第5話 夜吹夢花――恋の宣戦布告
「夢花ちゃん……?」
どうして、夢花ちゃんが屋上に?
そんな疑問を抱いた直後、俺は彼女の左手に気づいた。
夢花ちゃんもまた――スマホを固く握りしめていた。
しかし、俺の隣に座る朝比奈を確認すると、申し訳なさそうに足を止める。
「ごめんなさい……。もしかして、お邪魔だったかしら?」
その言葉を聞いた途端、朝比奈が俺との距離をさらに縮めてきた。
肩と肩が触れそうなほど近くに座り、いつもの小悪魔めいた笑みを浮かべる。
「あっ、夢花ちゃん」
俺が名前を呼んだ、その瞬間。
グサッ!
朝比奈のフォークが、チョコレートケーキへ深々と突き刺さった。
「えっ、朝比奈!? どうしたんだ?」
「いえいえ~♡。なんでもありませんよ?」
朝比奈は笑顔のまま、ケーキへ突き刺したフォークをグリグリと動かす。
「それで、夜吹先輩はどうされたんですかぁ?」
声は甘い。
表情も笑顔だ。
なのに、なぜだろう。
ものすごく怖い。
「昼咲先輩とは、物語の今後の展開について話していただけなので、全然大丈夫で~す♡」
(物語の今後の展開?)
どちらかといえば、朝比奈の好きな漫画について聞かされていただけなのだが。
そう突っ込む間もなく、夢花ちゃんが俺たちを交互に見つめた。
「ふふっ。二人は本当に仲がいいのね」
夢花ちゃんがそう言うと、朝比奈はなぜか得意げに胸を張った。
「そうなんです~。先輩とは中学の新聞部からの付き合いですから。先輩のことなら、私、なんでも知ってるんですよ♡」
俺と朝比奈は中学時代からの付き合いだ。
当時中学二年生だった朝比奈が、俺の所属していた新聞部へ途中入部してきた。
チア部との掛け持ちだったため、毎日顔を出していたわけではない。
それでも、俺たちは放課後に何度も一緒に新聞を作った。
「あっ、知ってます? 先輩、部活動新聞の隅に、よく短い物語を書いてたんですよ~」
「おい、朝比奈! 余計なことを言うな!」
「いいじゃないですかぁ。減るものでもないですし♡」
朝比奈は、俺が新聞部で短い小説を書いていたことを知っている。
けれど、今もWEB小説を連載していることまでは知らないはずだ。
「それに先輩って、小説へ自分の願望をすぐ投影するんですよ~?」
「だから余計なことを言うなって!」
「たとえば、自分の好きな女の子の特徴とか♡」
「――っ!?」
全身に鳥肌が立った。
やめろ。
それ以上は本当にまずい。
確かに俺のWEB小説に登場する太田陽花は、朝比奈をモデルにしている。
俺は恐る恐る、夢花ちゃんの表情を確認した。
「へぇ……」
夢花ちゃんは嫌悪するどころか、興味深そうに俺を見つめている。
「瑛太君は、自分の好きな女の子を物語へ登場させるのね」
「い、いや! 全部が全部そういうわけじゃなくて!」
「そうなの?」
なぜだろう。
夢花ちゃんの瞳が、ほんの少しだけ期待するように輝いて見えた。
「そ、それより夢花ちゃん! 俺に何か用があったんじゃないか?」
俺は慌てて話題を変える。
グサッ!
隣から、再びチョコレートケーキへフォークが突き刺さる音が聞こえた。
朝比奈がジト目でこちらを見ている。
だが、今は気づかなかったことにしよう。
「あっ、そうだったわ」
夢花ちゃんは何かを思い出したように顔を上げる。
「瑛太君。昨日の約束、覚えているかしら?」
「ああ。もちろん覚えてるよ」
昨日、あの公園で夢花ちゃんと交わした約束。
夢花ちゃんの家はかなり厳しく、漫画やラノベを読むことを禁止されている。
だから、彼女が読みたい本を俺が代わりに預かり、月曜日に公園の球体遊具の中で一緒に読むことになった。
ついでに、夢花ちゃんが気に入りそうな作品を、俺が何冊か見繕うことも約束している。
(たぶん、読んでみたいラノベの候補を書いてきたんだろうな)
この約束については、朝比奈に話していない。
わざわざ伝えるようなことでもないと思っていたからだ。
夢花ちゃんはスマホを制服のポケットへしまうと、代わりに一通の封筒を取り出した。
(やっぱり、ラノベのリストか?)
けれど、一つだけ疑問がある。
なぜ、そんなに可愛らしい封筒へ入れているのだろう。
淡い桃色の紙には小さな花模様が散りばめられ、中央には赤いリボンまで結ばれている。
まるで、プレゼントに添えられた手紙のようだ。
(まあ、夢花ちゃんの家はかなりのお金持ちだしな。こういう細かいところまで綺麗にするのが普通なのかも)
夢花ちゃんは俺のもとへ歩み寄り、両手で封筒を差し出した。
「これ、瑛太君に――」
むぎゅっ。
「…………」
封筒が俺へ届く直前。
横から飛び出してきた朝比奈の頬に、柔らかく弾き返された。
「朝比奈さん?」
夢花ちゃんが目を丸くする。
「どうしたの?」
「…………」
朝比奈は答えない。
ただ頬を大きく膨らませたまま、俺と封筒の間に立ちはだかっている。
困惑しながら、夢花ちゃんが再び封筒を差し出す。
すると――。
シュッ!
朝比奈も同じ方向へ動き、またしても頬で封筒を受け止めた。
右へ差し出せば右へ。
左へ動かせば左へ。
朝比奈は、まるでゴールを守るキーパーのように、夢花ちゃんの手紙をことごとく阻止していく。
「朝比奈、何してるんだ?」
朝比奈はこれでもかというほど頬を膨らませ、夢花ちゃんへ不満そうな視線を向けた。
「それ、展開が早すぎませんか?」
「展開……?」
「だって、昨日出てきたばっかりなのに、もう手紙を渡すなんて早すぎると思うんですけど!?」
朝比奈はそう言うと、ぷいっと顔を背ける。
「いや、朝比奈。何か勘違いしてるだろ。これは――」
「へぇ~。先輩、この手紙をそんなに受け取りたいんだぁ」
朝比奈のジトッとした視線が、俺へ突き刺さる。
ただのラノベ候補リストを受け取って、何がまずいのだろう。
「朝比奈さん、これは別に、あなたが心配しているようなものでは――」
夢花ちゃんが宥めるように説明しようとする。
しかし、朝比奈は聞く耳を持たなかった。
「あ~あ。私、一年生の女の子で、先輩のことが大好きな子を知ってるんだけどな~」
「えっ?」
俺の思考が、一瞬で手紙から離れた。
朝比奈がさっきから何を怒っているのかは分からない。
だが、それよりも――。
一年生で、俺のことが大好きな女の子だって?
「朝比奈、それ詳しく」
「食いつくの早っ!」
朝比奈は一瞬だけ頬を引きつらせたものの、すぐに小悪魔めいた笑みを取り戻した。
「だったら~、その恋文を受け取らないって誓ってください♡」
「恋文?」
「誓ってくれたら、その子のこと、少しくらい教えてあげてもいいですよ~?」
朝比奈は得意げに人差し指を立てる。
「特別ヒントです。その子は先輩とよく話していて、甘いものが大好きで、先輩より一つ年下の――」
「ふふっ」
突然、夢花ちゃんが小さく笑った。
朝比奈の言葉が止まる。
「朝比奈さん」
「……なんですか?」
「その手紙、読んでもいいわよ」
「ふぇ?」
予想外の言葉だったのか、朝比奈の口から間の抜けた声が漏れた。
「中身が気になるのでしょう?」
「べ、別に気になんて……」
「どうぞ」
夢花ちゃんは穏やかに微笑み、封筒を朝比奈へ差し出した。
朝比奈はしばらく警戒していたものの、恐る恐るそれを受け取る。
「そこまで言うなら、確認してあげます。変なことが書かれていないか、先輩を守るために仕方なくですからね?」
「はいはい」
朝比奈は封筒から便箋を取り出し、その内容へ目を通していく。
「えっと……」
そこに書かれていたのは、夢花ちゃんが読んでみたいラノベのタイトルだった。
「『約束の女の子と再会した俺は、彼女を絶対に幸せにします』……」
朝比奈の眉がぴくりと動く。
「『あなたになんて、絶対に負けないんだから!』……」
読み進めるにつれ、朝比奈の声が小さくなっていく。
それとは反対に、彼女の耳はみるみる赤く染まっていった。
「こ、これは……?」
「瑛太君に、私が読みたいラノベをお願いした手紙よ」
夢花ちゃんは、にこやかな笑顔で答えた。
「恋文ではないけれど、何か問題があったかしら?」
「…………」
朝比奈は無言で便箋を封筒へ戻した。
そして封筒を握りしめたまま、すっくと立ち上がる
「朝比奈?」
「…………」
返事はない。
朝比奈は顔を真っ赤にしたまま、早足で屋上の出口へ向かっていく。
「お、おい。どこ行くんだよ?」
「友達とお昼を食べてきます!」
「いや、委員会じゃなかったのか?」
「今日の委員会は中止になりました!」
「それに、チョコレートケーキ忘れてるぞ!」
バンッ!
朝比奈は苦しすぎる言い訳を残し、勢いよく屋上から出ていった。
あとに残された俺は、閉ざされた扉を呆然と見つめる。
「……なんだったんだ、朝比奈のやつ?」
食べかけのチョコレートケーキへ視線を落とす。
「これ、どうしよう。あとで届けに行くか」
「ふふっ」
隣では、夢花ちゃんが楽しそうに笑っていた。
「とても可愛らしい子ね」
「そうか? 相変わらず、何を考えてるのかよく分からないけどな」
俺のことが大好きな一年生の女の子。
一瞬だけ期待してしまったけれど、それが朝比奈であるはずはない。
昨日、本人の口からはっきり聞いたのだ。
『私、先輩のこと好きじゃないですから』
俺と朝比奈は、ただの先輩と後輩。
少し仲がいいだけの、友達同士だ。
「あいつを好きになる男は、きっと苦労するだろうな」
「…………」
俺の言葉を聞いた夢花ちゃんは、少し驚いたように目を瞬かせた。
それから、朝比奈が消えた扉を見つめながら、小さく呟く。
「そう……。瑛太君は、まだ気づいていないのね」
「えっ? 何か言ったか?」
「ううん。なんでもないわ」
夢花ちゃんはゆっくりと首を横へ振る。
そして、どこか念を押すように俺へ告げた。
「本当に大変そうね。朝比奈さんが、これから好きになる人は」
「そうだな。俺もそう思う」
「……ええ。そうでしょうね」
なぜか呆れたように返されてしまった。
俺は弁当箱を鞄へしまい、朝比奈が忘れていったチョコレートケーキも袋へ入れる。
「夢花ちゃん、俺たちもそろそろ行こうか」
「えっ……」
その瞬間、なぜか夢花ちゃんの顔が真っ赤になった。
彼女は慌てた様子で、屋上の周囲をキョロキョロと見渡す。
「どうしたんだ?」
「誰もいないわよね……? 見ていないわよね?」
「うん。俺たち以外、誰もいないけど」
夢花ちゃんは意を決したように小さく頷いた。
そして、自分に言い聞かせるような声で呟く。
「月城星奈ちゃんは、確か……こうしていたのよね」
「えっ? 今、なんて?」
あまりにも声が小さくて、聞き取れなかった。
俺が聞き返そうと振り向いた、その瞬間――。
ぎゅっ。
夢花ちゃんが、慣れない手つきで俺の身体へ抱きついてきた。
「えっ……夢花ちゃん?」
柔らかな身体の感触。
鼻先をくすぐる、ほのかに甘い香り。
突然の出来事に、俺の思考が完全に停止する。
夢花ちゃんは赤くなった顔を俺の胸元へ隠しながら、小さな声で尋ねた。
「瑛太君……すごいドキドキしてるよ?」
◇
朝比奈愛羽視点。
「もぉ~、最悪!」
私は階段を下りながら、熱くなった頬を片手で押さえていた。
「絶対、勘づかれたよね? いくら鈍感な先輩でも、さすがに気づいたよね?」
友達との昼食を抜け出したこと。
恋文だと勘違いして、夜吹先輩から手紙を奪ったこと。
それに――。
『私、一年生の女の子で、先輩のことが大好きな子を知ってるんだけどな~』
あんなことまで言ってしまった。
あれでは、ほとんど告白ではないだろうか。
「で、でも……いいよね?」
私は自分へ言い聞かせるように呟く。
「先輩、絶対に私のことが大好きだし」
先輩が書いているWEB小説。
主人公がずっと一途に想い続けてきたヒロインは、どう考えても私がモデルだ。
「小説の中でも、ずっと私だけを好きでいてくれるし……」
だから、大丈夫。
そう思っていた。
これまでは――。
「でも、あの夜吹先輩が現れてから、少し怖いし……」
「乙女の勘というか……このままにしてたらまずい気がする」
昨日まで、ヒロインは私一人だった。
それなのに、夜吹先輩と再会した途端、新しいヒロインが追加された。
しかも、幼い頃に約束を交わした運命の女の子として。
「少しくらいアピールしても、問題ないよね……?」
ふと、手に何かを持っていることに気づく。
「あれ?」
私が握りしめていたのは、夜吹先輩から受け取った桃色の封筒だった。
どうやら、返したつもりでそのまま持ってきてしまったらしい。
「あっ! それに、チョコレートケーキも置いてきちゃった!」
期間限定の高級チョコレートケーキ。
食べかけとはいえ、このまま諦めるという選択肢はない。
「しょうがない。手紙を返すついでに、取りに戻ろう」
さっきの醜態を考えると、かなり恥ずかしい。
けれど、スイーツには代えられない。
「それに……先輩が気づいたかどうかも、確かめたいし」
もし先輩が私の気持ちに気づいていたら、今度こそ誤魔化さずに――。
「…………」
いや。
やっぱり、少しだけ誤魔化そう。
そんなことを考えながら、私は階段を上り、再び屋上へ戻った。
扉の前に立ち、一度大きく息を吸う。
(大丈夫。いつもどおり、余裕のある私に戻るだけ)
笑顔を作り、扉へ手をかけた。
ガチャッ。
「先輩~、私のケーキ――」
扉を開けた瞬間。
私の声が止まった。
「えっ……?」
そこには、私の大好きな先輩がいた。
そして、その胸には――夜吹先輩が抱きついていた。
「なんで……?」
喉の奥から、掠れた声が漏れる。
「どうして、二人が……抱き合ってるの?」
指先から力が抜けた。
握っていた封筒が滑り落ち、乾いた音を立てて足元へ落ちる。
その衝撃で封筒の口が開き、中に入っていた便箋が床へ広がった。
開いた扉から差し込む光が、白い紙を鮮やかに照らしている。
「あれ……?」
床へ落ちた便箋を見て、私は眉を寄せた。
「二枚、重なってる……?」
先ほど私が読んだラノベのリスト。
その裏側に、もう一枚の小さな紙が隠されていた。
震える指で、二枚の便箋をゆっくりと引き離す。
そこに書かれていたのは、たった二行だけだった。
『朝比奈さんへ』
『瑛太君のことは、私も譲らないから』
「…………っ」
息が止まった。
これは偶然、重なっていた紙じゃない。
もしかして夜吹先輩は、私がこの手紙を読むことまで予想していたのだろうか
顔を上げる。
先輩の胸に抱きついたまま、夜吹先輩がこちらを見ていた。
彼女の顔も真っ赤だった。
それでも、その瞳だけは逃げることなく、まっすぐに私を見つめている
屋上へ降り注いでいたはずの眩しい日差しが、少しずつ色を失っていく。
ついさっきまで鮮やかだった世界が――ゆっくりと、灰色に染まっていった。




