第9話 アルベラへの招き
数分が経つと、扉から先ほどの小姓が現れ、客人を部屋に招き入れた。
連れてこられた者は、男であった。黒い髪に白髪が混じり、小柄なその姿は、かつては執事であったと思わせる、そんな物腰があった。
「連れて来たのね、さぁ、そこの椅子に座るといいわ」
皇母は、客人にゆっくりするように言った。客人は、皇母に言われて、腰をかける前に、ヴィランと皇母に対して、礼儀をつくしてから座った。
「おぬしが、モンカル修道院から来た客人か。わたしを連れて、モンカル修道院に来た、そう聞いたが詳しいことを話してもらおう」
「はっ。わたくしが、ヴィラン様をお連れ申し上げて、モンカル修道院に行ったのは、今からもう二十年以上前のことでございます。その時ヴィラン様のお父上は、わたくしのご主人様でした。ご主人様は、ヴィラン様と分かれることに、たいそうお心を痛められておいででした。
泣くヴィラン様を、無理に館からお連れしたわたくしは、すぐにヴィラン様を、どこか裕福な、それでいて子供のいない貴族に、お預けしようかと思いました。
しかし、それはできませんでした。ヴィラン様は、貴族の家の前に来ると、すぐに走って逃げ、決して貴族の家には入らなかったのです。
途方にくれたわたくしは、思い切って、ヴィラン様をラヴァ大神の元に預けることにしたのです。
当時、ラヴァ教の大修道院であった、モンカル修道院に行き、ヴィラン様を育ててもらえないか頼んだのです。
院長は、ヴィラン様のお姿を見ると、すぐに事情をお察しになり、快くヴィラン様を育てることを承諾して下さいました。
不思議なことに、貴族の家には入らなかったヴィラン様でしたが、修道院には、まるで昔から自分がそこに住んでいたかのように、喜んでいらっしゃいました。
そうして、しばらくヴィラン様と一緒にいたわたくしは、折を見て、修道院から出たのでございます。
それ以後は、皇母様もご存知の通りでございます」
男は、そう言って口をつぐんだ。
ヴィランは、じっと男の言葉に聞き入り、この男が何のために、今こうして現れたのかを考えた。
(そう。わたしはこの男に連れられて、モンカル修道院に行ったのじゃ。じゃが、そんなことをわざわざ言いに、この男はここに現れたのか?
わたしを捨てねばならぬ理由があった男の執事が、どうして、それがばれるようなことをしにここに来たのか?
この男の主人とは、わたしの父上──そう父上なのだ……)
「して、何故今更そのようなことを言いに来たのじゃ」
「これ、ヴィラン。そんな言い方は……」
「いやいや、皇母様よろしゅうございます。おかわりありませんな。ヴィラン様は。
昔から……そう、気がお強く、言いたいことを言い、やりたいことをなさってきましたからなぁ」
(わたしは、昔はもっとおとなしかったと思ったのじゃがな)
ヴィランは、そう思った。
「しかし、ヴィラン様のお言葉ももっともです。わたくしは、ヴィラン様のお父上の言葉をお伝えするために、今こうして参上いたしました。そのお言葉は、
『アルベラの屋敷に来るがよい。我が娘よ』
でございます。後のことは、その場で申し上げなさるようです。わたくしは、ヴィラン様をお連れして、アルベラまで来るように、そう申しつけられたのでございます。
ヴィラン様! ご主人様は、ヴィラン様に会うために、わたくしを派遣なさったのです。どうか、過去のことは水に流して、お会いになって下さいませ!」
男は、椅子から立ち上がると床に平伏した。
ヴィランは、男の姿を、レーム酒を片手にもちながら見ていた。
(父上か……ふん、会って文句の一つでも言わぬことには、気もおさまらぬな。どの顔をもって、父親と言うのであろうか。わたしを、権力を得んが為に捨てたことを、今更後悔して何になると言うのだ。
もはや、わたしは昔のわたしではない、今は六大卿の一人、ラーデンブルク公爵なのじゃぞ。それを、父上は知っておいでなのか。今会えば、父上は……)
男は、平伏したままだった。しばらくの間沈黙が続いた。
それを最初に破ったのは、皇母だった。
「お行きなさい、ヴィラン。お父上に会うのですよ。あなたは、今までお父上の顔を知らなかったのだから……」
皇母は悲しげに目を伏せた。ヴィランが孤独な孤児であることは、皇母にとっては、自分の娘が自分を知らずに育っている──そんな感情と同じものであった。
皇母には、何人かの子供がいた。だが、一人は教皇となり、残りの者は、全て教皇後継者戦争で、失われていた。
彼女は、そんな血のつながった者同士が、お互いを殺し合うことに、言いようもない悲しみを感じ、後継者戦争に終止符を打つため、自分の身を犠牲にして、教皇となったのだった。
ヴィランを、失ったわが子の様に思っている皇母にとっては、ヴィランの両親が現れるということは、すなわち、自分が他人になることであるのと同じであった。だが、そんな感情よりも、ヴィランのことが大切だったため、ヴィランが両親に会えるように、必死でヴィランの両親を探していたのだった。
そして、今その手がかりをもつ人物が現れた以上、もはや皇母は、ヴィランが両親に会うこと以外は望んでいなかった。
「はっ、皇母がそうおっしゃられるのならば、わたしもアルベラへ向かおうかと思います」
「ありがとうございます。わたくしは、数日後アルベラに向かいます。それまでに、できればご支度を御願いいたします」
男は、平伏したまま頭を上げ、立ち上がると、皇母とヴィランに礼を言ってから部屋を出ていった。
ヴィランは、皇母に目を向けた。皇母は、優しげにヴィランに微笑みかけた。
「これで、あなたのお父上に会うことができるのね……」
皇母は、うっすらと目に涙を浮かべ、うつむいた。ヴィランは、皇母に近寄り、自分の指で皇母の涙をぬぐいた。
「お悲しみになられますな。わたしは、父上に会ったとしても、もはや、昔のヴィランではないのです。もう父上と共に住むことはございません、皇母。だから……」
「そうね、そうだったわね……」
皇母は、涙を自分でぬぐうと、無理にでも微笑もうとした。だが、ヴィランが、もう自分の力を必要としないときが近づいてくるのを感じると、それはかなわなかった。
その微笑みの裏で、別れの時はすでに静かに忍び寄っていた……




