第33話 殲滅
ニンゲンの青年の姿に変身中のイルム、空びとの少年リーフ、リーフの父グラン、そして地びとの旅人ソルは、南の丘の森を駆ける。
ラーズたちに連れ去られた、マルテとシエンシアを救出するために。
そして――、同じくラーズの屋敷を目指す追跡者たちも、夜の森を駆ける。
魔法で隠されているというラーズの屋敷、今のところ普通に走っているだけだが、いったいどうやって行くのだろう。
イルムがそう思ったちょうどそのとき、前を駆けていたリーフとグランが足を止めた。
「ここだ……!」
リーフが、そびえたつ二本の大木を見つめ、そう告げた。右の大木は、かすかに右へ傾くように生えており、左の大木は、左のほうへ大きく枝を伸ばしていた。
「おお! さすが我が息子……! 即座に空間の入り口を見つけるとは! もちろん、俺もすぐにわかっちゃったけどね!」
グランは愛息子を盛大に褒め、ついでに自分自身のすごさも声高にアピールした。
グラン。言わずにはおれなかったのか。
イルムはなんとなく半眼になり、隣に立つソルは、すごいですね、と棒読みで感想を述べる。きっと、グランが自分で言わなければ、ソルは普通に空びと親子を賞賛していたに違いない。
「……我は命ずる、異界へ通じる扉よ、開け……!」
黒い木々に広がるグランの自画自賛を無視し、リーフは二本の大木の間の空間に向かって朗々と呪文を唱えていた。
おお……!
イルムは目を見張った。下草のうえ、浮かぶように、立派な「扉」が現れたのだ。それは凝った装飾が施された、威圧感のある扉だった。
「あれ……。閉じてる……」
リーフの声に、あきらかな戸惑いの色。リーフの想定だと、現れると同時に扉は開くことになっていたようだ。
「鍵がいるんだ。リーフ」
グランが、人差し指を立てつつ、そう述べた。
「魔法の空間を作った本人や仲間たちは、そういった呪文だけで出入りできるはず。しかし、それ以外の者が入るには、鍵が必要になるんだ」
いいかい、見てなさい、これからが本格魔法だ、とグランは威厳を持ってそう述べた。
リーフ父の魔法か……。
封印の記憶が、イルムの頭をかすめる。子ども時代にイルムを封印したのだから、グランの魔法の力は相当なものなのだろうと思った。イルムの中に、苦い思いがないといえば噓になるが、ここはグランに一任するしかない。
「はい。お父さん」
リーフが姿勢を正した。父の魔法から、多くを学ぼうとしているのだろう。
イルム、リーフ、ソルは、固唾をのんでグランの一挙一動を見守る。
グランは、身を屈めた。
すごい本格魔法が始まるのか。
皆の注目の中、グランは地面に落ちた小枝を拾う。流れるような所作が、どこか儀式めいて見える。イルムにはなんのことかわからないが、もしかして、魔法陣を描くのかな、とリーフが呟いた。
風が止んだ。
「ピッキングサギョウ……!」
グランは謎の呪文を叫び、小枝を扉の鍵穴に差し込み始めた。
「ピッキング作業!」
地びとのソルと、背後に潜む何人かが、同時に叫んでいた。
えっ。
ずっとイルムのあとを付けていた追跡者たち、それからソルの心がひとつになった瞬間だった。
「……あんたらは、叫ぶなよ」
ソルは呆れたように闇に向かって呟いたが、まあ指摘せずにはいられなかったんだろうな、と続け、同情も示した。しかし、当然ながら追跡者たちは沈黙を守る。
なんのことかわからず、首をかしげているのは、おそらくイルムとリーフだけなのだろう。
「鍵以外の道具を使って扉を開けること、それをそう言うんだ……」
脱力した様子のソルが、説明してくれた。どうやら、あまり魔法は関係なさそうだった。
「ほうら、開いたー」
カチャ、と音を立て、扉は開いた。重厚な見た目から、さぞや雰囲気のある開きかたなのだろうと思ったが、意外にも音が軽い。きっと、たてつけがいいんだね、とグランはまた余計なことを言う。
「行くぞ……! 屋敷は扉の向こうだ……!」
グランは叫び、扉の向こうへと駆けた
マルテ……! シエンシア……!
イルムとソル、リーフも扉に飛び込んだ。
イルムたちは、振り返らなかった。
すぐに追跡者たちが付いてくるだろうことは、振り返らずともわかっていた。
「うわっ……!」
マルテは驚いて窓から離れ、耳を塞いで身を屈めた。
ものすごい爆発音、そして閃光。
まるで屋敷が揺れるようだった。
マルテは、空の国の警察たちが、屋敷を攻撃しているのだと思った。
そんな……! 屋敷ごと、爆破させようとしているの……?
リーフが通報してくれていて、自分を助けるために警察が来てくれたのだと思っていたが、もしかして違うのだろうか、と思った。
警察の人たち、中に僕もいることを、知らない……?
さっ、と血の気が引く。警察が来たのは、通報ではなく偶然なのかもしれない。偶然、ラーズたちのアジトを知って、破壊しようとしているのかもしれない。
ずいぶん乱暴な捜査だ、と思った。しかし、実際爆発が起こっている。信じられないが、地上にいる犯人たちを捕まえることより、殲滅させることを優先しているのかもしれない、と思った。
ラーズたちが、純粋な空びとじゃないからなのだろうか。ラーズたちが地上で活動していて、空の国の警察としては色々手を焼いているからなのだろうか。空の国に住んでいるとはいえ、警察の考えや実情は、少年であるマルテには正確なところはわからない。そしてなにより、恐怖の渦中の今、考えがうまくまとまらない。
助けに来てくれたのかと思ったのに、逆に危険かもしれないなんて――!
どきん、どきん、心臓が早鐘を打ち続け、体が勝手に震えだす。ラーズたちが、警察の存在に気付くことを危惧していたのに、想定外の恐怖がマルテを襲う。
魔法……! 身を護る魔法を、なんとか――。
相手は空びとの大人たち、そのうえ警察である。きっとその攻撃魔法は強力に違いない。恐怖と焦りで混乱する中、適切な魔法を探そうとした。
「あっはっはっはっ……!」
え。なに……?
すぐ近くに、現実にそぐわない笑い声。おそるおそる、マルテは視線を上げた。
「ふふふ! どうだい、思った通りじゃないか……!」
ラーズだった。笑っていたのは。
どうして、笑って、いるの……?
ラーズは両手を広げ、笑い続ける。その後ろにいるアグネーテとビョルンとロルフも、不気味な笑みをたたえていた。
ラーズは、身を屈めたままのマルテの横を平然と通り過ぎ、張り付くようにして窓の外を見下ろす。
ラーズは、狂ったように叫んだ。
「一匹残らず、やっつけろ……!」
もしかして、と思った。
もしかして……。すさまじい音と光は、全部――。
耳鳴りがする。爆発音、そしてまばゆい光が、マルテの意識から遠のいていく。
「そうだよ。マルテ。警察なんて、来れないんだよ――」
警察じゃなくて、ラーズの……!
マルテは、自分がとんでもない勘違いをしていたことにようやく気付く。
「ふふ。魔法においては、空びとの大人の精鋭たちには負けるだろうからね――」
振り返ったラーズの赤い瞳が、妖しく熱を帯びていた。
「僕の魔法のしかけと、地上の最新武器を合わせたんだ。地上の武器、平和な空の国の住人たちには、よく効くと思ってね――」
マルテは知っていた。空の国にも警察はある。悪人はいる。裁判もある。しかし、魔法が当たり前にある豊かな空の国は、病苦もなく長寿で、国土は空の上に九つに分かれて存在するが、地上のような血なまぐさい争いはほとんど起きないという――。
「地上の武器の発動だけじゃなく、魔法で武器自体の威力と精度も高めておいたよ。なあんだ。空の国の警察、僕の想像よりたいしたことないね」
吐き気がしてきた。マルテは、口元を手で押さえた。
ラーズは窓に向き直り、自分の赤い髪を、指でくるくると巻いていた。
「全滅、したね」
音と光が、止んでいた。
なあんだ、あっけないね、ラーズとアグネーテとビョルンとロルフが、笑う。青白い四つの顔の中、同質の笑みが広がっている――。
「僕らは、空びとに勝った……!」
ははは、ははは。
仮面のように見えた。人ではなく、笑顔を張り付けた、四つのなにか――。
嘘だ、嘘だ、嘘だ……!
信じたくなかった。こんなにあっけなく、人の命が奪われてしまうなんて。
屋敷を揺るがすような音も、視界を遮る光も、もう生じない。
時計の針が、時を刻む。屋敷の中は、日常を取り繕う。
まるで呪いのように、マルテの頭の中、四人の笑い声がこだましていた。




