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人の想いは色で視えるのに、わたくしに向けられた愛だけは、一度も視えたことがない  作者: ヲワ・おわり


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第十四話 庇う理由

 謁見の間は、しんと冷えていた。

 宰相の名代は、痩せた、目つきの鋭い男だった。ヴォスラー侯爵の紋を胸に、慇懃な笑みを浮かべて、上座のセオドール様と、その傍らに立つわたくしを、順に見渡す。その胸に灯る色は、あの伝令と同じ、鈍く濁った打算の色。そして、その底に、獲物を見定めるような、冷たい紫がわだかまっていた。

「ヴァレンシュタイン辺境伯閣下。夜分の来訪、ご容赦を」男は、ゆったりと切り出した。「我が主、宰相ヴォスラー侯爵より、こちらのご令嬢について、確かめたき儀がございましてな」

「レイフェルト嬢は、私の後見のもとにある」セオドール様の声は、平坦だった。「宰相が、伯爵家の令嬢一人に、何の用だ」

「これは異なことを」男は、大げさに首をかしげた。「ただの令嬢であれば、宰相が心を砕く道理もございません。ですが、レイフェルト嬢には、生まれ持った、たいそう稀なお力がおありだとか」

 わたくしの心の臓が、ひやりと縮んだ。

 力。色視のことだ。母が、決して人に明かすなと遺した、この目のこと。なぜ、それを。生家の誰かが、漏らしたのか。それとも、宰相は、もっと前から知っていたのか。

「人の心の内を、視通す目」男は、舌なめずりをするように続けた。「もし、それがまことであれば、王国にとって、これほど得難い宝はございますまい。臣下の忠誠、諸侯の腹の内、謀反の兆し。宰相は、レイフェルト嬢を、王都へお迎えしたいと仰せです。しかるべき、待遇をもって」

 しかるべき待遇。その言葉の裏で、男の紫が、濃くなる。待遇などではない。飼い殺しだ。人の心を暴く道具として、王宮の奥深くに囲い込む。母が恐れていたのは、これだったのだと、今になって、はっきりとわかった。

 背筋が、凍りついた。逃げてきたはずの王都の影が、この北の果てまで、手を伸ばしてきている。わたくしは、思わず一歩、後ずさった。

 王宮の奥深く、陽の当たらぬ一室で、来る日も来る日も、人の心を暴かされる自分を思い描いた。忠臣の顔をした裏切り者を見つけ出し、政敵の腹の内を読み、宰相の望むままに、この目を使う道具として。母は、それを恐れていた。だから隠せと言った。守ってくれる人のところへ行きなさいと。けれど、その母の遺言すら、この男たちの前では、なんの盾にもならない。

 わたくしは、ただ震えることしか、できなかった。


 その時だった。

 すっと、目の前が翳った。セオドール様が、椅子から立ち、わたくしと名代のあいだへ、身を割り込ませるように進み出たのだ。広い背中が、まっすぐに、わたくしを名代の視線から遮った。峠で野盗の刃から庇ってくれた、あの背中だった。

 セオドール様が、静かに、けれど断固として、口を開いた。

「断る」

 たった一言だった。謁見の間の空気が、ぴりりと張りつめる。

「彼女は、私の客人であり、後見のもとにある者だ」彼は、玉座のように無骨な椅子から、名代を見据えた。「この地で、私が守ると決めた。王都の誰であろうと、私の許しなく、彼女の身に指一本触れさせはせん。宰相に、そう伝えろ」

「……これは、異なことを」名代の笑みが、初めて凍りついた。「閣下。宰相のご意向に逆らうことが、何を意味するか、おわかりか。辺境伯家とて、王家の臣。一介の令嬢を庇い立てして、家門を危うくなさるおつもりか」

「家門の心配は、無用だ」セオドール様は、眉ひとつ動かさなかった。「私は、守ると決めたものを守る。それだけだ。……話は、終わりだ。今宵はもう遅い。門まで送らせよう」

 有無を言わさぬ声だった。名代は、しばらくセオドール様を睨みつけていたが、やがて、ふん、と鼻を鳴らして立ち上がった。

「よろしいでしょう。本日のところは、引き下がりましょう」男は、去り際に、わたくしを一瞥した。冷たい紫が、こちらへ向く。「ですがご令嬢。宰相は、一度望んだものを、諦める御方ではございません。せいぜい、その辺境伯の庇護が、いつまで続くか……お確かめになることですな」

 捨て台詞を残して、名代は謁見の間を出ていった。


 扉が閉まると、わたくしは、ようやく詰めていた息を吐いた。膝が、細かく震えていた。

「セオドール様」声が、掠れた。「なぜ、そこまで。宰相に逆らえば、あなたの家門にも、災いが及ぶかもしれませんのに。わたくしなど、庇い立てして、何の得も」

 わたくしは、ただの厄介者だ。生家にも疎まれ、婚約者にも捨てられた娘。この人が、家の名を危険にさらしてまで、守る値打ちなど、あるはずがない。

 セオドール様は、こちらを振り返った。灰青の目が、まっすぐにわたくしを見つめる。その胸には、やはり、色がない。感謝も、憐れみも、下心も。何を思ってこの人がわたくしを庇ったのか、視えない。

 けれど。

「得か損かで、決めたのではない」彼は、低く言った。「君を渡さないと、決めた。ただ、それだけだ」

 決めた。旅の途中、腕を斬られたときにも、この人は同じ言葉を口にした。理由は、語らない。ただ「決めた」と、それだけ。

 その言葉の底に、どんな色が沈んでいるのか。視えない。けれど、視えないその一言が、どんな甘い睦言よりも、わたくしの胸を、深く打った。

 この人は、何を知っているのだろう。なぜ、会ったこともなかったわたくしを、これほどまでに。

 問いたいのに、問えなかった。ただ、震える指を握りしめて、わたくしは、色の視えないその人の顔を、いつまでも見つめていた。

 その夜、わたくしはなかなか寝つけなかった。

「怖かったでしょう、お嬢様」寝支度を手伝うネルの声も、まだ硬い。「宰相様なんて、雲の上のお方が、よりにもよって、お嬢様を狙うだなんて」

「ええ」わたくしは、正直に頷いた。「けれど、それ以上に、わからないの。あのお方が、なぜ、わたくしをあそこまで庇ってくださったのか」

 得も、理由も語らず、ただ守ると決めたと言う。宰相を敵に回してまで。あの人の胸に色が視えていれば、そこにある想いの正体を、一目で知れたはずだ。金なのか。あるいは、義務の澄んだ青か。それとも、名づけようもない、別の何かか。

 けれど、視えない。だからわたくしは、あの背中の温もりと、「決めた」という一言だけを、繰り返し、胸の中で転がすしかなかった。

 窓の外を、粉雪が舞っている。宰相の影は、去ったわけではない。名代の残した言葉が、耳に残っていた。庇護が、いつまで続くか。

 嵐は、まだ、始まったばかりだった。


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