第32話 行け、行くんだ
流星のように、降り注ぐ。それは、空びとたち以外には見えない光。
ニンゲンの青年の姿に変身中の海竜のイルムと、地びとの旅人であるソルには、ちっともわからなかった。
「あのたくさんの光は……!」
空びとの少年リーフが、南の丘を指差し叫んでいた。
「きっと、警察だ。あ、空の国の、ね」
リーフの父のグランが、イルムとソルにもわかるように話した。イルムとソルには見えなかったが、空から光が降りてきていたのだという。そしてその見えない光の正体は、空の国の警察らしい。
「やっぱり、行くのはやめよう!」
グランが、大声で言い切った。
え。今更。
今更やめるのか、とイルムは思った。
「おまわりさんたちの、作戦の邪魔になってしまう! 俺たちは、ここで様子を見守ろう」
「嫌だよ! ここまで来たのにっ」
グランの提案に、リーフは納得できない様子だった。
「リーフ。俺たちのせいで、マルテ君がより危険な目にあったり、救出できなかったりしては、それこそだめだろう? だから、俺たちはここからマルテ君やシエンシア君を護る魔法を送ろう」
南の丘を、目の前にして――。
イルムは、この場合の判断の是非を尋ねるように、ソルを見つめた。ニンゲンではないイルムにとって、「警察」というものがどのくらい信頼のおけるものか、また、「警察の作戦」とはどのように行われるものなのか、皆目見当がつかなかった。第三者であるソルの、意見を知りたいと思っていた。
「そうだな……。地びとの警察が現場に急行しているところだったら、絶対に一般人が介入してはいけない。ただ、空びとの警察とか魔法とか、俺にはわからないなあ……。グランさんがそうおっしゃるのなら、やはり俺たちは動かないほうが――」
ソルは、グランの意見に賛成だった。
なにか、圧を感じる。
そのとき、イルムは言い知れぬ圧を感じていた。さっきからずっとイルムを見つめていた複数の目が、「行け、行け」と全力で言っているような気がした。
イルムは視線の感じるほうをそれぞれ、ぐるっと振り返る。あちこちで、闇が動いた気がする。
私が振り返ったから、隠れたのか。
当然ながら、誰も姿は現さない。しかし、変わらずイルムに定められた視線は「なにをそこで止まってるんだ、早く南の丘に行くんだ」と強く訴えているような気がした。
「いや。指図されるいわれはない」
イルムは声に出してしまっていた。もちろんそれは、一定の距離を置いて隠れている連中に対してだったのだが――。
「わっ、イルム、僕の気持ちに従ってくれるの……?」
「えっ……、イルム……」
図らずしてソルの言葉に対しての返答のようになってしまっており、南の丘に行きたいリーフが顔を輝かせ、厳しい言葉を返されたように思ったソルとグランの表情が強張った。
「指図されるいわれはない」、ソルとグランに向けられた言葉だと思われたのだ。
「急ごう、イルム!」
リーフは、駆け出した。イルムも一緒に走り出してくれると信じた様子で。
え。いや。そんなつもりは。
イルムは、夜の闇の中見えなくなっていくリーフの背と、ソルの青ざめた顔を、交互に見る。
「違う。ソル。誤解だ」
ショックを受けたような顔のソルに、イルムは訂正しようとした。
「待ちなさい、リーフ! 無謀だ!」
現場へ乗り込もうとするリーフに、グランは止めようとした。
「お父さん! お父さんだって、僕くらいのころ、無茶な冒険していたじゃないか……! それに、マルテを探すこと、立派だって褒めてくれたじゃないか……!」
リーフはグランに、必死に訴えていた。
「友のための勇気は、大切なものなんだって言ってくれてたのに……!」
リーフがグランに、心からの訴えをぶつける。
「ソル。私は、背後のつきまとう謎の視線たちに向かって言ったのだ。お前の言葉に対して言ったのではない」
イルムがソルに、心から誤解であることを訴えた。
「そうだったな……。冒険、勇気、友情……。少年にとって、大切な三大要素……」
「そうだったのか……。そういえば、さっきからつけられている、そんな気もしていた」
遠くでグランが納得し――ここは諭さなければならないところのような気がするのだが――、目の前のソルはイルムに納得していた。
「よし! 行くぞ! 我々も……! もちろん、捜査の邪魔にならないように、な……!」
グランが、拳を天に掲げていた。
えっ、行くんだ。
リーフとグラン親子が、駆け出していた。
「ソル」
イルムが、ソルに尋ねる。
「つけている連中。どうする?」
「あの刑事、それから、情報屋の客の魔法石を狙っている連中、なんだろうな……。あいつらの目的はあくまでラーズだろうから、こちらに直接的な害はない。時間がない。とりあえず放っておくか」
「情報屋は、いないのだろうか」
「ああ。たぶん。俺たちの情報を売ったあとだろうから、用はないんじゃないか」
イルムとソルは、リーフ親子に遅れまいと走った。
黒い木々、不気味な鳥の声。人の入らなくなった森、からみつく草葉を払いながら走る。
夜の森を走れるのは、リーフ親子の灯す魔法の光のおかげだった。
ざっ、ざっ、ざっ、背後から足音が響く。追跡者たちは、自分たちの足音を隠すこともしなくなっていた。
「ここは、魔法のかかった森。俺たちが魔法を解いて中へ入る、そこについてくる気なんだ。もうなりふり構わず、俺たちから離れないようにしているんだろう」
走りつつソルが、イルムにそう語った。
数は、十人前後、か。
足音を数え、おおよその人数を推し量る。
空の警察たちが降りてから、だいぶ経つ。いったい、どうなっているのだろう。
マルテは、シエンシアは、無事助け出されたのだろうか、思いを巡らせながら、イルムたちは、走る。
ニンゲンの姿をしているけど、シエンシアさんは、地竜という竜……。
夕食の際、そしてそのあとも、マルテはそれとなくシエンシアの様子を伺っていた。
シエンシアさんの首元に、僕のネックレスが――。
どうしても、シエンシアの首元に目が行ってしまう。鋭いラーズにばれてしまう、そうは思っても、つい見てしまうのだ。
「そんなに気になるの?」
やはり、ラーズに尋ねられてしまった。
「それより、アグネーテの料理はどう? アグネーテは、君の反応をすごく気にしてるみたいなんだけど」
「……とても、おいしいです。ありがとうございます」
たちまち、アグネーテの顔は、花が咲いたように明るくなった。お世辞ではなく本心からおいしいと思ったし、相手が両親の仇の妹であっても、自身が囚われの身という立場であっても、してもらったことへの感謝は伝えておきたい、と思っていた。
それは、保身や敵を油断させるための計算などではなかった。だからこそ、言葉はまっすぐ伝わり、アグネーテの顔には喜びがあふれていた。
「ふふ。そうだろう。彼女の作るスープ、ハーブにもこだわりがあってね――」
ラーズはよく笑い、饒舌に語っていた。長兄と称されたビョルンは、もの静かな感じだが柔らかな笑みをたたえ、次兄と称されたロルフは、ビョルンよりもさらに寡黙で鋭い目つきをしていた。それでも、ラーズとアグネーテによれば、ロルフも自ら冗談を言って笑うときもあるらしい。
シエンシアは、「食べなさい」と命じられて食事をしているだけのようだった。なにも指示がなければ、光のない目で人形のようにその場で佇んでいる。
「シエンシアの状態は、研究中。もっとよくなると思うんだけどなあ」
ラーズはそう語る。
もっとよくなる、とはどういうことなんだろうか。
本来の地竜らしくなる、ということなのだろうか。それとも、ニンゲンらしくなる、ということなのだろうか。それとも、もっと操り人形らしく従順になる、ということなのだろうか――。シエンシアを思い、マルテの胸は締め付けられるようだった。
夕食を終えた窓に、星の輝きが映る。
魔法の空も、ちゃんと時間経過してるのか。
妙なところに感心した、そのときだった。
あっ。
息をのむ。舞台のどんちょうを破るかのように、空にいくつもの小さな穴が開く。
これは……!
空の国に住むマルテは、すぐにわかった。空の国の警察だ、と思った。
ラーズは……。
どくん、どくん、マルテの心臓の音が大きくなる。
気付いただろうか。地上に暮らし、地びとの血も入っているラーズは、アグネーテは、ビョルンとロルフは、気付いているだろうか。もしかしたら、こっそり逃げ出して、無事保護してもらえることが、できるのかも――。
ゆっくりと、振り返る。不自然でないことを、意識しながら。
マルテは、ラーズたち「家族」を見た。
「ああ。入られちゃったか。しかも警察。空びとか――。厄介だな」
ラーズの赤い瞳が燃える。
ラーズは、片方の唇を釣り上げて笑い、恐ろしく低い声で呟いていた。




