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第20話 夕闇の森の男

 ニンゲンの青年の姿に変身中の海竜のイルムの心は、多忙を極めた。


 この町はこの町で、たくさんの情報がある……!


 漁師町とも違った雰囲気の南の町、イルムにとって目を見張ることばかりだった。

 風薫る南の町は、あの漁師町よりも様々な店が立ち並び、空びとの少年リーフや、空びとと地びとの間に生まれた少年マルテ、地びとの旅人ソル、皆にいちいち解説を要してしまっていた。

 花屋は目にも鮮やかな花々が並んでいたし、洋服屋も漁師町にあったものよりも華やかだったし――イルムの着ている魔法で作った服のような、流行の服もあるそうだ――、それに加え、


「小さな箱の中に、たくさん泳いでいる……!」


 生きた美しい魚を売っているお店もあった。漁師町で見かけた魚屋は、食べる専門、こちらは家で飼う用として販売されているのだという。


「飼う? 使役するのか?」


 イルムが思わず尋ね、


「観賞用だよ」


 もうすっかり慣れたようで、すかさずリーフが答えた。面白い質問だなあ、とソルが笑い、お魚もお魚好きのおうちに迎え入れられて、家族として幸せに暮らすと思います、とマルテが、イルムの安心するような答えを添えた。


 そうか。もしかして、私のように魔法を掛けられるのかと思ったが、ここは地びとの国、陸の上で生きているといっても、私とは違うか。


 海や川の生きものが、食べる目的以外で地上にいるのは、そういう理由もあるのか、と一人腕組みし、唸った。


「私も見つかったら売られるのだろうか」


 イルム、観賞用として値打ちがある自負があった。巨大水槽に展示される、美しい海竜――。


 箱の中、自由がほぼない。まるで、封印されていたときみたいだ――。


 それは、マルテの言うように幸せなのだろうか、と少し考える。

 イルムの銀の瞳がかすかに揺れたちょうどそのとき、魚の販売店から、笑顔の初老の男性と幼い男の子が出てきた。男性の手には、透明な容器。その中にカラフルな魚が入っていて、男の子は嬉しそうに魚を見上げている。鑑賞魚を購入した祖父と孫のようだ。


 でも、家族。家族として受け入れられるのなら、新しい幸せとなるのかも――。


 イルムの想像は、寒々しい封印の記憶から、一転して笑顔に満ちたあたたかな時間に変わっていた。初老の男性と男の子の喜びにあふれた背が、優しい未来を予言していた。


「絶対売らないよ! イルムは大切な友だちって、言ったじゃないか!」


 イルムはただ思いついたことを述べただけだったが、間髪入れずリーフの熱い答えが返ってきた。冗談でも許されないことだよ、とリーフは口を固く結んでいた。


 怒られているのに、嬉しい。


 イルムは不思議な心持ちになっていた。怒られて嬉しい、そんな状況もあるのだ、と初めて知った。ふと横を見ると、ふふふ、とマルテが優しい笑みを浮かべていた。


「情報は、ないなあ……」


 ソルが、ため息をつく。

 イルムが個人的に情報だらけだったのに対し、肝心な調べたい情報はほとんどなかった。

 黒づくめの男、猛禽類、それからラーズという名について、道行く人や店の人に聞き込みをしていたのだ。

 町の人の反応から察すると、隠しているとか話したくないなどではなく、ただ本当に知らないだけのようだった。


「黒づくめの男は魔法で気配を消していて、地びとの皆さんの意識に残っていないのかもしれません」


 マルテがそう推測した。そして、現在、マルテやリーフの魔法の力の感覚でも、黒づくめの男もあの操られているふうの猛禽類も、どちらも見当たらないという。


「僕を追って、もう町を出たようですね」


 マルテがそう結論付けた。


 手掛かり、なし。


 日が暮れ始めていた。前方に広場があり、これ幸いと木陰のベンチに揃って腰掛けた。広場には飲み物や軽食を売っている店があり、ソルが皆のぶんのフレッシュジュースとチーズたっぷりのサンド――チーズやハムや野菜を、薄く焼いた小麦の生地で挟んでいる――をご馳走してくれた。

 イルムたちのベンチの前を、子どもたちが走り回り、若い母親たちが見守っている。イルムたち同様、飲みものを購入している若い男女もいた。きっと恋人同士なのだろう。

 ベンチではしばらく、イルムの一人感動劇場が繰り広げられた。イルムの「うまい」のレパートリーだけが増えていく。心震わすうまさらしく、握った拳もぷるぷる震えていた。


「マルテのご両親は――、マルテは――。どこに住んでいたんだい?」


 広場の賑やかな親子たちが家路についたあと、ソルが切り出した。慎重な話しかたは、悲しい記憶を意識させないように、というソルの思いがあったに違いない。


「ここから、そんなに離れていません。ここから東の、イスタという町です」


「そこに、行ってみようか」


 夕日に染まる、マルテの柔らかな金色の巻き毛――。くるんとした前髪の下、少年にしては長いまつげは、まだ地面のほうを向いていた。


「きっと、捜査しつくしてあるだろうけど。それでも、ラーズという名から、導き出される情報があるかもしれない」


 夕風がひとつ、通ってから、ソルが話を続けた。


 東の町、イスタ。


 マルテの返事をソル、リーフと共に待つ間、イルムは思う。マルテの故郷はどんな町なのだろう、と。


「そうですね、行ってみましょう」


 マルテの返事を掛け声のように、イルムたちはベンチから立ち上がる。

 真っ赤な夕日、長い影が落ち、頭上の枝葉がざわざわと揺れる。


「マルテ、大丈夫?」


 リーフが、心配そうにマルテの顔をのぞく。


「うん。ありがとう、リーフ。お墓参りも、したいし」


 マルテは年に一度、おじとおばと地上に降り、両親のお墓参りをしていたらしい。


「そっか。お墓参りもしような」


 ソルが、マルテの肩にそっと手を置いた。

 マルテは、泣いていなかった。

 でも泣いている、そうイルムは思った。

 海竜の暮らしに、墓参りという習慣はない。しかし、イルムは深くその言葉を受け止めていた。


 死者の国の者の、無事を願う。きっと、いつまでも。


 夕日を背に、歩き出す。




「ロルフお兄さま……!」


 森の中、アグネーテは顔を輝かせた。小型の猛禽類を肩に乗せた兄、ロルフの姿を認めたのだ。


「ロルフ兄さん。ふふ、このようにちゃんと成功したよ」


 ラーズは両手を広げ、ロルフに喜びの報告をする。ラーズの傍らには、大柄で弓矢を背負った年長のビョルンもいる。

 南の町にいたロルフは、アグネーテ同様、ラーズの遠隔からの魔法の呼び掛けで、森に駆け付けていた。南の町から森へと急いだロルフだったが、イルムたちとは完全にすれ違いになっていた。

 ちなみに、ロルフやビョルンとアグネーテが異なる大きな点は、魔法の呼び掛けを受け取ることはできても彼らのほうからは呼び掛けることができず、そのうえ送られてきた思念の大まかなところしか受け取れないという圧倒的な能力差だ。


「おお……!」


 ロルフは、思わず感嘆の声を上げた。


「これが……、本当に……」


「ああ。本当さ」


 戸惑うロルフに、ラーズはうなずいて見せた。


「僕らの、新しい友だちだよ」


 ラーズの指し示した手のひらの向こう、夕闇の森の中、空ろな目をした一人の男が立っていた。


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