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人の想いは色で視えるのに、わたくしに向けられた愛だけは、一度も視えたことがない  作者: ヲワ・おわり


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第二十六話 盾となる真実

 東の塔で得た真実は、わたくしの中で、ひとつの確信へと、姿を変えていた。

 色視は、呪いではない。人を裁くための力でもない。偽りに傷つく者を、本物へ導くための、女神マレアの加護。そして、その力を疑いと支配の道具に歪めた王家は、かつて女神の怒りを招き、巫女を火にかけ、みずからの手で、消えぬ悲劇を刻んだ。

 その歴史こそが、武器になる。

 翌朝、わたくしは、セオドール様とガロンの待つ書斎へ、みずから足を運んだ。暖炉の火が、乾いた音を立てて、爆ぜている。

「宰相ヴォスラーが欲しているのは、忠誠を暴き、人の心を裁く道具としての、この目です」わたくしは、卓に手をついた。「けれど、女神の理では、この力を歪めた者は、必ず報いを受ける。三百年前、王家がそうしたように。その真実を、王や、諸侯の前で明らかにできれば」

「宰相の大義が、崩れる」セオドール様が、後を継いだ。

「はい。あの方は、王国のため、忠誠を測る力は王家が握るべきだと、大義を掲げています。けれど、その力がかつて何を招いたかを、居並ぶ者すべてが知れば。宰相の望みは、国を再び災いへ引きずり込む、危うい企てに、変わります」

 剣では、この城の冬は守れない。けれど、真実は、刃を持たずとも、人の心を動かす。武力で抗えば、叛逆になる。ならば、戦う場所を、戦場から、言葉の通じる場へ、移せばいい。

 ガロンが、白い眉の下で、目を細めた。「守り手の家に伝わる記録が、その証となりましょう。三百年、我らが守り継いだのは、巫女の血だけではございませぬ。この、真実そのものにございます」

「だが」セオドール様の眉が、険しくなった。「王都は、宰相の膝元だ。のこのこ出向けば、真実を語る前に、貴女の身が、あの男の手に落ちる。……それでも、行くと言うのか」

 問われて、わたくしは、深く息を吸った。喉の奥が、かすかに強張る。恐ろしくない、と言えば、嘘になる。

「隠れていても、あの方は、どこまでも追ってまいります。ここで息を潜めて待つより、光の当たる場所で、正面から真実を突きつけるほうが、ずっと勝機がございます。闇に潜む企ては、白日の下でこそ、綻ぶものですから」

 偽りの色が、いつか必ず持ち主を裏切るように。歪めた大義もまた、多くの目に晒されて、はじめて、綻びを見せる。わたくしのこの目は、その綻びを、誰より早く、見つけられる。

「諸侯の前に立つ場を、どう作る」セオドール様の声が、低くなった。「宰相は、王への道を、ことごとく握っている」

 沈黙が落ちた。窓の外で、雪をかぶった枝が、風に軋んでいる。

 その静けさを破って、ガロンが、一通の書状を、卓の上に滑らせた。封蝋には、見慣れぬ紋が捺されている。

「昨夜、密かに届きました。王女フィオナ殿下より、にございます」

 セオドール様の眉が、わずかに動いた。

 王女フィオナ。宰相の専横を、かねてから快く思っていないと噂される、聡明な姫君。書状には、こうあった。宰相が私兵を辺境へ差し向けたことは、王命の名を騙った越権であり、看過できぬ。この件、王の御前にて詮議すべく、王女の名において、辺境伯とその後見の娘を、王都へ召喚する、と。

「殿下は、宰相の兵を、王家への叛意の証と、見て取られたのだ」セオドール様が、低く呟いた。「あの男は、力を焦るあまり、みずから、隙を作った」

 軍勢を出したことが、かえって、宰相自身の首を絞める。王女は、その隙を、見逃さなかった。

 わたくしは、書状を見つめた。王都へ。わたくしを醜聞の令嬢として追い出した、あの街へ。今度は、うつむいた罪人としてではなく、真実を携えた者として、戻るのだ。

「一緒に、来てくださいますか」わたくしは、セオドール様を見上げた。「わたくしは、もう、独りで背負うのは、やめました。あなたと、ガロンと、この家が守ってきた真実と。皆で、あの方の前に、立ちたいのです」

 これまでのわたくしなら、皆を巻き込むまいと、独りで抱え込んでいた。誰にも愛されぬ身だからと、独りで消えようとさえした。もう、違う。

 セオドール様は、しばらく、わたくしを見ていた。それから、ほんのわずかに、その硬い頬が、ゆるんだ。

「ああ。……守り手と、巫女だ。三百年、離れては交わった。今度は、並んで立てばいい」

 守られるのではなく、並んで立つ。その言葉が、胸に、じんと灯った。

 この人は、いつも、わたくしの前に立って、盾になろうとしてきた。旅の夜、野盗の刃から庇って、左腕に傷を負ったときも。宰相の使者を、冷たく追い返したときも。その広い背中に、わたくしは、幾度、守られてきただろう。けれど今、この人は、わたくしを背に庇うのではなく、隣に置くと言った。半歩下がった安全な場所ではなく、同じ地平に。

 視えない色の代わりに、飾らないそのひと言が、胸の奥へ、まっすぐに届いた。頬が、じわりと熱くなる。それを悟られまいと、わたくしは、そっと、記録の綴りへ、目を落とした。

 三日の後、わたくしたちは、王都へ発った。冬枯れの街道を、殿下の遣わした護衛とともに、南へ下る。北の雪はしだいに薄れ、やがて、見慣れた王都の尖塔が、地平の彼方に、灰色の影を結んだ。

 馬車の窓の隙間から、王都の匂いが、忍び込んでくる。石畳と、煤と、幾千の人いきれ。かつて、この匂いの中で、わたくしは、婚約者に無色の愛を告げられ、爪弾きにされた。まばゆい燭台に照らされた、あの夜会の広間を、昨日のことのように思い出す。

 あのころのわたくしは、ただ、うつむいて、痛みに耐えるだけだった。人の偽りを視ながら、それを口にする術も、抗う力も、持たなかった。

 胸に、怯えは、なかった。懐には、守り手の家の記録。傍らには、色の視えぬ、けれど誰より誠実な人。そして、わたくし自身の、この目。

 決戦の場は、王城の大広間。着到の三日後、王の御前、諸侯の居並ぶ中で、宰相ヴォスラーと相対する。

 けれど、その夜。王都の宿の、凍てた窓辺で、わたくしは、ひとつの問いと、向き合っていた。

 真実は、武器になる。宰相とも、戦える。けれど。

 どうしても解けぬ問いが、ひとつだけ、まだ残っている。

 なぜ、わたくしには、あの人の、セオドール様の心の色だけが、視えないのか。

 その答えに、わたくしは今、静かに、手を伸ばそうとしていた。


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