6-2話『裏方家族』
キッチンから顔を出したのは薄い金髪を一つ結びにしている女性だった。
女性はタオルで濡れた手を拭きながら明るい声でやってきた。女性は赤のギンガムチェックのエプロンをしていて、今まさに料理をしていた最中のような感じだ。
「渚くん、いつもありがとね」
「いえいえ~」
渚はいつも会っている顔見知りぐらいに何も驚くことはなく、その向葵という女性と話をする。
女性の表情はなんだか艶を帯びている気がして、大人の女性、とはなんだかどこか違う雰囲気が醸し出されていた。
「あ、この子達が新しい自然委員会の子?」
「はい、翠に叶奏です」
「キッチンから一年生の子達は見てたけど、二人がそうなのね」
柔らかく微笑みながら日葵という女性は渚紹介の元、翠と叶奏の方に目を向ける。翠は優しい目を向けられて少し緊張したが、叶奏と一緒に「よろしくお願いします」と軽く挨拶を済ます。
「――母さん、野菜きた?」
低い声と共に、日葵という女性の後ろから赤髪の男性が現れる。その男性は黄色のギンガムチェックのエプロンを身に着けていて、陽向と同じ背格好をしていた。
二人目の知らない人の登場に翠と叶奏の二人は目を丸くする。
「二人が困惑する前にこちらも自己紹介しなくちゃね。私の名前は不破 日葵。それで、私の隣にいるのが息子の」
「不破 維吹。よろしく」
「私達二人は主に食堂で皆のご飯を作っているの。あと、夫と娘もいるんだけど、そっちは寮の掃除とか洗濯とかを担当しているわ」
二人の自己紹介に翠は目を丸くする。最近、九使人とか新しい人達を知ったばかりだから。まだ新しい名前を知るとは思わなかった。
そして自己紹介してくれて一個解決したことがある。日葵を初めて見たとき、大人の女性なんだけどなんだかそんな言葉で表していいのか。言葉にならないなにかを感じたのだが、それは子供がいたからだと知って無事疑問が解決した。
「あの、今食堂に運んできた野菜は、これから皆のご飯になるってことなんですか?」
翠は道中ずっと気になっていた疑問を渚に聞いてみる。
「うん、収穫した野菜は僕達が食べる分と食堂の分とで分けるんだ」
「なんでそんなことをするんですか?」
「……食材に学校の備品に僕達が使う日用品、委員会活動で使う物。全部定期的に学校に送られてくるけど、それでもカツカツだからね。自然委員会は自前の畑があるんだから、少しでも学校のために手助けしたいじゃないか」
なんでそんなことを。悪気はなく、ただ純粋に疑問に思ったことを聞いたつもりだった翠に渚は一瞬驚いた後、自分の瞳を隠すようにそっと目を伏せてそう言った。
渚の瞳からは驚きと、もう一つ奥底に何かある気がしたが、今の翠には分からなかった。
「――日葵、遅れてすまない」
「――お母さん、お兄ちゃんただいまー! 寮の掃除終わったよ!」
渚が浅く俯いて黙ってしまったことでなんだか微妙な空気が流れて気まずい空間が完成しそうなとき、維吹よりも一段と低い声と、明るく高い声が食堂の扉が開かれると同時に響いた。
翠が入口に目を向けると、維吹と同じ赤髪で体格がゴツく、言ったら怒られそうだが強面で見た目はちょっと怖い男性。
もう一人は日葵と同じ薄い金髪の少女。ミディアムショートにしていて、頭には橙色の三角巾を着けていた。
「……ん? ああ、そういえば今日だったな」
翠たちを見た赤髪の屈強な男性は首を傾げたが、自分で納得したようだった。
どこかで見たことがある顔のような。教室とかグラウンドとかそういう場所じゃなくて、主に寮の談話室だったか。名前は知らないけど顔は見たことがあるような気がした。
赤髪の男性と金髪の少女は足を進ませ翠たちの前にやってくる。赤髪の屈強な男性の強面と体格の大きさに翠は少し威圧され、金髪の少女は全くそうじゃないが、目の前に立つ赤髪の男性に対して緊張のようなものを勝手に感じた。
「野菜を持ってきてくれたんだろう? 渚くんたち、いつもありがとう」
「いえいえ、ぜーんぜんいいんですよ! 俺は今年で五年目だし!」
「今年の春野菜はとっても豊作です!」
低い声だが意外に親しみやすい感じで翠たちに接する赤髪の屈強な男性に、今度は隣にいた陽向と心優が元気よく返事する。
すると、赤髪の屈強な男性の背からひょこっと体半分見せてこちらを見つめる金髪の少女。
少女はジーッとこちらを見つめたあと、「あっ」と何か思い出したような声を溢し、
「翠くんと、叶奏ちゃん!」
名前を言い当てられた二人は驚きぴしっと固まる。
叶奏は手のひらを口元に持っていってそのまま考え込む。金髪の少女と同じく「あっ」と思い出したように声を上げ、
「休日にいつも談話室で見かける人だ」
叶奏の言葉に固まっていた思考が再度動き出し、翠も同じく「あーっ!」と声を荒げて金髪の少女を指差し、
「休日談話室を掃除してくれてる人たちだ! あとたまに洗濯かごみたいなやつを持って外に行ってるの見たことある!」
「翠くんはいつも、彗斗くんと諒くん? と一緒にいるよね。叶奏ちゃんは美桜ちゃんといつも一緒にいる」
知っているだけで話したことはない。緊張しているのか赤髪の屈強な男性の背から出てこないまま、柔らかい笑みを絶やさず二人といつも一緒にいる人たちを当てる金髪の少女。
少女の笑顔に既視感を覚え、必死に考え抜いた頭で思いついた人物はさっきまで翠たちと話していた。
その人物の方を見ると、まるで正解というようにギンガムチェックのエプロンを身につけた金髪の女性と赤髪の男性は笑顔を翠に向ける。
「私の名前は不破 獅童。日葵たちはもう自己紹介したんだろう? それで、後ろにいるのが娘なんだが」
「えっと、私、不破 佳澄! よろしくね」
「私の夫と娘です」
「あと俺の父さんと妹な」
赤髪の屈強な男性は獅童、金髪の少女は佳澄というらしい。後ろから明るく二人について紹介する日葵と維吹。
「獅童さんと佳澄ちゃんは寮の掃除や私たちの服を洗濯してくれるんだよ」
「あと、私は裁縫も得意でね。制服のほつれなども直すことが出来るから。そういう時は私を捕まえて言ってほしい」
心優の言葉に付け足すように獅童が話す。
「あ、この前僕の制服直してくれてありがとうございました。任務で袖破れちゃって」
「渚くんにしては珍しかったね。盛大に裾が裂かれていたから」
考え込むようにして俯いていた渚はすぐに顔を上げて、獅童との世間話に花を咲かせる。その横で未だ獅童の後ろに隠れ気味の佳澄がこちらを見つめていた。見つめる視線に気付いた翠は、どうして獅童と佳澄のことを休日でしか姿を見たことがないのかを考えていた。
隣にいた陽向の裾を掴み、思ったことを聞いてみる翠。言葉が聞こえていたらしい佳澄は慌てて声を上げ、
「私たち、朝から寮の掃除とか皆の服を洗濯して、終わったら食堂でお母さんとお兄ちゃんと一緒にご飯の準備をするの。だから、平日はほとんど翠くんたちと顔を合わせることはないんだけど、休日だと私たちが掃除する時間帯に皆寮にいるから。だから、名前は知らないけど顔は覚えてるんだと思う。お互い!」
「そ、そうなんだ」
ちょい早口な言葉遣いに翠は戸惑いの声を零す。
すると、キッチンから手招きしていたらしい維吹に抱きつく勢いで翠たちの横を通り抜けその体にダイブ。佳澄が結構な勢いで突っ込んできたのを一切ぶれずに受け止める。
「ごめんな。佳澄は明るいんだけど、ちょっとシャイなところもあってさ。初対面だと緊張して早口になるんだよな」
「そこはやっぱり昔から変わらないのよね。シャイだけど、でも本当は仲良くなりたいから自分が話せる機会を狙ってるのよ」
妹を見ながらそう話す維吹と、母親である日葵の瞳は優しかった。
「獅童さんとこは四人家族なんだ。皆、俺たちの見えないところで働いてくれてる。寮の中が綺麗なのも、部屋の前に俺らが出した洗濯物が届いてるのも、毎日食堂でご飯が食べられるのも、ぜーんぶ獅童さん達がやってくれてるんだぞ」
「あまり褒めないでくれ、陽向くん。私たちは当たり前のことをしているだけだから」
「そうね、あなたの言う通り」
獅童の言葉にうんうんと頷きながら向葵も賛同する。隣にいる維吹も言葉は発さず同じようにうんうんと頷く。
「……あの、持ってきてくれた野菜って、これで全部なの? それにしては少ないような……」
おずおずとこちらに聞いてきた佳澄の言葉で自然委員会メンバーはハッと思い出した。
――まだ運んできたのはたった一回だけということに。
「ひ、陽向先輩、まだ私たち全然運んでないですよ!」
「やべっ、獅童さんたちと話しすぎた!」
「詠田先生、外でずっと待ってるかも」
「そんな平然な顔して言うことじゃないよ、叶奏ちゃん!」
翠と叶奏のために自己紹介してくれた不破家族。ありがたいが本来の仕事を忘れてはいけない。
先に自然委員が食べる用の野菜ダンボールを運んでくれた詠田先生は全然減っていない食堂に持っていくダンボールを見て呆然とするだろう。――なぜダンボールが減っていないのに誰もいないのだろう、と。
「あはは、皆揃って話し込みすぎたね」
「あの、伊集院せんぱ――」
「よし皆、気を取り直して作業に戻ろうか」
(あ……)
翠との会話のあと、そして獅童との会話からあまり喋っていなかった渚。
先ほどから話していないだけではなく、なんだか少し考え込んでいる気がする。
久しぶりに言葉を発した渚に声をかけようと名前を呼ぼうとしたが、翠の言葉を遮るような形で皆に声をかけたように見えた。
怒らせてしまったのか。悲しませてしまったのか。落ち込ませてしまったのか。
渚の態度が違うように見えたのは翠との会話のあと。だからもしかしたら、翠の言葉が何か渚の癪に触ってしまったのかも。
そう思うと途端に胸が苦しくなる。
苦しいのと、いつも明るくて朗らかな渚に言葉を遮られたことがショックで気持ちが沈む。
「翠くん?」
「……あ、ごめん。今行く!」
足取りが遅い翠を心配そうに見つめていた叶奏。
そっと声をかけられ、ハッと意識を戻した。
叶奏が先ほど言っていたように、運び終えてずっと待っていた詠田先生に自然委員全員で謝罪し、ダンボール運びを再開。
「陽向、これ重たいから先に持っていってくれる?」
「分かりました!」
「叶奏と心優はこっちを持っていってね」
「はい」
「私も三年生なんですからもう少し重いダンボールも持てますよ!」
「ふふ、じゃあ次お願いしようかな」
委員長として皆に指示だししている渚にこちらから話す隙はなく、ただ待つことしか出来なかった。
「――翠はこっちのダンボールを持ってくれる?」
「え、あ、はい。あ、あの……!」
翠にも指示をする渚。なんとかして渚に瞳に自分が映ってほしくて、声だけじゃ伝わらないと思った翠は勢いよく渚の腕にしがみついた。
「! ……皆、先に運んでてくれる? 詠田先生、陽向たちをよろしくお願いします」
「はい、先に運んでるね」
渚の言葉で翠たち二人以外はもう一回食堂に向かっていった。
「さて、と。どうしたの? 翠くん」
そう目線を合わせて名前を呼ぶ渚の表情は先ほど見たものではなく、いつもの渚に戻っていた。いつもの明るくて頼りになるお兄さんのような先輩に。
「あの……! 先輩は、怒っていますか……僕の言葉で」
勇気を出してそう伝えたあと、きちんと表情を見るため恐る恐る目を開く。
目を開いた先にいたのは、「え、怒ってる? 翠の言葉で?」と目を丸くして不思議そうな顔でこちらを見つめる渚だった。
翠の言っていることを理解しようとしているのか先ほどの出来事を思い出しながら考え込む渚。そして「あ」と声を零したあと、渚は可笑しそうに無邪気に笑う。
「あはは! ふふふっ……ごめんね。翠からしたら気が気じゃないだろうに」
「え、えっと」
「そんなに怯えないで? 僕は何にも怒ってないよ、なーんにもね。多分、食堂で話してたことだよね。運んできた野菜はこれから皆のご飯になるんですかって聞いてきたときの」
渚の言葉に首をぶんぶん上下に振る。
さっきから渚の表情や言葉遣いを注視しているが、怒っていないと言ったのは本当のようだ。渚が本気で怒ったとことはまだ見たことはないけれど、多分言う通り怒っていないはず。
「あれはね、怒ってたとか悲しんでたとか、落ち込んでたとかじゃなくて。こう……なんていうのかな。純粋に初めてだったんだよね。そういう疑問を聞かれるのが」
渚が続けて理由を話す前にダンボール箱を持ち上げて「続きは運びながら話そうか」と言って校舎の方へ歩き出す。翠も置いて行かれないように近くにあったダンボール箱を持って着いていく。
「僕は今この学校の六年生だけど、ちょっと前まではまだ五年生でさ。その頃はまだ先輩がいたから自然委員会の副委員長だったときも、後輩といるときも、何かを教えたり、導いたりっていう役目をそこまで背負ってなかった。全部六年の先輩がやってくれてたからね。僕はあくまで先輩のサポートだったから」
校舎に入って食堂に続く廊下を歩いて。その道中の渚の言葉はとても耳に残った。
翠は返事だけはちゃんとして、渚の言葉の続きを聞く。いや、聞いていたかった。
「だから翠になんでそんなことするの? って純粋な目でそう聞かれて僕も先輩でこの委員会の委員長になったんだなって感慨深くなったんだ」
「伊集院先輩が怒っていなくて僕は安心しましたけど。そう思ってたとしても僕がそう言ったあとずっと先輩無言だったし、さっき僕が名前を呼んだとか遮ったじゃないですか」
「あ、それは単純に言葉が被っちゃっただけ。悪意を持って遮ったわけではないんだ、本当にごめんね。無言だったのはただ単に価値観の違いってすごいなって考えてただけだよ。僕も一年生のときはそう思ってたときはあった。翠の疑問も敵同士ではあるけど昔の僕なら理解できるかもしれない。でも今は違う。――昔の僕にとっては当たり前だった想いも、翠にそう聞かれてなんで? って疑問に思うくらいには変われたんだなって」
渚の話を聞いて、いつか自分も六年生になる頃にはこうなるのかなって思った。
自分の区画以外は全員敵。自分たちは第七区画のために尽くすのが当たり前。
そういった想いも、なんであの時はそう思っていたんだろうって自分自身に疑問を抱くくらい。変わってしまうのだろうか。
その頃には、自分はどういった先輩になっているのだろう。今はあまり、想像できない――。




