第十五話 誠を暴く力
名代が去った翌日、わたくしはセオドール様に呼ばれた。
通されたのは、城の奥まった一室だった。書物の匂いが濃く立ちこめ、卓の上には、古い羊皮紙の巻物が広げられている。セオドール様と、家令のガロンが、待っていた。二人の顔つきは、いつになく重かった。
「昨夜のことだ」セオドール様が、椅子を勧めながら切り出した。「君には、話しておかねばならないことがある。宰相ヴォスラーが、なぜ君を欲しがるのか」
わたくしは、居住まいを正した。心の臓が、静かに速まる。
「あの男が言った、君の力のことだ」セオドール様は、まっすぐにわたくしを見た。「人の想いの色を視る目。それを、隠していたな」
息が、止まった。
母の遺言が、頭をよぎる。隠しなさい、決して明かすなと。けれどこの人は、もう気づいている。名代の言葉で、確信したのだろう。取り繕っても、無駄だった。
「……はい」わたくしは、俯いた。「生まれつき、視えるのです。人が誰かへ向ける想いが、色になって。金は、深い愛。無色は、心の伴わない、偽り。この目のことは、母が、決して人に明かすなと」
「賢明なご母堂だ」口を挟んだのは、ガロンだった。「その力の名を、色視と申します。そして、その力ゆえに滅ぼされた人々のことを、この城は、忘れておりません」
滅ぼされた。その言葉に、わたくしは顔を上げた。
ガロンが、卓の巻物を、そっと指でなぞった。
「今より、およそ三百年前のこと」老家令の声は、昔語りをするように、低く沈んでいた。「この王国には、色視を持つ者たちがおりました。人々は彼らを、誠を司る女神マレア様の御使い、『誠の巫女』と呼び、崇めたのでございます」
誠の巫女。聞いたことのない言葉だった。
「巫女たちは、人の心の真偽を視る。ゆえに、初めは尊ばれました。偽りを見抜き、諍いを鎮め、人と人とを、まことの想いで結んだ。ですが、王家が、その力に目をつけたのです」
ガロンの胸に灯る若草が、暗く翳った。
「王は、巫女を宮廷に囲い込みました。臣下の忠誠を計り、政敵の腹を読み、謀反の芽を摘むために。人の心を暴く道具として。昨夜、名代が申したことと、寸分違わぬことを、三百年前の王も、望んだのでございます」
わたくしは、ぞっとした。昨夜の名代の言葉が、三百年の時を超えて、そっくり繰り返されている。
「けれど、力の濫用は、人の心を荒ませます」ガロンは続けた。「暴かれることを恐れた貴族たちは、やがて巫女を憎むようになった。誠を視る者が、いつしか、人心を覗く『魔女』と呼ばれ、恐れられ、そして、粛清されたのです。女神の御使いは、女神を騙る魔女として、火にかけられた。生き延びた者は、力を隠し、名を捨て、ひっそりと血を繋ぐしかなかった」
火にかけられた。母が、なぜあれほど固く、隠せと言い遺したのか。その理由が、今、氷のように胸に落ちてくる。わたくしの血は、そういう血だった。崇められ、利用され、そして焼かれた、誠の巫女の血。
思えば、ずっと不思議だったのだ。人の心が視えるという、ただそれだけの力を、母がなぜ、あれほど恐れたのか。気味悪がられるくらいのことだと、幼いわたくしは思っていた。けれど、違った。この目は、王を動かし、諸侯を震え上がらせ、そして持ち主を火刑台へ送るほどの、危うい力だったのだ。
わたくしは、無意識に、自分の胸もとを押さえていた。ここに流れる血が、三百年の恐怖と業を、いまも背負っている。そう思うと、指先が冷たくなった。
「わたくしの母も」わたくしは、掠れた声で問うた。「その、巫女の血を、引いていたのですか」
「おそらくは」ガロンが、静かに頷いた。「粛清を生き延びた巫女の末裔は、各地に散り、名を変えて生きました。あなた様のご母堂も、その一人であったのでしょう。ご自身の娘に、力を隠すすべだけを遺して、逝かれた」
母の、あの熱い指先を思い出す。この目のことは隠しなさい。いつか、本当に守ってくれる人のところへ行きなさい。あれは、ただの言い遺しではなかった。三百年の血の記憶が、母を通して、わたくしに手渡した、警告だったのだ。
「では、宰相は」わたくしは、掠れた声で問うた。「三百年前と、同じことを、しようとしているのですか。わたくしを、その、道具に」
「そういうことだ」セオドール様が、静かに答えた。「ヴォスラーは、色視の血が絶えていなかったことを、どこかで知った。そして、それを再び、王家の……いや、己の権勢のための道具にしようとしている」
わたくしは、両手を握りしめた。逃げても、逃げても、この血が、追ってくる。生家でも、王都でも、そしてこの辺境でも。わたくしという存在そのものが、災いの種なのだ。
「ですが、辺境伯様」わたくしは、ふと、あることに気づいた。
顔を上げて、二人を見る。
「なぜ、あなたがたは、そのようなことまで、ご存じなのですか。三百年前の、誠の巫女のことも。粛清の顛末も。まるで、その場に、いらしたかのように」
王家の恥ともいえる、その古い罪。宮廷でさえ語り継がれていないだろうその歴史を、なぜ、北の辺境伯家が、これほど詳しく知っているのか。
セオドール様とガロンが、視線を交わした。ほんの一瞬の、けれど深い意味を含んだ、目配せだった。
「……それは」セオドール様が、口を開きかけた。
「その話は、明日に」ガロンが、穏やかに、けれど有無を言わさず、遮った。「今宵は、あまりに多くのことを、お聞かせしすぎました。レイフェルト様も、お疲れでしょう」
老家令の気遣いに、それ以上は問えなかった。けれど、あの一瞬の目配せが、胸に焼きついて離れなかった。
この二つの家には、まだ、語られていない何かがある。わたくしの血と、この城とを結ぶ、見えない糸が。
書庫で見た、あの女の肖像。護符を提げた、わたくしによく似た人。誠の巫女の血。焼かれ、散り、名を変えて生き延びた一族。そして、その歴史を、まるで我がことのように詳しく知る、辺境伯家。
ばらばらだった糸が、少しずつ、一本に縒り合わさっていく。けれど、その糸をたぐった先で、何が待っているのか。あの女の肖像は、いったい、誰だったのか。
問いを胸に抱えたまま、わたくしはその夜も、なかなか眠れなかった。窓を打つ雪の音だけが、いつまでも耳に残っていた。




