第22話 墓地にて
カーン、カーン、カーン。
響き渡る、音。
ニンゲンの青年の姿に変身中の海竜のイルムは、音のする空を見つめた。
大きな音だ……! 形容しがたい、美しく、とても不思議な音――。
「鐘の音だよ」
空びとの少年、リーフが教えてくれた。ニンゲンの作った、鐘というものの音だ、と。
「時を知らせる鐘、かな」
地びとの旅人の青年、ソルが言う。たぶん、正午のお祈りの時間を知らせるためのものだろう、と。
「毎日のお祈りの時間のほか、結婚式や、誰かが亡くなったときにも鳴らすそうです」
地びとと空びとの間に生まれた少年、マルテが、鐘の音で様々なことを知らせるのだと、付け加えて話してくれた。
誰かが亡くなったときにも、鐘を鳴らす。皆と、心を共有するのか。
きっと、悲しみ。追悼の気持ち。家族や仲間たちの間だけでなく、町全体に響くような音で知らせ、思いを共にする。
マルテの父と母の亡くなったときも、この鐘が鳴ったのだろうな。
ここは、マルテの故郷の町、イスタ。そして町はずれにある墓地、マルテの両親の眠る墓の前だった。
マルテ、リーフ、イルム、ソルは、マルテの両親の墓に花を供え、祈りを捧げた。海竜であるイルムだが、墓参りの作法については皆に倣った。しかし、特に教えてもらうまでもなかった。旅立った魂の平安を祈り、子であるマルテが元気であること、よい子どもであることを報告し、マルテとの縁に感謝する、心のありかたは、一緒だったのだ。
優しい風が吹き、微笑むように花が揺れた。
マルテは――、様々なことを話しているに違いなかった。学校のこと、友だちのこと、おじとおば、一緒に暮らす幼い従弟のこと。もしかしたら、大切なネックレスを奪われたことについても打ち明けているのかもしれない。そして、海竜のイルムという不思議な仲間について、この旅で起こったできごとについても話しているのだろう。
イルムたちはマルテに、ゆっくりするよう声をかけ、墓前から離れた。一人で、両親に打ち明けたいこと、見せたい心もあるかもしれない、と思ったのだ。
「まだまだ、甘えたかっただろうに」
ぽつり、とソルが呟いた。イルムとリーフとソルは、初めて訪れたこの墓地の中を歩く。リーフは、降ろした手のひらを、ぎゅっと握りしめていた。
たくさん、あるな。
たくさんの墓石。大きいもの、小さいもの、彫像。初めて見る墓石や彫像を、畏敬の念を持ってイルムは眺めた。この下に、大勢の町の人たちが眠っている。この石の数だけ、いやそれ以上の数の涙がある。そして、墓石の形や大きさに、家族それぞれ様々な思いや時間があるのだろうと想像した。
海の中にも、墓場と呼ばれる場所がいくつもある。だが、墓標はない。海の生物たちは皆、すぐに自然へ還り、名前もなくなる。
いや。名がなくなるのではなく、ひとつになるのだ。
魂は、大きなひとつとなり、そのひとつから新しい魂が生まれ、この世にふたたび送り出される。そんな死生観をイルムは持っていた。
ニンゲンの墓。ずっと受け継がれ、その名は心に刻まれ続ける。それもまた、尊いこと――。
イルムは、もう一度空を見上げた。鐘の音が、青空のどこかにまだ残っているような気がしたのだ。
あれは……!
鳥、だった。大きく弧を描く鳥が、いつの間にか、頭上に――。
まずい……!
やつらが、来ている、そう気づいた。
「マルテのところに、戻ろう!」
駆けた。そう離れてはいない。イルムたちは、ほんの少し歩いただけだった。ほんの少しの間、親と子だけにしたかった、それだけだったのだ――。
「マルテ……!」
呼びかけて、ハッとした。そこにマルテの姿はなく、なぜか長く赤い髪の少女がいた。いつの間にか、立ちはだかるように。墓石の灰色に囲まれた中、その姿は、ひときわ鮮烈に映った。
くすくす、少女は笑う。
「やっぱり、地上に来たマルテ君は、必ずお墓参りに来る、そう思ったんです。当たっちゃいましたね」
女の子ども……!? この子どもも、連中の仲間か……!?
「マルテ、どこに……!」
リーフが叫び、ソルは舌打ちし、視線を走らせる。
「きゃっ……!」
少女が短い悲鳴を上げた。イルムが、無言で少女を肩に担いだのだ。
「イルム! その女の子は任せた! 俺とリーフは、マルテを探す!」
ソルがそう言い残し、リーフと共に駆けて行った。イルムはうなずき、肩の上の少女に問いかける。
「言え。お前は、あのラーズの仲間か」
どっ。
一瞬、イルムの息が詰まる。背に、とても強い衝撃を感じた。
なに……!?
「離して……! 降ろして……!」
わめく少女を担いだまま、イルムは素早く後方を振り返りつつ、その場から大きく跳び下がった。墓地であるため、あまり大きな動きはできなかったが、できる限りその場から離れながらも状況を見極めようとした。
衝撃は、激しく殴られたようなものだった。しかし、気配を感じなかった。少女についても気配は感じられなかったが、彼女の場合はとりあえず攻撃の意思はなかったように思えた。攻撃しようという意思のある者から、まったく気配を感じられなかったというのは、イルムにとってあきらかに異常であり、驚きだった。
なんだ……? 武器でもない、魔法でもない、拳による攻撃のようだった……! 拳の大きさ、殴られた感覚や繰り出された角度から、おそらく相手はニンゲン。気配を微塵も感じさせず、強力な打撃を加える、ニンゲンに、そんな高い攻撃能力を持つ者がいるのか……!?
誰もいない。音もしない。マルテを呼ぶ、リーフとソルの声だけが遠く聞こえてくる。マルテの返事はまだ聞こえてこない――。
攻撃してきたやつは、墓石の陰に素早く移動したのか……!
離して、と手足をじたばたさせる少女の声は、イルムの耳から消えていた。イルムは、全神経を謎の襲撃者に集中させていた。
空気が動いた。イルムは、そちらのほうを見た。
光る眼、長く黒い髪、長身の男だった。そして、とんでもない素早さ――。
蹴りか……!
イルムは、避けた。少女の体にも当たらないよう、工夫しながら攻撃をかわす。
しゅっ、しゅっ、しゅっ、と風を切る音、強い風圧。襲撃者の、素早い蹴りや拳が飛ぶ。
少女の悲鳴。イルムはそれを無視した。というか、雑音としてもはやイルムの耳には届かない。
強い……!
こんな強い人型の生物がいるとは、とイルムは思った。
人型の、生物。
イルムは、攻撃をかわし続けた。そして思う。なぜ自分は今、相手を「ニンゲン」ではなく、「人型の生物」と思ったのだろうか、と。
光る鋭い目。筋肉質で長身な体を包むのは、ニンゲンの服装。繰り出される、無駄のない動き。イルムが肩に担いでいる少女に当たっても構わない、そう考えているような容赦なく強烈な攻撃――。
しかし、と思った。
どういうわけか、わからない。しかし、攻撃を避けているうち、イルムはこの男を知っているような気がしていた。
男が蹴りから打撃に移行する際、男のシャツの合間から、光るものが見えた。
空色の石……!
空色の石だった。それは、空色の青い石の、ネックレス。イルムが身に着けているものと、同じ石――。
イルムは、思わず叫んだ。
「シエンシア……!」
無表情で襲い来る男。それは、魔法石を身に着けた地竜のシエンシアだ、イルムの勘は、そう告げていた。




