表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人の想いは色で視えるのに、わたくしに向けられた愛だけは、一度も視えたことがない  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/30

第九話 あなたの色だけ、視えない

 旅装の男は、王都から遣わされた伝令だと名乗った。

 中庭に並んだ家人たちが、気まずげに道を空ける。男は慇懃に腰を折ったが、その所作のいちいちに、値踏みするような無遠慮さがにじんでいた。胸に灯る鈍色は、雪の白さのなかで、どこまでも異質だった。

「ヴァレンシュタイン辺境伯閣下。お戻りをお待ち申し上げておりました」男は、なめらかに言った。「王都より、閣下のご動向を案じる声がございましてな。このたび、伯爵家のご令嬢を城へお迎えになったとか。はて、いかなるご事情でございましょう」

「貴様に、答える筋はない」

 セオドール様の声は、氷そのものだった。旅のあいだ一度も聞かなかった、拒絶の響き。「私の城で、私が誰を客とするか。王都の誰であれ、口を挟ませはせん。伝えておけ」

「これはこれは。相変わらず、取りつく島もない」男は薄く笑った。その笑みの裏で、鈍色がわずかに黒へ傾く。害意の兆し。「されど閣下。人の縁というものは、思わぬところで繋がっているもの。ご令嬢とて、王都に無縁の身ではございますまい。……どうぞ、お気をつけを」

 含みのある言葉を残して、男は去っていった。門をくぐるその背を見送りながら、わたくしは背筋の寒さを覚えた。ご令嬢とて、王都に無縁ではない。あれは、わたくしのことを言っていた。まるで、わたくしがこの城に来ることを、はじめから知っていたかのように。

 ユリウス様の、あの言葉がよみがえる。上の意向。詮索するな。

 王都の誰かが、わたくしを見ている。生家を出るあの朝、霧のなかから見張っていた、紋のない馬車。あれも、この男と同じ色をしていたのだろうか。

「気にするな」

 セオドール様の声に、わたくしは我に返った。彼は、こちらを見ずに言った。

「あの手の者は、昔から、うるさく飛び回っている。君が煩わされることは、私がさせない」

 短い言葉だった。けれど、そこには確かな重みがあった。守る、と言われたわけではない。それでも、そう聞こえた。


 その夜、わたくしは城の一室で、セオドール様と向かい合った。

 後見の正式な取り決めのためだった。羊皮紙に、身柄の預かりや暮らしの条件が記されている。暖炉では薪が低く燃え、部屋には松脂と、古い石の匂いが満ちていた。セオドール様が、包帯を巻いた腕で、羊皮紙を卓に滑らせる。

 事務的な言葉を交わしながら、わたくしは幾度も、彼を視ようとした。

 昼間、あの伝令には、あれほどくっきりと鈍色が灯っていた。村の人々にも、金や青が満ちていた。人の心は、いつだって色になって、わたくしの目に映る。

 なのに、この人だけが。

 目の前の、命を懸けてわたくしを庇い、腕に傷まで負ったこの人だけが、どれだけ視ようとしても、色の一片も灯さない。無色でもない。ユリウス様の空虚な透明とは、まるで違う。そこだけ、世界に穴が空いているように、何も、ない。

 こんなことは、生まれて初めてだった。八年間、わたくしはこの目を頼りに、人の本心を見極めて生きてきた。誰が偽り、誰が本物か。色さえ視えれば、傷つく前に身を守れた。だからこそ、色の視えない相手は、暗闇に立つ人影のように、得体が知れなかった。

 けれど、と思う。得体が知れないはずのこの人は、峠でわたくしの盾になった。腕を斬られてまで。色では説明のつかないその行いだけが、わたくしの中に、確かな重みとして残っている。信じたいのに、確かめる術がない。そのもどかしさが、胸の奥で、ちりちりと疼いた。

「……あの」わたくしは、羊皮紙から顔を上げた。「不躾なことを、伺ってもよろしいでしょうか」

「なんだ」

「セオドール様は」声が、わずかに震えた。「わたくしのことを、どう思っていらっしゃるのですか」

 言ってしまってから、頬が熱くなった。そういう意味ではない、と慌てて付け足そうとして、うまく言葉が出てこない。けれど、確かめずにはいられなかった。この人が、わたくしをどんな想いで庇い、この城へ連れてきたのか。

 いつもなら、視ればわかる。相手の胸を見れば、憐れみか、下心か、義務か、一目で。

 けれど、この人の色は、視えないのだ。

「あなたのお心の色だけ、どうしても、視えないのです」

 口をついて出ていた。母の遺言も、隠し通してきた秘密も、忘れて。「生まれてから、どんな人の想いも視えてきました。それが、あなたのことだけ、なにも」

 セオドール様の手が、羊皮紙の上で止まった。

 彼は、しばらく黙っていた。暖炉の薪が、ぱちりとはぜる。灰青の目が、まっすぐにわたくしを見ていた。驚いた様子でも、訝しむ様子でもない。まるで、その言葉の意味を、はじめから知っていたかのような、静かな目だった。

「……視えなくていい」

 やがて、彼は低く、それだけを言った。

「視えないほうが、いいこともある。君は、視えるものに縛られすぎている」

 どういう意味だろう。問い返そうとしたけれど、セオドール様はもう立ち上がり、燭台を手に取っていた。それ以上は、語ってくれそうになかった。


 私室に戻っても、わたくしは眠れなかった。

 視えなくていい。あの人は、なぜあんなことを言ったのだろう。まるで、自分の色が視えない理由を、知っているかのようだった。

「お嬢様」寝支度を手伝いながら、ネルが声をひそめた。「昼間の、あの王都の男。城の者に聞いたんですけど、ああいう手合いが、この一年、たびたび城の周りをうろついているそうですよ。辺境伯様を、探るみたいに」

 この一年。わたくしがこの城に来る、ずっと前から。それは、わたくしのせいで始まったことではない。けれど、あの伝令の含み笑いは、まるでその二つを、一本の糸で結んでみせるかのようだった。

 窓の外では、また雪が降り始めていた。色の視えない人。その心を知る手がかりは、どこにもない。そして、王都から伸びる、正体の知れない影。

 わたくしは、この静かな城で、ふたつの謎に囲まれていた。あの人の視えない色と、わたくしを見張る、顔のない誰かの色と。

 視えなくていい、とあの人は言った。けれど、視えないからこそ、わたくしは知りたかった。あの背中が、なぜわたくしを庇ったのか。あの静かな目の奥に、何があるのか。生まれて初めて、わたくしは、視えない誰かの心を、この目以外の何かで知りたいと願っていた。

 雪が、音もなく降り積もっていく。長い冬の、始まりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ