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第19話 生きかたは、自然の流れのまま

 開け放った、大きな窓。

 長く美しい赤い髪を風に揺らしながら、少女は髪色と同じ赤の瞳に木々の緑を映す。

 そのとき少女の目は、木の枝葉を見ていたわけではなかった。今の彼女の輝く宝石のような瞳は、対象を見つめているのではなく、ただ鏡のように外界の情報を映しているに過ぎない。

 みずみずしい桃色の唇は、うっすら開かれていたが、なにかを呟くわけでもなかった。

 置かれた人形のように、ただ窓辺に立つ。彼女の体は今、空っぽの器のようだった。

 しかし、彼女の精神は目まぐるしく動いていた。

 魔法の力により、遠隔の情報を集めているのだ。


 ロルフお兄さまは、残念ながらマルテ君に逃げられてしまったよう……。私の力でも相変わらずちゃんと捉えられないけど、マルテ君の気配がどんどん薄くなっていく。


 気配が薄くなる、それはすなわち「ロルフお兄さま――それは、黒づくめの男の名だった――」から遠ざかっていることを意味していた。少女は、ロルフに意識の照準を合わせており、そこからマルテの動きを探っていた。


 ビョルンお兄さまとラーズお兄さまは――。


 少女は意識を「ビョルンお兄さまとラーズお兄さま」に切り替える。「ビョルン」とは、ラーズと行動を伴にしている大男の名だ。

 ぴくり、少女の細い肩が動く。


『アグネーテ』


 ラーズお兄さま。


 少女の意識の中に、ラーズの声が響いてきた。アグネーテ、それはこの少女の名だった。


『よいものを見つけたよ』


 よいもの、ですか?


 アグネーテは、心の中、ラーズに問う。


『ああ。とても素敵なもの。きっと、アグネーテ、君が喜ぶ最高のものだ』


 まあ。なんでしょう?


 赤の瞳が光を帯び、可憐な薄桃の唇が花のようにほころぶ。


『早くこっちにおいで。強い魔法石をたくさん、カバンに詰めておいで』


 強い魔法石をたくさん……?


『ああ。全部でもいい』


 まあ。そんなに必要なんですか?


『わからない。これからするのは、僕らにとって、初めての試みだからね』


 アグネーテは、少し首をかしげたが、すぐにわかったのか、あっ、と短い声を上げ、思わずぴょん、とその場で跳ねた。


 わあ、なんて素敵なんでしょう……!


 アグネーテはラーズにより深く意識を繋げ、そしてラーズの現在の周囲の状況を理解することに成功していた。

 アグネーテには、兄の言わんとすることがわかってしまった。


 新しいお友だちを、作るんですね! すごくわくわくする……!


 急いでカバンを引っ張り出した。それは彼女のお気に入りのかわいらしい小さなハンドバッグではなく、多くのものを入れられる、大きな帆布製の手さげカバンだ。とはいえ、それにもしっかり彼女の趣味が反映されており、上部真ん中に大きめのクリーム色のリボンがワンポイントとして付けられていた。


 でも……、そんなこと、できるのかな。魔法石がたくさんあっても、私とお兄さまのお力でも、さすがに……。


 魔法石を次々カバンに入れながら、アグネーテはかわいらしい眉根を寄せた。


『大丈夫だよ、アグネーテ』


 心の中、涼やかなラーズの声が、続く。


『前例がある。それを、僕は目の当たりにした。それに……』


 それに?


 言葉の続きを、胸を躍らせながら待つ。きっと、兄はさらにときめくことを話してくれるのだ、そんな期待があった。


『アグネーテの期待を超える、素晴らしい奇跡が望めるよ』


 アグネーテはカバンをしっかり持って、玄関ポーチを駆け抜けた。


「おいで、グラネ……!」


 アグネーテが名前を呼び掛けると、すぐに蹄の音が近付いてきた。それは、灰色の毛並みの美しい馬だった。


「グラネ、お兄さまたちのいる、森に連れてって……!」


 アグネーテは、森を目指す。彼女にはわかっていた。

 

 ラーズお兄さまは、いつだって私の期待を裏切らない……!


 まだ見ぬ奇跡に、胸が高鳴る。


 


「こうやって見上げても、空の国は見えたことがないなあ」


 先頭を歩く地びとの旅人、ソルが空を見上げながら言った。


「私も、海面から空を眺めても、空の国を見つけたことは一度もない」


 最後尾を歩く青年の姿に変身中の海竜のイルムも、流れる雲を目で追いながら呟く。


「空の国は、僕たち空の国に住む人にしか見えないっていうよ」


 ソルの後ろを歩いている空びとの少年リーフが、答えた。


「うん。空に浮かぶ空の国が空の色ってこともありますが、特別な力がないと、見えないらしいです。僕のような、空びとと地びとの間に生まれた存在でも、地上から見えない人は見えないと聞きます」


 イルムの前、リーフの後ろを歩くマルテが、リーフの言葉に付け足す。

 一同は、一列に並んで歩いていた。

 これは、マルテを守る陣形らしい。先頭にこの地上に詳しく、剣の使い手でもあるソルが歩き、最後尾に海竜という強い生物が歩く。マルテはリーフ同様魔法が使えるが――さらに言えば、リーフより優秀である――、得体の知れないラーズたちを警戒してこの行列となった。通行の邪魔にならない、期せずして、とても交通マナーのよい集団となっていた。


「そうかあ。だから国々を旅していても、一向に空の国が見えなかったのか」


 なるほど、とソルは納得した。


「俺のおやじから聞いた伝説、なんだけど」


 ソルは、前を向いたまま尋ねる。


「大昔、空びとと地びとなんて区別はなかった、世界はひとつだった、って聞いたんだけど、本当か?」


 空はどこまでも青く、道はどこまでも伸びている。


「はい。そのように、僕らも習いました」


 マルテがリーフより早く答えていた。


「昔。皆地上で暮らしていました。あるとき宇宙から大きな流れ星が落ち、衝突したそうです。それは、大きな衝撃だけでなく、化学変化を起こしました。地中に埋まっていた九つの巨大な魔法石が浮かび上がったのです。宇宙の成分と、魔法石の成分がぶつかり合ったのです。その結果、魔法石の中には浮遊する力が生じてしまい、魔法石の上で知らずに暮らしていた人々は、そのまま空へ浮かびました。もちろん、落ちてしまった人、恐ろしい衝撃に耐えきれず命を落としてしまった人々がほとんどだったと言います。そして、空の国と地上の国と、運命が分かれてしまったのです」


 マルテの説明は、続く。物語の語り部のように淀みなく、まるで目の前に壮大で驚異的な情景が繰り広げられているよう、ソルとイルムは黙って耳を傾け続けた。もしこれがリーフの語りだったら、そうはいかなかったに違いない。「ばーんってなって」とか「どかーんってなったんだ」というような表現が随所トラップのように散りばめられ、なかなか話も進まなかっただろう。


「僕たち空の国の民が魔法を使えるのは、魔法石の上で暮らし、魔法石の成分の入った水や作物を何代にも渡って摂取し続けたからだ、と言われています。体に取り入れるだけでなく、長い間目にし、常にその巨大なエネルギーに接し浴びているから、そういう理由もあるそうです」


「そうだったんだ……!」


 ソルは、感嘆の声を上げた。自分たちと空びとたちが同じである、ただの伝説かと思ったが、どうやら本当だったと知り、驚きと共に感慨深い思いでいるようだった。


「それでも」


 イルムが、静かに声を上げた。


「魔法石は地びとにとって毒、なのだろうか」


 元は同じニンゲン。それなのに、地びとの世界にとって、魔法石は害となるのだろうか、イルムは疑問に思う。


「うん。おそらく――」


 イルムの問いに答えたのは、マルテでもリーフでもなく、ソルだった。


「長い時間掛かって順応し、使いかたを見つけた空びとと、俺たち地びとでは違いすぎる。やっぱり、リーフやマルテの言っている通り、二つそれぞれの文化は、そのまま離れていたほうがいいと思う」


 ソルは、振り返らずそう言い切った。誰も、肯定も否定もしなかった。ソルのその言葉は、吹き抜ける風のように透明に、静かに、大自然の中へ溶け込んでいった。


 生きかたは、自然の流れのまま。


 イルムは、青空にも大地にも染まらず、ただそう思った。


「あっ、またおうちだ……! 町が近いのかな」


 リーフが声を弾ませた。

 話しているうち、家々が増えてきた。

 イルムたちは、南の町を目指していた。

 先ほどまで町にいたマルテとソルにとっては、戻る形となる。


「黒づくめの男。やつを捕まえて、真相を聞き出そう」


 それが手始めの目的となっていた。

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