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EWIG(エーヴィッヒ)――帝国騎士と病床の白髪の友が織りなす、戦乱を生き抜く長編戦記【全99話完結】  作者: 黒わんこ
第一巻 第一章 『昇格』

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第5話 揺らぐ忠誠

 少女はカリュースの家のベッドに寝かされていた。

 その部屋には、カリュースとリーディス以外の人はいない。カリュースとリーディスは、ベッドのそばの椅子に座って、じっと少女の様子を伺っていた。


 少女が気がついたのは、カリュースたちが家に着いてから一時間ほどしてからだった。

 少女はうっすらと目を開けると、見慣れぬ景色と人物を目にした。そして、ばっと体を起こし、この場から逃げ去ろうとした。

 だが、彼女が体を起こすと同時に、彼女の体は何か目に見えない糸で引っ張られるかのように、ばたりと後ろに倒れ込んだ。


 「まだ無理をしてはいけません。あなたは気を失っていたのだから」


 リーディスは優しい声で言った。カリュースは、少女が目覚めたことに気がつくと、少女のいるベッドの端に腰をかけた。そして、少女の目を見ながら、


 「どうして、俺を襲ったのだ?」

 「……」

 「名前は?」

 「……」


 カリュースはふうっと溜息《ためいき》をつくと、再び言葉を続けた。


 「俺は君に殺されかけたんだ。名前ぐらい教えてくれてもいいのじゃないかな?」

 「……フィーメル」

 「フィーメル? それが君の名前?」

 「……そうだ」

 「なぜ俺を襲った?」

 「お前が上級騎士だからだ……」


 少女は呟《つぶや》いた。


 「皇帝は兄さんを裏切り、ジェドラは兄さんを殺した!

 だから、私は帝国の軍人はみんな嫌いだ!」


 カリュースはフィーメルの言葉に息をのんだ。そして、リーディスと目を見合わせた。

 リーディスは、カリュースの言わんとすることを察知すると、こくりとうなずいた。


 「君が、ジェドラを殺したのだね? しかし、ジェドラといっても帝国の軍人。君のような女の子に、そう簡単にやられるとは思えないが」

 「私は、兄さんの元で情報諜報員《じょうほうちょうほういん》として活動しながら、暗殺もしていたのだ!

 あんな奴を殺すことなど簡単だ!」


 フィーメルはそう言い切った。


 (やはりそうか……)


 カリュースは、フィーメルに最後の問いをした。


 「君のお兄さんの名前は?」

 「ロウス。兄さんはファランの将軍だったんだ。宮廷の汚い陰謀《いんぼう》で国を追われ、この国に亡命してきた。


 皇帝が──いや、ラフューン大宰相が言ったんだ。


 ファランの内情を全て話すのであれば、帝国への亡命を許可しよう、って。

 それなのに、奴等は兄さんを裏切った!


 兄さんは、民衆の目の前で侮辱《ぶじょく》され、けなされながらジェドラに処刑された!

 私は帝国も、皇帝も、お前も許さない!


 きっと、皇帝を暗殺してこの国を滅ぼしやる!」


 フィーメルはそう叫ぶと、ばっとベッドの上に立ち上がり、開け放たれていた窓から飛び降りた。カリュースはすぐに窓から顔を覗かせたが、もはやフィーメルの姿はラウェルの闇に溶け込み、追っても追いつくことはかなわなかった。


 「カリュース様」


 リーディスは、少し深刻な顔つきで言った。カリュースは心配そうな表情で窓を閉めると、ベッドに腰をかけ、リーディスと向かい合った。


 「この話、真実であれば、由々《ゆゆ》しき事態ではありませんか?」

 「ああ」

 「これは、我々の胸の内にとどめておく方が賢明かと」

 「いや、俺は明日大将軍にことの真偽を訊《たず》ねてくる」

 「カリュース様!」

 「リーディス。もし本当のことだとしたら、どちらに正義がある?」

 「それはそうです。ですが……」

 「お前は、正義と自分の身の安全、どちらが大切だ?」

 「カリュース様をお守りすることが私の生涯の努め。

 カリュース様に従うのが、私の意思でございます」

 「じゃあ分かってくれ。すまない、リーディス」

 「いえ……ですが、これだけは申し上げておきます。決して、グリブロー大将軍以外には口外せぬよう。

 万一別の人物の耳に入ったならば、事態はよからぬ方向へと向かうことでしょう」

 「分かった」

 「では、もうお休み下さいませ」


 リーディスは軽く頭を下げ、ゆっくりと部屋から出ていった。

 カリュースは、そのままベッドに寝転がり、今夜の出来事を頭の中で反芻《はんすう》しているのだった。



 翌朝、カリュースはすぐに帝国城へと向かった。


 (もし昨夜のことが真実であれば、俺はどうすべきだろうか。俺は、今までと同じように皇帝陛下に対して忠誠を誓えるだろうか?

 いや、誓えるはずだ。あの獅子王のような陛下であれば、きっと深い訳があるのだろう。


 きっと……)


 カリュースは、内心心苦しかった。カリュースの目にした皇帝は、既に十年以上も前のものであり、それ以降、彼は一度も皇帝の姿を目にしていないのであった。


 彼がその時見た皇帝の姿は、若き偉大な獅子のような、覇気《はき》に満ちた神々《こうごう》しい姿であった。

 だが、彼が実際に騎士となって、帝国軍人として仕えはじめてから耳にするのは、皇帝の頽廃《たいはい》した生活の噂と、ラフューンの影の陰謀であった。


 彼の頭の中の皇帝と、実際に耳にする皇帝との差が激しいため、フィーメルの言葉が真実だったとすれば、やはり同じ忠誠を皇帝に誓えるかどうかは、カリュース自身も怪しいと思っていた。


 カリュースは、グリブローの部屋の前に着くと、辺りをちらちらと見回した。そして軽く扉をノックし、返事が返ってくるとすぐに、部屋の中に入った。


 グリブローは大将軍専用の大きなテーブルに肘をつき、カリュースを見上げるように見ていた。


 「どうした、突然」

 「大将軍に少しお伺《うかが》いしたいことがございます」

 「伺いたいこと?」


 グリブローは訝《いぶか》しげにカリュースを見た。


 「はい。先日広場で処刑されたロウス将軍が、本当は帝国に亡命してきた将軍であったということです。これは本当なのですか?」


 カリュースの問いに、グリブローの表情は一変した。


 「……何」

 「皇帝陛下は、本当にロウス将軍との約束を破り、彼をあのような無惨《むざん》な処刑に処せたのですか?」


 グリブローの額には、脂汗がにじみでていた。カリュースは口調を強めていった。


 「真実はどうなのですか、大将軍」

 「……皇帝陛下には、深いお考えがあるのだ……我々が口出しすべきことではない……」


 カリュースの表情は、一気に怒気《どき》を帯びたものへと変化した。


 「馬鹿な! 陛下はロウス将軍を受け入れる、そういう約束でファランの内情を聞いたのではありませんか!

 それなのに、情報だけ受け取ったら、あとは跡が残らないように、利用するだけ利用してゴミのように捨ててしまうのが、皇帝陛下の深いお考えと言われるのですか!」


 グリブローは、眼前の若い騎士の言葉をじっと耐えて聞いていた。


 「俺は、皇帝陛下を信用したい。ですが、このようなことが続けば、いや、既に今まで聞いてきた話が全て真実だったとすれば、もはや皇帝陛下は信用できるとは思えません。


 陛下は、イプソス草原大戦の時でも、あるいは今回のファランとの戦争の時でも、戦死した兵達に、詫《わ》びの一言でも言いましたか!

 かつてのように、陛下御身自らが出向いて、軍の指揮をなさったことがありますか!


 陛下はいつも自分の宮殿に閉じこもり、安全なところにいて自分が思うままの生活を送っている。大将軍には、それが陛下の深いお考えだと思われるのですか!」

 「……」

 「このままでは、帝国は滅亡の一途をたどるでしょう。大将軍は、どうして行動なさらないのです!」


 カリュースは、少し昂揚《こうよう》した気分を宥《なだ》めるかのように口をつぐんだ。グリブローは額に浮かぶ汗を拭うと、低い唸《うな》り声をあげた。


 彼には、カリュースの言うことが真実であると分かっていた。だが、分かってはいても、カリュースの言うように行動はできなかった。

 何故ならば、皇帝に直接進言できるのは大宰相ラフューンだけであり、ただの一武官であるグリブローには、どうしても皇帝に直接進言することはできないのであった。


 彼らは、しばらくお互いを見つめあったまま沈黙していた。彼らの間を張りつめた空気が漂う。

 そんな彼らの雰囲気を打ち崩したのは、予想外の人物であった。


 「今の言葉、皇帝陛下に対する反逆の意思があるとみても、よいのではないかな」

 「!!」

 「ラ、ラフューン大宰相閣下!」


 グリブローは椅子から立ち上がると、すぐさまラフューンに対して平伏した。

 ラフューンは鋭い眼光をカリュースに向け、低い声で言った。


 「お前の名は何という」


 ラフューンはそう訊ねた。彼自身は、目の前に立っている若い騎士がカリュースであるということは知っていた。

 カリュースが『無敵の騎士(ケントゥリア)』と称される帝国きっての有能な騎士であるだけに、直接軍隊を見ることのないラフューンであっても、知らぬはずはなかった。


 だが、あえてその様な問いをしたのである。カリュースは、ラフューンの問いに答えなかった。答えたのは、床に平伏しているグリブローである。


 「カリュース=アスベイル中騎将であります、大宰相閣下」

 「お前は何故答えぬ!」


 グリブローはカリュースにそう怒鳴りつけた。その声は厳しく、威圧的である。だが、カリュースはじっとおし黙ったまま、ラフューンの言葉に一切答えなかった。


 「そうか、その沈黙は陛下に対する反逆の意思がある、そう言っておるのだな」

 「大宰相閣下! どうかこのことは、わたくしに免じて、陛下のお耳には……」


 ラフューンは、カリュースをじっと睨《にら》み据えた後、グリブローを一瞥《いちべつ》した。


 「ふん、今回はグリブローに免じて聞かなかったことにするが、次はないと思え!」


 ラフューンは体を返すと、きつい足音を立てながら大将軍室を後にした。ラフューンは大将軍室の扉を閉めると、その場に立ち止まった。その顔には何か陰謀を秘めた表情が浮かんでいた。


 (二十代で上級騎士となり、現在では中騎将……

 このままあの男に力を与えれば、必ずや帝国に乱を起こすであろう……


 陛下の御身の為にも、あの男をどうにかせねば……)


 ラフューンは、陰々と響く足音をたてながら歩き出した。その後ろ姿には、闇神ウォルが潜《ひそ》んでいるかのようであった。


 一方、大将軍室に残った二人は、黙ってお互いを見ていた。グリブローは冷たい汗を背中一面にかいていた。


 「どうして答えなかったのだ、カリュース。あれでは、陛下に対して反逆の意思がある、そうとられてもおかしくはないぞ」

 「俺は、答える必要がないと思ったから答えなかった。

 それに、陛下に対して反逆の意思などない。

 意思のない者に、どうして反逆などできようか!」


 カリュースはそう言い放つと、苛立《いらだ》たしげに体を返し、不快感を全身から放出させながら部屋を出た。

 そんなカリュースの後ろ姿を、グリブローは不安げな顔つきで見つめていた。


 太陽が次第に天に昇り、大将軍室に明るい日差しがさし込む。そんな日差しに照らされたグリブローは、まぶしそうに目を細め、カーテンを閉めようと窓に近づいた。

 窓からは帝国城の中庭が見おろせた。そこを通るカリュースの姿もまた、見ることができた。


 グリブローは立ち去るカリュースの姿を見つめながら、何かよからぬことが起きるのではないか──そう無意識に感じとっていた。


 古き権威と若き息吹。


 受け入れあうことのない二つの力は、ほんのささいなことで、違う方向へと向かい始めた。

 それは、大陸全土を揺るがす大波を誘う、小さな呼び水であった。


 真実は伏せられたまま、物語だけが静かに先へ進んでいく。


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