第23話 薄氷の儀礼
薄暗い部屋の中で、一人の老人が机に向かって座っていた。サジ伯爵である。
細く鋭い目つきは、より一層きつく、口元はぎゅっと結ばれ、しわ深い顔は、陰謀が渦巻いているような表情であった。
「ご主人様」
低い、聞く者の不快感を誘うような声が、暗い部屋の闇から聞こえた。
「何か分かったのか、カリ」
「はっ」
その声の持ち主は、音もなく闇から現れると、サジの前でひざまずいた。
「ヴィラン公は、リザルト=レイヴンの闘争を避けるため、この館に訪れたようです」
「リザルト=レイヴンの闘争だと?」
「はっ」
「一体何の闘争だ」
「恐らくは、教皇後継者のことかと……」
「なんだと。皇母が死んだのか」
「いえ、皇母はご健在でございます」
「では、何故教皇後継者のことであの女がここに来ねばならぬのだ」
「六大卿は現在は、二派に別れております。
その内のフィリッツグール公爵の手の者が、どうやらヴィラン公のお命を狙っているようかと」
「フィリッツグール公爵と言えば、改革派の枢機卿ではないか。
となるとやつは、ヴィランを殺して、皇母が死んだとき、改革派の中から教皇を立てるつもりか」
「……」
「改革派の連中が次期教皇となれば、必ずスィークリトとラヴァウインドの両教合併が中心の政策となるはず。もしそうなれば、わしの立場がない。……カリ!」
「はっ」
「ヴィラン公の目的が、そのような理由であれば、わしのことを嗅ぎつけたわけではなさそうじゃ。では、せいぜいヴィラン公が暗殺されぬよう、お守りしてやるがよい」
「は……。それと、もう一つお話があります」
「なんじゃ」
「スィークリトの騎士が二名、この館を訪れました。いかがなさいますか?」
「スィークリトの騎士じゃと? 何用かは知らんが、ひとまず通せ。適当な理由をつけて、すぐに追い返す」
「はっ」
カリは、再び闇にとけ込むように消えた。サジは、そんなカリの姿を、憎々《にくにく》しげに一瞥をすると、その部屋を出ていった。
カリュース達は、昨晩ヴィランが通された客間に、ヴィラン同様、例の小男──カリによって通された。
カリはカリュース達を部屋に通すと、そのまま立ち去り、その後からは、小間使が数人入ってきた。彼女らは、簡単な接客の用意を、一言も話をすることもなくてきぱきと済ますと、すぐに部屋から出ていった。
「ここの連中は、愛想が悪いのう」
「俺もそう思う。さっきの小男も、どうも好きなれない。あんな者達に囲まれて過ごしている伯爵は、息がつまらないのだろうか」
カリュースは、狭く重苦しい雰囲気に耐えかねていた。しかし、リーディスは、特に表情を変えることもなく、ただ黙ってソファーに座っていた。
話すことが罪になるような雰囲気が続いた。彼らはその中で、息をひそめるように、沈黙を保っていた。
人の感覚は、嫌なときほど時間を長く感じるものである。彼らもまた、そんな人間の性からは、逃れることはできなかった。
巨大な肖像画──大教皇クレメンス六世が絶頂期の時代、ラヴァウインドの芸術家達の技術の粋を集めて作らせた秘宝。白い聖衣の上に、黄金の装飾品を付け、首からは、教皇の証である、聖薔薇十字の紋章をかけている。
その装束は、一般に大聖衣と呼ばれる。それは、いわば、教皇が教皇たる証拠の品であった。
重さは、完全な状態で十数キロにもなり、黄金や宝石類は、もはや価値の付けようがないほど立派なものとなる。そんな姿の大教皇は白い祭壇の上で、両腕を天に向けて広げ、絶大な権力を手にした者だけがもつ勝ち誇った笑みを浮かべていた。
その祭壇の下では、大聖衣ほど豪華な物ではないが、やはり、相当価値の高い聖衣をまとった六人の者達が手を合わせてたたずんでいる。六大卿達である。
左端から、フィリッツグール公爵、ダンバルン侯爵、アンジュー公爵、ラーデンブルク公爵、ラールス侯爵、ザクロニア辺境伯である。そして、アンジュー公爵は、現在の教皇、リザルト=レイヴン四世の若き日の姿であった。
カリュース達は、今の皇母の姿が描かれたその絵には関心を示さず、ただ、この館の主を待っていた。
サジは、カリが出ていってから、それほど時間が経ってから現れたわけではなかった。しかし、カリュース達には、数時間もその部屋にいたように感じられていた。
「スィークリトの者が、一体わしに何用だ」
サジは、手短にそう言った。
「我々は、スィークリト帝国のラウェル統治領主閣下のご命令で、参上いたしました」
カリュースは、サジの質問に率直に答えた。
「統治領主が一体わしに何用だ」
「それについては、私からご説明させていただきます」
リーディスは、いかにもカリュースの副官であると言うように振る舞い、手にした公文書を読み上げた。そして、つけ加えるように言った。
「先月暗殺されたジェドラ=アルバー伯爵の遺産の処理を、その兄君でいらっしゃる、サジ=ベルダント伯爵にと、統治領主閣下は申し出ています」
「弟が暗殺されたのは聞いていたが、その遺産を処理する者までもおらんのか。あいつの血縁者はわしだけなのか」
「いえ、ジェドラ伯には、マークと言う名前の、ご子息様がいらっしゃいます」
「そのマークは一体、何故遺産を相続せんのだ」
「マーク様は、ラウェルの館とジェドラ伯の伯爵位の後継をなさっただけで、あとの資産は全て放棄なさいました。
本来であれば、帝都ラウェルの有するところとなりますが、グリブロー大将軍のお口添えにより、遺産をサジ伯爵様にと、そういう流れになったのでございます」
「そうか。分かった。後日使いの者をラウェルに派遣する。それまでは、ラウェルの管理下に置いておくがよい」
「はっ。しかし、ジェドラ様のことは、まことに……」
「暗殺されてしまったものは、仕方があるまい。何もお前らの責任ではない」
「もったいないお言葉。ジェドラ様は、帝国にとっては大切なお方でした。
ファランとの戦いの後は、次期統治領主にと皇帝陛下のお言葉がございましたのに、まことに残念でございます。
ご世継ぎでいらっしゃる、ランフォーレ様が何処か連れさられ、そのような中で、ジェドラ様までもが暗殺なされたのです。
皇帝陛下もさぞかし、お嘆きあそばしていらっしゃることでございましょう」
リーディスは、目線をサジの顔に合わせたまま、ゆっくりとそう言った。
サジは、リーディスの視線と、言葉の裏に隠されている意味に気がつくと、細い目を、より一層細め、慎重に言葉を選びながら、リーディスの言葉に答えた。
「スィークリト皇帝陛下のご心中、お察し申し上げる。これで、用件は終わりか」
「はっ」
「では、今日はゆっくりと休まれるがいい」
サジは、すっと立ち上がった。カリュース達もまた立ち上がると、サジに対して敬礼をし、サジが部屋を出るのを見守った。
閉ざされた扉の向こうで、老伯爵の眼光だけが鋭く光り続けていた。




