第42話 鬼公爵の行軍
三日後……
ラムセス市は、ヴィランの迎え入れの最後の準備で慌ただしかった。
特に領主館は、この三日間ですべての部屋の大掃除を行い、汚れている彫像などはすべて、徹夜で彫刻家たちに修復させたほどである。
このような徹底した改装のため、領主館は見違えるほど美しくなっていた。
「ぬかりはないな、リビンスク!」
「はいっ!」
クルゴスは、緊張した面持ちのリビンスクを見るとにやりと唇を歪めた。
リビンスクは、そんなクルゴスの様子を、背中に冷や汗をかきながら見つめていた。
「ヴィラン公はあとどのくらいでここに到着するのか!」
「あと、一時間ほどでございます、クルゴス様!」
リビンスクの声は必要以上に高くなっていた。それも無理はなかった。
なぜならば、今度のヴィランの訪問が万一失敗に終われば、リビンスクの首は間違いなく、胴体とおさらばすることになるからである。
それだけに、度々《たびたび》間抜けなことをしているリビンスクであっても、今回だけは心穏やかではなかった。
「私は、市街地を見てまいります!」
リビンスクは、そう言うとさっと敬礼をして、クルゴスの部屋から出た。
(なんだって、こんな嫌な時期に公爵のような身分の者が来るんだ!
もっと良い時期に来れば、俺だって、こんなに焦らなくてもすむのに!)
リビンスクは、廊下に出るやいなや、そう内心で毒づいた。
(地下の革命家の連中も何やら怪しい動きを始めたというし……
何も起こらないことを願いたいね。
ツォールの神さん、頼むから気まぐれなんか起こさんでくれよ……)
リビンスクはそう願うと、人神ツォールの印を胸元で切った。
「おい! 来たぜ例の貴族が!」
そう言いながら部屋に駆け込んで来たのは、トスである。
「そうか。では我々もどんな人物か見にいくとするか」
タホスは、ゆっくりと腰を上げると、リューベックやパーパなどを引き連れて地下の部屋から出て行った。
「あたしゃここで待ってるから、あんたも行きなよ」
バラコアは、ガスクに向かってそう言った。ガスクは、面倒くさそうに顔をあげると、
「おれっちが行っても仕方がねぇ。ここで待ってるよ」
と言った。
「しょうがない人だねぇ。貴族の顔を知らなくて、大丈夫なのかい?」
「大丈夫だ。リューベックがうまくやるさ」
ガスクは、ごろりと寝返りを打つと、そのまま暖炉の横で寝てしまった。
「まったく……」
バラコアは、しょうがない、といった顔をすると、ガスクの横腹に軽く蹴りを入れ、そのまま台所に戻って行った。
地下から出たリューベック達は、そのまま大通りに向かって歩いていた。
辺りは人で混雑しており、いつもならば、今時分は寝ているはずの娼婦達すらも、どんな貴族がラムセス市に訪れたのかを知るために、大きなガウンだけを羽織って出て来ていた。
「あそこだ」
トスはそう言いながら、大通りを指差した。
大通りの両脇には、大勢の人が、まだかまだかと押し合いへし合いしながら立っていた。
そんな人々の前にはクルゴスの警備兵達がおり、民衆が通りになだれ込まないよう必死で押さえていた。
「ちょいとごめんよ、ちょっと開けてくれ!」
トスは、そう言いながら民衆をかき分け、タホス達を列の前の方へと導いた。
リューベックは、その背の高さから、無理をして前に行かなくとも十分通りの様子を伺うことができた。
「来たぞ!!」
誰とも知れない声が、民衆の渦の中から起こった。
すると、今までざわついていた民衆も、さーっと波が引くように静まり返り、通りの大門の方を見やった。
大門の方から何騎かの馬が現れた。クルゴスの親衛隊である。
その先頭には正装したリビンスクがおり、後ろに三騎の兵士が連なっていた。その後ろに白い馬に跨った目的の貴族がいた。
トスは、身を乗り出すようにしてその人物を見た。タホス達もまた目を擦りながら、食い入るように見た。
女である。黒い服の上に、大きなマントを羽織っている。
マントには、ラヴァ教の紋章、聖薔薇十字が縫い込まれており、その紋章のまわりには、金糸で縫われたラヴァ教四大貴神──光神ラヴァ、闇神ウォル、生神ミース、死神ファルダ──の姿があった。
タホスは、驚いていた。彼は、貴族は男で、大きく太った姿を想像していたからである。
そんな彼の想像はどれ一つとして当たってはいなかった。
すらりとした、女にしては背の高いその姿や、気丈そうな目、背筋をびしっと伸ばして馬に乗る姿は、まさに凱旋将軍──そんな様子であった。
民衆は、誰一人として声を出す者はいなかった。いや、声どころか物音すら立てる者はいなかった。それほど、貴族からすさまじい威圧感を感じるのである。
彼らは、動かないのではない、動けないのである。
タホスは、貴族の姿をしっかりと目に焼きつけていた。
貴族の後ろには、前方と同じように三騎の親衛隊が貴族を守るようについて来ていた。
馬足は、ゆっくりであった。だが、遅すぎると言うほどではなかった。
しかし、立ち尽くす民衆、あるいはその前にいるクルゴスの兵士達ですら悠久の時の流れの中にいるような、そんな感覚を持って立ち尽くしていた。
馬がゆっくりと民衆の前を通り過ぎて行く……
全身から高貴なオーラを放つ女貴族は、じっと前を見つめたまま、民衆には目もくれなかった。
ゆっくりと、そして堂々と……。
馬は、タホス達の前に差し掛かった。
その時、馬に乗った貴族は、不意に民衆達の方を見た。
知的そうな瞳には、背の高いリューベックの姿が映った。リューベックもまた、貴族と目が合ったことに気がついた。
彼らは、一瞬お互いの様子を探るように見つめ合った。
緊張の一瞬。
だが、馬はそんな彼らの時間を気にも留めず、ただゆっくりと領主館に向かって進むだけである。
彼らは、わずかな、ほんの数秒だけ目が合ったのを最後に、再びこの大通りで目を合わせることはなかった。
通り過ぎて行く馬の蹄の音が静かに聞こえる。
民衆は、貴族の後ろ姿をじっと見つめていた。時が止まったように──
「行っちまった……」
トスは、そう呟いた。
その声で、民衆は眠りからさめたように、ざわざわとざわつきながら、自分の持ち場へと帰って行った。
「わしらも戻るとするかのぉ」
グレーベは、いつものおっとりとした様子で言った。
タホスは、グレーベの言葉にうなずくと、リューベック達を連れて、地下のアジトへと足を向け始めた。
鬼公爵の行軍は、街の均衡を静かに押し崩していった。




