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第23話 素敵なお友だち

「偉大なる森の主、シエンシア……!」


 ニンゲンの青年の姿に変身している海竜のイルムは、叫んだ。

 鋭い眼光の黒髪の襲撃者は、あの地竜シエンシアが変身した姿だ、イルムの直感がそう告げていたのだ。


 ニンゲンの姿形。でも、胸元には魔法石……! この異常なまでの強さ、あの森と同質の雰囲気――。この男は、シエンシアに間違いない……!


 しかし、その瞬間イルムがシエンシアの名を口にすることは叶わなかった。男が大きく一歩踏み出す勢いそのままに振り上げた右足、それをかわすことを余儀なくされたのだ。

 イルムは、少女を肩に担いだまま高く跳び下がり、墓石を飛び越え男の蹴りをかわす。

 少女の悲鳴と、肩の上での必死な動き。暴れる少女を担いでいることで、イルムが体勢を整えるのに呼吸ひとつぶん時がかかる。イルムを追う男が、墓石を越えて目の前に迫る。


 拳……!


 拳をよける。一発、二発。そして、蹴り。回し蹴り、高く跳び上がってからの蹴り、膝蹴り、そうかと思えば肘鉄――。攻撃をかわすたび、イルムの視界が目まぐるしく変わる。ざっ、ざっ、ざっ、と土を蹴る、または踏み込む音。少女の悲鳴と、攻撃の音だけが響く。

 黒髪の男――おそらくシエンシア――は、言葉を発しない。表情にも変化がない。怒りも、喜びも、憎しみも、なにも感情が読み取れない。

 もっともイルムに感情を読む余裕などなかった。背にあてられた打撃も、普通のニンゲンの肉体なら、耐えられなかったことだろう。イルムの体でなければ、きっと皮膚は裂け血がほとばしり、骨は砕けただろうと思った。とはいえ、鈍い痛みはある。しかし幸いにも、イルムの動きを妨げるほどではなかった。

 男の目は、イルムを捉え続ける。暗く、鋭く、射るような目。感情はわからないが、激しさと強さだけは確かにあった。きっと、イルムの命が尽きるまで、追い続けるつもりだろう。


 なぜ。


「シエンシア、なぜだ……!」


 ようやく、声を出せた。さすがのイルムも、呼吸が乱れていた。

 相手は答えない。一方的な攻撃が、続く。

 イルムに反撃する気はなかった。シエンシアの声で、納得する答えを得るまで。


『では、地上を楽しめ、海竜のイルム、そして空びとのリーフ』


 あのとき、言葉を交わし、心を交わしたのではなかったのか……!


 木漏れ日の中、短い時間だった。しかし、心を交わせた、そうイルムは信じていた。


「シエンシア!」


 答えがない。代わりに、拳が、足が、容赦なく迫る。


「シエンシア……!」


 私を射る黒の瞳は、もうなにも映していないのか――。


「シエンシアッ! もう! 私がいること、忘れないでっ!」


 イルムの声に被さるように、少女が叫んでいた。イルムの肩の上、担がれているというのに、まったく考慮しない攻撃が続き、攻撃をかわす当のイルムより脅威にさらされた状態、また激しいイルムの動きに、少女は目が回る思いだったに違いない。


 やはり、シエンシアだった……!


 イルムは確信が現実であることを知り――、改めて衝撃を受ける。そうに違いない、そうわかっていても、現実を突きつけられると激しく心が揺れた。

 黒髪の男――シエンシア――の動きが止まる。


「もう! これじゃ逆じゃない! 海竜さんのイルムに助けられてるみたいで、友だちになったはずのあなたに攻撃されるなんて!」


 友だち――。


 友だち、と少女はシエンシアを称した。イルムとリーフ、ふたりと時間を共有したあの森の主を――。


「子ども。これはいったい、どういうことだ。そしてお前。お前は何者だ」


 鋭い声で、イルムは尋ねた。


「まあ! 子ども、ですって! 失礼ね!」


 少女は、心外、といった様子で声を大きくした。あきらかに、少女、子どもなのだが。


「私はお前の名を知らん。そしてお前は子どもだ。子どもと呼ぶしかないだろう」


「下に降ろしてくれたら、教えてあげる!」


 少女は、むっとした声でそう叫んだ。ふわり、イルムは少女を肩から降ろした。


「まあ……! 素直だこと……!」


 少女は大きな目をさらに大きくした。一応言ってみたが、本当にイルムが従うとは思わなかったようだ。

 少女は長く赤い髪を手のひらで手早く整え、スカートの裾も直してから言った。


「私の名は、アグネーテよ」


 約束通り、自分の名を明かした。やはり目が回ったようで、言い終えたあとアグネーテはその場で倒れそうになる。イルムが支えた。


「ありがとう。あなた、紳士ね」


 支えられ、アグネーテは少々荒い呼吸で礼を述べる。気分が悪くなっているようだ。しかしそこで出る紳士の言葉の意味が、よくわからん、とイルムは肩をすくめた。弱き者、小さき者に手を貸す、イルムにとって自然な行動だったのだ。

 イルムは、少女に問いただす。


「シエンシアは、百年土の中で眠りについていたんだ。なぜ、お前が友だちに……!」


 そのとき、シエンシアは、うつろな目で立っていた。攻撃をしていたときと、まるで別人のようだった。

 そこには、長いときを生きた、深みのある輝きも、知恵の光も、崇高な魂も感じられない。空虚な、まるで形ばかりの器のよう――。


 シエンシア……!


 イルムは、心の中で叫んだ。残酷な現実に、胸が引き裂かれるようだった。


『あのお馬さん――、操られているみたい。きっと、鳥さんと同様、魔法で操られてるんだ』


 不意に、リーフの言葉がイルムの脳内に閃きのように思い出される。

 まるで、電流が体の中心を走ったようだった。


 操っているんだ……! 魔法で……!


 アグネーテは、くすくす、と笑っていた。


「お友だちになるのに、とってもたくさんの魔法石の力を使ったわ。それから、ニンゲンの姿に変えてあげたの。そしてその状態を維持するように、強力な魔法石のネックレスもかけてあげたわ。お兄さまが、そのほうが僕らの言うことをよく聞いてくれるだろう、僕はその実例を見たんだ、そう教えてくれたの」


 実例……! まさか……!


 まさか、と思った。しかし、アグネーテは先ほどイルムを「海竜さんのイルム」と呼んでいた。


 おそらく、ラーズ。ラーズがアグネーテの兄。そして、ラーズはどういうわけか――、私の正体を知った……。


 どうして、いつ知ったか、イルムにはわからない。海竜であることがばれていた。あの大男はあの森で、イルムのことをただ怪物、と呼んでいたのに――。そして、ラーズの言う実例とは――。


 実例とは、私のことか……!


「まさか力の強い地竜さんを友だちにできるなんて、私も信じられなかったけど。お兄さまの見立ては、いつだって正しいから……! でも……」


 アグネーテは、柔らかな自身の頬に人差し指を添え、かわいらしく小首をかしげた。


「どうして、イルム、あなたはそんなによい子なの? シエンシアったら、同じ魔法だというのに、なんだかぼうっとしてるし、私のことをちっとも考えないような危ない攻撃をして……!」


 アグネーテは、私が魔法で操られていると思っているんだ……!


 愕然とした。


 私のせいで、シエンシアは……!


 自分の存在のせいで、シエンシアは狙われた、イルムはそう思った。


「違う……! 魔法を、解け……! 私は操られてなどいない! そして、シエンシアは関係ないだろう……!」


 イルムを動かしていたのは、契約でも魔法でもなかった。

 共有した時間。共に目の前に広がる光景を見て、共に風を感じ、共においしいものを食べ、そして笑った。心と言葉を交わし合って紡がれた、形のない証――。

 イルムは自分の意思で、気持ちで、動いていた。広い世界の中、見つけるのは簡単なようで難しい、あたたかな「証」を大切にしたくて。

 それは、アグネーテの言う、空っぽな「友だち」ではなかった。


「シエンシアの、心を返せ……!」


 きっと、百年の眠りから覚めたばかり、シエンシアの力が万全ではなく、そこを突かれて魔法をかけられてしまったのだろうと思った。

 くすり、とアグネーテは笑う。それは、薄桃の唇を吊り上げた、少女の笑みとは思えない、ぞっとする笑顔だった。

 アグネーテは、低い声で囁く。ゆっくりと、心の中を侵食するように。


「シエンシアは、私たちのお友だちよ? あなたも、私たちのお友だちになって……?」


 ざわざわと、風もないのにアグネーテの赤い髪が揺れ、赤の瞳が妖しく光る。


「あなたはきっと、シエンシアより素敵なお友だちになると思うの――」


 いつの間にか、アグネーテの手のひらに、青い輝き。

 そこには、大きな魔法石の原石が握られていた。


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