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EWIG(エーヴィッヒ)──帝国騎士と病床の白髪の友が織りなす、戦乱を生き抜く長編戦記【全99話完結】  作者: 黒わんこ
第二巻 第五章 『諜者』

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第30話 儚さと苦しみ

 ラウェルに戻ったその日の晩、リーディスは熱を出して寝込んでいた。

 無理をおしてサジの館に向かったことが、元来《がんらい》丈夫ではない彼の体に負担をかけたからであった。


 「大丈夫か、リーディス」


 カリュースは、寝室でリーディスの看病をしていた。そばにある冷水の入った器からタオルを取り出し、それを絞ってはリーディスの額にのせる。そんな作業が幾度となく繰り返されていた。

 時はすでに深夜であり、辺りは静かだった。


 「すみません、カリュース様」

 「だから言っただろ。無理して来ることはないと」


 リーディスはカリュースにすまなさそうな表情をすると、静かに目を閉じた。カリュースは、リーディスのそんな様子を心配そうな目つきで見つめていた。


 窓からは、夜通し行われる貴族達の舞踏会のワルツの音が微《かす》かに聞こえてくる。寝静まったラウェルの街中を響くメロディーは、軽快ではあったが、どことなく寂しかった。

 そんなメロディーを、カリュース達は黙って耳にしていた。


 「カリュース様」


 沈黙は、リーディスの静かな声によって破られた。その目は閉じられたままであったが、声ははっきりとしていた。眠ってはいなかったのである。

 看病をしていたカリュースは、リーディスに覆い被さるようにうつ伏せになっていた。


 「カリュース……さま?」


 リーディスは目を開けて体を起こし、自分の若い主人を見た。

 カリュースは、うつ伏せになったまま静かな寝息をたてていた。


 「寝てしまわれたのですか……」


 リーディスは、そう呟《つぶや》いた。そして、布団の上から掛けられていたガウンをカリュースの上半身に掛けると、枕を腰にあてベッドにもたれかかった。


 (もうそろそろ、ハースランド中騎兵から返事がくるはずです。その後は、もうこの様に休んでいる暇もなくなるでしょう。

 今はそっとしておいてさしあげよう……)


 リーディスは、体を起こしたまま再び目を閉じ、自分の思索の世界に入っていった。


 カリュースが目を覚ましたのは、それから一時間ほど後であった。看病の途中に自分が寝てしまったことを、肩からかけられているガウンで理解した。

 カリュースは、目を覚ますとすぐにリーディスの方を見た。


 リーディスは、先ほどのようにベッドにもたれかけたまま目をつむっていた。


 「起きているのか、リーディス」


 カリュースはリーディスの顔に自分の顔を近づけた。

 リーディスの熱っぽい寝息がカリュースの肌に触れる。


 リーディスからは何の返事もなかった。


 カリュースは、リーディスが寝てしまったことを確認すると、ベッドのそばの椅子から立ち上がり、部屋を出ようとした。その時、リーディスがカリュースを呼び止めた。


 「カリュース様」


 カリュースは振り返ると、再びベッドのそばの椅子に座った。


 「起きていたのか」

 「はい」

 「早く寝ないと体に悪いぞ」

 「……カリュース様」


 リーディスは、横に座っているカリュースの顔には視線を向けず、正面の燭台《しょくだい》に視線を向け、カリュースの名を呼んだ。

 その声には、どこか自分の疑問に誰かが答えてくれることを期待しているような響きがあった。


 「どうした」

 「人は、何故《なぜ》苦しむのでしょうか……」

 「どうしたんだ、突然に」


 カリュースの言葉は、リーディスの耳には入っていなかった。病弱な白髪《はくはつ》の青年は、そのまま静かな様子で言葉を続けた。


 「人は、自分の期待が結果によって裏切られるから、苦しむのではないでしょうか。

 そして、その期待が自分自身の欲望によって生まれていると言う真実を、人は知っているのでしょうか。

 私は、カリュース様に私の命が尽きるまでお仕えしたい。


 こんな期待──願望はいつかは裏切られてしまうのでしょうか……?」


 リーディスはカリュースの方を向いた。その表情は、親愛な者から離れるときのような苦しみの表情であった。

 カリュースはリーディスの顔を見つめながら、リーディスの静かな興奮を宥《なだ》めるように言った。


 「そんなことはないさ。俺はお前を大切に思っているから、こうやって看病もしている。


 いつかは、お前のその体が治る日がくる。

 その時には、俺と一緒に旅に出よう。

 俺達はいつまでも離れることはない。


 大丈夫だ、リーディス」


 カリュースは、リーディスの頭を優しく撫《な》でた。

 リーディスは、その言葉を聞くと、落ちついたのであろうか、浮かんでいた苦しみの表情は、元の優しげな微笑みに変わっていた。


 「すみません、つまらないことを言って」

 「いやいいさ」

 「……カリュース様」

 「なんだ」

 「これからは忙しくなりますね」

 「そうだな。アビス侯の所にいるのだとしたら、軍隊も動かさねばならぬしな。

 下手をすれば、第二次イプソス草原大戦になりかねない」

 「いえ、その心配はございません。今回は多少の戦いは起こりますが、アビス侯爵とは、直接戦いにはなりません」

 「なに? ではどうやって助け出すのだ。相手は数万の兵を要している大諸侯なんだぞ」

 「それについては、ルッカ小騎将などが集まったときお話し致します。

 今は、ハースランド中騎兵からの返事を待っていることが、姫救出の第一歩です」


 カリュースは、一瞬リーディスの言葉の意味を理解できなかった。

 だが、言葉の裏に隠されていた意味を理解すると、謎解きをした後のような笑みを浮かべ、リーディスの目を見た。


 「お前、初めから姫がアビス侯の所にいると知っていたな。

 知っていながら、俺をヴィランに会わせるために、わざわざサジ伯の所に行かせたのだな」


 リーディスは、カリュースのその言葉に、ただ穏やかに微笑んで答えただけだった。


 「で、今ハースランドはどこにいるのだ」

 「うまくいけば、今ごろはコッドの砦に侵入していると思います」

 「何! コッドの砦だと!」

 

 カリュースは、驚嘆《きょうたん》の声を上げた。


 夜風に乗る優雅な調べの裏で、静けさは確実に意味を変え始めていた。


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