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10 憎いわけではなかった

 ヒース王国第3王女とフラーク公爵との婚約式は恙無く執り行われた。王城での式は、上位貴族のみを集めた厳格なものだった。レイルティアにとっては、初めて見る顔ばかりで、式後のパーティーでは延々と挨拶回りをする羽目になった。


「お疲れ様、ティア。」

「ああ、ヴィクターもご苦労だったな。うぅ‥頬の筋肉が引きつっている‥‥。」


 レイルティアはむにむにと頬を揉み解しながら姿勢を崩している。そんな彼女を正面から眺めて、ヴィクターは目を細めた。ふたりとも、先程までの貴族然とした表情とは別人のようである。


 婚約式を無事に終えたふたりは、その後のパーティーもやり切り、フラーク公爵家の馬車に揺られていた。


 行先はフラーク公爵邸だ。領地ではなく、レイルティアも何度か訪れた事のあるタウンハウスである。


 1か月ほど前、ヴィクターが国王に「婚約式後はレイルティアを公爵邸に住まわせたい。」と言ったところ、二言返事で了承が返ってきた。その時の国王は、自分の思惑通りヴィクターがレイルティアに惚れこんでいる様子に、ほくほく顔だったのだとかなんとか。


 本格的な嫁入り準備ということで、婚約式後に嫁入り(もしくは婿入り)する家に住み込むのは珍しい事ではない。それにレイルティアにとっては有り難い事この上なかった。これでやっと、自由に外に出られるというものだ。その為に婚約式を頑張った、と言っても過言では無かったのだから。


 未だに自身の頬を触るレイルティアの指には、昨日までは無かった婚約指輪が光っている。

 その指輪に誘われるように、ヴィクターは腕を伸ばし、レイルティアの手に触れた。


「ヴィクター?」


 一拍後。ヴィクターはレイルティアを抱えて自分の膝の上に座らせた。


「‥‥もう俺は君の婚約者だ。こうして触れても問題ないだろう?」

「いや問題は‥‥まあいい。そのまま頬を揉んでくれ。」


 反論しようとしたレイルティアだったが、疲れの方が勝ったらしい。大人しくヴィクターに体を預けた。それにはヴィクターの方が驚いたのだが、ほらはやくマッサージをしろ、と言わんばかりに頬を差し出してくる彼女に従う以外の選択肢は無い。


 ヴィクターは優しくレイルティアの頬に触れた。こんなにも警戒心の無い彼女はとても珍しい。この3か月、多くの時間を一緒に過ごしたことで、ヴィクターに対する敵対心や警戒心はだいぶ緩和したらしかった。


 ヴィクターは腕の中のレイルティアを思いきり抱き締めたい衝動を何とか抑えた。彼女が自分の腕の中にいるというこの状況は、前世ではただの一度も叶わなかった事だ。



 両者は毎日のように顔を合わせ、日が暮れるまで戦った。だが、ある日。晴れていた空が急に曇り、静かに雪が降った。ドラゴンだったヴィクターは、フェンリルだったレイルティアに何かあったのだと察し、急いで北の山へ飛んだ。山の最奥の大きな洞窟に、既に息絶えたフェンリルが横たわっていた。最後のフェンリルの死を悲しむように、氷の妖精たちがその周りを囲っていた。


 ドラゴンがフェンリルに触れる前に、フェンリルの体はあっという間に氷で覆われ、砕けて、冷たい空気に融けるように消えた。



「ティア、髪を解いでもいいか?」

「‥ああ。」


 レイルティアの返事に覇気が無い。これは相当お疲れのようだ、とヴィクターは苦笑しながらレイルティアの髪飾りをとり、まとめ上げられていた髪を解いた。ふわふわと白銀の髪が波打つように広がった。ヴィクターは、レイルティアに抵抗する元気が無いのをいい事に、彼女のふわふわでもふもふな髪を撫でまわした。


 そうしながら、ヴィクターは彼女の姉兄たちから言われた事を思い出した。

  「レイルの事、頼みましたよ。くれぐれも、あの子を悲しませる事の無いように。」

  「さすがにレイルを泣かせたら、僕でも公爵の味方は出来ないからね。」

  「いくらレイルが可愛いからといって、まだ婚姻前ですからね!」

 随分と、彼女は姉兄たちから可愛がられているらしい。年の離れた末の妹だから、可愛がりたいのかもしれない。目は口程に物を言う、とは尤もで、彼女たちの視線は揃って「レイルティアを蔑ろにしたら許さない。」という強い圧があった。


 もちろんヴィクターは、「愛する婚約者ですから。何よりも大切にしますよ。」としっかり頷いて見せた。



 かたんかたん、と揺れる馬車と、髪を撫でるヴィクターの手つきが思いの外気持ちよかったのか、レイルティアの瞼が下がり始める。


「‥‥最初、そなたが、ドラゴンだと分かって‥」


 うつらうつらし始めたレイルティアが、ぽつりぽつりと言葉をこぼす。


「今度こそ決着をつけてやろうと思ったのだが‥」

「ティア?」

「なぜか、昔のような‥‥‥あの燃えたぎるような、とうしが、わかなかった‥‥」

「そう、か。」

「だから、わかった‥‥わたしは、もう、ふぇんりるでは、ないんだな‥」

「ああ。」

「わたしは‥‥どらごん、が‥‥‥」

「‥‥‥ティア?」


 返事の代わりに聞こえてきたのは、小さな寝息だった。こてん、とレイルティアの頭がヴィクターの胸にもたれかかる。ヴィクターは小さく息を吐いた。



「俺のせい‥‥なのに。」



 その小さな呟きを聞いた者はいなかった。


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