36.体育祭午後の部「保健係のふたり」
昼食をはさみ、体育祭は午後の部となった。
リンゴジュースを飲み終えた僕に、ロイが言った。
「トーマ、また保健係しに行くの?」
「うん。この後すぐなんだけど、リラはどこに行ったんだろう?」
お昼を食べてすぐに、彼女はどこかへ行ってしまった。
「そろそろ行かないといけないから、先に行こうかな」
そう言った時だった。
どこからともなくリラがやってくる。
「トーマ様!保健係いきますよね!」
「あ、リラ。これから行こうと思ってたところ」
そう答えると、リラは「待ってください」と言って僕をじっと見つめた。
「トーマ様。また人が押し寄せたら忙しいので、いっそのこと薬を使うのはどうかなと思ったんです!私たちが倍速で動ける薬とかはどうですか?」
「え?」
突然の提案にまるでついていけないのは、たぶん僕だけではないと思う。
「私たちが倍の速さで動けば、あっという間に人をさばけます!実は今作ってきました!!」
そう言って、リラは誇らしげに薬の瓶を見せてきた。
僕らは、リラが持つ瓶をじぃっと凝視する。
「……今作ったの?」
「はい!」
「リラちゃん、それ大丈夫なやつ?」
カイルの言葉に、リラは力強く頷いた。
「はい!飲むと元気になるんです!いつもの倍速く動けるので、たくさん怪我人が押し寄せても、ぱぱっと処置できます!!」
……倍も速く動けるって怪しすぎないか?
自信満々な彼女に、僕とアイナは思わず目を合わせた。
彼女の表情から察するに、僕と同じ気持ちのようだ。
そう思っていたら、ロイが真剣なまなざしでリラを見た。
「なぁ、それ飲むと足速くなったりする?」
「たぶんなります。ロイ君、興味あります?」
「ある。体育祭限定で売れるかも」
「あぁ!なるほど、そっちですか!」
そうか、ロイはそっちか……。
変な方向に話がいきそうだったので、僕が話を戻す。
「リラ、それ飲まなくても地道にやればいいんじゃない?午後はもうそんなに人も来ないかもしれないし」
「そうかもしれませんけど、もしも来たらささっと動けますよ」
その自信はどこからくるんだろう。
怪しい薬は、できれば飲みたくない。
「トーマ様一緒に飲みましょう!!そして午後もがんばりましょう!」
……たぶん悪気はない。
百パーセント善意だからこそ、たちが悪い。
仕方ない。
気は進まないけれど、奥の手を使おう。
僕はため息をついてからこう言った。
「ごめんリラ。たぶんそれ、城NG」
僕がそう言うと、リラ以外の三人が噴き出した。
そして僕を「お前、ついにそれ持ち出したな」という目で見てくる。
リラだけは、きょとんとした顔でこう言った。
「え?そうですか?」
「うん、たぶん。得体のしれない薬は飲んじゃダメなんだ」
「そっかぁ……でもそうですよね。王子様だし、おなか痛くなったら困りますもんね。じゃあ私一人で飲みます」
そう言うが早いか、なんのためらいもなくリラは薬を飲み干した。
「あ、飲むんだ?」
僕ら四人があっけに取られて見ていると、リラは「うん!味はばっちり!」と頷く。
「さ、じゃあ行きましょう!この薬、即効性があるんです。っていうか私、いつでも即効性重視なんですよね!もう今からバリバリ動けます!!」
そう言った途端、本当にぱーっとすごい勢いで、リラは僕を置いて行ってしまった。
「……早い」
「早いね」
「早いな」
「早すぎる」
彼女の後姿をぼんやりと見送る僕ら。
一拍置いてから、カイルが声を上げた。
「殿下!リラちゃんに置いて行かれてますよ!」
「そうだった!じゃあ行ってくるね」
カイルの言葉にはっとした僕は、もうすでに見えなくなったリラを追いかけて、救護テントへ向かうのだった。
救護テントにつくと、早くもリラはバリバリ働いていた。
「絆創膏ですね!はいどうぞ!」
「え、熱っぽい?体温測りましょう」
「ドキドキする?あぁ、出番が近いからじゃないですか?走るの緊張しますもんね!え?私が応援すればいいんですか?とりあえずがんばってくださいね!じゃあ戻ってください!」
「頭が痛い?休みますか?」
なんか変なことを訴えている生徒もいる中、彼女は本当に二倍速で動いている。
すごいなぁと思って見ていると、さっきの眼鏡の先輩がやって来た。
「ねぇ、あの子どうしたの? なんかすごい勢いだねぇ」
怪しい薬を飲んだとも言えず「やる気に満ち溢れてるんです」と言っておいた。
「へぇ。なんかあの子、見た目に反してガッツがあるというか、思ってたのと違うよねぇ。ああいう子は一筋縄ではいかなそうで、一緒にいるとおもしろいかもね」
「確かに退屈しませんね」
そう言うと、彼女は興味深そうな目を僕に向ける。
「あんな子が近くにいたら、普通の子なんて目に入らないよね。そりゃあフラグもへし折るよ」
「……なんのことでしょう?」
「なんでもない。青春を謳歌するのが学生って言いたいだけだよ」
「青春を謳歌するのが学生……!」
なんかすごそうな言葉を聞いた気がする。
さすが二年も先輩となると、言うことが違うな。
感動する僕に、先輩は眼鏡を上げながら言う。
「うん、なんか予想と違う反応。君もけっこうおもしろい子?」
「いえ、僕は普通なので」
僕がそう答えると、先輩は笑いながら「まぁいいや」と呟いた。
そして救護テントを見る。
「さて、まだまだ仮病の生徒が来そうだから、手伝いに行かないとだね。君が入ることで余計忙しくなりそうだけど……」
「すみません」
「いやいや、私も入って適当にスクリーニングするから、君も適当にへし折っていってね」
「わかりました」
何の話をしてたんだっけ?と思いつつ、先輩と共に救護テントに入るのだった。
**********
救護テントにやってくる人が途切れたタイミングで、私はトーマ様に声をかけた。
「あの~、トーマ様……」
「なに?……え、どうしたの?リラ大丈夫?」
ふらふらの私に、トーマ様は目を丸くした。
「私気づいたんですけど、二倍速で動くと、疲れも二倍になるみたいです……」
トーマ様は呆れるようなそぶりを全く見せずに「そっか」と頷くと、すぐ近くの椅子を引き出した。
「座って休んでた方がいいよ」
「保健係なのにすみません。ちょっと失礼します」
私は出してもらった椅子に、どっかりと座らせてもらった。
はーー。
ほんとにあり得ないくらいの疲労感。
あの薬の効果で、いつもの二倍働いた。
でも二倍さばくと、その分さらに人が来てしまうのね……。
それにしても、こんなに忙しいとは思ってなかった。
来年は保健係はやめよう。
そんなことを考えていたら、目の前にすっとお茶が差し出された。
思わず顔を上げると、トーマ様の青い瞳と目が合った。
「お茶、飲む?」
「ありがとうございます。いただきます」
冷たいお茶にお礼を言うと、トーマ様が言った。
「本当に疲れてるみたいだね。寝ていいよ」
「……保健係が寝るのは許されますかねぇ」
「保健係だって、具合が悪ければ休んでいいんだよ」
にこりと笑うトーマ様に「なるほど、そうですね」と頷くと、私はもらったお茶を一口飲んだ。
そして、そっと目を閉じる。
なんとなくトーマ様が笑った気配を感じて、不思議と肩の力が抜けた気がした。
すると、しばらくして生徒が救護テントにやってくる声が聞こえた。
「具合が悪いんですね。ではここへどうぞ。申し訳ないですが付き添いの方は応援席にお戻りください」
「頭痛ですね。体温計お持ちしますね」
「打ち身ですか。あぁ、痛そうですね。冷やしましょう」
「申し訳ありませんが、ここで長く休むことはできないんです。もしつらいようでしたら、保健室の方へ……いえ、僕はここの担当なのでご案内まではできないですね」
トーマ様の穏やかな声が、ぼんやりと聞こえてくる。
聞き慣れた声だからか、なんとなく安心できるな。
私はそのまましばらく目を閉じていた。
生徒がいなくなった頃、私の体調もすっかり良くなった。
目を開けて軽く伸びをすると、声をかけられた。
「リラ、大丈夫?」
「あ!トーマ様!ありがとうございました。もうすっかり大丈夫です」
迷惑をかけてしまったなぁと反省する私に、トーマ様はおっとりと微笑んだ。
「良かった。そろそろ交代の時間だけど、どうする?ここでもう少し休んでる?」
「いえ、私も応援席に戻ります」
「そう」
頷く彼に、私は言った。
「トーマ様の声って、なんか落ち着きますよねー」
「え」
「なんかすーっと力が抜けて行って、体調が良くなってきましたもん」
「そう?」
トーマ様は首を傾げつつ、黙り込んでしまった。
なんとなくそわそわして見える。
「どうしました?」
「いや、声が落ち着くなんて初めて言われたから、話すのが恥ずかしいというか……」
「え、そうですか?いいじゃないですか、落ち着く声なんだから。もっとしゃべってくださいよ」
「やだよ」
くるりと後ろを向いてしまうトーマ様。
珍しく照れてるみたいですね?
「えー?そんなに照れることですか?」
「……」
「ちょっと!何か言ってくださいよ!」
「……」
首を振るだけになってしまったトーマ様に、私は口を尖らせるのだった。
「……フラグ立ってるんじゃない?」
分厚い眼鏡を光らせた先輩が一人ニヤついていることに、誰も気づいていない。




