第8話 皇母との再会
ヴィランは、アニンディとしばらくの間、昔の話に花を咲かせた。
その話しが皇母の話しに及ぶと、ヴィランは、アニンディが皇母の使者として来たことを思いだした。
「そうじゃ。おぬしは皇母の使者として来たんじゃったな。皇母はわたしに何か用なのか?」
「はい。私も詳しいことは知りませんが、何やらモンカル修道院から、ヴィラン様についての重要なお話しがあったとか。そのことで、公をリザルト=レイヴンにお呼びなさっておいでです。いかがなさいますか?」
(モンカル修道院じゃと……)
ヴィランは長らく聞きいていなかった言葉に、少し戸惑いの表情を見せた。
「あ……うむ。皇母がお呼びであるのならば、行かねばならぬな。すぐに出発しよう。いや、手間をとらしたな」
「では、私はこれにて」
「なんじゃ。もう帰るのか。もう少しゆっくりしていっても、よいのじゃぞ」
「いえいえ、公のお邪魔をするわけにもいきますまい。それに、妻が待っとりますのでな」
アニンディは、優しげな微笑みを顔に浮かべた。そして、ヴィランの手に軽く接吻をすると、立ち上がって部屋を出ようとした。
「リューベック! アニンディを見送ってやれ」
扉のそばに立っていた先ほどの男は、アニンディを連れて、部屋から退出した。
ヴィランはアニンディを見送ると、すぐに自室に戻り、服を着替え、リューベックと、エレオノールの兄妹を連れ、リザルト=レイヴンの大宮殿に向かった。
白亜の路では、リザルト=レイヴンの大宮殿の中で働く、宮女や騎士達が忙しそうに、歩き回っていた。大きな瓶を頭の上に乗せた宮女、花瓶を持って各部屋の花を交換して回る侍女達、壮大で優雅な宮殿には、不釣り合いな格好をした騎士達。
彼らの行きかう姿は、リザルト=レイヴンの生命の躍動を感じさせた。
ヴィランとリューベック兄妹は、そんな白亜の路を歩いていた。
「しかし、いつ来てもここはせわしいな。もう少し落ちつかんのか、あの者達は」
「あれが彼らの生活ですから、そうもいかないでしょう」
女騎士エレオノールは、ヴィランの言葉にそう答えた。
「皇母が教皇になる前は、厳粛な雰囲気が漂い、この白亜の路を通る者は、僧侶か、一部の貴族だけだったと聞く。それも、息がつまるようなものじゃな」
ヴィランは、周りを見回しながら笑った。
リューベックは、ただ黙ってヴィランの後ろを歩き、エレオノールは、ヴィランの横を歩いていた。
彼ら、兄妹は、ヴィランが公爵となる以前から、ヴィランに仕えていた騎士で、リューベックは従騎兵、エレオノールは大騎兵である。彼ら二人はいわば、ヴィランの護衛官でもあり、同時にヴィランが最も信頼する従者でもあった。
三年前のヒスタリクとスィークリトとの大戦時には、ヴィランの気まぐれで大戦のまっただ中にあった、イプソス大草原にまでヴィランの側近として付いていった。
ヴィランは、大戦の様子を高丘から見おろし、その中で奮戦するデスやカリュース達を見て、
「あの者達を部下に持つ帝国は、いずれは世界帝国になるか、滅亡か……」
と呟いていたという。
そんな彼女を影で支えるのが、リューベックであり、彼女のよき相談相手がエレオノールであった。
ヴィランは、エレオノールと二言三言話しをすると、後は黙って白亜の路を皇母宮に向かって歩いていた。
皇母宮は、リザルト=レイヴンの大宮殿の中央部に位置する、リザルト=レイヴンの中枢部である。
代々の教皇がこの宮殿で、ラヴァウインド共和国の政治を行い、また枢機卿の任命式を行ってきた。
青みがかった大理石をふんだんに使用して築かれた皇母宮は、「蒼雲宮」とも呼ばれていた。
元々は白い大理石に、青い色が大量に含まれているため、白い部分がまるで、天空の白雲のような様子から、そう呼ばれるのである。
白亜の路から少しはなれた蒼雲宮に向かう人物は、さすがにそう多くはなかった。
ラヴァ大神の代理人たる教皇がいる蒼雲宮には、一般の者は立ち入りを禁じられていた。入れる者は、六大卿に認められた者か、各省の大臣クラスの者達だけである。
ヴィランと、側近の兄妹達は、恐れもなく堂々と蒼雲宮に入り、皇母の自室に向かった。
蒼雲宮は、教皇が政治をするところでもあるが、それと同時に教皇の住まいでもある。それ故に、蒼雲宮には、大小さまざまな部屋がある。
だが、皇母はそんな部屋の中でも、恐らくは、最もみすぼらしい部屋ではないか、と思われるような、質素な部屋を自室としていた。
それは、皇母がかなりの倹約家であり、また、リザルト=レイヴンが徴収する税の内、教皇に割り当てられる分のほぼ九割を、国民の生活の為に還元しているからでもある。
ヴィランは、皇母の自室前で立ち止まると、兄妹達を部屋の外で待たせ、中に入った。
部屋の中には、小さなテーブル一つと、それのそばにソファーが一つ。
あとは、何もないこじんまりとした、質素な部屋だった。
部屋の窓際には、揺り椅子に座っている老婆がいた。
第百十九代ラヴァ正教教皇リザルト=レイヴン四世である。
七十と言う年齢を感じさせる、やせ細った小さな体には、もはや、教皇の象徴である大聖衣を着ることはできず、教皇の証である、ラヴァの冠を頭にはめているだけだった。
揺り椅子に腰をかけ、膝には毛布の膝かけをかけ、肩からはショールを、視力があまり良くないため、顔には小さな眼鏡をつけている。
その姿は、一般民衆の老婆となんら変わりはなかった。
皇母は眠っていた。安らかな寝息の音は、リザルト=レイヴンの平安を象徴するものであった。穏やかな寝顔──教皇という地位は、もはや肩書きですらない──そんな寝顔だった。
ヴィランは、皇母が眠っている所に近づき、肩のショールをかけ直すと、皇母を起こさないように、じっと皇母を見つめていた。
皇母の、規則正しい寝息の音は、ヴィランの鼓動と足並みを揃えて聞こえ、ヴィランは、皇母の姿に、今はもはや会うことはかなわぬ自分の母の姿を重ねていた。
ヴィランが部屋にはいってから、数時間とも、数秒ともしれない時間が流れた。
皇母は、目が覚めても、ヴィランが入ってきていたことに気が付いてはおらず、じっと前を、遠くを見つめるような目で見ていた。
その視線を窓の外にやると、平和なリザルト=レイヴンの内部でせわしく歩き回る、宮女や騎士達の姿が目に映る。皇母は、優しげな目をして微笑を浮かべた。
「今日も、平和だね」
皇母は、そう呟くと、再び眠りにおちいるかと思われた。だが、それはなかった。皇母は、ヴィランの姿に気がつくと、嬉しそうに笑いながら、ヴィランに話しかけた。
「おぉ、ヴィラン。来ていたの。どうして起こしてくれなかったの?
あなたが来ていたと知っていたら、すぐに起きたのに」
皇母は、無表情で立っているヴィランの姿をじっと見つめた。
「皇母が、眠っておいででしたから、お起こしするのは、失礼かと思ったのです」
「そんな気をつかわなくてもいいのに。私の眠りは浅いのよ。あなたが声をかけてくれれば、すぐに起きたのよ」
「は……」
ヴィランは、さみしそうな顔つきで皇母を見つめた。皇母はヴィランのそんな様子に気がつかず、ヴィランが来てくれたのを心底喜んで、顔には笑みを浮かべ、ヴィランの顔や姿を見ていた。
「ところで、皇母。わたしをお呼びとお聞きしたが。一体何の用なのですか」
「あぁ、そうだったわね。あなたを呼んだのは、あなたが昔育てられていた、モンカル修道院の院長が、
ヴィラン公をモンカル修道院に連れてきた人物が修道院に現れた
そう伝えてくれたの。
そしてね、その人物をこの宮殿にまで連れてきてくれたのよ」
(何……わたしを修道院に捨てた人物が現れて、今ここにいるじゃと。
一体今更、何をしに現れたのじゃ……)
ヴィランは、その人物が自分の地位を利用するために現れたのではないか、そう考えた。皇母は、ヴィランの考えなどには、まったく気がつかず、ただ嬉しそうに話しを続けていた。
「ヴィラン。もしかしたら、あなたの出生が分かるかもしれないわね。いや、きっと分かるわ。
あなたが、どうして修道院に入れられたのか。あなたの両親は生きているのか。
あなたの記憶にはない、本当の両親に会えるかも知れないのね」
(わたしの記憶にはない……か。そう、忌まわしい過去を覚えているぐらいなら、いっそのこと、忘れてしまった方がいい……そう忘れてしまった方が……)
ヴィランは、深い思いに沈みつつあった。自分を修道院に連れて来た人物とは、まさしく自分の父親の召使いであった者だと、ヴィランは知っていた。
その者の顔も姿も、ヴィランは知っていた。だがそのことは、皇母は知るよしもなかった。
「そうだわ。その人物をここに呼びましょうね」
皇母は、揺り椅子のそばにあった、ベルを鳴らした。すると、隣の部屋で控えていた小姓が現れた。
皇母は、その小姓に、モンカル修道院からの客を連れてくるように言った。そしてさらに、ヴィランに、冷たく冷やした、薄めたレーム酒を持ってくるようにも言った。
レーム酒は、すぐに別の小姓によって運ばれ、テーブルの上には、皇母と、ヴィラン、そしてモンカル修道院からの客の分の、三人分のグラスとレーム酒が置かれた。
ヴィランは、テーブルのそばのソファーに腰をかけ、皇母は相変わらず、揺り椅子に座っていた。
テーブルの上のレーム酒を小姓が注ぐと、ヴィランは、それを皇母に手渡し、後から注がれた自分の分を取った。
外から差し込む太陽の光が、皇母のレーム酒にその光を投げかけた。赤紫のレーム酒は、太陽に照らされて真紅の色に変わり、その色は鮮血を思わせた。
二人の間には、しばらくの沈黙があった。皇母はヴィランを見つめ、ヴィランは、自分の手にしたレーム酒に視線を落としていた。そんな状態のまま、客人が現れるのを二人は待っていた。
蒼雲宮の沈黙は、やがて客人の足音で静かに破られる──




