第34話 コッド砦の魔術士
レガヌ海峡から半日ほどの所にコッドの砦は位置していた。砦の大きさは、軍事的重要地であるにもかかわらず、それほど巨大なものではなかった。
それは、後方はレガヌ海峡によって、前方はバル大森林によって阻まれるため、大軍を率いての陥落作戦は非常に困難を要するからである。
コッドを難攻不落の砦にしている要因は、地理的なものだけではなかった。
世界には、シャムニールと呼ばれる魔術士達が存在する。彼らは、自然の法則を解きあかし、それを利用することによって魔術を操る。
コッドの砦の魔術士は、その名をチェンライという。チェンライは、ザッカートの補助をするだけの役割としてコッドの砦に派遣された。
派遣された当初、チェンライは他の魔術士と同様、軽くあしらわれた。だがそれは、そう長いことではなかった。
ある時彼は、その魔術をもって、コッドの砦に侵攻したスィークリトの2大隊を、コッドの砦の前で立ち往生させたのである。彼は、砦をとりまく大気を魔術によって硬化させ透明な防御壁を作り上げた。
侵攻を行っていたスィークリト軍は、彼の作りだした目に見えない防御壁に対し、なす術もなく、数日もにらみ合いを続けた。
しかし、ついに軍の食糧維持に破綻をきたしたスィークリト軍は、目の前にまで迫ったコッドの砦から、やむなく撤退したのである。
この無血によって軍勢を撤退させた功績から、チェンライは、ザッカートの副官として任命され、以後はコッドの砦の防衛指令官としてその任についていた。
彼は、ザッカートがラヴァウインドの監獄にいる間も、指令官不在の砦をただ一人、1万の守備兵と共に守っていたのである。
チェンライの存在が、コッドの砦を難攻不落にしている、もう一つの要因であった。
「おい、我らが大将が帰ってくるってのは本当か?」
一人の兵士が、手にした剣をもて遊びながら同僚に向かって言った。
「ああ、本当らしい。なにやら、本国の小騎兵の偉いさんが、数人の供を連れて監獄から大将を連れだしたらしいな。どんな奴が大将を連れだしたのか、見てみたいもんだぜ」
「まったくだ」
兵士達は、大声で笑った。そばにいた別の兵士は、そんな彼らの笑いを妨げるかのように、低い声で言った。
「だがな、そう気楽なことを言ってられん噂もあるぞ」
笑っていた兵士は、神妙な顔つきで話す同僚に向きなおった。
「どんな噂だ?」
「その小騎兵が連れてきた供ってのが、どうもヒスタリクの正規軍の連中じゃないみたいなんだ」
「それがどうかしたのか?」
真面目な顔つきで話をしていた男は、そんなことも分からないのか、とった表情で言った。
「だからさ、正規軍でない傭兵ってことは、もしかしたら敵国の兵士かもしれないんだぜ」
「はっ、馬鹿な。敵国の兵士がなんだって大将を助けたりするんだ」
兵士は、同僚の言う言葉を笑い飛ばした。
「だけどな──」
「いいじゃねぇか。敵さんだってさ。俺達だって、元もとはただの傭兵だったんだ。
連中も、俺達みたいに雇われたくって手助けしたのかも知れんだろ」
「……そうだな」
「まっ、なんだっていいじゃないか。
大将が帰ってくるってことは、あの陰気な魔術士の言うことを聞かなくてすむんだからな」
噂の話を横で聞いていた男が、そう口を挟んだ。
「それもそうだな。あの魔術士はなんか気にくわねぇ。いつも冷たい目をしてやがる。あんな奴がこの砦にいると、いつ魔物を呼び寄せちまうか分かったもんじゃねぇなぁ」
兵士は、声高に言った。だが、それはそばの同僚によって注意された。
「おい、あまり大きな声で言うんじゃない。あいつはどこにでも耳を持ってるって噂だ。つまらんことを言って、後で神隠しにあったら冗談にもならんぞ」
大声で言った男は、口をつぐみ、辺りを見回した。
辺りには、松明の明かりが輝いていた。砦の中はすでに暗く、辺りを照らすものは、砦の防壁にある松明と、砦の内部から漏れる明かりだけであった。
彼らは、砦の防壁の中で巡回をしている途中だった。砦の中の大木の切り株に腰をかけ、こっそりともちだした酒で、夜の慰みをしているところだった。
「で、大将はいつ戻って来るんだ?」
先ほど大声でチェンライの悪口を言っていた男は、酒を飲みながら言った。
「明日の、夕方頃には砦に戻るらしい。その頃までには、俺達も指令官帰還の準備をしなきゃならんがな」
「明日か……」
兵士達は、しばらくお互いに話をすることもなかった。騒ぐことと、戦うことが生きがいの彼らが、ここまで静かにするという理由は、チェンライの目を気にするためであった。
彼らにとってザッカートは、頼りになる指令官であった。彼らは、頼りになる指令官が不在だった為、青い顔をした陰気なチェンライと共に長い時間を過ごさなければならなかった。
いつ、チェンライの機嫌を損ね、人知れずこの砦から消し去られてしまうかと、びくびくして過ごしていた。ザッカートが帰ってくることによって、そんな状態から解放されることは、彼らにとっては歓迎すべきことだった。
だが、騒ぐことによってチェンライの機嫌を損ねることは、避けたかった。それだけに、普段は賑やかな彼らも、今はただ、静かにしている他はなかった。
囁かれた噂は消えることなく、砦の隅々に不安として沈殿していった。




