第17話 皇帝の勅命
「そうじゃ、カネム。お前さん覚えとるかのぉ」
ばばは、甲高い声で突然言った。そして、馬車から顔を出すと、外のジプシーに何かを告げた。すぐに元のように丸テーブルの前に座った。
神妙な顔つきで座っているカリュース達を見回すと、ばばは、大声で笑いながら言った。
「かっかっか、そんなに緊張せんでもえいわい。儂の言葉はあくまで、聞くだけでいいのじゃよ。
信じるも信じないも、お前さんら次第じゃよ」
甲高く、頭に響く声は、カリュース達の堅い雰囲気を和ませた。
しばらくすると、馬車の中に一人のジプシー男が乗り込んできた。
男というよりは、まだ少年である。外にいたジプシーの男達と同様に、黒装束をつけ、肩からはマントを着けている。黒い服は、腰より少し上の方でくくられ、そこからは、日に焼けた、よく鍛えられた腹筋が覗いていた。
体付きはそう大きくはなく、まだ大人への過渡期──そんな様子だった。
「ミックじゃよ、カネム」
「ほぉ、あの時の赤ん坊か! 大きくなったもんじゃのぉ。がははははは」
ミックと呼ばれた少年は、長い髪を後ろで束ね、頭には灰色の布を巻いている。この装束は、ウィフィツィのジプシー特有のものである。
彼は、ばばに紹介されると、相手を睨むようなキツイ目つきでデスを見た。
「もう少し愛想よくせんかい、ミック」
ばばはそう言うと、ミックの腰を下からたたき上げた。ミックは叩かれた勢いでふらついた。
「いってえな。そんなにきつく叩かなくてもいいだろ、ばば」
「ミックを呼んだのに意味はあるのか、ばば殿」
「いや、ミックを呼んだのには意味はないわい。かっかっか」
ミックは、ぶすっとしたままその場に座り込んだ。
ミックが座ると同時ぐらいに、馬車の外から鐘の音が鳴り響いた。
「おお、いかん。もうこんな時間か。
よいかカリュース。
おぬしが帝国城に戻ったとき、新たな転換期を迎えることになる。
決してそれをお忘れなさるなよ。」
「じゃあ、ばば殿。わしらは、これでおいとましよう。邪魔をしたな」
「なぁに、またあんたはここに来ることになるよ。そこの鎧の男と一緒にな。かっかっか」
軽い笑い声が響く。
ルッカは、あまりいい顔はしなかった。意味もなく殴られるわ、気味の悪い馬車に乗せられるわ、訳の分からない話を聞かされるわで、すぐにでもここを出たいくらいだった。
馬車から降りたカリュース達は、ばばやミックに見送られながら、急いで帝国城に戻った。
カリュース達は、ジプシーの者に案内をしてもらったこともあったので、帰り行きの半分以下の時間で帝国城に戻ることができた。
彼らが帝国城に戻ったときは、すでに太陽は半分沈み、辺りは真っ赤に染められていた。
「いかんなぁ、今日一日は、帝国城での仕事をさぼったようなもんじゃのぉ。がははははは」
「戻ったら、大将軍に文句の一つでも言われるかもしれないな」
カリュースは、軽く笑うと、走りながら帝国城に入った。
夕暮れ時の帝国城は静かだった。帝国城にいる騎士達の大半は、夕暮れ前に自分達の宿舎に戻るからである。
夕暮れを過ぎれば、今度は帝国城で働く女達が、帝国城を支配する。貴族達の開く舞踏会や、パーティの準備などに、女達が帝国城の内部を忙しく走り回るのである。
カリュース達が戻ったのは、ちょうどその境目だった。
赤く照らされた帝国城の廊下には、カリュース達以外誰もいなかった。辺りには、何の音も聞こえず、そこは、絵の中の世界さながらだった。
「静かだな」
「ああ」
カリュースの言葉に、ルッカは静かに答えた。
「あれだけ人のいる帝国城も、こんなに静かなこともあるのだな」
カリュースは、独り言のように呟いた。辺りを照らす夕日の光は、周りを赤く染め、幻想的な美しさをかもし出していた。
カリュース達の歩く足音が、カツーン、カツーンと響き、帝国の巨城の中にいながら、廃墟となった古城の中を歩いているような気持ちにさせた。
彼らが、大騎将室の前に着くと、デスは扉のノブに手をかけた。その時、後ろから誰かが走ってきた。
「カリュース隊長!」
「なんだ、ハースランド。まだ帰ってなかったのか」
「はっ。カリュース隊長とデス大騎将に少し話が……」
ハースランドは、ルッカにその場から控えてもらうよう、目でカリュースに合図をした。
カリュースは、そんなハースランドの訴えを無言で承知した。そして、ルッカもまた、何も言わずともそれを理解していた。
「じゃあ、カリュース。俺は先に帰っておく」
「ああ、すまんな」
「いやいや、ハースランドのその様子じゃあ、俺がいても仕方がないしな。
とりあえず、明日になれば分かることだろうからな」
「そうだな」
「じゃあな」
ルッカは、そう言うと、デスに敬礼をし、身を翻してその場から立ち去った。
そこに残されたのは、カリュース、デス、ハースランドの三人だけである。
「で、話とはなんだ。ハースランド」
「グリブロー大将軍が、カリュース隊長と、デス大騎将をお呼びです」
「なんじゃあ、やっぱり小言を言われるのかのぉ。わしらは別に悪いことはしとらんのだがのぉ。がはははは」
デスの軽い冗談はハースランドには通用しなかった。ハースランドは、ただ真面目に、カリュース達を見ているだけだった。
「とりあえず、急いで大将軍室に来るようにと、そうおっしゃっています」
「分かった、すぐに行く」
カリュースは、そういうと手にしていた剣を大騎将室に置き、すぐに大将軍室に向かった。
大将軍室は、辺りが真っ赤に染められているかのように、夕日の赤が見事に差し込んでいた。床から天井まであるほどの、大きな窓は西側に備え付けられ、その窓の前では、夕日を背に大将軍グリブローが立っていた。
その鮮やかな赤色は、血の海の様だと見る者もいれば、大自然の生命が燃える、生き生きとした赤だと見る者もいる。カリュース達は明らかに後者の方だ。
カリュース達が来たことに気づいたグリブローは、横にある大きな机の椅子に座り、肘をついて顎を手の甲に乗せた。
「カリュース中騎将」
そう言った声は、どこか重々しく、悲しい色を帯びていた。
「はっ」
「先日ジェドラ伯が暗殺された事件は知っているな」
「はい」
カリュースは、机の前に立ち、腕を後ろに組み堂々と立っていた。
デスは、カリュースより、少し後ろの方で同じように、後ろで手を組んで立っていた。ハースランドは、扉の前に立っている。
「ジェドラ伯が暗殺されたため、ラウェルの統治領主は、前任のウイルミッカー伯が、引き続き統治することになった」
「それがどうかしましたか、大将軍?」
「いや、別に……」
グリブローは、明らかに何かを言いたいのだが、ためらっているようだった。そんなグリブローの姿を見たカリュースは、黙って大将軍が次に言う言葉を待っていた。
「カリュース」
「はい」
「あ……うむ……」
「どうかなされたのですか、大将軍」
「うむ……」
「さっさと言ってしまったらどうじゃ、ヴァルツビック侯」
デスは、見るに見かねて後ろからそう言った。
「お前さんが、何かを言いたいのをためらっているのは、ハッキリと分かっとる。
わしらは、滅多なことでは驚ろかんから、言うのが良かろう」
「うむ……。分かった。では、言おう」
カリュースとデスは、さっと顔に緊張を表した。グリブローは、静かに話し出した。
「本日、皇帝陛下の勅命が下った」
グリブローはそういうと、手元にあったスクロールを広げ、読み始めた。
「
カリュース=アスベイル中騎将。
汝に勅命を与える。
数年前帝国から敵国の陰謀により拉致された、ティア=スィークリト=ランフォーレの探索、及び救出を命ず。
成功の暁には、汝を帝国大騎将に命ず。
勅命の成就がかなわぬ限り、汝のスィークリト帝国内における中騎将の権利は無きものとする。
尚、補助官として、デス=フランソワ=ペナルティー大騎将、副官としてハースランド=カレイド中騎兵をその任務遂行にあたらせる。
スィークリト帝国第一八代皇帝
レイヴァ=スイークリト=メドル三世
以上だ……」
「ばかな! 俺はついこのあいだ中騎将に昇格したばかりだ。それなのになぜこんな勅命が!」
「それは、私にも分からぬ。だが一つ言えることは、この勅命は、裏では大宰相閣下が絡んでいることだ。
先日の件が、何か関係しているかも知れぬ」
「しかし、この勅命では、ランフォーレ姫の探索、救出がなされぬかぎり、俺は、帝国の軍人としての権利を剥奪されたようなものだ。
俺に、軍人を辞めろと言われるのか!」
「そうとも、限らんぞカリュース。よく考えてみい、姫の救出をすれば、それで問題はあるまい。違うかの?」
「しかし、一体どこの国に連れさらわれ、今どこにいるのかすら分からない姫を、どうやってこの広い大陸の中から探し出し、救出したらいいんだ。
それに、以前同じ勅命が下りた者達は、ことごとく失敗している。
皇帝は、今度はそれを俺にやれと言うのか」
「できないのか、カリュース」
「しかし、デスさん……」
「私も、この勅命には裏があると思う」
「大将軍……」
「だが、私からも頼む。どうか、どうかランフォーレ姫を探し出して、救出してくれ」
カリュースは勅命に対しすぐに回答をするのは避けた。その表情は苦悶に満ちており、その場にいる誰もがこの勅命が達成困難であることを理解していた。
しばらくの沈黙の後、カリュースは口を開いた。
「大将軍……分かりました。この勅命、つつしんでお受けいたします」
「おお、やってくれるのか」
「だが、どこまで俺の力が通用するか分からない。失敗するかも知れない。
それでもいいのですね?」
「今から失敗したときのことを考えるのは、臆病者じゃぞ、カリュース」
「とにかく、今回の件については、大宰相閣下が絡んでいる。
気を引き締めてとりかかる方がいい」
「ああ。しかし、俺の部隊は、残念ながら使えないな。
部下は、ハースランド一人か」
「そうでもあるまい。わしの部隊を使えばよかろう」
「デスさん」
「そうだな。この勅命では、カリュースの権利は無いが、デスとまでは書いていない。
デスの部隊を使用して、咎められることはない」
「まぁ、そうと決まればさっさと仕事にとりかかるかの。がははははは」
「ああ。しかし、やみくもに探しても、見つからないだろう。
誰か有能な参謀役がいるな……誰が参謀に……」
「それなら、うってつけの奴がおるわい」
「誰だ、デス。軍部にいる参謀官達は、今回の任務にはつけないのだぞ」
「別に軍部の連中とは言っとらんわい」
「じゃあ、誰が?」
「お前さんのよーく知っとる人物じゃよ。イプソス平原大戦の大軍師じゃ。がはははははは」
「リーディス! しかし、あいつは体が……」
「イプソス大戦の時の活躍を忘れたのか、カリュース。
あの男は、陣幕の中にいながら、的確な指示をわしらに与えとったではないか。
あの男なら、きっと今回の任務も、見事参謀役を果たせるじゃろうて。がはははははは」
「リーディス? 誰だ?」
「おお、ヴァルツビック侯はご存知ないか。あの、イプソス平原大戦の時、有利にあった敵軍を欺き、策をもって打ち破った男じゃよ。
いわば、カリュースの隠し玉って所じゃな。
あの男は、別に軍部の人間じゃない。じゃから、別に問題はあるまい。がはははははは」
「そんな男が、民間にいたのか。どんな男なのだ? よほど頭が切れるとみたが」
「ああ、確かにあいつの策はすごい。このあいだのファランとの戦いだって、あいつが予測したことは、見事に的中したのだ。
だから、彼は奴らの先を読み、部隊を分断して、バルミッツ将軍を討つことができたんだからな」
「そんな男が、何故軍部に上がってこないのだ?」
「あいつは、右足が動かない。そして、昔のあることが原因で体は病気がちで、髪の毛は完全な白髪だ。だから、あいつは軍隊には入れない。
あいつが俺の部下だったら、どれほど支えになるか」
「そうか……まぁ、そんな男がいるのであれば、今回の任務も、そう不可能なことではないな」
「ああ」
「何にしてもじゃ、すぐにでも仕事に入った方がいいの。ひとまず、今回の件についての作戦本部は、カリュースの家に置くが、よいかカリュース?」
「ああ、そっちの方がリーディスの負担も少ない」
「では、いっちょ人探しをするかのぉ。がははははは」
カリュース達は、大将軍室を出るとすぐにカリュースの家に向かい、リーディスに事の事情を話した。
リーディスは、カリュース達から皇帝の勅命が出るに至った全ての事情を聞く前に、この勅命がカリュースを窮地に陥らせるであろうことは十分に理解していた。
だが、リーディスがカリュースの頼みを断るはずもなく、ただ、カリュースに協力することを黙ってうなずき、承諾した。
リーディス、カリュース、デス、ハースランドの四名は、これから訪れるであろう様々な困難について夜が明けるまで議論を重ね、白々《しらじら》と明けゆく光の中で、改めて互いの結束を固く誓い合った。
彼らに課せられた勅命は、大きな運命の歯車を回し始めるのであった。
EWIG 第一巻 完




