第十六話 巫女と守り手
翌日、わたくしはふたたび、あの奥まった一室へ招かれた。
昨夜、問いかけて遮られたことの続き。なぜ、辺境伯家が、誠の巫女の歴史をこれほど知っているのか。その答えを、ガロンが語ってくれるという。セオドール様も、壁際に腕を組んで立っていた。その顔つきは、いつもより硬い。何か、重いものを打ち明けるときの、覚悟の表情だった。
「レイフェルト様」ガロンが、深く一礼した。「昨夜の問いに、お答えいたします。これは、当家が三百年、口外を禁じてきた秘事にございます。ですが、あなた様には、知る権利がある」
わたくしは、息を詰めて、老家令の言葉を待った。
「三百年前、誠の巫女が魔女として狩られたとき」ガロンは、静かに語り始めた。「炎の手から、ひとりの巫女を匿い、逃がした家がございました。北の辺境の、名もなき武門。それが、我らヴァレンシュタインの、祖にございます」
わたくしは、目を見開いた。
「巫女を、匿った」
「さようでございます。当家の祖は、追われる巫女に、この辺境の守りを差し出しました。都の目の届かぬ北の果てで、巫女の血を、ひそかに守り続けたのです。以来、ヴァレンシュタイン家は、代々、ひとつの使命を負ってまいりました。『誠の巫女の血を、守り手として、護り抜くこと』」
守り手。その言葉が、胸の奥で、深く響いた。
「巫女と、守り手」ガロンは、遠くを見るように目を細めた。「三百年のあいだ、二つの血は、幾度か交わり、幾度か離れました。けれど、守り手の家は、決して忘れなかった。いつか、また巫女の血を引く者が現れたなら、その者を、命に代えても守るのだと」
わたくしは、言葉を失っていた。
疎まれ、隠され、災いの種とばかり思ってきた、この血。生家では厭われ、王都では道具として狙われた、この目。それが、この北の地では、三百年ものあいだ、「守るべきもの」として、待たれていたというのか。
喉の奥が、熱くなった。目の縁に、じわりとにじむものがある。それを、瞬きでこらえた。
思えば、わたくしは一度も、この血を誇りに思ったことがなかった。母が隠せと言うから隠し、人が気味悪がるから恥じた。婚約者の偽りを見抜いても、義母の企みを見抜いても、そのたびに、視えなければよかったと思った。視えることは、いつだって、わたくしを孤独にするものだった。
なのに、ここには、この血を、命に代えても守ると誓った人々がいる。三百年、名も知らぬわたくしを、待ち続けた家がある。そんなことが、ありうるのだろうか。信じてしまえば、また裏切られたときに、立てなくなりそうで。それでも、ガロンの胸に灯る若草の色は、どこまでも澄んでいて、嘘の翳りが、ひとつもなかった。
「では」わたくしは、掠れた声で問うた。震える指を、膝の上で握りしめる。「わたくしがこの城へ来たのは、偶然では、なかったのですか」
「偶然では、ございません」ガロンは、静かに首を振った。「セオドール様は、あなた様が色視の血を引く者だと、知って、迎えられたのです。婚約を破棄され、生家にも居場所を失ったあなた様を、守り手の務めとして」
わたくしは、セオドール様を見た。
壁際に立つその人は、目を伏せていた。会ったこともなかったわたくしを、なぜ辺境まで連れてきたのか。理由はいずれ話す、と言ったあの言葉の意味が、今、ようやくわかった。この人は、三百年の使命を負って、わたくしを迎えに来たのだ。
胸の奥が、締めつけられた。それは、喜びのようでも、寂しさのようでもあった。守り手の務め。つまり、あの旅の途中の外套も、命を懸けた盾も、名代からの防壁も、すべては、家の使命ゆえだったのか。あの人自身の想いでは、なく。
視えない胸を、わたくしは、また視ようとした。けれど、そこには、何もない。務めなのか、それとも、それ以上の何かなのか。確かめる術は、どこにもなかった。
わたくしの視線に気づいたのか、セオドール様が、ようやく口を開いた。目は伏せたままだった。
「務めだから、迎えたのではない」低い声だった。「初めは、そうだったかもしれん。守り手の血が、私にそう命じた。だが」
そこで、言葉が途切れた。彼は、めずらしく、続く言葉を探すように、こめかみのあたりを指で押さえた。考えるときの、この人の癖だ。
「あの家で笑わなかった君が、この土地で、金の色は美しいと言った」やがて、ぽつりと言った。「あのとき、務めではない何かが、私の中に生まれた。……うまく、言えん」
うまく言えん、と。饒舌とはほど遠いその人が、それでも言葉を尽くそうとしてくれている。色は視えない。けれど、その不器用な沈黙と、探し探し紡がれる言葉の温度だけは、確かにわたくしの胸に届いた。
顔が、火照った。わたくしは俯いて、膝の上の手を、いっそう強く握りしめた。
「……ガロン」わたくしは、ふと、あの肖像を思い出した。「書庫に、女の方の肖像がございました。護符を提げた、髪の淡い。あの方は、どなたなのですか」
ガロンとセオドール様が、また、あの目配せを交わした。
「あれは」ガロンが、ゆっくりと言った。「かつて、この城が匿った、最初の巫女にございます。そして、あなた様が提げておられないものを、あの方は、その胸に提げておられる」
わたくしが、提げていないもの。護符。あの肖像の巫女が、胸に下げていた、見慣れぬ紋様の護符。
「あの護符には」ガロンの声が、低くなった。「守り手の家に伝わる、ある大きな謎が、関わっているのでございます。その謎を解く鍵は、この城の東の塔に。ですが、それを語るには、セオドール様のお許しが要ります」
東の塔。セオドール様が、近づくなと命じた、あの場所。床が傷んで危ういと。あれは、方便だったのか。
わたくしは、セオドール様を見た。彼は、しばらく黙っていたが、やがて、小さく頷いた。
「……近いうちに、話す」絞り出すような声だった。「私の、口から。だが、今日は、ここまでにさせてくれ」
その横顔に、初めて、隠しきれない翳りが差していた。色は視えない。それでも、その翳りが、古い痛みに触れることへの怯えであることは、なぜか、わかった。
窓の外で、風が鳴った。守り手の家の、謎。東の塔に眠るという、その秘密。それが、わたくしの視えない疑問と、どこかで繋がっている予感がした。あの人の、視えない色と。




