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人の想いは色で視えるのに、わたくしに向けられた愛だけは、一度も視えたことがない  作者: ヲワ・おわり


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第二十八話 歪めた者

 王城の大広間は、天井が、はるか高くにあった。

 磨き上げられた大理石の床に、色硝子を透かした朝の光が、幾筋も、斜めに差し込んでいる。左右には王国の諸侯が居並び、正面の玉座には、痩せた老王が、気だるげに身を沈めていた。その傍らに、凛と立つ若い姫君。王女フィオナ殿下だ。

 そして、玉座の階の下。深紅の長衣をまとった白髪の男が、ゆったりと佇んでいた。

 宰相ヴォスラー侯爵。

 初めて相対するその人の胸に、わたくしは、目を向けた。慇懃な微笑の下に灯るのは、濁った鈍色の権勢欲と、その奥に、とろりと沈む、黒い害意。言葉はどれほど飾られようと、その色だけは、偽れない。

「よくぞ参られた、レイフェルト嬢」宰相は、口の端を上げた。「そなたの持つ力は、王国にとって、かけがえのない宝。どうか、その目を、国のために役立ててはくれぬか。臣下の忠誠を測り、王国の安寧を守るために。それが、そなたの務めであろう」

 やわらかな声だった。諭すような、理を説くような。けれど、その色は、ひとかけらも、わたくしを案じてなどいない。

 わたくしは、一歩、前へ出た。懐から、守り手の家に伝わる、古い記録の写しを取り出す。指先が、羊皮紙の乾いた縁に、触れた。

「宰相閣下。その前に、皆さまに、お聞きいただきたいことがございます。この力が、色視というものが、いったい何であるのか。その、本当の由来を」

 広間が、ざわめいた。

「色視は、誠を司る女神マレアの、加護にございます。偽りに満ちた世で、傷ついた人を、本物の想いへと導くための力。人を裁き、心を暴くためのものでは、ございませんでした」

 わたくしは、記録を、高く掲げた。

「けれど三百年前。時の王家は、この力を、忠誠を暴き、政敵の胸を探る道具に変えた。誠を導く加護を、人を疑い、支配する力へと、歪めたのです。その報いに国は乱れ、女神の怒りを買い、巫女は魔女として、火にかけられました。力を歪めた者が、みずから招いた悲劇にございます」

 声が、広間の高い天井へと、吸い込まれていく。誰も、口を挟まなかった。三百年前、この同じ王城で、誠を映すというただそれだけの理由で、幾人もの娘が、薪の上に括りつけられた。その灰の上に、今の平穏が、築かれている。わたくしの言葉が、その古い罪を、諸侯の記憶の底から、ひとつ、またひとつと、掘り起こしていくのが、わかった。

 低いどよめきが、居並ぶ者たちのあいだに、広がっていく。

「宰相閣下。あなたが、この力を再び忠誠を測る道具にせよと仰るなら。それは、三百年前と、まったく同じ過ち。国を、ふたたびあの悲劇へと導く道にございます」

「巫女の末裔らしい、美しい作り話だ」宰相は、微笑を崩さなかった。「だが、古い伝承の一片で、王国の政が動くとでも思うてか。娘よ、そなたは少々、夢を見すぎておる」

 その声は、穏やかだった。けれど、胸の鈍色が、わずかに、揺らいだ。動揺の、色。

「夢では、ございません」わたくしは、静かに言った。「わたくしには、視えるのです。今、あなたの胸に灯る色が。国の安寧を思う忠義の青では、ない。ただ、力を我がものにしたいという濁った欲と、その奥の、暗い害意が」

 宰相の眉が、ぴくりと動いた。

「口を慎め。憶測で、宰相たるわたしを愚弄するか」

「憶測では、ございません。これが、色視。あなたが道具にしたいと望む、この力の、正体にございます。皮肉なこと。この目は、あなたご自身の偽りを、いちばん先に、暴いてしまうのですから」

 玉座の傍らで、フィオナ殿下が、初めて口を開いた。涼やかな、けれど芯のある声だった。

「面白いことを申す。宰相、そなたが辺境へ、王命も待たず私兵を差し向けたこと、わたくしは忘れておらぬ。娘の申す由来が真であれば、そなたの企ては、国を害する。この場で、白黒つけようではないか」

 宰相の声から、やわらかさが、削げ落ちた。

「殿下まで、そのような世迷い言を。よろしい。ならば、こちらも申し上げましょう。そもそも、その娘の後見人たるヴァレンシュタイン辺境伯。四年前、王都にて、女の手管に心を操られ、あわや領兵を私闘に用いかけた、あの醜聞を、皆さまはお忘れか。心惑わされやすき者が後見する娘の言葉、どこまで信が置けましょうな」

 セオドール様の拳が、握られた。触れれば切れそうな沈黙。消し去りたい過去を、衆目の前で、抉り出されたのだ。

 けれど、わたくしは、怯まなかった。昨夜、宿の窓辺で受け取った、あの静かな確信が、胸の内で、揺るがずに立っていた。この人の過去が、恥ではないことを、わたくしは知っている。操られたのではない。操ろうとする者に、命がけで抗った人なのだ。その痛みゆえに、心を封じてまで、二度と誰にも領地を利用させまいと、たった一人、北の果てで、氷の辺境伯を演じてきた。

「その話、順序が逆でございます」わたくしは、宰相を見据えた。「辺境伯の心を操った女を差し向けたのは、ほかならぬ、あなたでございましょう。人の心を操る術者を、今もお抱えなのは、どなたですか。宰相閣下」

 宰相の微笑が、完全に、凍りついた。図星を突かれた者の顔。胸の黒が、ぐっと濃くなる。

 諸侯のどよめきが、大きくなった。潮目が、変わっていく。追い詰められているのは、もはや、わたくしではなかった。

 勝ちかけている。そう思った、その刹那。

 宰相の顔から、いっさいの表情が、消えた。取り繕うことを、やめたのだ。

「口の減らぬ娘だ」低く、吐き捨てるように。彼は、片手を、上げた。「言葉で片がつかぬなら、是非もない。その娘の身柄、力ずくでも、いただこう」

 その合図とともに、広間の柱の陰から、深紅の徽章をつけた宰相直属の兵が、幾人も湧き出てきた。抜き身の剣が、朝の光に、鈍く光る。王の御前で、あろうことか、刃を。

 鉄と汗の匂いが、近づいてくる。床を蹴る軍靴の音が、大理石に反響して、地鳴りのように迫った。心の臓が、喉元で、激しく打つ。

 諸侯が、悲鳴のようにざわめいた。フィオナ殿下が、鋭く何かを叫ぶ。けれど、兵たちは、まっすぐに、わたくしへと迫ってきた。

 逃げ場は、なかった。

 その、わたくしの前に。

 セオドール様が、音もなく、身を滑り込ませた。広い背が、わたくしと、迫る刃のあいだを、塞ぐ。

「――アリシア」振り向きもせず、彼は低く言った。「私の後ろから、動くな」

 丸腰の、たった一人の背中が、朝の光を、遮っていた。視えないその胸の内で、この人が今、何を決めたのか。わたくしには、まだ、視えない。

 迫る刃の切っ先が、その背へ、届こうとしていた。


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― 新着の感想 ―
…この時点で宰相はどうやって自分の思い通りに結末をもっていくつもりだったんでしょう? アリシア嬢の身柄さえ押さえてしまえばその場にいた人たちの記憶改竄が可能とでも思っていたんでしょうか…いやいやいやそ…
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