31.【トーマ視点】初めて気づいたんだ
リラとの会話が終わったのか、オーウェンが書類を見ながら歩いてきた。
彼は僕に気づくと、いつものように声をかけてきた。
「お、トーマ王子。お前か、あいつを城に入れてやってるのは。勘弁してくれよ」
「食券十枚もらったからね」
僕の言葉に、彼はふっと笑う。
「……楽しんでるんだなぁ、学生生活」
「おかげさまで」
僕がそう言うと、すぐ隣にいた魔術師団員が小さな声で言った。
「団長、急がないと会議に間に合いません」
ちらりとこちらを見るオーウェンに、僕は頷いた。
「ごめん、仕事中だね」
「あぁ。ほんとこの夏はなんか忙しいんだよ。いい加減休みたい」
「普段サボってる分頑張って。団長」
冗談交じりにそう言うと、オーウェンは楽しそうな顔をした。
「……俺にそういうこと言うやつ、お前とあいつの親父くらいだよ」
そう言って僕を見たまま、後ろを指さす。
つられてそちらを見た。
すると少し先の方で、リラが固まったように立ち尽くしていた。
違和感。
リラ、どうしたんだろう?
そう思っていると、オーウェンが言った。
「じゃあな」
そう言ってさっさと歩いて行く。
隣の魔術師団員も、小さく会釈をすると彼について行った。
そしてふと見ると、立ち尽くしていたはずのリラが、走って廊下を曲がっていくのが見えた。
変だ。
そう感じた僕は、そのままリラを追うことにした。
見失うだろうなと思っていたら、彼女は廊下を曲がった突き当りにうずくまっていた。
「リラ……?」
僕が声をかけると、彼女は驚いたようにぱっとこちらを振り返った。
「あ。トーマ様……」
リラの顔を見た瞬間、体が固まった。
彼女は泣いていたのだ。
大きな瞳を縁取る涙がキラリと光っている。
人が泣いているのを、目の前で見るのは初めてだった。
どぎまぎしてしまう。
彼女はそんな僕を見ると、乱暴に涙をぬぐう。
「見ましたね?」
「……泣いてるの?」
「私だって泣くことくらいありますよ」
そう言った瞬間、リラの瞳からぽろぽろと涙がこぼれてくる。
「……オーウェン様、女の人と一緒でした。あの人、背が高かった。仕事の話してました」
「魔術師団の人でしょ?別にそれ以上の関係じゃないと思うけど」
「そうみたいです。でも……私のこと完全に子ども扱いでした。オーウェン様に『若い子にもファンがいるなんていいわね』みたいなこと言ってた。冗談じゃないです。私ファンじゃないのに!……あの人よりも、ずーっと昔からオーウェン様のこと知ってるのに……」
言ってることは相変わらずだ。
オーウェンしか見えていない。
オーウェンの周りに、他の女性がいるということに初めて気づいたらしい。
リラらしい。
リラらしいけれど、目の前で泣いているリラは別人のようだった。
いつも笑って、暴走して、何を言われてもめげない面白い子。
それが僕の中のリラだった。
けれど、目の前のリラは繊細で、他人の言動にショックを受けて泣いている。
ものすごく衝撃的だった。
リラって意外と普通の子だったんだ。
そんなことを思って彼女を見ていたら、自然と手が伸びていた。
まぁ、元気だしなよ。
そんな気持ちだったと思う。
無意識に隣にしゃがみこんで、彼女の肩をポンと叩いた。
肩にかかる長い髪がさらりと揺れて、僕の手にふれた。
銀の絹糸のような髪の毛と、華奢な肩にびっくりした。
ロイやカイルのそれとは全然違う。
……そうか。
リラって女の子だったんだ。
そこで初めて気づいた。
幼いころからマナーとして、レディーファーストを叩き込まれたので、全然気にしていなかったけれど、こんなに細くて小さいんじゃドアを開けるくらいしないといけないな。
そんなことをぼんやりと思っていたら、リラが顔を上げた。
「……トーマ様?」
「あ、ごめん。大丈夫?」
慌てて手を引っ込めると、リラがふぅっと息をついて立ち上がった。
「今日はもう帰ります」
「送ろうか?」
「大丈夫です。トーマ様、こんなに目の腫れた私といたら、変な誤解されちゃいますよ」
「え?」
「王子が女の子を泣かせたって言われたら困るでしょ?」
「でも、泣いてる人を一人で歩かせるのも嫌だ」
僕がそういうと、リラは一瞬驚いたように僕を見た。
「トーマ様って、そういうところありますよねぇ」と笑いながら言う。
……そういうところ?
それはいいのか悪いのかと考えていると、リラが言った。
「私が一人で泣いて歩くのは、全然問題ないんです。みんな慣れてますから」
「そうなの?」
「そうですよ。門番のおじいちゃんに、いつも慰めてもらってましたから」
「……全然知らなかった」
「おじいちゃんは、私の心の拠り所なので」
「……おじいちゃんが拠り所……?」
僕が顔をしかめると、リラはやっと少し笑った。
その顔を見て、少し安心した僕はついこんなことを言った。
「僕にも少しくらい頼ってほしいな」
言ってから自分でも「あれ?」と思った。
なんでこんなこと言ってるんだろう。
すると、リラは一瞬きょとんとした顔をしてから、こう言った。
「え。私いつも頼ってますよ」
彼女の言葉に、今度は僕が驚く。
「トーマ様のこといつも頼ってます。私が変なことしても笑わないし、怒らないし、見守ってくれてるじゃないですか。私、トーマ様の反応を見て決めてるんですよ。あ、これ以上やったらダメだなとか、そういうの」
「そうだったんだ?」
「はい。だから、これからもよろしくお願いします!」
「うん。わかった」
「それじゃあ失礼します!」
リラはそう言って行ってしまった。
最後までよくわからないままの会話だった。
でも、僕の中でリラという存在が変わったのは確かだった。
その三日後、リラに会ったら、いつも通りのリラだった。
「トーマ様。私仕事中のオーウェン様を見てみたいので、姿が見えなくなる薬を作ろうかと思うんですけど、ちょっと材料が手に入りにくいんです。王子パワーで協力してもらっても……」
「うん、それやめておこうか」
相変わらず意味の分からない彼女に、なんだかとてもほっとした。
それと同時に、この子が泣いてたんだよなぁと不思議な気持ちにもなったのだった。




