11 侯爵令嬢は勘が良い
「まあ殿下!」
「本日はお招きありがとう。」
「いらしてくださり光栄ですわ。さ、こちらへ。」
正式にフラーク公爵の婚約者となったレイルティアは、社交の場に顔を出すようになった。王太子であり姉のオーレリアから助言があったのだ。「今後社交界を引っ張っていく立場にならなければならないのだから」と。
今日は婚約式の場でも顔を合わせたシグル侯爵夫人主催のお茶会に出席した。シグル侯爵家はフラーク公爵家の分家にあたる、いわば身内である。まずは身内の夫人たちや、ヴィクターの仕事関係の家門から社交を始めているところなのだ。
シグル侯爵夫人は、レイルティアを同年代の令嬢たちが集まる席へ案内した。なにせ社交の場に姿を見せたのはデビュタントと婚約式のみの第3王女である。夫人たちの席よりも、まずは彼女と同年代の令嬢たちとの方が、緊張もしないだろう。侯爵夫人なりの配慮だった。
「ご婚約おめでとうございます、殿下。」
「おめでとうございます。婚約式のドレス、とても素敵でしたわ。」
「本当に!公爵様が用意されたのですよね?」
「お二人ともお美しくて、見惚れてしまいました。」
レイルティアが席に着くと、周りの令嬢たちが矢継ぎ早にお祝いを口にした。侯爵夫人の茶会ということで、招待客の殆どが高位の貴族である。レイルティアの婚約式に呼ばれていた者も多く、彼女たちはその婚約式がどれほど素敵だったかを話し始めた。参加できなかった令嬢たちは、興味津々にその話を聞いている。
レイルティアはその様子に、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。思ったよりも穏やかなお茶会に感じたのだ。
第3王女。しかして表に出てくることは無く、国王からの関心も薄い末の姫。王太子は第1王女で堅く、次ぐ王子エルヴィスも優秀。第3王女が王位を継承することなど万が一にも起こりえない。そんな影の薄い王女は、いくら見目麗しくても、結婚相手としての価値は高位貴族の令嬢たちに比べて低かった。
それが、公爵の婚約者に躍り出たのだ。令嬢たちからすれば、面白くはないだろう。
しかし流石はシグル侯爵夫人の茶会。内心ではどう思っているのか定かではないが、表立ってレイルティアを攻撃するような令嬢はいない様子だった。シグル侯爵夫人の娘クリスタが、レイルティアの隣に座っている、という事も大きいのだろう。
クリスタはシグル侯爵夫人と同じ豊かな黒髪の美しい女性である。レイルティアが来るまでは、令嬢たちを引っ張っていたのはクリスタだ。彼女がレイルティアを攻撃しない限りは、この場の令嬢たちがレイルティアに牙を剥くことは無い。
「公爵様があのように優しく微笑む方だとは知りませんでしたわ。」
「殿下に一目惚れして求婚した、という話は本当ですの?」
この年代の令嬢たちは恋愛話が大好物なのである。いや、年代に関係なく、女性たちが集まり盛り上がる話の定番は恋愛関連だ。
「そのような話になっているの?」
レイルティアは困ったように眉尻を下げた。
「週末になるとお二人でお出かけになる、というのは有名な話でしてよ。」
「シグル令嬢まで‥‥。」
「皆さんも、お見かけしたことがあるでしょう?」
クリスタがそう問いかけると、劇場で、カフェで、城の温室で、公園で、ドレスショップで。と令嬢たちから声が上がった。ほらね、と言うようにクリスタがレイルティアに視線を投げる。レイルティアは紅茶を一口飲んでから、口を開いた。
「ええ、公爵様には良くしていただいておりますわ。」
レイルティアがあまりにも優雅にそう答えたものだから、令嬢たちは想像を膨らませて盛り上がった。
「やっぱり公爵様は殿下に一目惚れしたのよ。」
「殿下のデビュタントでのダンスの時かしら?」
「婚約することが決まってから公爵様、ずっと国内にいらっしゃるものね。」
ああ、有名な話なのか。とレイルティアは心の中で思った。婚約式の日、姉たちが言っていた話を思い出したのだ。レイルティアと婚約する前まで、国外を飛び回っていたのだと。
「でも確か、初恋の相手を探していらしたのよね?」
時が、止まった。そう感じたのは、レイルティアだけだった。
「初恋の、相手‥‥?」
気づいた時には、そう口にしていた。
「あら?殿下はご存じありませんの?」
誰かが、そう言った。それが合図だった。
「ずっと王城にいらしたのだから仕方ありませんわ。」
「貴族の間では周知の話ですのに。」
「王太子殿下や王子殿下もご存じのはずでしょうにね。」
「あら、殿下方の仲は良いものとばかり‥‥。」
「公爵様からもお話しされていないのでしょう?」
「まあ、初恋の相手をずっと探していた、だなんて婚約者には言えませんわよ。」
「それなら、今もまだ探しているのかもしれませんわ。」
「公爵様自らでなくとも、人探しは継続できますものね。」
カチャン。小さな食器の音で、令嬢たちは口をつぐんだ。音を出したのが、クリスタだったからだ。
「紅茶が冷めてしまっているわ。」
美しい笑顔で、クリスタがそう告げる。令嬢たちは一拍の後に、立ち上がり、レイルティアとクリスタに礼をして帰って行ってしまった。
「よろしかったの?」
「はい。」
「そう。」
ふたりだけになった席で、レイルティアとクリスタが交わした言葉は少なかった。けれど、レイルティアはそれだけで、クリスタを気に入った。フレイアがいれば「気に入られてしまった」のだと言い直したかもしれない。
「紅茶もお菓子も美味しかったわ。」
「料理長が喜びますわ。」
「また来てもいいかしら。」
「はい、ぜひ。お待ちしております、殿下。」
「次に会う時は、名前で呼んでくれると嬉しいわ、クリスタ嬢。」
そう言ってほほ笑んだレイルティアを、クリスタは見送った。レイルティアを乗せた公爵家の馬車が去って行って、ようやく、クリスタは息をついた。その時初めて、自分が緊張していたことに気づく。侯爵令嬢として完璧に育てられたクリスタは、デビュタントの時ですら堂々としていたというのに。
クリスタはこの茶会の前、母に言われたことを思い出した。
「第3王女殿下は、未来のフラーク公爵夫人よ。王太子殿下も王子殿下も、目をかけておられるわ。わかるわね?」
例えレイルティアが無垢な少女であったとしても、彼女が言えば、公爵家も王家も動くだろう。現在の国王は何もしないだろうが、近い将来、オーレリアが王位に着いた後なら必ずだ。
彼女の事を、何の権力も無い顔が良いだけのお飾りの姫だと、そう思っている貴族が大半だ。けれど、高位の貴族達の中でもフラーク公爵家に近しい数少ない者たちは、そうでない事を知っていた。シグル侯爵家は、そんな数少ない家門のひとつだった。
そんな話を聞かされていたからクリスタは、レイルティアに無礼な言葉を投げた令嬢たちを帰した。その対応は間違えていない。そう、クリスタは理解していた。
けれど。
手に汗を握るほどの、この緊張は、レイルティアに対してのものだった。彼女の背後にあるものにではない。彼女自身に対して。
― よろしかったの? ―
声。
― そう。 ―
笑み。
― クリスタ嬢。 ―
視線。
あれは、上に立つ者のものだ。
お飾りの姫が持つものではない。
ぞくり、と背筋が凍るような、あのオーラを、可愛らしいだけの姫が持っている筈がないのだ。
手懐けるか、信頼を得て仲良くなるか。そんな事を考えていた数刻前のクリスタは消え去っていた。
「さすがに侯爵家の長女では、侍女にはなれないわよね。」




