第32話 大芝居の幕開け
一頭の馬がラウェルに駆け込んだ。馬上の人物は、兵士である。
ラウェルの人々はそんな兵士の様子を、通りすがりにちらりと見たりする者もいたが、その大部分は無関心であった。
兵士は、そのまま帝都ラウェルの貴族や高級官僚達が住む「上」に向かって馬を走らせた。
彼は、胸元に挟まれた手紙に気をつかいながら、黙々と走っていた。
彼がラウェルに入ってから数刻もすると、辺りはごみごみした下町の様子は消え、広大な敷地を擁する貴族や高級官僚の家々が立ち並んでいた。
彼は、そんな邸宅群の中でも比較的小さな家の前で止まり、馬を邸宅の前の木に繋ぎ体についたほこりをぱっと払うと、邸宅内部に一歩足を踏み入れた。
「どなたですか?」
女の声が男を呼び止めた。男は女の方に振り返ると、さっと敬礼をし、用件を手短に述べた。
「カリュース中騎将はご在宅でしょうか」
「カリュース様でしたら、館の中にいらっしゃいます。カリュース様に何かご用でしょうか?」
女は落ちついた様子で言った。
「私は、ハースランド中騎兵殿より伝令を承り、それをカリュース中騎将にお伝えするために参りました。カリュース中騎将に会わせていただけますか」
女はじっと兵士を見つめると、微笑をたたえながら兵士を館の中に招き入れた。
兵士は館のある一室の前に案内された。女は、扉に軽くノックした。
「カリュース様。ご使者の方が参られていますが、お通ししてよろしいでしょうか?」
「かまわん。通せ」
中から、短い返事が返ってきた。女はゆっくりと扉を開け、兵士の後ろに下がった。
開けられた扉から、明るい日差しが廊下にそそぎ込む。逆光のため兵士には中にいる人物達はよく見えなかった。部屋中から漂う羊皮紙とインクの匂いが、事情を知らない兵士にも、ただならぬ様子であることを感じさせた。
彼は一歩部屋に踏む込みと、さっと敬礼をし、部屋の中を見渡した。部屋には、大きな長テーブルがあり、その周りに数人の人物がゆったりと腰をかけていた。
彼らは、兵士が部屋に入ってくると同時に、兵士を見やった。兵士は、彼らの視線が自分に集中しているのを肌で感じとると、体をぎゅっと引き締め直立した。
「カリュース中騎将閣下。ハースランド中騎兵殿より、伝令を預かって参りました」
兵士の声には、緊張の色が感じられた。カリュースは、兵士のそんな様子を見ると、軽く笑いながら彼に言った。
「何を緊張している」
兵士は、カリュースの言葉に苦笑しながら、胸元にしまってあった手紙をカリュースに手渡した。
「ご苦労だった。ゆっくりと休んでから行くがいい」
カリュースは、そう兵士に労いの言葉をかけると、その手紙をテーブルの上にそっと置いた。
兵士は、カリュース達に再度敬礼をすると、体を返し、部屋から速やかに退出した。
「で、姫君の居場所は確かなのか」
兵士が出ていった後、最初に沈黙を破ったのはヴィランだった。
部屋の中には、カリュース、リーディス、デス、ルッカ、ヴィラン、エレオノール、リューベック、ミックの8人である。
彼らは、妙な縁によってこの場に集まった者達である。
様々な地図や情報が書き込まれた用紙が各々の前に置かれ、テーブル中央部には、大陸北西部の地図が大きく広げられていた。
「間違いはないかと」
ヴィランの言葉に、リーディスは答えた。
「では、アビスの所からどうやって姫君を連れ出すのじゃ」
ヴィランは、リーディスの目をじっと見据え、相手の出方を観察していた。
そんなヴィランに対しリーディスは、ごくごく自然体の穏やかな様子で策の全貌を話し始めた。
「アビス侯爵は、衆知の通りヒスタリク王国の中でも屈指の大諸侯であり、かつ最大の軍事力を擁しています。
そんな所に監禁された姫君をお助け申し上げるには、小細工などを弄するよりは、大芝居をうつ方がより効果的かと思います」
「大芝居じゃと?」
「左様でございます。
つまり、直接アビス侯爵の所に忍び込む、あるいは攻め込むよりは、内部よりアビス侯爵自身の手で、姫君をバトリック城から連れ出させるのです」
「ふむ。だが、それをどうやるのじゃ。アビスとて無能ではない。姫君を連れ出すことは、自分の身に危険が及ぶことになる。
それを分かっていて、あえてそのような愚行をするとは思えぬがな」
「この場合は、アビス侯爵自身の意志などは問題ではありません。
それをせざるを得ない状況にもっていけば、自然と我々の思惑にのることでございましょう」
「その状況とは?」
「それはこの様な具合に……」
リーディスは、体を少し乗り出し、声をひそめて策を皆に披露した。
その策を聞いた者達は、ただ一人を除いて驚嘆の声を上げた。
「なんと! そんな策を思いつくとはのぉ」
デスは、感心しきった様子で言った。ルッカやリューベック兄妹は、目の前にいる軍略の天才の策の絶妙さに言葉を失っていた。
ヴィランは、さも楽しげな様子で、白髪の軍師の目を眺めていた。
そんな中でただ一人ミックだけは、何のことか分からない、といった様子でルッカの横に座っていた。
「実に面白い手じゃ。さすがは、カリュースの軍師。大したものじゃ」
ヴィランは、感心した声で言った。だがその次の口調は違っていた。
「じゃが、その手を用いるならば、大芝居の舞台となる2つの地点をどう使うかがポイントとなる。
一つは、ブラーム大公の根拠地ミュアイ。
一つは、レガヌ海峡の守備拠点たるコッドの砦。
この二つの地点をどう使うつもりなのじゃ」
「それについては、策の整理を行えば分かりやすくなるかと思います」
リーディスは、テーブルの上の地図を指さしながら、説明をしはじめた。
カリュース達は、地図をのぞき込むように見ると、地図の上を動くリーディスの指に注目した。
「まず、今回の重要地点となる所は二つあります。
一つは、アラク海峡を抑えているミュアイ市。
もう一つは、レガヌ海峡を抑えているコッドの砦。
この両地点は、軍事的最重要拠点でもあります。
つまり、ヒスタリクにとってみれば、アラク海峡を抑えることができれば一気にアクレイア海に進出するきっかけを手にすることができるわけです。
そんなヒスタリクの心情を利用することが、今回の策の中心となります。
先ほどの大芝居を成功させるためには、コッドの砦のザッカート指令官を捕虜にする必要があります。
そのためには、ザッカート指令官をコッドの砦より引き離さなければなりません。
ザッカート指令官を引き離す手として、ブラーム大公のお力をお借りいたします」
「ザッカートじゃと? あの男は、今はラヴァウインドの監獄にいるはじゃがのぉ」
デスは、自慢の髭を抜きながら言った。
「ザッカート指令官は、数日前脱獄しております」
「なんじゃと!」
デスは椅子から腰を浮かせ、テーブルに乗り出した。
「ザッカートが脱獄したじゃと?」
「ザッカート指令官は、すでにハースランド中騎兵によって脱獄の手助けをされ、今はコッドの砦にいます」
リーディスはそう言うと、先ほど兵士から受け取った手紙をデスに見せた。
デスは、その手紙を受け取ると食い入るように読み、立ち上がりかけていた体勢を落ちつかせた。
「なんと、すでにここまで手を回しておったのか……では、ブラーム大公の力を借りてどうするのじゃ、リーディス」
リーディスは、アラク海峡の上に位置するミュアイ市を指さした。
「ブラーム大公の居城があるミュアイ市の周りには、常に3万人の軍隊が配備されています。その3万の内2万を、アラク海峡を越え対岸のラムセス市の攻略に派遣してもらいます。残る一万をミュアイ市の防衛にあてます。
この様な状態になれば──ミュアイ市の防衛軍が通常の3分の1──恐らくヒスタリクはミュアイ市の陥落を狙って軍を侵攻させることを考えるかと思います。そのミュアイ攻略軍をザッカート指令官に率いさせるのです。
ブラーム大公の軍隊がラムセス市に向かったことをコッドの砦にのみ伝え、ザッカート指令官に攻略軍を組織させます。
これについては、ハースランド中騎兵に策をお渡ししていますので、ラムセス市に軍を派遣すれば、間違いなくザッカート指令官はコッドの砦を離れるでしょう。
コッドの砦には常駐軍1万がいますが、ザッカート指令官が遠征を開始しすれば、その数は通常の半分以下になります。
それを見計らって、デス大騎将とルッカ小騎将の軍がコッドの砦を陥落させます」
「なるほどのぉ。ザッカートをおびき出しておいて、その隙にわしらが砦を乗っ取るわけか」
「左様でございます。
ザッカート指令官は、コッドの砦を離れたら、まずイサハード海の西岸の港町ルブランで軍艦を調達し、そのままイサハード海を渡り、東岸のメーマック市に入るでしょう。
この時点で、ザッカート指令官の攻略軍は、コッドの砦を離れた時の倍近くに膨れ上がっているかと思います。
その数は、ミュアイ市の防衛にあたる1.5倍位になるでしょうか。
ザッカート指令官は、そのままメーマックよりイサハード海を北上し、ミュアイ市を海上と陸上から二手に分けて攻めいることでしょう」
ここまでのリーディスの説明を黙って聞いていたエレオノールが、策の手落ちだろうと思われる部分を指摘した。
「これでは攻略軍が、陸1万・海5千の軍でラムセス市に攻めかかることになります。それに対して、迎え打つミュアイの防衛軍は、陸5千・海5千です。
ラムセス市の防衛軍が手薄なときに攻め込まれたら、ミュアイ市が陥落してしまいませんか?」
だが、リーディスは、落ちついた様子でエレオノールの疑問に答えた。
広げられた地図の上で、見えざる駒たちが音もなく配置されていく──




