第7話 二つの使者
つんと、鼻をつくような香り──バラック特有の香り──
バラックは、赤い花びらを何重にも重ねて咲く、直径十五cmほどの花で、その香りは鼻を刺激するが、その花びらをレーム酒に浮かべると甘い香りを放つため、貴族達が酒のたしなみとして好んで用いる花である。
その部屋には、バラックが一面をおおい尽くしているのではないか、と思わせるような、きつい香りが立ちこめていた。
赤を基調とした絨毯に、黄色い幾何学的な模様を施し、壁には純白のカーテン、豪華なソファーには、柔らかいミーウの毛皮をふんだんに使ったカバー……その部屋の様子は、ただの貴族ごときでは、決して真似することのできないほど豪華な様子であった。
ソファーには、その部屋の主であろうか、黒い服の上に銀色のネックレスをつけ、片手にはバラックを浮かべたレーム酒を持ち、もう片方の指先で、横に置かれているバラックの花をもて遊んでいる人物が、横になっていた。
女性である。漆黒の髪は長く、横たわっているソファーの端から床に垂れていた。
白い肌に、黒い服は対照的で、より一層その肌を浮かび上がらせている。
彼女は、天井を見ながらソファーに横たわり、何をするのにもうっとおしそうに振る舞っていた。
赤いレーム酒に浮かんだバラックの花は、芸術的な美しさをうつしだし、部屋の主にはいかにも──遥か古代から、そんな風に過ごしてきたかのように──につかわしかった。
部屋の主の、静かな雰囲気をじっと見守る女性がいた。
この女性もまた、黒の薄い機能的な服を身につけ、腰には、そんな優雅な様子からほど遠い、ブロードソードを身につけている。
彼女は、女主とは違って、若々しい華やかな女性の雰囲気を漂わせていた。
ソファーの女性は、上半身だけを起こすと、部屋の隅にいた武装した女性に話しかけた。
「エレオノール。おぬしの兄はどこにいった」
「はっ。兄はただ今、皇母の所に行っております、公爵様」
公爵と呼ばれた女主は、目線をレーム酒のバラックに落とした。
グラスの中で漂うバラックの赤と、レーム酒の赤紫は、お互いが一体のものであるかの様に、溶け込み合っていた。
そのレーム酒の表面に写る、女公爵の顔の瞳は、知性の影をひそませ、秀麗な顔立ちには、やや悲しげな表情が浮かんでいた。
しばらくの沈黙が続いた。
部屋の隅にいる武装した女性は、小姓の少年に呼びかけられると、女公爵に一言言うと、部屋を出ていった。女公爵は、再びソファーの上に横になり、憂うつな気分の中に浸ってしまった。
そんな、女公爵の気分を変えさせたのは、先ほど出て行った武装した女性の呼びかけだった。
「ヴィラン様、フィリッツグール公爵の使者が、面会を申し出ていますが、いかがなさいますか?」
ヴィラン──そう呼ばれた女公爵は、面倒そうに起きあがると、髪をかきあげながら答えた。
「会わぬ。早々に帰るように伝えろ」
「しかし、フィリッツグール公爵の使者を、そうむげに追い返しては、後々問題がありませんか?」
「かまわぬ。病気で伏せっている、とでも言って追い返すのじゃ」
「しかし、フィリッツグール公爵ほどの貴族の使者を、門前払いをしては、ヴィラン様のお名前に傷がつきましょう」
ヴィランは、あからさまに嫌そうな顔をした。フィリッツグール公爵は六大卿の一人で、ヴィランの政敵とも言える大貴族であった。
「ラーデンブルク公爵であってもさえ、会いたくない者に会わねばならんとはな……
分かった、会うから、一番安っぽい客室で待たせておけ。服を整えてから、後で行く」
ヴィランは、そういうと、そのまま隣の部屋に消えた。
残された女騎士は、すぐさま使者をヴィランの言う、一番安っぽい客室に通し、ヴィランが来るまで待つように言った。
ヴィランがその部屋に現れたのは、使者が部屋に通されてから、二時間は過ぎてからだった。その時のヴィランの様相は、貴族が好んで着る黒の豪華な衣は、すでに身につけていなかった。
ヴィランは、黒い下衣の上に、紫色の模様を縫いこんだスカーフをまきつけ、肩からは、聖薔薇十字が銀の糸で描かれた、体を被うタイプのローブを身につけていた。
その姿は、女性である、と言わぬ限りは、美男子が女装をしている、いわば女装の美人──そんな様子だった。
黒く長い髪は、後ろの中ほどで止められ、額には銀色のサークレットをはめ、前髪は、そのサークレットの下で綺麗に整えられていた。
唇には、薄い紫の口紅をつけ、気丈そうな目は、相手を見下す、そんな光をたたえていた。
「何の用か」
ヴィランは、率直に言った。
使者は、立ち上がると、ヴィランの姿を誉め讃え、決して簡単とは言えない、挨拶をした。
「おぬしは、そんなごたくを言うために、わたしに会いに来たのか!
用がなければ、さっさと帰られよ!」
ヴィランは、苛々《いらいら》した感情を、言葉の中に含めながら、使者に言った。
「滅相もございません、ヴィラン公。わたくしめは、我が主、フリッツグール公爵のお言葉を伝えるために、参ったのでございます」
「では、さっさとその言葉とやらを言って、帰られるのがよかろう」
ヴィランは、きつい口調で使者に言うと、そばにあったソファーに、苛立たしげに座った。
使者は、ヴィランの怒りを買うのではないかと、内心は穏やかではなかった。
だが、その感情を表に出すことのないように、じっと穏和な様子を崩さずヴィランの言葉に耐えていた。
「フィリッツグール公爵のお言葉を申し上げます、
ごきげんうるわしく、ラーデンブルク公爵。先日の件について、お考えはいかがなされましたかな?
お心が決まりましたら、私が遣った使者にお伝え下されば結構。
よい返事をお待ちしている。
フィリッツグール公爵ダール
以上でございます」
使者の男は、フィリッツグール公爵の言葉をつげると、おし黙り、じっとヴィランの反応を伺った。
ヴィランは、手にしていたレーム酒のグラスを、テーブルの上にたたきつけるように置くと、使者を睨みつけながら怒鳴った。
「わたしの考えなど、前から言っておるとおりじゃ!
今更何故そんなことを聞いてくるのか!
おぬしの主に、わたしに用があるなら、直接会いにこい、そう伝えられよ!」
そう言い放つと、ヴィランは、ローブを翻して部屋から出ていった。
使者の男は、ヴィランが立ち去った後、ほっと一息をつくと、すぐさまヴィランの邸宅から逃げ帰るように、立ち去った。
(公爵様は、よほどフィリッツグール公爵がお嫌いのようね。あのまま対立して戦争にならなければいいけど……)
エレオノールは、誰もいなくなった部屋の中で、自分の主のことを、考えていた。
部屋に戻ったヴィランは、再び憂うつな気分で満たされた。
(ふん……フィリッツグールの権力争いに、何故わたしが、巻き込まれなければならんのじゃ。
教皇の座など、わたしには何の価値もない。
現に皇母が生きていらっしゃるのに、今から死んだ時の算段をする必要があるのか?
大体、あの髭面が気にくわんのじゃ。
偉そうに髭なんかはやしよって……)
ヴィランは、とりとめなく考えていた。突然上半身を起こすと、真面目な顔つきになった。
(しかし、現時点で二つの派が、均衡を保っておるからよいものの、これが崩れれば……
保守派の、ラールス侯ウィレム、ザクロニア辺境伯マノラ
改革派の、フィリッツグールの髭親父に、ダンバルン侯
この四人が、それぞれ二人ずつ二派に分かれている以上、決してどちらが有利になることはない。
残る二人の枢機卿が、どう出るかによって、この争いに終止符が打たれる。
じゃが、一人はわたし。
もう一人は皇母がアンジュー公爵の地位を兼任なさっている。
となると、あの髭親父が、私を丸めこもうとするのも、その意図は見え見えじゃ。
わたしが、万一保守派についたなら、やつら改革派からは、決して教皇がでないのだからな)
ヴィランは、くっくっくと低い笑い声をもらした。
(さて、わたしはどう出てやろうか。あの髭親父に手を貸すのは、癪に障る。
ラールス侯爵は、堅実な奴じゃ。皇母の為に保守派筆頭をしている、と言う名分でおる。
確かに奴は、教皇になりたいという下心を持っておるじゃろうが、髭親父が教皇になるよりはずっとましじゃ。
ザクロニア辺境伯は、盲目の老人。あの御仁が教皇になることはない。ただ、勢力のバランスを取るために保守派についているだけじゃ。
わたしが、どちらにもつかなかったとしたら、今度は皇母が崩御したときに問題が出る。
万一、皇母の崩御が先であれば、教皇の座と、同時にアンジュー公爵の座も空席になる。
そのアンジュー公爵の座を取った方に、軍配が上がる。
となると、今度はわたしが、アンジュー公爵の座をとった方とは逆につくと、再び同勢力となり、奴らにとっては、わたしが目障りになるじゃろうな。
恐らく、アンジュー公爵を取った側は、わたしの暗殺を企てるじゃろう……
その時でなくとも、わたしが死ねば、後は、アンジュー公爵の座を取った方が、自然と教皇になる。
苦労して、わたしを丸め込むぐらいなら、いっそう……)
ヴィランは、レーム酒を一気に飲みほすと、頭をたれて、物思いに沈んだ。
(保守派、改革派……ラールス侯ウィレムか……)
そんなヴィランを現実に引き戻したのは、男の声だった。
「ヴィラン様、使者がお見えでございます」
ヴィランは、下をむいていた頭を上にあげ、男を見た。
男は、三十代前半ぐらいの男で、髪は短く切り、腰にはブロードソードを、上半身には軽いプレートを身につけ、首もとには従騎兵の紋章がつけている。
よく日に焼けた体は、精悍な顔つきににつかわしく、背の高いその姿は、リザルト=レイヴンの宮女達には、高い人気がある。
ヴィランは、しばらく男の顔を見た後、口を開いた。
「また、フィリッツグールの髭親父の使者か」
「いえ、違います」
「では誰のじゃ。ラールス侯か、それともダンバルン侯か」
「皇母様のご使者です」
「なに? 皇母の使者じゃと? 一体何の用だ」
「私には、詳しい内容は……」
「そうか、そうじゃな。すぐに会おう。ここに通してくれ」
「はっ」
男は、一礼すると、部屋を出ていった。
「皇母の使い……一体何の用だ」
男は、すぐに使者をつれて戻ってきた。
「お久ぶりでございます。ヴィラン公」
そう言ったのは、使者だった。使者は、初老の老人で、実に好い人柄である。
ヴィランは、老人の姿を見ると、今までの憂鬱な気分が、吹き飛んだかのように明るい声になった。
「おお! アニンディ! 元気じゃったか。おぬしが、皇母の側近を辞めてから、一体何をしておったのじゃ」
アニンディは、嬉しそうに目元をほころばせた。
「あれから私は、妻の家に戻って、農業をしておったのです」
「うむ、あの老婦は元気でいるか」
「おかげさまで」
「そうか」
ヴィランは、アニンディに昼食を共にするように言い、アニンディは、快く承知した。
二つの来訪は、ヴィランの内に異なる余韻を刻んでいた。




