夏休み その1
住宅街にある小規模なスーパーは【マイルド】という店名だった。
日差しの強い外とは違い、店内はクーラーが効いている。
店内にはコンビニには置かれない野菜や果物、その他にスーパーらしい品揃えの商品が並んでいる。
逆に、お弁当やデザートなどは数も少ない。
買い忘れ、もしくは車を走らせるなり、移動するのが面倒な客が立ち寄ることが多かった。
そんな店でアルバイトをしている明人は、緑色のエプロンを着用して棚の整理をしている。
「夏休みになると朝から夕方までのシフトになるんですね」
隣で端末を操作しながら、品物のチェックをしていた八雲は手を動かしながら答えるのだった。
「パートさんたちは本店とか、大型の店の手伝いに行くからね。それに、働いておかないとローンとかきつくなるから」
資格取得のための費用は学生でも負担するのが当たり前だった。
社会教育という名の下に、学生時代からアルバイトをさせる教育方針だ。
遊ぶ金を稼ぐだけでは、教育にならないという事らしい。
「僕も二日後には病院ですね。車の免許を取らないと」
車の免許を取るために病院?
明人の頭がおかしくなったのではなく、基本的にVRで交通規則から車の運転などを短時間で学ぶことが出来る。
そうして脳に体験させ、試験や実技にかける時間を減らすのだ。
八雲は少し真剣な顔をしていた。
「一発合格を目指してよ。八月には中学生が来て大変になるからね」
明人は顔を上げた。
「中学生? あぁ、確か職場体験とか、そういう奴がありましたね。うちでも引き受けていたんですか?」
中学生の職場体験だが、内容はもっと濃い。
実際に二週間ほど働いて貰うのだ。
給料も出て、中学生には人気だった。
納税の義務もないので、研修生扱いで給料も安い。だが、中学生から見れば大金である。
八雲は去年を思い出したのか嫌そうな顔をしていた。
「私の時は中学生の女子が二人だったわ。そいつら、喋ってばかりで遅くてね。何度注意をしても駄目なの」
困っている八雲を、指導する社員の人はニコニコしながら見ていたらしい。
明人は思った。
(そう言えば、ネットで下の人間を指導させてわざと苦労させるみたいな話があったな。本当かな?)
八雲は溜息を吐く。
「だから、早く戻ってきなさいよ」
明人は苦笑いをしながら頷く。
(やっぱり、仕事のためだよな。分かっているけど……)
「ところで、先輩は夏休みに資格とか取らないんですか?」
八雲は天井を見上げた。
「いくつか取るけど、時間はそこまでかからないわ。試験を受けるタイプだけど、アルバイトの日は避けるから気にしなくていいわ。あ、お客さんね」
そうやって話をしていると、店内に汗をかいたお客さんが入ってきた。
冷房の効いた店内に顔を緩め、買い物かごを手に取ると野菜の置かれている棚に向かってキュウリを見ている。
二人とも元気よくいらっしゃいませ、と挨拶をして八雲が明人に端末を渡してレジへと向かう。
そのまま明人は仕事を一人で始める。
随分と息のあったコンビになっていた。
夏休みというのは、エリートと呼ばれる摩耶にとっても忙しい日々が続く。
運転手付きの車で向かう先は、塾から音楽教室……。
朝から四箇所を回る事になっており、帰宅時間は夜になる予定だった。
車内にある教材を確認し、そして摩耶は考える。
(はぁ、つまらない。パンドラは大型アップデートでしばらくログインできないし、ポン助たちとも会えないし。……マリエラはどうでもいいけど)
どうでもいいと思いながらも、喧嘩相手がいないことに少し寂しく思っていた。
スマホを取りだしてブックマークしているサイトを確認する。
パンドラの箱庭の公式サイトであり、ご丁寧に可愛らしいキャラが頭を下げてしばらくお待ちくださいと書かれていた。
サービス開始日の告知はされていない。
(お願いだから早く再開してよ! 毎日、生活に潤いがなくて大変なのよ)
主にストレスとか――そう思っていると、摩耶の知り合いである父の友人からメッセージが送られてきた。
『摩耶ちゃん、パンドラの再開っていつ?』
ナイスミドルで憧れのおじさんが、ある事をきっかけに始めたゲームがパンドラだ。摩耶のリアルを知っているプレイヤーである。
ゲーム内では程々に距離を取りつつ連絡を取る仲だ。
(おじ様も染まってきたわね。というか、私も知らないわよ)
返信をしてスマホをしまうと、摩耶は大きく深呼吸をした。
車内は運転手が綺麗に清掃しており、居心地も悪くない。
だが、夏休み中をこうして過ごすのかと思うと頭が痛くなりそうだった。
(もうしばらくすれば、病院で圧縮教育のために入院か。そう言えば、ナナコちゃんはどうなったかな?)
ナナコ――大きな手術を受けると言っていた、パンドラでの仲間を思い出していた。
数日後。
明人は住んでいるアパートから少し離れた、大きな病院を訪れていた。
かかりつけの病院は、この時期になると学生が大勢入院してくるので予約で一杯になっていたのだ。
「……近くの病院が使えないとか」
そのため、空いている病院を探して足を運んだのである。
受付で名前と予約の番号を告げると、看護師が来て簡易の健康診断を行うために別室へと案内された。
病院内は広く、そしてお金がかかっている気がした。
検査を終えると医師との面談が待っていた。
眼鏡をかけた男性の医師は、笑顔で明人に対応する。
「健康そのものでしたよ、鳴瀬さん。ただ、急激な体重の増加が気になりますね。以前のデータを確認しましたが、七キロも増えています」
明人はそれを聞いて自分の体を見た。
「え、あの……」
急激に太った訳ではない。医師も笑っていた。
「いえ、体脂肪率も問題ありません。健康ですし、成長期ですからね。ただ、何か特別に運動をしていましたか?」
カルテを見ながら質問してくる医師に、明人はアルバイトで動くようになったとか、重い荷物を運んで力がついたと説明する。
しかし、医師は納得していなかった。
「……そうですか。車の免許以外にも、スポーツジムですかね? そちらも圧縮教育を行うようになっていますが、間違いありませんか?」
通おうと考えていたフィットネスクラブ。
申し込みをすると、圧縮教育をするように求められたのだ。
「なにか問題があるところですか?」
気になって聞いてみると、医師は首を横に振る。
「この手のものはチェックも厳しいので安心してください。ただ、少し様子を見た方がいいと思いまして。急激に体に変化があるようなら精密検査をした方がいいかも知れませんね」
明人が不安そうにしていると、医師は「もしかしたらの話ですから」と笑顔で言うのだった。
入院するために服を着替えてベッドで横になる明人は、腕を組んで枕にしていた。
「……この時間が一番困る」
数日間、動けないとなると人間だからどうしても出す物を出してしまう。
生理現象だから仕方がないのだが、だからと言って対策を取らない病院でもなかった。
腸内洗浄に加え、丸一日は何も食べないなど色々と対策を取る。
義務教育や学園への入学時は、詰め込む知識や体験が多いために数週間も横になるのだ。
その間、病院で体を管理してもらう必要があった。
少し散歩をしようとベッドから起き上がった明人は、病院内を歩いてみた。
ただ、大きな病院であるために少し迷ってしまう。
「あれ? ここってどこだ? 違う病棟なのか?」
慣れない病院でウロウロしながら、看護師を探していると車椅子を押している人を確認する。
「すみません、実は道に迷ってしまって……」
そして、車椅子に乗っている少女を見た。
点滴に加えて包帯が巻かれている。目の方もバンドのような物で塞がれていた。
「え、えっと」
すると、看護師が小さく笑う。
「この時期だから学生さんね。あちらを進んだ先でエレベーターに乗ってください」
言われてお礼をすると、少女が少しあごを上げた。
「あの……どこかで会いましたか?」
可愛らしい少女はニット帽をかぶっている。きっと髪はないのだと明人は感じていた。
「いや、ないと思うけど」
すると、少女は少し寂しそうに笑っていた。
「そうですか。失礼しました」
何故か罪悪感と一緒に、安堵感がこみ上げてくる。
(なんだ? どこかで会ったことがあるのかな?)
明人はその場を離れながらも、少女のことについて考えるのだった。
七月末。
三日間の入院を終えた八雲は、臨時のアルバイトである女子と話をしていた。
髪を染めた女子は、腕や指にアクセサリーを付けている。
バックヤードの休憩室。
表には社員が出ているので、二人は食事を終えてノンビリしていた。
「ねぇ、八雲ちゃん」
「八雲ちゃん言うな。言っておくけど私の方が先輩だからね」
高校一年生の女子は、臨時であるためにすぐに辞めてしまう。
そのため、人間関係に関して緩く考えていた。
「別に良いじゃない。それにしても、コンビニより暇だと思っていたけど、割と人が来るんだね。ここに来ないで大型のスーパーに行けば良いのに」
思ったよりも忙しいことに腹を立てている様子だ。
(暇ならアルバイトなんか雇わずに店を閉めるだろうが。というか、なんの雑誌を……え?)
八雲が覗き込んだ女子の雑誌は、ゲーム関連の雑誌だった。
(こいつ、ゲームとか興味なさそうなのに)
一緒に働いていると、ファッションと男性の話しかしてこない女子に呆れていた。だが、そんな子がゲーム雑誌を読んでいる。
しかも、見ているページはパンドラの箱庭に関して特集が組まれたページだった。
女子は文句を続ける。
「それに栗田だっけ? あの社員もさぁ――」
ただ、八雲は相槌を打ちながらも、視線の先には雑誌を見ていた。
「へ、へぇ、そうなの」
「そうだよ。私、これでも色んなバイト先を経験しているから分かるんだ」
高校一年でそれはどうなのかと思う八雲だが、視線は雑誌のタイトルを見ていた。
(ゲーム雑誌とかまったくチェックしていなかったな。攻略情報とか、そういうのはネットで調べていたし。後はポン助が……)
八雲は聞いてみることにした。
「それより、あんたもゲームとかするの?」
女子は顔を上げて首を横に振る。
「しないよ。私はパンドラだけ」
いや、パンドラもゲームだから! と、言いたい気持ちを抑えて八雲は話を続けるのだった。
「攻略情報ならネットとかでも良くない?」
すると、女子は八雲を見て笑う。
「もしかして、八雲ちゃんはゲームしているの? もっと他の事をした方がいいよ」
イライラしながらも話を聞く。
「ほら、男子とかモンスターを倒すとか、色々とやっているけど大事なのは別にあるのよ。こう……理想の自分を実現しつつ、ファッションとか遊びを楽しむの。ゲームとか別に興味ないし」
そう言って女子が八雲に見せたページは、女性アバター向けのファッション情報だった。
他には、希望の都にどんな店があるのか情報が載っている。
(へぇ、詳しく載っているのね。けど、こいつは観光エリアでしか遊んでいないタイプか。関わらないな)
もしかして、こいつがアルフィーか? などと思った八雲だが、絶対に違うと直感が告げる。
(まぁ、こういう情報は別に求めていないからいいか)
今は節制の都にいる自分たちに必要な情報ではないと思い、八雲は興味をなくすのだが女子は自慢気に話を続ける。
「やっぱり外見は大事だよね。知り合いの男の子たちとか喜んで貢いでくれるし、それにデートに誘われることも多いんだよ。この前なんか、リアルで会ってそのまま食事に――」
そこまで女子が言うと、八雲は立ち上がった。
驚く女子に向かって、八雲は真顔で聞くのだった。
「その話……詳しく!」
夜。
まるで焦っているようにコンビニから出て来たのは摩耶だった。
ビニール袋を抱きしめるように持っており、中にはガムやら飴に加えてペンが入っている。
だが、その中で摩耶の本命はゲーム雑誌だった。
ただのゲーム雑誌が恥ずかしいわけではなく、その特集されている記事にかなり興味を持っていた。
足早に家に戻ると、家族や使用人に気付かれないように部屋へと戻る。
部屋に入るとビニールから本を取り出し、他の物は取り出さないままテーブルの上に置いてベッドに横になった。
「……買ってしまった」
雑誌には大きな文字で“女性アバター向けファッションの決定版”などと書かれている。
該当するページを開くとそこには色々と書かれていた。
「半端なネカマはするんじゃない? アバターの体型の不自然さを消す方法とネカマだと見破られない方法……関係ないわね」
そう言ってページをめくる。
そこには女性アバターを作る際の注意点などが書かれているのだが、摩耶は自分のデータを使用しているので不自然さなどないのだ。
そうして読み続けると、欲しい情報を見つけた。
「これだわ!」
女性アバター向けのファッション装備が掲載され、セクシーや可愛いらしいアバターたちがポーズを決めていた。
そして、摩耶は思い出す。
「確か、ポン助は女性アバターにデレデレしていたし、こういうのに興味があるのよね」
胸元が大胆に露出した装備を付けている女性アバターを、真剣な表情で見ながら摩耶は考えていた。
「これって運営が規制するギリギリのラインよね? でも、よく考えたら大型アップデート後は色々と変わるって言うし……」
気になるページを熟読後、摩耶はパソコンの前に座ってネットで検索を開始した。
「え~と、ファッションに関する情報は……これね!」
だが、調べて後悔してしまう。
そこには、課金装備で着飾るプレイヤーを貶す言葉が多く書かれていたのだ。
「なんでよ! いいじゃない! 他に欲しい装備とかなかったんだもん!」
涙目で情報を調べていくと、節制の都で手に入る素材で作れる装備などを検索する。
そこには基本的に緑を主体とする装備の数々が多かった。
「趣味じゃないわね」
色々と情報を確認しながら、自分が気に入る装備を探すのがいかに大変なのかを知ってこの日は終わるのだった。




