第4話 新ヒロインなんて必要ありません♡
朝比奈の右手には、昼食の入ったコンビニ袋。
そして左手には――なぜか、スマホが固く握りしめられていた。
朝比奈は俺のもとまで駆け寄ると、そのまま隣へ腰を下ろした。
「なんでそんなに急いでたんだ?」
「え~? 私が焦っているように見えましたぁ?」
先ほどまでの必死な様子はどこへやら。
朝比奈はいつもの余裕たっぷりな笑みを浮かべ、小首を傾げる。
「先輩、自意識過剰すぎじゃないですかぁ?」
「いや、汗すごいぞ?」
「えっ?」
その瞬間。
朝比奈は自分の額に触れると、慌てて俺から距離を取った。
「やだ! 私、今日スプレー忘れちゃった……!」
制服の襟元をつまみ、恐る恐る自分の匂いを確かめている。
「どうしよう……汗臭かったら最悪……」
どうやら、俺に汗臭いと思われるのが嫌らしい。
まあ、女の子なら相手が好きな男であろうとなかろうと、汗の匂いは気になるものなのだろう。
「大丈夫だって。朝比奈、いつもどおりいい匂いするぞ?」
「…………」
朝比奈が目を丸くした。
どうしてそんな顔をするんだ?
「先輩……私のこと、いい匂いだと思ってたんだ……」
朝比奈は頬を赤らめ、聞こえるか聞こえないかくらいの声でぶつぶつと呟き始める。
「でも、汗をかいてる私までいい匂いって感じるのは、人によってはちょっとアレな気も……。あっ、でも恋愛雑誌に書いてあったよね? 相性がいい相手の体臭は、いい匂いに感じることがあるって……」
「ん? 何か言ったか?」
「な、なんでもありませ~ん♡」
聞き取れたのは、「ちょっとアレな気も」という部分だけだった。
もしかして、また変なことを言ってしまったのだろうか。
朝比奈は誤魔化すように咳払いすると、俺の隣へ座り直した。
「たまたま、いつも一緒にお昼を食べてる子が委員会でいないんです。それで仕方なく、先輩の相手でもしてあげようかな~って♡」
「なんだ、そういうことか」
相変わらず、生意気なことを言う。
けれど俺は、朝比奈がここへ来てくれたことを心から嬉しいと感じていた。
俺は朝比奈のことが大好きだ。
ほんの少しでも一緒にいられることが、何よりも嬉しい。
しかし、それと同時に――胸の奥が鈍く痛んだ。
朝比奈にとって、俺はあくまで仲のいい先輩。
いわゆる友達枠でしかない。
「そうだ♡ 先輩って、ラノベ好きですよね?」
「ああ。好きだけど」
「私、ラノベは一冊しか読んだことないんですけど、漫画なら結構読むんですよ。だから、私のおすすめの漫画について話してもいいですかぁ?」
「へぇ。ラノベも一冊は読んだことあるんだ。どんなタイトル?」
年中ラノベを読み漁っている俺なら、多少マイナーな作品でも答えられる自信がある。
そのあたりの検索エンジンより、よほど正確にヒットするはずだ。
「はいはい。そこは食いつかなくていいんですよ~」
朝比奈は呆れたように手を振った。
「先輩はよそ見しないで、一つだけを見ていればいいんですぅ」
「……何の話だ?」
「こっちの話で~す♡」
朝比奈はコンビニ袋から、小さく切り分けられたチョコレートケーキを取り出した。
甘党の朝比奈らしい。
昼食というより、女子力の塊みたいな組み合わせだ。
「それで、どんな漫画なんだ?」
「これです」
朝比奈はスマホを操作し、電子漫画の表紙を俺に見せてきた。
そこに表示されていたタイトルは――。
『私だけを愛して』
「あっ! これ、知ってる!」
『私だけを愛して』は、主人公と一人のヒロインだけで展開される純愛ラブコメだ。
最大の特徴は、主人公がとにかくヒロインにメロメロなこと。
隙あらば愛を叫び、全校生徒の前でヒロインの可愛さを熱弁した回は、今でも読者の間で伝説として語り継がれている。
「私、こういうお話が大好きなんです~♡」
朝比奈は満足そうに表紙を眺める。
「二人だけの世界でいいっていうかぁ……」
それから、なぜか俺の目をまっすぐ見つめてきた。
「正直、ほかのヒロインなんて必要ないっていうかぁ」
「そうだな。俺もどちらかといえば、一人のヒロインだけをずっと好きでいる物語のほうが好きだな」
「ですよね~♡」
朝比奈は何度も嬉しそうに頷く。
そしてチョコレートケーキをフォークで一口大に切ると、俺の弁当の上へ載せてきた。
「えっ、これくれるのか?」
「どうぞどうぞ~。物分かりのいい子には、ご褒美をあげるのが私の主義なので♡」
「俺、子供扱いされてない?」
「飴と鞭ってやつです」
なんだか、餌付けされているような気分だ。
というか、その理屈だと――このあと鞭もあるのか?
「あっ。でも、逆にこういう作品は苦手かも」
朝比奈はスマホをスワイプし、別の漫画を俺に見せてきた。
タイトルは――。
『浮気するあなたに制裁を!』
永遠の愛を誓い合った主人公とヒロイン。
しかし、二人の前に新たな少女が現れたことで、その関係は少しずつ揺らぎ始める。
やがて主人公の心は新しい少女へ傾き、最後には、ずっと彼を支えてきたヒロインではなく――後から現れた少女を選んでしまう。
愛する人を奪われたヒロインは絶望し、自分を裏切った主人公と新しい恋人へ復讐を始める。
そんな、少し過激な恋愛漫画だ。
(……これ、俺がさっき投稿した小説と似てないか?)
もちろん、俺の作品に復讐展開なんてない。
太田陽花を捨てて、月城星奈と結ばれると決まったわけでもない。
ただ――それまで一人だったヒロインの前に、恋のライバルが現れる。
その部分だけは、俺が書いたばかりの展開と重なっていた。
しかも、共通点はそれだけではない。
この後から現れたヒロインは――。
「この女の子、すっごくボディタッチが激しいんですよ!」
朝比奈の声に、わずかな怒気が混ざる。
「いきなり抱きついたり、腕を組んだり! そういうのって、もう少し自重してほしいというか……」
朝比奈はスマホの画面を指で何度も叩きながら、頬を膨らませた。
「どうしてもやりたいなら、人前じゃなくて二人きりの場所でやるべきだと思うんですよね!」
「そ、そうか……」
ちなみに、俺が投稿したWEB小説の新ヒロイン――月城星奈も、主人公へいきなり飛びつくような積極的な性格だ。
もし朝比奈が俺の小説を読んでいたら、間違いなく怒るだろう。
(いや、でも……バレるはずがないよな?)
朝比奈は、俺が小説好きだということは知っている。
しかし、自分でWEB小説を書いていることまでは教えていない。
ましてや、そのヒロインのモデルが朝比奈だなんて、知るはずもない。
つまり、バレようがないのだ。
「それで、先輩はどう思います?」
朝比奈が、じっと俺の顔を覗き込んでくる。
「こういう、スキンシップが激しいヒロインについて」
「いや……まあ、必要なんじゃないか? 物語の展開的に」
そう答えた瞬間だった。
パクッ。
「えっ?」
朝比奈が俺の弁当から、おかずを一つ奪って口へ運んだ。
パクッ。パクッ。
「ちょっ、朝比奈?」
俺の声を無視して、次々とおかずを奪っていく。
そして瞬く間に――弁当箱の中から、すべてのおかずが消え去った。
残されたのは、真っ白なご飯と、その上に載せられた一切れのチョコレートケーキだけ。
「……なんで全部食べたんだよ」
「さあ~? どうしてでしょうねぇ?」
朝比奈はジト目で俺を見つめながら、頬を膨らませていた。
先ほどまで余裕たっぷりだった笑顔は、完全に消えている。
「飴と鞭ってやつです♡」
「鞭、重すぎない!?」
俺は白米とチョコレートケーキだけになった弁当を見つめた。
さすがに、この組み合わせを同時に食べる勇気はない。
俺はそっと蓋を閉じ、残った白米は夕飯のおかずと一緒に食べようと決意した。
「それで、次はですね~」
「えっ、まだあるの?」
そう言いながらも、不思議と嫌な気はしなかった。
むしろ、こうして朝比奈といつもどおり話せていることが、何よりも嬉しい。
昨日、彼女の言葉を聞いてから、もう今までの関係には戻れないんじゃないかと思っていた。
けれど朝比奈は、いつもと変わらず俺の隣で笑っている。
(こうなったら、とことん付き合ってやるか)
俺は朝比奈が次に紹介しようとしている漫画を見るため、彼女のスマホを覗き込んだ。
その瞬間――。
ピコン♪
画面上部に、メッセージの通知が表示された。
『ちょっと愛羽! 急にどこ行ったのよ!』
続けて、もう一件。
『お弁当、片づけないで待ってるから! 午後から体育で教室を男子に使われちゃうし、早く戻ってきて!』
「…………」
あれ?
朝比奈、さっきなんて言ってた?
『いつも一緒にお昼を食べてる子が、委員会でいないんです』
けれど、このメッセージを読む限り、その友達は教室で朝比奈を待っている。
つまり――。
「朝比奈、お前……」
「あっ、この漫画はですね~! ヒロインがすっごく一途で、主人公のことを――」
朝比奈は通知に気づいていないのか、必死に漫画の説明を続けている。
しかし、ふと画面上部へ視線を向けると――その表情が凍りついた。
「…………っ!」
次の瞬間。
シュッ!
朝比奈は親指をものすごい速さで動かし、通知を画面外へ追いやった。
もう遅い。
ばっちり見えてしまった。
「い、今のは……」
朝比奈の顔が、みるみる赤く染まっていく。
「最悪……どうして、こんなタイミングで……」
彼女はスマホを胸元に隠すと、恨めしそうに俺を見つめた。
「先輩……」
「な、なんだ?」
「今の通知……見ました?」
いつもの小悪魔めいた余裕は、どこにもない。
朝比奈は行儀よく正座し、俺の返事を待っている。
どうやら朝比奈は、友達との昼食を放り出して俺のところへ来たらしい。
けれど、どうしてそんな嘘をついてまで――。
「いや、見――」
バンッ!
俺が最後まで口にするより早く、屋上の扉が勢いよく開いた。
「瑛太君!」
聞き覚えのある声に、俺と朝比奈は同時に振り返る。
扉の前に立っていたのは、肩を大きく上下させている夜吹夢花だった。
長い黒髪を乱し、頬をわずかに紅潮させている。
どうやら彼女も、ここまで走ってきたらしい。
「夢花ちゃん……?」
どうして、夢花ちゃんが屋上に?
そんな疑問を抱いた直後、俺は彼女の左手に気づいた。
夢花ちゃんもまた――スマホを固く握りしめていた。




