そうな顔をしていた。
「そりゃあ、過去最高の才能値を叩き出せば周りが黙っていないだろうさ」
生まれた時から人は平等ではない。
それは分かっているが、やはり不公平感があった。
「はぁ、昔はもっと自由だったとか聞いていたけど……これが理想の世界なのかな?」
昔の人は若い内から才能を知ることができて幸せだと言ったらしい。
だが、そんな時代に生きている明人からすれば疑問だった。
あやふやだった境界線が、より明確になったのだ。
生まれながらの貧富の差に加え、新たに才能の差が人を分ける。
「……課題をしたら寝るか」
部屋の隅に置いたVRマシンを見ながら、明人はそう言って背伸びをしたのだった。
◇
仮想世界。
ログインしたポン助は、希望の都の広場に出現した。
周囲を見れば、同じように出現してくるプレイヤーたちが大勢いた。
「ゲーム中は色々と考えなくて良いから楽でいいや」
結局、アバターの変更をしなかったポン助は、先日ルークがやっていたように掲示板に仲間を募集する書き込みをしようか考えていた。
「その前に、職業ポイントやスキルポイントの振り分けのために神殿に行った方がいいのか?」
今日の予定を考えながら、何をして楽しむか考えるポン助は取りあえず神殿に向かうことにしてその場から移動を開始する。
周囲では、ログインした仲間と楽しそうに笑っているプレイヤーたちの姿があった。
(楽しそうだな。僕も早く一緒に楽しめる仲間を探さないと)
一人で黙々とプレイする者もいたが、ポン助的にはそれでは寂しいと思っていた。
どうせ楽しむのなら、仲間は多い方がいい。
すると、見知った顔が辺りを見回していた。
「げっ!」
「あ、ポン助さん! って、なんで嫌そうな顔をするのよ」
最初は喜んだマリエラだが、ポン助が嫌そうな顔をするのを見て眉間に皺が寄っていた。外見が美人なだけに、凄むと迫力があった。
(中身オッサンだから、って言えたらいいんだけどね)
実際、別に中身がオッサンでも問題なかった。
寄生や姫プレイなどをしないで、純粋に一緒に頑張れる相手だとマリエラのことを思っている。
だが、先日の件でポン助は嫌な思い出の方が多すぎる。
「胸に手を当てて考えてくださいよ。というか、何か用ですか?」
胸に手を当ててと言われ、少し顔を赤くしたマリエラが顔を少し逸らしながらポン助に視線を向けてきた。
「せっかくだから今日も一緒にパーティーを組もうと思ったのよ。私は後輩に頼まれて遊び始めたんだけど、二週間は無料だから遊ぼうと思ったの」
ポン助は思った。
(学校か会社の後輩さんかな? それなのにいきなりネカマ、って……その後輩さんが一緒じゃないって事は、ドン引きしたのかな?)
どちらも男性を想像しており、ポン助は勝手に納得した。
「別に良いですけど、今日は神殿で職業ポイントを振り分けてから出かけようかと」
マリエラも笑顔で頷いた。
「それでいいわ。というか、ポイントの振り分けとか初期設定の時にやっただけよね? ボス戦の前にやっておけば楽だったんじゃないの?」
一緒に歩き出すポン助とマリエラ。
端から見れば、オークの横を楽しそうに歩くエルフの美少女、という光景だ。
すれ違うプレイヤーの中には振り返って確認する者もいた。
「ルークも雑魚戦だから必要ないと思っていたというか……最後にその辺りの説明をしてから終わりたかったみたいなんですよね。けど、ボス討伐で舞い上がって忘れていたみたいで」
まさか初日のログインでエリアボスと戦うなど、ルークも想像していなかったのだろう。
「そう言えば、本当に楽しそうだったわね」
宿屋の食堂でボス討伐が嬉しく、そのまま仲間内にメッセージを送っていたルークをポン助もマリエラも思い出す。
ポン助もマリエラも笑った。
「本当に楽しそうでしたね」
「見ていてこっちも楽しかったけどね。ねぇ、また一緒に遊べないの?」
ポン助は腕を組む。
「ルークの奴は自分の仲間がいますからね。ギルドを立ち上げるとかなんとか言って、今は忙しかったような――」
途中、ポン助が話を止めると振り返った。
そこには赤いドレスを着たアルフィーが立っており、ポン助のマンモスの毛皮で作ったベストを右手で摘まんでいた。
ポン助の背が高く、アルフィーが見上げている形だ。
ポン助から見れば上目遣いの美少女――という形なのだが、アルフィーに対するポン助の好感度はマイナスである。
(こいつオッサンなのにあざといな)
「なんですか、アルフィーさん?」
アルフィーが冷たいポン助の態度に少したじろいでいた。
「なんだか冷たい態度ですね。一緒にボスを討伐した中じゃないですか。それに友好度も三十を超えた中だというのに」
ポン助は笑った。
「まぁ、友好度は高くてもリアルの友好度はマイナスですけどね。モンスターの群れに放り投げて、しかも後ろから攻撃した事は忘れないぞ」
アルフィーがムスッとする。
美少女アバターで可愛らしいのだが、中身がオッサンだと思えばポン助の気持ちは揺るぎもしなかった。
マリエラが呆れる。
「そんなでかい図体で小さいわね。男ならもっと大きな器を持ちなさいよ」
ポン助が肩をすくめた。
「すみません。でかいのはアバターだけなんで。それで、どうしたんですか?」
アルフィーが困ったように笑った。
「実は、色々と声をかけているのですがプレイヤーが集まらなくて。課金して装備を揃えているのになんでなんでしょうね?」
(こいつも仲間がいないのか)
プレイを開始し、まだログイン二日目である。
掲示板の書き込みにも不慣れで、普通に声かけをしたが失敗したのだろう。
「……はぁ。神殿に行きますからついてきます?」
それを聞いてアルフィーは笑顔になった。
「あぁ、今日もよろしく頼む」
ポン助は思った。
(なんで僕がネカマのオッサンの世話をしないといけないんだよ)
――と。
◇
神殿は希望の都の中心地付近にある。
大きな建物の一つで、都と呼ばれる城塞都市には必ず一つは存在していた。
希望の都で手に入る職業は、基本と呼ばれるものばかりである。先に進めば新たに手に入る職業も追加されていくが、序盤はやはり基本的な職業だけだった。
青と白のゆったりとした服装に身を包んだ神官たちが、冒険者であるプレイヤーと話をして職業を与えていた。
天井はドーム状になっており、大きな窓はステンドグラスになっている。
基本白で統一された建物の中、ポン助たちは神殿の中で説明が書かれた石盤を前に立っていた。
「……汝、可能性を捨てて新たなる道を手に入れるべし?」
マリエラがそれっぽい言い回しをしている石版を見ながら、首を傾げている。
ポン助が石版の言いたい事を訳す。
「つまり、職業ポイントを支払って新しい職業を得ろ、って事ですよ。基本的にレベルアップ時やボス戦以外でポイントは手に入らないんですから、考えて職業を選びましょうって事では?」
全てを手に入れることは出来ない。
そのために、プレイヤーには選択が求められるのだ。
接近戦に特化するのか?
それとも万能型か、後衛か。
プレイヤーのプレイスタイルや、効率重視や攻略するための組み合わせ――職業の選択は重要である。
だが、MMORPGでも、パンドラの箱庭はVRゲームである。
最強の組み合わせというものがあったとしても、それを使いこなせるプレイヤースキルが求められる。
そのプレイヤースキルを持たない者たちからすれば、最強の組み合わせというのは宝の持ち腐れであった。
ポン助はその辺りの事をルークから聞いており、二人にも説明する。
アルフィーが納得していた。
「自分の技量も考えて職業を選択しろ、という事ですか」
マリエラも納得していた。
「あぁ、だから格闘家の職業を取れ、か。確か、オートでガードしてくれるとかそういう初心者向けのスキルがあるのよね?」
ポン助は頷く。
「調べたらネットにそんな事が書いてありましたけどね。持っていて損のない職業らしいですよ」
腕に自信のないプレイヤーにとっては、格闘家の職業はサポートとして必要なものだった。
ゲーム内では補助輪のような職業である。
「まぁ、そういう訳でしっかり考えて職業を選んでくださいね。僕は決めているのでもう行きます」
そう言って神官のところへ歩いて行くと、NPCの神官がポン助を見て――。
「ちっ、オーク臭い。それで、今日は何の用ですかね?」
先程まで優しそうな中年男性NPCが、苛立ちを隠そうともせず舌打ちまでしてきた。
(……ここまで冷遇する必要があるのか? 絶対運営の悪乗りだって)
ポン助はそう思わずにはいられなかった。